心霊スポット「犬鳴峠」で起こった犬鳴トンネル焼殺事件とは

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1988年12月にデートに使う目的で車を窃盗しようとしていた少年ら5人が、偶然見つけた知人工員(当時20歳)を拉致し、リンチの末両手両足を縛り、旧犬鳴トンネルで全身にガソリンを浴びせ焼殺する事件が起こった。その後犯人グループは逮捕され、主犯は無期懲役判決を受けている。

犬鳴きトンネル焼殺事件とは


昭和六十三年十二月七日の出来事だった。 

被害者は、Aさん(二〇歳)。地元のT工業高校を卒業後、スチール製造工場に就職。

十万円の給料のうち、七万円を母親に渡すほどの孝行息子で、内気でおとなしい青年だった。

七日の夕方、仕事が終わった彼は、いつも通りまっすぐ家に帰ろうとしていた。

そしてたまたま信号待ちをしていたところ(青信号だったら彼は死なずにすんだ)主犯の少年(十九歳)ら五人に、

「女を送るのに格好つかんたい。車を貸せ」と言われた。

それを断ったところ、袋叩きにされ、連行の上、監禁、暴行を受け、血だらけになった。

出典:探偵/探偵社/探偵軍団/探偵魂/スパイ日記/怨霊の館/犬...

	

事件概要

1988/12/07 昼、犬鳴峠で福岡県田川郡方城町伊方の工員・梅山光一さん(20)が焼死体で発見されました。警察は田川地区の少年グループ5人(16~19歳)が梅山さんにガソリンをかけて焼き殺したと断定、殺人と監禁容疑で逮捕しました。

梅山さんは親孝行な青年だったそうです。

事件発生時、梅山さんは仕事を終えて帰路についたところでした…


事の発端は、たまたま信号で停まっていた車に乗っていた梅山さんにヤンキーたちが「女を送るのにカッコつかんから車貸せ」と言い出したことでした。

それを断った梅山さんを、ヤンキーたちは暴行、拉致して連れ回し、更に暴行しました。

見張りのヤンキーの隙を見て逃げ出した梅山さんは、傷ついた体で歩いて家を目指しました。

しかし、通りすがりの車に助けを求めなかった梅山さんは、追ってきたヤンキーたちに再び拉致されてしまいます。


激怒したヤンキーたちは、梅山さんを苅田港へ突き落とそうとしましたが、梅山さんは死にたくない一心でフェンスにしがみつき、必死に暴行を耐えました。

その姿を見てさすがに憐憫の情が湧いたのか、それとも恐ろしくなったのか、「もうよそう」と1人が言い出しましたが、主犯の男は犯行が発覚することを恐れ、「俺たちは共犯だからな」と仲間を脅して梅山さんを殺すことを決意します。

梅山さんは車のトランクに押し込められ、クランクやレンチなどの工具で暴行を受けました。

ヤンキーたちは、最初は力丸ダムに梅山さんを沈めようとしましたが、死体が浮いたらばれるので、焼き殺して身元をわからなくしようと、ひと気のない廃道の旧犬鳴トンネルへと向かいました。


旧トンネルに着き、ガソリン(バイクがガス欠になったと嘘を言ってガソリンスタンドからペットボトルに入れて調達)を頭からかけられて梅山さんは恐怖で悲鳴をあげ、それは不気味な旧トンネルに大きく響き渡りました。

この事件が起こるよりもずっと以前から、この旧トンネルには怨霊にまつわる多くの話があります。

それもあってか、ヤンキーたちが一瞬ひるんだ隙に梅山さんは旧トンネルを走り抜け、雑木林に逃げ込みました。


ヤンキーらは「何もしないから出てこい。嘘じゃないから」と呼びかけます。

普通なら、ここまで暴行されて信じるはずがありません。

しかし、梅山さんはそれを信じて姿を現してしまいました…


ヤンキーたちは、三度梅山さんを捕まえ、口に破った服をねじ込み、手足を縛って石で頭を何度も殴りつけました。その血しぶきはガードレールにまで飛び散ったと言われています。

