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乳がん検診のすすめ || 母の乳房全摘出手術とその後の暮らし
殿堂

乳がん検診のすすめ || 母の乳房全摘出手術とその後の暮らし

Posted date:
Update date:2018年07月22日
乳がん検診のすすめ || 母の乳房全摘出手術とその後の暮らし
 
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私の母は60代の中頃に乳がんを患い、左の乳房を全摘出した経験があります。今回は、当時を振り返りながら、私自身の乳がん検診の体験なども交えてお話させて頂きたいと思います。母について語っていますので多少厳しい言葉が出てきますが、あくまでも母に対しての言葉で他の誰にも当てはまるものではない事をご了承下さいませ。よろしくお願い致します。ちょっとシビアな題材ですけど、チカラを入れないで読んでくださいね。
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先ずこちら、とあるサイトの年代別罹患率が書かれていますので見てみてね。

 
 国立がん研究センターがん対策情報センターの資料による
  乳がんの罹患率(がんと診断された率)

20代    0.3%
30歳~34歳 1.3%
35歳~39歳 4%
40代    19.7%
50代    21.2%

60代は書かれてありませんでした。さらにそのサイトには「年齢階級別罹患率でみた女性の乳がんは、30歳代から増加をはじめ、40歳代後半から50歳代前半でピークを迎え、その後は次第に減少します。」と書いてあったのですが、次の表( SBI損保のがん保険サイトより)を見ると60代は乳がんの罹患が2度目のピークを迎えている年代です。
国立がんセンターのがん情報サービスの「乳がんの発生する危険性を高める」と書かれてあった項目を表にして母が癌を患った頃の状態をチェックしてみました。
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こういうチェックしてみるタイプの「自己診断表みたいなもの」を母はとってもやりたがりまして、見つける度にやっていました。チェックした通り母に当てはまるのは寝る前に飲むお酒だけでした。子供も20代で3人産みましたし、母乳も出が悪かったと言っていましたが粉ミルクと半々で飲ませました。(飲みました)乳がんになった時は閉経もしておりました。確か、50代前半で閉経したはず。記憶は薄く曖昧ですが、「せいせいしたわー!」と言っていた頃の記憶があります。50代前半の閉経ならば遅くはないですよね。閉経後特に太りもしませんでした。

次は、ん?身体活動度が低いって何だろ?食っちゃ寝な感じ?調べてみると、" 意識的なものではなく、日常生活上で行う運動のことです "とありました。内容を見てみると、自転車とか家の中での運動とか、エアロビとかゴルフとか書いてありましたので、突発的にする特別な運動ではなく普段の行動に基づく運動だと解釈しました。となると、母の場合家の中でも外でもメッタクソ動き回っていますのでやはり当てはまりません。パークゴルフとフラダンスを今でもやってるんですヨ。結局母に当てはまったのはたった一つだけ。飲酒と言っても寝酒の一杯程度なんですけどね。
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すげえ!このお婆ちゃん。カッキーね♡
情報にあった【40歳代後半から50歳代前半でピークを迎えその後は次第に減少】しているはずの罹患率。リスクの高い毎日の習慣は母にはほぼ無かった。
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私が言いたいことは、情報がいい加減だとか、信用できないとかそういう事ではありません。あ、何なら信用できないくらいでいいかも知れないとも思っています。(情報があてにならないと病院に行く人が増えそうじゃありませんか?)

母はネット世代の人間ではないのでパソコンやスマホから情報を得ることはありません。情報源と言えばTVの健康や病気について構成された番組と(また見てんの?ってくらいいつも見ています)、あとはもっぱらご近所さんとお茶を飲みながらする井戸端会議。そこで得られるのは「○○さんが病気になったんたって!」「○○を食べてると○○に良いらしいよ!」とかいう情報です。テレビ番組はしっかりとした情報を伝えていますし、おばちゃん達の井戸端会議もまんざらではない情報が得られます。何せみなさんの情報もテレビなんですから、自分が見ていない番組内容を教えてくれます。「シイタケとガゴメ昆布のだしをコップに一杯毎日飲むと良いんだって!」といった感じで。しかも聞いたコトは感心にも実践しているんです。ドロドロのがごめ昆布の汁を毎日飲んでいました。
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母は癌になった。

