「家族内で起きた大量殺人事件」中津川一家6人殺傷事件の原平とは

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中津川一家6人殺傷事件(なかつがわしいっか6にんさっしょうじけん)とは岐阜県で2005年(平成17年)に発生した家族内の大量殺人事件である。裁判では一家心中として極刑を回避した。

一家惨殺

2005年2月27日午前7時前、岐阜県中津川市の市老人保健施設「はなのこ」事務長・原平(当時57歳)は、この日妻(当時56歳)が友人10人と知多郡に日帰り旅行を行くため、近くの集合場所まで送っていった。原は友人らに「皆さん、(妻を)よろしくお願いしますね」とニコニコと挨拶していたが、彼の心にはすでに殺意があった。

 午前9時ごろ、この日は仕事は休みだったが、「風邪の入所者のお見舞い」と職場を訪れている。

 

 帰宅した原は自室で寝ていた整体師の長男・正さん(33歳)の首にネクタイで絞めた。正さんは「お父さん、何・・・?」と言ったが、そのまま絞めつけた。

「次は婆さんだな」

 長男が息をひきとると、原はそう思って部屋を出た。


 仏間に入った原は、ソファで居眠りをしていた母親のチヨコさん(85歳)をやはりネクタイで絞めた。チヨコさんは目を開けたが、構わずそのまま絞めた。


 続いて飼っていたシェパード犬2匹も始末しようとした原は、市内坂下の山中に連れて行き、木につないだうえで刃物で首や胸を刺した。犬は大きな声で吠えることもなく、か細い鳴き声と悲しげな目をしながら死んでいった。


 午前11時ごろ、「おばあちゃんが孫を見たがっている」と誘い、2kmほど離れた所に住む長女の藤井こずえさん(30歳)と孫2人を車で連れて来た。

 こずえさんはソファの上の祖母を見て「なんか様子が変じゃない?」と異常に気づいた。原は「もっと近くへ行って見てみな」と言ってから、実娘の首をを背後からネクタイで絞めた。こずえさんは原の方を振りかえって、「お父さん・・・・」とつぶやいたが、構わず絞めた。こずえさんは彩菜ちゃん(生後3週間)を抱いたまま絶命。さらに幼い孫・孝平ちゃん(2つ)、彩菜ちゃんをも手にかけた。


 午後1時頃、娘婿の会社員・藤井孝之さん(当時39歳)を車で連れてきて、自宅の勝手口に入ろうとしたところを「死んでくれ」と腹部を包丁で刺す。孝之さんは刺されながらも逃走、「義父に刺された」と110番通報した。


 原は孝之さんに逃げられると、追うのをやめ、風呂場で自分の首に包丁を刺した。


 まもなく孝之さんの通報でやってきた捜査員は異常な光景を目にする。家の中のあちらこちらで人が死んでいるのである。

 捜査員は浴槽の中で倒れこんでいる原を発見。出血がひどいものの、かすかに意識はあり、「誰にやられたんだ」と尋ねると、「俺がやった。俺が・・・」と言って意識を失った。


 家族の中ではただ1人、旅行に行っていた妻だけが難を逃れた。難を逃れたというより、原にとっては妻のいないこの日に一家殺害を行なわなければならなかった。

 妻は旅行を楽しんでいたが、他のメンバーの携帯電話に続々と連絡が入ってきたため、「何で?何で?」と半狂乱となっていたという。


 警察は原の回復を待って事情を聞き、3月12日に逮捕した。

「何もかも嫌になった」

 原はそう言った。

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動機


チヨコさんは、神奈川県に住む次男夫婦の所に引き取られていたが、平成11年に次男が「もう母親とは生活できない」と兄である原に直訴。そこで、原はチヨコさんを引取り同居が始まった。チヨコさんは、生まれつき気が強く頑固で自己中心だったようで、原の家族とりわけて妻のA子さんには執拗に難癖をつけていた。A子さんが作った料理には一切口をつけず自炊。風呂も次に入るA子さんが入れないように浴槽に脱糞したり、生ごみを入れたりした。A子さんが植えた花も片っ端から引っこ抜くなど連日のいじめがあった。