それでも死ねず命乞いする梅山さんに、ヤンキーたちは更にガソリンをかけ、火を放ちます。

梅山さんは助けを求めてもがき、激しくのたうちまわりました。ガードレールには焼けこげた衣服などがこびりついていたと言います。

梅山さんは苦しみに狂乱してトンネルの入り口まで走って逃げ出しますが、そこで力尽きて倒れてしまいました。

ヤンキーらは一旦そこを立ち去りますが梅山さんが死んだかどうかを確かめに戻っており、3回目でようやく動かなくなったのを見届けて福岡市内へ戻ったのだそうです。


その後、ヤンキーたちは飲み屋で「さっき人ば焼き殺した!」とご機嫌に言い放ったのだとか。


梅山さんの死因は頭からの出血ということでした。

失血死するまで生きたまま体を焼かれるという想像を絶する痛みと苦しみを受け続けたのです。


翌日昼、梅山さんの遺体は発見され、その後ヤンキーたちは逮捕されました。

1991/03/08、福岡地裁で行われた控訴審判決において、主犯(21、犯行当時19。福岡県田川郡の露天商手伝い)の男は一審で無期懲役を言い渡され、「確定的な殺意はなく、量刑は重過ぎる」と減刑を求めて控訴しましたが、前田一昭裁判長は「犯行は他に類例を見ないほど残虐。 被告はその中心的な役割を果たしており、責任は重い」としてそれを棄却、他のメンバーも有罪となりました。

出典:

	

犬鳴峠


犬鳴峠(いぬなきとうげ)は、福岡県宮若市と同県糟屋郡久山町との境を跨ぐ峠である。

久山町の東端部および宮若市の西端部にあたり、峠の北側に犬鳴山(583.7 m)がある。糟屋郡の久山町・篠栗町、古賀市・福津市側と宮若市側を分かつ犬鳴連峰を越える峠の一つで、福岡市と直方市を結ぶ福岡県道21号福岡直方線が通る。同道路はヘアピンカーブが連続し、狭いトンネルをくぐる交通の難所であったが、1975年に新犬鳴トンネルが開通した後は道幅も広がっている。なお、周辺は山間部なので大雨や積雪などの影響で通行止めになることもある。
犬鳴の由来

出典:【都市伝説】 犬鳴峠(1) 伝承と現状 : 蛙夢

犬鳴山で猟師が犬を連れて猟をしていた。犬が激しく鳴き続けるので獲物がとれぬと、この犬を鉄砲で撃ったそうな。ふと見上げると1丈5、6尺(約5m)程の大蛇が姿をあらわした。犬が鳴いて危険を知らせたものを、誤って撃ったことに猟師は後悔した。猟師は鉄砲を捨ててお坊さんになり、この山に犬の塔を立てたそうな。それから犬鳴という。
犬鳴にはどうやって行くの?

出典:【都市伝説】 犬鳴峠(1) 伝承と現状 : 蛙夢

旧道は、廃道(門で封鎖されている道)でなければ普通に通れます。

くれぐれも、旧トンネル見たいからって門を突破しちゃダメだよ。

山歩きやダム釣り、ドライブの方は、道が悪いのでご注意ください。バイクで新トンネルを抜ける方は中の空気が汚いのでマスクしたほうがいいかも。

アシがない方は近くまでバスが出ています。時刻表のチェックを怠らないように。

  JR九州バス(路線バス) 直方線の直方(のうがた)本線

  JR博多駅 ←→ JR直方駅

    久山側(トンネルの西側) → 白木橋バス停下車

    宮若側(トンネルの東側) → 犬鳴口バス停下車

※情報の保証はできませんので、JR九州バスのHPをご確認ください。

他にもある犬鳴峠で本当にあった事件・事故


■犬鳴ダム 死体遺棄事件

お気に入り詳細を見る 修正

2000/01/13、犬鳴ダムで死体が発見されましたが、ネットでは詳細がみつかりませんでした。女性の白骨死体との噂もありますが、定かではありません。
■「幽霊を見に行こう」 犬鳴の帰りに起きた凄惨な死亡事故

2001/02/10 午前7時頃、少年ら5人が軽乗用車で犬鳴峠へ繰り出したその帰り道、福岡県二丈町福井の国道202号線バイパスでKさんが運転するトラックと正面衝突、軽乗用車の4人が死亡、1人が重体、トラックの運転手は軽傷を負った。

