• follow us in feedly
scroll_icon
shuffle_button
【人生論シリーズ】内向型「発達障害」29の成功法則 ~自分らしく正直に生きればそれでいい~  パート1   #アスペルガー

【人生論シリーズ】内向型「発達障害」29の成功法則 ~自分らしく正直に生きればそれでいい~ パート1 #アスペルガー

Posted date:
Update date:2018年05月26日
【人生論シリーズ】内向型「発達障害」29の成功法則 ~自分らしく正直に生きればそれでいい~  パート1   #アスペルガー
発達障害の人生はあちらにぶつかり、こちらに惑い、悩みと共にある。現実的諸行動より「真・善・美の世界」に憧れる傾向がある。

しかし、人間の生まれつきの気質は恐らく肌の色と同様、生涯不変なものゆえ、こうした性向とじっくり付き合って生きるよりないのだと思う。むろん、立派に生きる・たくましく生きる、ということを目的とすると(よし、この気質を直そう!)と若いうちは思うし、またその矯正の営みもよいと思うけれど、老いて分ることは、(気質はほとんど不変だった・・)ということ。

今回からのシリーズ内向型「発達障害」29の成功法則では自分らしく生きるヒントを書いていこうと思う。

パート1

~あるがままで成功を~

 [自分の価値観や信念・生き方を変えることなく、世間からの暗黙の「その性格・その考え方・その生き方を変えよ」という要求には決して従うことなく、自分らしく生きて成功するとしたら・・・その在り方こそ最高の成功者である](発達障害者究極の成功法則)

 実に難しいことではあろうが、私はこう考えている。つまり、私たち発達障害者の場合は先輩・友人・同僚、そしてしばしば父母や兄弟姉妹から「その性格を変えなさい、そうしたら成功するよ!」と言われる。あまりにも頻繁に言われるうちに多くの人は、それが当たり前のことだと思ってしまう。

 だがもし、黒い肌の黒人に「白くなりなさい、そうしたらあなたを認めます」と言ったらどうだろう? 「マルコムX」ならずとも心ある人なら、その提言には「ふざけるな」と対応するに違いない。黒い肌とは真っ赤な太陽光線の下でたくましく生き抜く人間のために「天が与えたもの」で、それなら黒人が「ブラック・イズ・ビューティフル」と言うのは当然だろう。

映画「マルコムX」は私を大いに感動させたが、その一場面で一介の過激派から大思想家に進みつつあったマルコムXが、この印象的な言葉をポツリと呟くところがあった。その言葉を口にした時の映画の主人公デンゼル・ワシントンは、マルコムXが乗り移ったように素晴らしい思索力を感じさせた。

恐らくマルコムXはある日、[天の創造したものは全て美しいものだ]という、一種の悟りに到達した時、彼の黒人復権の思想に一本の太い柱が根となり、(何も白人のストレ―トヘアや白い肌を理想とすることはないわけで、むろんそれも天の創造したものゆえ、美しいと認めよう。だが自分たちの黒い肌も実に美しいのだ。それは大都会のビル内オフィスには合わないかもしれないが、大自然のアフリカの下の生命体としては必然である。必然的にこうなったのだ。白人はキリストを中心に連帯し、自分たちこそ地上の「選ばれた美しい種」とみる。

しかし、キリストの生まれた場所はどこか? それはベツレヘムだ。ベツレヘムは地球上のどこにあるか? 北欧かアメリカか? そうではない。それはアフリカに近いところにあり、そこの地の人々の肌は白いはずがない。白人はキリストを白い肌に描く。必ずそう描く。しかし、人は生まれた場所で肌の色が違う。とすればキリストの肌も白いはずがない。力ある白人は大昔からこのように、全てを自分たちに都合よく解釈する。それは何か詐欺のようなものではないか。

あるいはまた、黒人は白人社会に頭を下げて仕事にありついてきた。自分たちの人間的尊厳を捨ててまで白人に可愛がられて、高い給与の伴う仕事に就くことは裏切りではないか。黒人である自分たちに何故誇りを持たないのか。なぜ、ブラック・イズ・ビューティフルの原点に立てないのか。そのように考えてこそ、黒人は初めて白人たちと共生できる)と、マルコムXはこのように考えたに違いない。

そして、世界のあらゆる哲学者のたどり着く思考の高みを遥かに越えた万民共生の思想に達したその時、マルコムXの体に数十発の銃弾が浴びせられる。彼の未亡人はアメリカの某大学の広報部長をしているが、雑誌のインタヴューに答えて、「彼は私の教師でした。彼は私たち家族に一度として怒りや罵声を放ったことはありません・・」と証言している。

このような「ブラック・イズ・ビューティフル」の考え方を、私は「発達障害者は美しい」と翻訳して考えるようになって久しい。この発想は、「自分の同じタイプの人々の力強い生き方に協力しよう」とした私の考えの中心に既にあった。その頃、マルコムXについてはよく知らなかったが、私はやはり・・・自分たちのこの気質・性格は「必要だからこそ天が作ったものゆえ美しい」と見るようになっていたのだ。

発達障害者は神経質なほどに倫理的で、人の迷惑になるほんのちょっとした罪さえ仕出かすことはない。内向型はすぐ過敏に反応するが、しかし真実・真理に最も早く感応する過敏さがある。自分たちの口から出す言葉には実に慎重となるから、必然的に無口になる。