それでも、A子さんは毎日を耐えていた。原は、家庭内ならまだしも、チヨコさんが近所でも問題になっていることを知った。郵便局の局長に難癖をつけて大声で罵倒するなど小さい町ではすぐに噂になっていった。


その頃、病院を退職して市の老人福祉の仕事に就くようになってから、原の精神状態が不安定になってきた。母親への恨みが募り、「もうやるしかない」と考えるようになった。だが、母親を殺害したら残された家族は殺人鬼の家族だという汚名が一生つきまとうだろう。であれば、家族全員を殺すしかないと思い込み犯行に至った。

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裁判

検察側は一審で被告人に対し「自尊心と虚栄心を満たす為の犯行、動機は自己中心的で酌量の余地はない」として、2008年7月29日に死刑を求刑した。しかし岐阜地裁は2009年1月13日に無期懲役を言渡した。その理由として裁判長は「犯行は私利私欲目的でなく、ことさら残忍な殺害方法を用いていない。長年に渡る母からの嫌がらせで精神的に追い詰められていた。また被害者も極刑を望んでいない。再犯の可能性もない」などというものであった。この判決は凶悪犯罪に対する厳罰化傾向が顕著になった1990年代以降で5人以上殺害かつ死刑求刑された事件としては異例のものとされた。


この判決に対し土本武司は「殺人は被害者が家族でも第三者でも区別しないはずだ、心神耗弱状態でないなら、他の要素を考えても死刑より軽くなる理由はない」と指摘したほか、菊田幸一は「遺族感情がかなりのウエートを占めた可能性もある。(死刑廃止という)死刑回避の立場からすれば歓迎すべきだが、被害者数から言えば過去の判例からはありえない判断」と指摘し、この事件のように犠牲者5人の犯行に対し裁判所が死刑を言渡されなかった事を疑問であるとした。一方で諸沢英道は「社会に与える影響から親族間の殺人は、無期刑をさけて有期刑が下されることが多い」などとして、一家心中の生き残りに対する刑罰としては重過ぎると指摘した。


検察側、弁護側双方が控訴したが、弁護側は犯行動機からして「病的な状態になっていた」と責任能力は限定的であったと主張し有期刑に減刑するよう求めた。一方の検察側は死刑適用に関する最高裁判例の永山基準に違反し量刑不当であるとしていた



控訴審では妻子3人を失い自身も負傷した娘婿が「事件後も謝罪の手紙もなく、申し訳ないという気持ちが伝わってこない」としてAの極刑を求める証言を行った。検察も「(殺害された娘一家は)別世帯であり殺される理由がない。謝罪の手紙もなく反省しているか疑問」であり、被害者感情は厳しいとして死刑を求めた。一方弁護側は子供と孫を失ったAの妻と実母を失った実弟を証言させ、二人はAの極刑を回避するように求めた。そのため死刑を求めるはずの「犠牲者遺族」の意見は真っ二つに割れた。


名古屋高裁は2010年1月26日に双方の控訴を棄却し無期懲役を言渡した。裁判長は犯行について「取り返しの付かない悲惨かつ極めて重大な結果を生じさせた。態様も非情で悪質」と糾弾したが、被害者の母がAの妻を泥棒扱いしただけでなく自分が風呂に入った後に浴槽に排泄物を入れるなど妻に対する嫌がらせを執拗にしたとして落ち度があったとし、一家殺害については「殺人者の家族の汚名を着せるのは不憫という家族関係に由来する事件であり、一家心中であった」と認定し、罪一等を減じたというものであった。検察は2月9日に「5人も殺害しているのに無期懲役は軽すぎる。死刑適用の判断基準を示した最高裁判例に違反する」として最高裁に上告した。