5人は「犬鳴峠に幽霊を見に行こう」と出かけたのだという。

佐賀県唐津市神田、コンビニエンスストア店員、Iさん(17)、死亡。

佐賀県唐津市和多田大土井、福大大濠高3年、Gさん(18)、死亡。

佐賀県唐津市市養母田、無職、Tさん(17)、死亡。

佐賀県唐津市町田1、中学3年、Rさん(15)、死亡。

Iさんの弟で中学3年、Yさん(15)、重体。

佐賀県鎮西町八床、建設業、Kさん(37)、軽傷(トラックの運転手)。

■力丸 OL強姦殺人


1979/11/15 夜、力丸ダムに乗用車が転落、男性(当時26)と女性(当時27)が水死体となって発見された。

女性は北九州市の暴力団組長Sの妻で、Sには妻の保険金1億4800万円が支払われた。

後にSが配下の暴力団組長Kと共謀し、死亡した知人会社員を誘っての保険金殺人と判明。

知人会社員は3000万円をもらう約束で車を運転しダムに転落させたが、脱出に失敗したとされ、被疑者死亡で不起訴となっている。

犬鳴村伝説


日本の地図からは完全に抹消された隠れ村が犬鳴にはあると言われ、その正体には諸説ある。

被差別地域説

江戸時代以前から被差別地域として存在し、迫害のため外界との接触を断った。犯罪者や逃亡者が集まってできたとも言われ、自給自足で生活している、とか。


伝染病患者の隔離村説

昔(明治あたり)、犬鳴の辺りにはハンセン氏病(に似た皮膚病)やその他の伝染病患者を隔離する場所があり、患者が集まった結果集落のようになった。伝染を恐れたため、怪談を作って人が近寄らないようにしたが、逆に肝試しに訪れる者が出るようになった。しかし集落で皮膚病患者を見て幽霊と思い込んだため、嘘から出た誠となり、皆に恐れられるようになった。現在その集落は残っているが、人が住んでいる気配はない。


避け地説

警察や国家権力の介入ができない「特別なんとか保護地域」に指定されている。

前述の隔離村とは少し違うもののようで、避け地とは、日本各地に存在していた伝染病隔離地区を指し、政府から定期的に食料が支給されていたが、太平洋戦争が激化した際に見捨てられた。この事実は隠蔽され、自衛隊でも極秘事項となっているとか。

避け地は陸路で到達することができないほどの隔離地であり、自衛隊の”特殊救難隊”がヘリで物資輸送を行う(そうなると犬鳴村はそこまでの隔離地ではないので除外という意見も)。また、彼らのほとんどはらい病患者なので、物資輸送時に軍医の診察を受ける。住民は高齢化が進み、老人ばかりである、などの説。

出典:【都市伝説】 犬鳴峠(3) 犬鳴村伝説 : 蛙夢

	

犬鳴峠付近にあったという廃屋の写真

			

犬鳴峠付近にあったという廃屋の写真

			

犬鳴峠の都市伝説


「犬鳴トンネル近くに、法治が及ばない恐ろしい集落『犬鳴村』があり、そこに立ち入ったものは生きては戻れない」という都市伝説。

この都市伝説に関しては諸説あるが、概ね以下の内容である。

■トンネルの前に「白のセダンは迂回してください」という看板が立てられている。


■日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。


■村の入り口に「この先、日本国憲法は適用しません」という看板がある。


■江戸時代以前より、激しい差別を受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしている。近親交配が続いているとされる場合もある。


■入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。またその先にある小屋には、骸が山積みにされている。


■旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。「村人は異常に足が速い」と続く場合もある。


■全てのメーカーの携帯電話が「圏外」となり使用不能となる。また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。


■若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された。

これらの説について、そのような事実はない。犬鳴は江戸時代中期、元禄4年(1691年)以前に福岡藩庁が城下、地行町に居住していた御小姓与鉄砲足軽に移住を命じ成立させた村落であり、激しい差別を受けていた等の事実はない。犬鳴にあった江戸時代中後期にかけての墓地群の改葬の時、多数の寛永通宝、宝永通宝、天保通宝、文久永宝などの銅銭、糟屋郡須恵で製作された須恵焼の皿、茶碗や徳利、刀の残骸、鍔などが出土したということである。


江戸時代の地誌、筑前国続風土記、筑前國続風土記附録、筑前國続風土記拾遺、犬鳴を含めた吉川庄(旧若宮町の西半分にあたる地域=吉川村域)の総社である日吉山王宮の大宮司職・国井内膳が享保14年(1729年)に犬鳴の事を書き記した犬鳴山古実という地誌にも外部との交流を拒み自給自足の生活をしていた事や、江戸時代以前より激しい差別を受けていた事などは記してはいない。筑前国続風土記の著者である貝原益軒は元禄9年(1696年)に甥の好古と共に犬鳴を来訪している。住民の代々の菩提寺は犬鳴から数キロほどの所にある浄土宗と曹洞宗の寺院であるが両寺の過去帳にも一般の檀家として記載してある。浄土宗寺院の本堂内には犬鳴檀家の祖霊位牌が安置してある御霊屋がある。

