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【戦国時代を学ぶ】vol.1「軍事研究」事始◆いわゆる「軍師」とは?  #歴史 #甲陽軍鑑

【戦国時代を学ぶ】vol.1「軍事研究」事始◆いわゆる「軍師」とは? #歴史 #甲陽軍鑑

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Update date:2018年05月26日
【戦国時代を学ぶ】vol.1「軍事研究」事始◆いわゆる「軍師」とは?  #歴史 #甲陽軍鑑
近代戦における戦略・戦術研究のプロまでも納得させた戦国時代の「インテリジェンス」であるが、実際のそうした活動は、どういう人物によって、行なわれたのであろうか?

そこで、頭に思い浮かぶのは、「軍師」という存在である。

彼ら「軍師」の特徴は、名将と名高い戦国武将の参傍らに侍し、困難な戦局を冷静に分析し、適切な戦略・戦術を進言することにより、彼らの覇業を補佐した「軍事顧問」としての存在にある。

さて、この「軍師」であるが、実のところ、その存在自体がフィクションに近いと見做されている厳しい現実がある。しかし私は実在したと考えたい。

今回はそんな「軍師」についての基礎解説をしてみよう。

軍師の象徴・山本勘助

軍師」とは、天下泰平の世となった江戸時代以降に、武士階級の教養として、広く嗜まれた軍事研究、すなわち「軍学」における一種の武士の理想像だったからである。

この「軍学」とは、戦場における戦術・戦略などの戦闘法を指す「兵法」や、難攻不落の城を築くテクニックである「築城術」などを体系化し、研究された「軍事学」である。

古くは、「孫子の兵法」に始まり、日本においても、南北朝期に楠木正成が、千早赤坂城に篭って、幕府軍を相手に縦横無尽のゲリラ戦を展開した「楠木流軍学」や、忠臣蔵の討ち入りの際に、轟いた陣太鼓の「山鹿流」も、「軍学」の一派である。

そうした「軍学」は、太平の世にあっては、次第にマニアックな「机上の空論」と化し、それぞれの流派の祖とされる「軍師」は、ますます崇められる結果となった。

「軍学」で語られるような合戦の話や、戦国武将の武勇伝に惹かれるのは、武士階級のみならず、庶民の間でも、いわゆる「軍記物」といわれる講談や歌舞伎などの演目として、好んで取り上げられることが多くなり、それらがさらに「軍師」の神格化に拍車を掛けた。

たとえば、「軍師」のルーツと言われる『三国志演義』の諸葛亮孔明は、森羅万象のあらゆる知識に精通し、陣形から方策までを立案したり、運気や勝機を読むなどの能力に長けていたことから、時には呪術まで駆使できるほどの超人的な存在として、今なお、歴史小説などに描かれるのは、その好例といえるだろう。

このように「軍師」のカリスマ化が進む中で、日本の歴史上、「軍師」と聞けば、おそらく誰もが最初に思い浮かべるのが、「山本勘助」であることには、まず間違いないだろう。

徳川家の家臣には、武田の遺臣が多く召抱えられていたという事情もあり、武士の間では、神君家康公すら、脅かした戦国最強の武将・武田信玄の名参謀として、山本勘助の人気は、すでに江戸時代の初期から、根強いものであった。

武田家中における勘助の立場

甲陽軍鑑』に記載によれば、山本勘助は信玄に面会した当初から、その才能を見抜かれ、知行3百貫の「足軽隊将」に登用されている。

この「足軽隊将」とは、配下に75人の部下を与えられた実戦部隊であり、武田家譜代の家臣ではなく、その実力を買われて、他国から招聘されたり、浪人から登用されたものたちである。

つまり、武田家中において、部下との地縁や血縁的関係を持たず、実力本位で採用された戦闘集団であり、信玄の親衛隊的役割を果たしていたといえよう。

ちなみに、勘助たち、足軽隊将を指す「武田の五名臣」という言葉がある。
彼らは、原美濃守、小幡山城守、横田備中守、多田淡路守、山本勘助の5名の「足軽隊将」を指しており、別名、「甲陽の五名臣」とも呼ばれている。

この5人のうち、勘助を除く4名は、信玄の父・信虎時代に採用されたメンバーであり、武田家中の多くの侍大将が、いわゆる国人領主であり、主家に対して、独立性が高いことに比べ、彼ら「足軽隊将」は、武田家の直臣として採用された立場であった。

時代は下るが、勘助の死後、14年たった天正3年(1575年)当時に家中は、拡大路線と共に、この「足軽隊将」も21人にも増加し、中には宿敵だった上杉謙信の家臣から、武田家に寝返った者まで含まれていた。

このように、実力本位の実戦部隊の統率を任された勘助であるが、実は、『甲陽軍鑑』の中では、一度たりとも、『軍師』とは記載されていないのだ。

しかしながら、先の5人の「足軽隊将」のうち、勘助の除く4名は、戦闘時における最前線の指揮官として、類稀なる指揮能力が評価されているのに対して、勘助については、用兵や築城の技術者として重用されていることから、事実上の「軍師」的な役割を演じたことは間違いないであろう。

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著者プロフィール
 Pride of the Japanese

国際ボディガード歴20年。世界を飛び回るSharetubeトップキュレーターの一人。護身術師範。悪質なクレーマーや反日左翼と戦う某公的コンサルティング団体顧問。喧嘩上等。「I'm proud of the fact I was born in Japan.」