人々を喜ばす冗談というものが、どこかで弱い人たちを傷つけるものだし、自分もまた心無い他人の冗談に傷つけられたことがあるから、冗談は使えないのだ。そのような在り方は美しいものであるとは言えないのか? それにまた人間が仕事を離れた時に接して生きがいを得る絵・音楽・哲学・思想・宗教、それら全て「内向型発達障害者の先人たちが創ったもの」だ。ゴッホやビュッフェは一般的外向型だったのか? べートーベンやモーツァルトは? ユングやショーペンハウエルは? そうではない。この人たちは内向型発達障害者だ。

ではキリストや仏陀は? むろん、その思想の深さ(人類の罪を考え抜いた人間・キリスト、生老病死に脅えノイローゼになるほど悩みぬいた人間・シッタルダ仏陀であった故・・)からして内向型の発達障害者だと思う。

むろん、国家を荷う大統領や首相・将軍たちは、それは一般的外向型だろう。集団の長として言葉で人々を説得し、その「勇気ある行動」で敵の人々を殺しつくす軍人の長は、大抵そうであろう。

このように考えてみると、地上の人々を「現実的」に統率する人は一般的外向型の為政者であり、「精神的」に引率していくのは内向型発達障害者の聖人だと言うこともできる。商社の扱うミサイルからカップ麺までは一般的外向型が売るが、絵や音楽や思想という「心の食べ物」は内向型発達障害者が作る。これこそ天の計画なのだ。

とすれば・・・なぜ私たちは自らの性格やそれに基づく在り方、行動を変える必要があるのだろうか? 
「そのソンな性格を直してきたら仲間に入れてあげる」という一般的外向型の人々の主宰する人格改造講座に何十万・何百万も注ぎ込む必要があるのか? 

この世には、私たちの内向型発達障害者を対象に大儲けする商売人たちが後を絶たない。宗教団体の中にも人格強化をお祓いで実現するからお祓い料を、というところがある。それらは大体「内向型発達障害者だと損をする」という一般的外向型発想の上に立っているように思う。

むろん、中にはマジメに内向型発達障害者のための人格強化をやって下さる人たちもいるのだろうが、もし私たちの性格やそこから来る在り方が「天与のもの」なのだとすれば・・・変える必要はなく、むしろ変えてはいけないのだと思う。

というわけで、「発達障害者の過激派」風の私の内なる思いを吐露したのであるが、つまりは「天与の性格そのままに仕事をしよう」「この性格の特性を生かして仕事選びを」ということをお願いしたいのである。

「それは理想であって現実はね・・」とあなたは思うだろうが、それは必ずしも自由業・職人・資格職業人・芸術家・研究職の人々のみに許された在り方ではなく、ビジネスマン・OLであれ公務員であれ可能だと思っている。いや、それを可能にする会社や組織を作らなくてはならないと思う。

それは「白人と黒人の共生」と似て「一般的外向型と内向型発達障害者の共生」ということになるが、決して不可能な事とは思われないのだ。確かに我ら内向型発達障害者は統率力などはないが、その代わり「考える力」はあるから企業の参謀役として企画マン・調査スタッフなどに向く。公務員なら利潤追求をしないでよいから大体全ての仕事が内向型発達障害者には出来ると思うから、そういう場では「外・内の共生」は実現している。

自分の性向を根本から変えようということは、黒人が自分の肌を剥ぎ取ることに似て、不可能だとみよう。また、自分本来の姿を隠して一般的外向型のように振舞う時間は疲れを呼び、長く続けるにつれ疲労が心身にまとわりつく。そんなことなら何も演じない方がいい。要するに雇われて働く世界では「役に立てばよい」わけで、その方面に全力投球した方が、人間関係に気を遣うより有効なのだ。

なぜなら会社は自社の利益作りのために人を雇用するのであり、人間関係の良好さはその大目的の促進のため、という副次的なものだから。    	
私自身、会社員として数年働き、フリーの文筆家・カメラマンとして取材などで会社と付き合ってきたけれど、自分を外向型人間風に演技したりしたことはない。「私って内向型発達障害者です」ばかり口にしていた。会社員時代はダメ社員であったが、それでも良き思い出もあり、大事にしてくれる人たちは沢山いた。文筆業やカメラマンの方では相手企業の多くの人々から尊重されている。

だから「自分を変えたり演技したりせずに生きる」ことは決して不可能とは思わない。また自由業としての文筆業は内向型発達障害者の洞察力がなければ一日も出来ないし、文筆業は知的想像力という内向型発達障害者気質の所産なのだ。

つまり私はこれまでの人生を「自分に徹して」生きてきたと自負しているが、それ自体は「ブラック・イズ・ビューティフル」に似た「内向型発達障害者・イズ・ビューティフル」の思想に立脚したからこそ出来たのだと思う。

この考え方はかの有名な森田療法の「あるがまま発想」にどこか似通っている。しかし私は自分のこうした考え方を定立させた後、暫くして森田療法の思想を知ったのだ。そして「真理は一つ」と納得したのだ。
だから皆さんにも是非、[内向型発達障害者の成功法則]として、自分の性格に基づく性向に忠実に生きて自己実現をすることが真の成功である。

ということを忘れないでほしいと願う。性格問題で苦しむ仲間たちの、性格改造の努力ももちろん認める。だがいつの日か、必ずこの考え方に立ち戻ってくれると確信している。

この記事が気に入ったら

いいね!しよう

Sharetubeの最新記事をお届けします

著者プロフィール
 Pride of the Japanese

現役キュレーターの中でトップのアクセス数を誇るSharetuber。世界を飛び回る国際ボディガード歴20年。護身術師範。悪質なクレーマーや反日左翼と戦う某公的コンサルティング団体顧問。喧嘩上等。「I'm proud of the fact I was born in Japan.」