検察、被告人双方が最高裁に上告していたが、2012年12月3日に双方の上告を棄却した。判決では、「実母の言動によって被告人が苦悩し、追い詰められた心理状態に至った経緯」、「子や孫らを……道連れにした方が……良かれと……実行した(ことは)……理不尽としかいいようがないけれども、……全く斟酌の余地がないものではない」ことや、遺族の宥恕感情、再犯の恐れのなさなどから「無期懲役(を)……破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められない」とした。これに対し「(被告人が)実母の言動について適切な方策を何ら執ることがなかった」こと、「妻に対し、『俺は最後にはちゃんと始末をつけたぞ』『俺は何もできないような情けない男ではないんだ』と分からせたかった」という供述から、「実母殺害の……主たる動機は、実母の言動に適切な対処をすることができなかったことについての妻に対する申し開きとして、己を犠牲にして妻を守ったという形を作ろうとしたものとみることもみることもできるのであり、その経緯や動機に汲むべきものはない」などとして、更に慎重な審理を尽くさせるため、原判決を破棄し原裁判所に差し戻すべしとする横田尤孝裁判官の反対意見がある。

出典:中津川一家6人殺傷事件 - Wikipedia

	

中津川の家族5人殺害〈原平被告〉謝罪の手紙


ようやく届いた謝罪の手紙 中津川の家族殺傷から5年

2010年2月28日 中日新聞朝刊

 2005年2月に岐阜県中津川市で家族6人を殺傷したとして、名古屋高裁で無期懲役判決を受けた元同市老人保健施設事務長の原平被告(62)=上告中=が事件から5年後となった今月、初めて遺族に謝罪の手紙を送ったことが分かった。

 手紙は9日の消印で名古屋拘置所から送られた。あて先は原被告の長女である妻と2歳の長男、生後3週間の長女を殺害された藤井孝之さん(44)。

 便せん1枚に「大切な宝ものをすべてうばってしまい、ほんとうにほんとうに申し訳ありません」「ほんとうの償いとは何なのか考え続けていますが、いまだに答えが出ません」と書かれていた。

 原被告は昨年11月に名古屋高裁で「(手紙を)何度も書こうとしたが書くことができなかった」と供述。1月の判決は「被告の対応次第で遺族の処罰感情は和らぐ可能性がある」として1審同様死刑を回避し、裁判長が「謝罪の気持ちを遺族に理解してもらうことが大事」と諭していた。

 5度目の命日となった27日、取材に応じた藤井さんは「大した内容がなく形として謝っただけ。法廷で生きて償いたいと語りながら、『今もどう償ったらいいかわからない』というのは意味が通らない」と語った。

 原被告は、母親以外の家族まで殺害した理由を「殺人者の家族として後ろ指をさされると思った」と法廷で説明したが、遺族の悲しみに追い打ちをかけた。手紙には動機に関する説明はなく「何をどのように書いたらよいのか今も分からない」とあるだけ。

 手紙の最後には「今回はこれだけしか書くことができません。また手紙を送付させていただきます」と書かれていたが、藤井さんは「(原被告には)もう何も望んでいない」と話した。

 【中津川6人殺傷事件】2005年2月27日、原平被告が母と長男、長女と孫2人を殺害。長女の夫の腹を刺してけがをさせた。09年1月に岐阜地裁は無期懲役(求刑死刑)とし、10年1月の名古屋高裁も地裁判決を支持して控訴を棄却した。判決は、母を殺害した理由を妻に対する執拗(しつよう)ないじめとし、長女ら4人も殺害したのは「殺人者の家族という汚名を着せられるのを避けるため」とした。

出典:

	

元老人保健施設事務長・原平被告

			

類似する事件


中津川市の事件が発生した同じ年の4月に、愛知県知多市で一家6人が死亡する心中事件が発生している。この事件では鉄工所の経営が行き詰まり消費者金融だけでなくヤミ金融から多額の負債を背負った兄弟2人が、借金取りから取り立てに追われる事を悲観し、両親と妻子の5人を殺害し、兄弟2人も殺しあったが兄だけ生き残ったという事件であった。

この事件では生き残った兄が5人の殺人と弟に対する嘱託殺人で起訴されたが、検察側は情状酌量の余地があるとして無期懲役を求刑し裁判所も2006年10月16日に無期懲役を言渡している。

出典:中津川一家6人殺傷事件 - Wikipedia

	

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Sharetube