毎日こどもみたいにテレビにかじりついて「あれがカラダにいい、これがいい、あれが悪くてこーなんだって。と、言っていたお母さん。それはそれでいいんです。でも、それほど健康を気にしていたなら、なぜあなたは乳房を全摘出するという哀しい体験をしたんだい?という事になります。母は何度勧めても検診という検診全て受けておりませんでした。もっとひどい事に、乳房にかなりはっきりとした異変を感じ、自分でも「乳がんじゃないか?」と思っていたにも関わらず、なんと病院にも行かなかったんです。

4人に一人の割合で癌になる!と言われており、がん細胞は元々体の中にあるもので発生するかしないかなのだという情報ももう常識となりました。40歳になると各市町村から乳がん検診無料クーポン券も届きます。問題は母がなぜ癌になってしまったかではなく、なぜ癌を見つけられなかったか、なぜ見つけようとしなかったか、なんです。
検診に行かなかったのは何故か
理由その① 乳がん検診は泣くほど痛いと噂で聞いていたので行くのが嫌だった。
理由その② 自分が癌になるなんて思えなかったから。
癌ではないかと思ったのに病院に行かなかったのは何故か
理由その① 癌だったら嫌だから。
理由その② 怖かったから。

バカみたいだけど、母の気持ちは凄くわかります。癌かもしれないと思うけど言われたら怖いよ、逃げたくなるよね。それでも行って欲しかった。
たまたまです。たまたまその頃私が出産を控えておりまして、里帰り出産の為に北海道の実家に帰った時の事なんです。母から「乳がんかも知れない」と泣きながら聞かされたのは帰ったその夜でしたよ。あれ、私が里帰り出産していなかったらどうなっていたんだろう、と思うと怖くなります。生まれた孫に感謝してほしいわっ。なんならうちの旦那にもよ。さて、思い切り余談交じりでお伝えしますが、病院にも行っていないと聞き「バカじゃね?」と言いながらも病院を調べ予約を入れて翌々日に母を病院に連れて行きました。たぶん手術をする事になるだろうと踏んで実家から車で1時間もかかる大きな病院を選びました。
運転は父がしていたのですが、有ろうことかあのヤロー、運転中に飲んでいたコーヒーの容器を落としまして、何を思ったのかすげえ大きな橋の上で落とした容器を拾おうとして中央分離帯に激突したんです!分離帯に跳ね返されたまま車は走り続けるんですが、父がパニックになってしまってカーチェイス映画さながらの蛇行運転が始まったんです!高速道路なみに車がビュンビュン走っている状態でとても直ぐには止められない!妊娠9カ月の大きなお腹の私は子供の顔を見る前に死んでたまるかい!とシフト辺りにあるボックスみたいなヤツをまたぎまして、ハンドルを持ち「アクセル緩めろ!」「お母さん後ろ見て!」ってさあ、ホントに大変な思いをしたんです。あれも良い思い出です。て、なるかい!余談終わりました。

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検査の結果はやはり乳がんでした。もうその時は誰が触っても解るくらいの大きさだったんですから。満員電車で痴漢におっぱい触られても「病院に行った方がいいよ。」って言われるくらいの大きさですよ。もしも、自分で気づいた時にすぐに行っていたら結果はどうだったのか分かりませんが、3カ月以上そのままにしていたって言うんですから私の後悔も酷いものでした。「もっと電話していたら良かった。」「様子に気付いてあげられなかった。」と。けど、もっと後悔したのは検診の事です。もしも乳がんの検診に行っていたら、もっともっと早い段階で見つけられて、全摘出には至らなかったと強く思うのです。けどね、時間が経って段々腹が立って来て、自分を責めるのは止めました。母はいい年した大人なんです。いくら怖いとか痛いとか言っても自分の身は自分で管理しなくちゃならないし、あの時の母はそれが充分できる年齢だったんですから。今、同じことをしたら間違いなくぶっ飛ばしますね。グーで。

 入院中と退院後の母の様子

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もうね、病院はホテルか!っていうくらいキレイでした。6人部屋で、同室のみなさん母と同じ年くらいの方とおひとりちょっとお若い方が(50歳くらい)いらっしゃいましたね。入院前日は私も危うくつられて泣きそうになったほど(母の為にも泣きたくなかったので頑張って堪えました)号泣した母でしたが、いざ入院して数日経ってみると病室はまるで「女子寮」。がん患者とは思えないほど賑やかに過ごさせていただきました。中には母と同じ乳房を摘出する方もいらしたのに。みなさん務めて明るくされておりました。(つか、どんなシーンでも女の人ばっか集まるとほんと姦しいね。女女女でかしましいかー。勉強になった!)当たり前の事ですが、母が元気だったのは、この時まででした。