犬鳴峠心霊情報

あれは20年ほど前、男女4人でディスコの帰りでした。

このまま帰るのも何だし 心霊スポットでも行こうかと言う話しになり当時でも既に有名な犬鳴トンネルに行くことにしました。

今は通れるかどうか判りませんが新道(もう古いですが)通って大きなトンネルの近所に山道に入る小道があります。

知らない人は新しい方の大きなトンネルが犬鳴トンネルと思っている人が多い様ですが小道の入り口は見つけにくく自動車が離合できるか出来ないか位の山道です。

話しは反れましたが、トンネルまでの道のりの間自分が運転していてふと目のまえを 横切る透明のビニール状の物(宙に浮いている)が通り過ぎました。

ブレーキを掛け同乗者に今の見たかと聞きましたが話しに夢中で3人とも見ていなかったそうでした。

外灯もない暗い夜道、両端は山木に囲まれ人が隠れるような場所もありません。

それ以前に物を投げたら放物線上に落下するのが当たり前ですが まっすぐ横に飛んでいました。

早さは道路(3.5?4m位)の端から端まで物を投げて届くぐらいの早さです。

両端は林というか木に覆われています。

その後トンネルに付いたときは多くの若者でにぎわっていてとても幽霊の出るような雰囲気では無かったですが、途中で自分が見た物は何だったんでしょうか?

出典:福岡県


初めての投稿ですので誤字や表現力の不足は見逃してください。


今回投稿する内容は、自分自身に起きている事であり今現在続いています。


最初の内は、些細な事だったので気にもなりませんでした。


この現象が始まったのは、福岡の心霊スポットである「犬鳴峠」で肝試しを行った日

からです。


当時、高校生だった自分は先輩の車に乗り男6人組とムサ苦しい面子で旧トンネル前

に立ち尽くしていました。


トンネル内に響く風の音がすすり泣きの様に聞こえ…月が見え隠れする度に人影が目

に入る。


あっ…言い忘れていましたが、自分は見えません。何かいるな~と感じることはよく

有ります。


この日は、いつも(よく来ていました)と違い「トンネルの中だけは入ってはいけな

い!!」と強く感じました。


先輩たちも重い空気を感じたらしく、その日は中に入る事無く解散となりました。


その帰り道の事、先輩の目線がルームミラーに釘付けとなり「危ないな~」と思いつ

つ自分も振り向きました。


そこには、解散したときには無かった白い手の平の跡がビッチリと付いていました

…。


帰りにガソリンスタンドで拭いて貰おうと思ったときには、跡形も無く消えていまし

た。


翌日、高熱を出し学校を休み部屋で寝ていると、屋根裏から人の気配がしたり見舞い

に来た友達が白い服を着た


知らないおばあさんを見たりしていました。


それから数年が経ち、他県から遊びに来た友達の強い要望で、久しぶりに犬鳴トンネ

ルへ行く事なりました。


やはり以前と変わらず、人を寄せ付けない圧倒的な威圧感を放ちながらトンネルは大

きな口を開けていました。


以前の体験が有った為(記載していない現象がかなり有ります)自分は入口で待って

いました。


友人たちは20分程経った頃、「何も起きなかったよ~」等と話しながら出てきまし

た。


でも何故か皆の顔は生気が無く疲れ果てていました。その日は何事も無く解散し自宅

へ帰り着きました。


その日の夜、疲れ果てて寝ていると急に喉が渇いたので飲み物を取りに行こうと思い

ました。


が…体が動かず汗だくになり、意識もモウロウとし…その上誰かに背後から睨まれて

いる気配まで感じました。


そのうち意識が遠のき、何事も無かったかのように朝になり、この体験をしてから一

年間災難が続きました。


その①、夜間工事の現場で作業している際に、軽自動車が余所見運転で突っ込んでき

て跳ねられる(速度60キロで無傷)


その②、高速道路で160キロのクラッシュ!(自業自得…肋骨にヒビと愛車が廃車)


その③、ヤクザ屋さんに絡まれる・山奥へ拉致される(中古で購入した車の元オー

ナーが原因)


その④、隣の工場が火災…我が家にも被害あり。(消火活動の水害の為、保険金は希

薄)


その⑤、車で峠(犬鳴ではない)を走行中左足の腿を掴まれ足が冷たくなり感覚が無

くなる。事故には至らなかった。


その⑥、いつも通いなれている道で方向感覚を失い同じ道を何度も通る(方向音痴で

はない)


これ以上挙げると限が無いのでこの辺で・・・


これらの事が一年間に続いた為、知人の御祓いを生業としている方に頼みました。


家・車・隣家・家族に危害を加えるような者は(全く居ない訳ではない)憑いてな

かったそうです。


ただし、自分には質の悪いものが棲みついていて長年体内に入り込んでいる為、祓う

事が出来ないと言われました。


現在も霊媒師の方と身を清める生活を行っております。ただ日に日に嫌な予感という

か雰囲気が増している様な気がします。

出典:

	
	

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