29歳で死刑になった金川真大とは
土浦連続殺傷事件
土浦連続殺傷事件(つちうられんぞくさっしょうじけん)とは、2008年3月19日と同23日に、茨城県土浦市で発生した通り魔事件。刃物を持った男が相次いで人を刺し、2人が死亡、7人が重傷を負った。
背景&準備
金川真大が卒業した私立霞ヶ浦高校の教頭(54)は「成績も平均以上で、3年間で欠席は1回だけ、遅刻も1回だけ。弓道部でも頑張り、2年の春休みには全国大会にも出場するなど、まじめな生徒だった。」と話した。 一方で、教頭は同日の記者会見で、金川真大が3年で部活動を引退した後、生活態度が一変し、学業にも意欲を失った様子だったとも明かした。大学進学希望を就職希望に切り替え、担任が勧めた就職先も不採用となったといい、進路が決まらないまま卒業したという。卒業後の金川真大は、市内の複数のコンビニエンスストアでアルバイトを始めたり、やめたりを繰り返し、バイト生活を送りながら、ゲームに熱中していく。関東大会の決勝に出場したこともあった。 週に何度も近くのゲームセンターで、対戦型の格闘ゲームに打ち込んでいたのが目撃されている。 金川真大と兄が同級生という男性(21)は金川真大が「アキバはゲームの街。自分はだからメイドカフェには行かない」と公言し、「ゲームで最初から高得点を取らないと気が済まない人だった。事前にネットで攻略法を研究していた」と明かす。 しかしながら、ゲーム以外では家にこもりがちになっていた。
一家は両親、弟、2人の妹の6人家族。大学に通う次女以外は土浦市内で同居。 父親は外務省のノンキャリア。 金川真大は100本近いゲームが山積みになった2階の自室にほぼ引きこもりの状態だったうえ、父親は後日捜査査本部に「息子との会話は最近、ほぼなかった」と話しており、家族の全員が金川真大と会話をすることはほぼなく、一緒に食卓を囲むこともなかったという。 金川真大も一人で用意された食事をリビングでとる生活を続けていた。 また、金川真大とほかの家族が、互いの携帯電話番号も知らない状態だった。 金川真大が家庭内で孤独感を募らせていったようである。
そして今年・・・
1月頃、 アルバイトのコンビニエンスストアを「必要な資金が貯まった(70万円貯まっていた)」と言ってやめてしまったが、父親からは「仕事に就け」と責められていた。 父親からそう言われると、家庭内で物にあたるなど暴力をふるっていた。 そのころ、まず全長33センチ(刃渡り20センチ)のサバイバルナイフを携帯電話のサイトから約3000円で買いリュックに入れて持ち歩くようになっていた。
2月頃、 更に、人を殺そうと考え、その凶器として全長30センチ(刃渡り20センチ)の文化包丁を土浦市内のホームセンターで約3000円で買い、自分で段ボールで鞘を作って包丁を納めた。 また、2台目の携帯電話を新たに買った。
3月15日、 ひとを殺してから潜伏をすることになったらサラリーマン風スタイルのほうが警察に見つかりにくいと考えて、土浦市内のデパートで潜伏用スーツの上下を買った。 また金融機関に預けておいた約40万円全額を下ろした。
金川真大(24)容疑者
東京都出身で、宮城県仙台市や神奈川県横浜市などを経て茨城県土浦市に移る。私立霞ヶ浦高等学校卒業。弓道部員であり、全国大会にも出場。
2008年3月19日、土浦市内で男性を殺害し、逃亡。
21日になって指名手配される。
3月23日、JR荒川沖駅構内で、8人を殺傷。
2013年2月21日、東京拘置所にて死刑執行。29歳没。
金川真大の生い立ち
金川は高校時代に弓道部に所属し、全国大会にも出場したという。しかし高校卒業後はゲームの道に溺れて進学・就職をせず、家族とも関わりを避けて食事もひとりでとっていたという。犯行後の取調べでは実の妹をはじめ、小学校や中学校、高校、そしてネットオークションで商品を送ってこなかった人物などを殺害対象にしていたと語っており、小学校襲撃はたまたまその日(3月19日)に標的にしていた小学校が卒業式で保護者がいたために断念、妹殺害も妹と会えなかったために断念し、「誰でもいいから殺したかった」として近所の老人を襲ったという。警察の取調べでは金川は携帯のメールで、「俺は神だ」「俺のやることが全てだ」などと記していたとされている。また部屋には「死」という文字と意味不明のロゴマークが壁じゅうに描かれていた。3月25日に送検のため、土浦署を出る際には舌を出すなどの行為が問題視されている。
