【二度火山噴火の被害に遭遇した両親の行動】避難勧告になかなか従わない/避難生活

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北海道の道南、サミットが開催された洞爺湖近くにある有珠山の噴火です。

			
この有珠山と言う山は、20年から30年に一度周期的に噴火を繰り返している活火山で、記録には過去に9回の噴火を繰り返しています。突然噴火するわけではなく、記憶は少し曖昧ですが1カ月前くらいから予兆の地震が始まったと思います。それよりも先に蟻やワラジムシが家の中を行進して何処かに移動した事を覚えています。それと、洞爺湖には中島という島があり、そこに野生の鹿が居るのですが、その鹿達が地震より前に湖を渡って何頭も逃げ出していたこともニュースになっておりました。 

出典:YouTube

時々、噴火に関係なく逃げ出す鹿はいるのですが、噴火前に湖を渡った鹿達は相当の数でした。
地震は縦揺れで、明らかに日頃体感する揺れとは違うものがあり、異様な怖さがありました。地震は震度4くらいのものが1日中襲ってくるのですが、人間とは恐ろしいもので、徐々に震度4程度の地震くらいでは驚かなくなっていくのです。最初の噴火に遭遇した頃は、今のように情報を自由に得る事も出来なかったので、有珠山が周期的に噴火している事すら地元の人もあまり知らずにいたのです。しかも、知らされることもありませんでした。後で知ったのですが、1822年の噴火では、火砕流(噴出した高温の火山灰・軽石・火山岩塊などが一団となって高速度で流れ下る現象。また、その流れ。)が発生して、記録には集落全焼、集落移転死者82人・負傷者多数とあるのです。けれど、そんな事など何も知らない町民は、案外暢気に暮らしていたのです。災害に対する予備知識がなかった所為もありましたが、『自分たちだけは無事』という気持ちは殆どの人が持っていたと思います。 

出典:有珠山噴火に備えて

北海道伊達市

			
そして、遂に噴火の時が来るのですが、家の真裏の中学校が避難所なので、避難するつもりもなく、何なら避難してきた知人や友人に差し入れしようくらいの気持ちで居たのです。夜に噴火した時でさえ、父がカメラを持って家の窓から遠くに火柱が上がっている様子を撮影していたくらいです。でも、結果は亡くなった方と行方不明者3名が出てしまったのです。 
一度目の噴火の時は、幼くて、虫が行進していたとか、鹿やタヌキがたくさん出て来たとか変な記憶しかないのですが、2度目の噴火の時は既に成人していて、故郷を離れ札幌でくらしており、毎日のように流れるニュースを見て両親を心配しておりました。その時は既に情報も手に入るようになり、前回の噴火の時に亡くなった方を出してしまった事で対策本部が立てられ、頻繁に報道されるようになっていたのです。避難勧告も早々と出ておりましたが、両親は前回の事もあり、『また、あの程度でしょう?』と思っており、札幌に来いという私の言葉に耳も傾けませんでした。しかし、噴火の状況は毎度同じだとは限らないのです。1822年の時のように、火砕流が流れだすような事になるかもしれませんし、土石流も恐ろしい勢いで流れてくるのです。家の横は泥流を流す水のない川のようなコンクリートの道が作られているのです。そして前回の事もあり、隣の中学校では危険だとして避難所は別の場所に移されました。危険だと言われているのに、避難所へ行く気もなければ、娘の居る札幌に行こうなんて事も全く考えていないようでした。 
ギンアンコ。

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Sharetube