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退院してからは痛みに耐える事と抗がん剤の副作用、リハビリがとても辛そうでした。手術した後の皮膚が収縮してしまいリハビリをしないと腕が固まり動かせなくなってくるのです。それに加えて自分の身体と向き合わなければならないので、どんどん暗くなっていきました。母はやせ型の巨乳だったので、エプロンをしていても「何かが圧倒的に変」な事が一目で判るほどだったんです。具合が悪くても日常は続いていきます。人に会わなければならない事もあります。抗がん剤治療のために20キロ近く痩せてガリガリになった首には夏でもスカーフが巻かれ、体温調整がうまく出来ず電気毛布を一年中使っておりました。暑がりで家の中で靴下をはいた事もない母なのに。


全摘出するという事は、勿論乳首もなくなってしまいます。大きな傷跡と真っ平な胸を見てさぞや苦しく哀しい思いをしたことでしょう。手術を経験した人でなければ分かり得ない事ですが、乳首を残すか残さないかはとても大きな問題で、残す事を希望して全摘出を拒む方が多くいらっしゃるほどです。母も全摘出する事をとても嫌がりました。当然家族全員で説得しましたよ。「乳首残したってどうしようもないじゃない!今更何に使うのよ!命の方が大事でしょう?」と。ずっと後の事ですが、母と温泉に行き、手術をして大きな傷跡が残る母の胸を見た時に、「乳首なんて要らないでしょう!」と軽々しく口にした自分を思い切り殴りたい気持ちになりました。今私が同じ病気になったとして「全摘出します!」と即答できるの?と、それから何度も繰り返し思った事です。簡単には割り切れないものがある事をその時の私は、そして家族も、何も分かっていませんでした。


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ブレストケアブラ(乳がんを経験された方のブラ)

			
着用時の感じ方には個人の差が大きく出ますが、母の場合特に大きな胸をしていたので片方だけパットを入れたブレストケアブラが嫌で仕方がなかったようです。これを着用する事にも大きなストレスがかかり悩んだ結果、着用を止めることにしたんです。他に治療の為に髪の毛がバサバサ抜けたのでウイッグも被っていましたし、足の爪がまるっきり無くなったのにも驚きました。鏡を見る度に哀しくなったのでしょう、いつからか鏡に布がかけられるようになっていました。
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母が何とか少しずつ立ち直り、温泉に行って片方のおっぱいを隠さないようになるまでに10年以上かかっています。哀しい経験もしたでしようし、もしかしたら違う人生を歩めたかもしれない貴重な10年です。今もスッカリ振り切ってなどいないと思います。なので声を大にして言いたいのです。
多くの情報を手に入れようが、その情報が当たっていようがガセであろうが、そんなことはどうでもいいんです。とにかく検診に行って診てもらう事が一番大切な事なんです。

だから、みなさんも、、、
 
 

  マンモグラフィ検査について

マンモグラフィ検査は正直痛いです。痛いなんてもんじゃありません。ご存じかと思いますが、胸を板状のもので挟みプレスして薄っぺらい状態にして細胞の様子を知るという発展しない昔ながらのやり方です。いい加減何とかならないかね。これが変われば歴史が変わるくらい地球上から多くの人が救われると真剣に思います。マンモグラフィが痛くなかったら誰だって検診受けますよね。

もうね、病院の人が敵に見えてきます。痛さのあまり頭叩きたくなるんですよ。例えるなら、まな板でおっぱい挟んだその上にクラスで一番嫌いだった女がその頃より20キロ太った状態でニヤニヤしながら乗って来る。そんな感じ。それくらい痛くて腹が立ちます。

けど行ってます。1度目より2度目の方が痛さを知っているから怖い。3度目は更に怖いです。けど行きます。全然悪くないのに技師さんのいる部屋を思い切りにらみつけて帰ってきますが、帰って来た後はこの上なく気分が良いです。

みなさんもどうかどうか、頑張って行ってみて下さい!!

最後までご覧頂きありがとうございました。
ギンアンコ。
 
 

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著者プロフィール
ギン アンコ。

ギンアンコ。 元北海道民です。 疲れずに読んで頂ける記事を書くコトをモットーとしています。どうかみなさんが楽しんで頂けますように♡