金川真大
2008-0319
3月19日朝、 金川真大(24)は自宅で「妹を殺そうと思った」が、たまたま妹が不在だったため、あきらめて自転車で外出をした。「誰か殺そう」と、自宅から約1.2キロ離れた自分が卒業した地元の小学校に到着したが、卒業式が行われており、先生・保護者が多いため「たくさん殺す前につかまってしまう」と考え、あきらめた。 その後、自宅付近まで戻り茨城県土浦市中村南の三浦芳一さん宅付近を通りかかった。
午前09:20頃、 金川真大は自宅玄関前にいた三浦芳一さん(72)をターゲットに定めて、自転車から降りて背後から首を刺し、三浦芳一さんはその場に崩れ落ちた。 返り血を浴びた金川真大は、自転車をその場に放置して、誰からも見られないあいだに自宅に帰り、血痕のついた着衣を自室に脱ぎ捨てて新しい着衣に着替えた。 一方、三浦さんの家族が三浦芳一さんを発見して、「父親が玄関前で刺された」と119番通報をした。 金川真大は潜伏用スーツ、予備の武器、潜伏資金、そして最も大切なゲーム機、などをリュックサックに入れて、自室の壁に赤い文字で「死」と書き残してから、JR荒川沖駅へ向かい、その後、JR常盤線に乗車し秋葉原へ向かう。 一方、三浦さん宅には茨城県警土浦署員と救急車が駆けつけ、玄関先で血を流して倒れている三浦芳一さんを発見し、病院へ搬送したが、その病院で死亡していることが確認された。 秋葉原駅に着いた金川真大は、写真手配がされても自分と判らないようにと、駅のそばの理髪店に入り丸刈りにして、電気街のトイレ(推定)でスーツに着替え、普段はかけなかった眼鏡をかけ、位置を特定されないように携帯電話の電源を切った。 その日は、秋葉原のホテル(推定)に偽名で宿泊した。
午後のニュースで、三浦芳一さんが刺されて殺された、と報道された。
(■これは、報道されていないので推測の域を出ないのだが、放置された自転車から茨城県警は金川真大を容疑者と推定し、警察官が金川家を訪ねて金川真大の部屋を調べれたことで、返り血を浴びた衣類が発見され、壁に赤い文字で「死」と書いてあるのを発見し、金川真大が重要参考人とされたことは容易に想像できる。)
2008-0320
時間不明、 茨城県警は、金川真大の母親に依頼して「心配してるよ」などと金川真大の携帯電話にメールを送信させた。(■茨城県警は金川真大が犯人かどうか判らないから、カマをかけようとしたのだろうか?)
時間不明、 秋葉原のホテルにいた金川真大は、ホテルのテレビのニュース番組で三浦さんの死亡を知ったが、1人じゃ殺し足りないと思った。
時間不明、 この日、新発売された新作ゲームソフト「ニンジャガイデン・ドラゴンソード」を買い、ホテル(推定)の自室へ戻り1日中プレイする。
時間不明、 位置を特定されないため、電源を切った携帯電話を使うときは、山手線に乗って、移動中にのみ電源を入れた。
母親からのメールの受信も、翌日21日の返信もこの方法で行った。(推定)
2008-0321
3月21日午前、金川真大は母親からのメールに対して、「おれが犯人だよ。犠牲者が増えるよ!」と新たな事件の犯行を予告するようなメールを母親に返信した。 この母親へのメールは、即座に茨城県警にも知らされたことから、茨城県警は三浦芳一さん殺人の犯人が金川真大だと知った、そして金川真大があらたに殺人事件の犯罪予告したことも知った。
2008-0322
時間不明、 茨城県警は、三浦芳一さん殺人犯として、金川真大を全国に指名手配した。更に県警は、多数の捜査員に金川真大の写真を持たせて、交通機関、自宅周辺、など土地カンのありそうなところに配備した。
時間不明、 金川真大は携帯電話から110番へ2度にわたり電話して、「早くつかまえてごらん」などと警察(実際の電話は警視庁の110番が受ける)を挑発した。
2008-0323
全国に金川真大を指名手配した茨城県警は、金川真大がJR常盤線で荒川沖駅周辺に帰ってくるのではと考えて、私服捜査員8人に2年前の金川真大の写真を持たせて、荒川沖駅周辺に配備していた。午前11時5分頃、 金川真大は秋葉原からJR常盤線に乗車して荒川沖駅に向かった。 もっと殺そうと考えたようだ! 下り電車で荒川沖駅に到着した金川真大は改札口を出たのだが、なんと、改札口にいた捜査員は金川真大を見過ごしてしまった。 なにせ、金川真大は丸刈りになったうえにスーツ姿だったのだ。 そして、金川真大はいったん西口方面に向かい、包丁とサバイバルナイフを取り出して西口のエレベータ付近から東口方面に一気に駆け出し、走りながら次々に7人の通行人に斬りつけ、最後に、東口のショッピングセンターには入らず通路脇の階段のらせん階段を駆け下り、たまたま出会った山上高広さんを刺殺し、そのまま行方をくらました。
現場に居合わせた、被害者、通行人、捜査員はパニックに陥ってしまった。 被害者の中には茨城県警の捜査員も含まれていた。
警察は様々なミスを重ねていた。 まず第1に改札口で金川真大を見逃したこと、第2に警備に当たっていた8人の警察官が無線機を所持していなかったため連絡が取れなかったこと、第3にそもそも制服警官を配置しておらず事件の抑止効果がなかったこと、第4に刺された警官は犯人を追跡することに全力を挙げ、他の警官や警察署への連絡が遅れたこと、第5に地域への事件情報や容疑者の手配写真の公開などに不備があったこと、など様々があった。
茨城県警土浦署は近くの交番に出頭した金川真大の身柄を確保した。 金川真大は3月19日に発生した同市の三浦芳一さん(72)殺人容疑で指名手配していた無職金川真大容疑者(24)で、三浦さん殺害容疑で逮捕され、調べに対し、三浦芳一さん殺害や23日に発生した8人殺傷事件の犯行を認めた。
逮捕された金川真大は「死にたいが自殺はできない。複数殺せば死刑になると思った。誰でもよかった」とうそぶいた。
土浦市で三浦芳一さん(72)を殺害した逮捕容疑について金川真大は「悪いことをしたとは思っていない。反省はしていない」。 捜査本部の調べに対し、三浦さんとは面識がなかったと供述する一方で、殺害方法については「首を狙っていた」と話している。
一方、殺傷事件で重体だった飯田修平さん(18)と石山恵美子さん(62)の2人は、集中治療室にはいるものの、重体の状態は脱した。
県警の対応
荒川沖駅の捜査員においては、重点的に配置したはずだったが、互いに連絡を取り合う手段が用意されていなかった。また、同駅で警戒していた捜査員は、犯人の写真を持っていなかった。
駅側に対し、警戒に当たっていることを、まったく連絡していなかった。
被害者の中には、管轄である土浦警察署の29歳の巡査も含まれていた。
犯行後、犯人が自首した交番は空き交番だった。犯人自らの通報で駆けつけた警察官が、ようやく犯人を逮捕する、という結末となった。
以上のように、茨城県警のずさんな対応が浮き彫りになり、マスメディアで大きく叩かれた。
裁判焦点
金川真大被告は逮捕後の調べで、「7、8人殺せば死刑になれると思った。自殺は痛いからいやだった」などと不可解な供述をしていたため、水戸地検は4月28日、金川真大被告の精神鑑定をするため、水戸地裁に鑑定留置を請求。28日から3ヶ月間認められた。鑑定留置請求の理由を水戸地検の糸山隆次次席検事は、「極めて重大な行為なので念のため慎重を期す」と説明した。さらに鑑定からの要請により、1ヶ月間延長された。鑑定で専門医は、極度に自分が重要と思い込む「自己愛性人格障害」だが、責任能力に問題はないと診断した。水戸地検は9月1日に起訴した。
2009年5月1日の初公判で、金川被告は起訴内容の認否を問われて「いや、大丈夫です」と答え、間違いないかと重ねて問われると「はい」と認めた。
検察側は冒頭陳述で「(被告は)テレビゲームに興じ、家族との会話はほとんどなかった」と指摘。主人公が剣や魔法を駆使するロールプレーイングゲームに熱中する一方、「現実の自分は才能がなく、希望を見いだせず、毎日がつまらないとの思いを強くしていった」とした。その上で「父親が定年退職すれば、ゲームをする時間を削って働かなければならない」と考え、退職が近づいた昨年1月、「つまらない毎日と決別するため、確実かつ苦しまずに死ぬには死刑が一番で、何人もの人間を殺害する必要があると考えた」と動機を説明した。また、包丁などの凶器や変装用のスーツを準備していたことなどから、犯行は計画的だとし、起訴前の精神鑑定結果を踏まえ、金川被告には「完全責任能力がある」と主張した。
弁護側は「統合失調症の初期の特徴を呈しており、犯行当時、心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあった可能性がある」とし、再鑑定を求めた。鈴嶋裁判長は、新たに精神鑑定を行うことを決めた。
6月3日の第3回公判で、動機を問われた金川被告は「自殺は痛い。人にギロチンのボタンを押してもらう方が楽だから死刑を利用する」と陳述。遺族や被害者に対する謝罪の思いは「感じない」と言い、「おれを殺さなければ、死刑になるまで(人を)殺し続けます」と早期の死刑執行を望む考えを示した。
9月3日の第6回公判で、裁判所が依頼した精神鑑定の鑑定人、国立精神・神経センターの岡田幸之精神鑑定研究室長が弁護側の証人として出廷。岡田氏は「自己愛性パーソナリティー障害と診断できるが、善悪の判断能力、行為制御能力への影響はない」と述べ、検察側が実施した起訴前の精神鑑定結果と同じく、完全責任能力があるとの見方を示した。弁護側が金川被告が犯行当時、統合失調症の初期症状があったとの主張については「その可能性はまったく否定する」と断じた。証人尋問で、弁護側は死刑になるために他人を殺しても構わないとの金川被告の強い確信が通常の善悪判断に影響を及ぼしたのではないかと質問したのに対し、岡田氏は「被告の能動的な思い込みであって(善悪や行動の判断をゆがめる)妄想ではない」と答えた。
11月13日の論告求刑で検察側は、「被告はつまらない人生と決別するため死にたいという願望を抱き、見ず知らずの他人の生命を奪って死刑になることで満たそうとした」とし、動機は身勝手、自己中心的で反省の態度も皆無と批判した。さらに「ゲーム感覚で他人の生命を簡単に奪ってしまう被告の性格を矯正することは不可能」と更生の可能性を否定した。そして「被告は単なる人格障害に過ぎない。完全な責任能力があったことは明白。減軽の余地はない」と述べた。
同日の最終弁論で弁護側は、「心神耗弱の疑いはぬぐいきれない」としたうえで「死刑を求める被告に死刑を与えるなら死刑が刑として機能しない。強盗に金をやるようなものだ。死刑判決はごほうびを与えるようで無意味。被告に必要なのは治療」と無期懲役を求めた。
裁判長に意見を求められた金川被告は、弁護側の前に用意された長椅子に座ったまま「無駄ですね」と小さな声でつぶやいた。証言台に立つことを拒否し、弁護士に促されると「何も言うことはありません」とはっきり答えた。鈴嶋裁判長は陳述放棄とみなして結審した。
判決で鈴嶋晋一裁判長は主文を後回しにして判決理由から朗読を始め、「犯行は人格障害によるもので、行為の是非の弁別性、行動制御能力には影響していない。完全な責任能力がある」と認定。さらに「極めて残忍な犯行であり、死刑願望を満たすという動機は強く非難されなければならない。わが国の犯罪史上、まれな重大な事件。反省の態度も全くない。更生の可能性は極めて厳しい」と指摘した。
弁護側は即日控訴した。同日、金川被告は読売新聞社の接見取材に応じ、近く控訴を取り下げる意向を改めて語った。
金川被告は笑みを浮かべ、「完全勝利といったところでしょうか。(死刑願望が)変わることはない」と話した。判決は、金川被告を「浅はかな信念に強く執着」と指弾したが、「常識に縛られている側からみてそう見えても仕方ない」と述べ、「後は(死刑)執行までの時間をいかに短くするか。(国が執行に)動かなければ、裁判に訴える」とした。
金川真大被告は12月28日、水戸拘置支所に控訴取り下げ書を提出し、水戸地裁が受理した。刑事訴訟法によると、上訴を取り下げた被告は再び上訴できず、控訴期限の2010年1月5日午前0時に死刑が確定した。
出典:kanagawam"