【未解決事件】グリコ・森永事件

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グリコ・森永事件

かなり有名なものなので、すでに読んだことがあるかもしれません。

改めてにじっくりと読んでみるのもおもしろいんじゃないかと思います。


長いので時間がある時にお読みください。

【事件概要】


 1984年3月18日、兵庫県西宮市の自宅で子どもと入浴していた江崎グリコ社長・江崎勝久さん(当時42歳)が、家に押し入った2人組の男に連れ去られた。犯人は江崎社長を人質に大金を要求。その後、監禁されていた江崎社長は自力で脱出。しかし、犯人はグリコ製品に青酸を入れたとして、同社を脅迫し始めた。やがてその矛先は丸大食品、森永製菓、ハウス食品などにも向けられた。犯人グループは頻繁に警察やマスコミに挑戦状を送っていたが、85年8月に犯行終結宣言。すべての事件は時効を迎えた。 →SIDE-B


かい人21面相


【事件の流れ】


 84年3月の江崎グリコ社長誘拐事件から始まった「グリコ・森永事件」。かい人21面相は人こそ殺していないものの、実に多くの人々に被害を与え、恐怖を味あわせた。だがもう一方で、関西弁で独特のユーモアが効いた声明文などもあり、報道を見ていた人々が「奴らはいったい次に何をしでかすのか」といった期待にも似た思いを持っていたことも事実だろう。そのあたりがこの一連の事件がスケールの大きい「劇場型犯罪」と呼ばれた所以であるし、近年になっても模倣しようとする犯罪者があらわれる一因でもある。

 さて、かい人21面相は長期に渡って実に様々な犯罪を起こし、膨大な量の脅迫状・警告状・挑戦状を送りつけてきた。事件の始まりから最終時効をむかえるまでの事件の流れをまとめてみた。脅迫状などの内容などは各項ごとに詳細を掲載している。


【グリコ社長誘拐事件】


◆1984年


3月18日 

 この日、江崎グリコ社長・江崎勝久さん(当時42歳)は京都市にある菓子問屋の社長の長男の結婚式に招待され、夕方頃に兵庫県西宮市二見町にある自宅に帰宅、その後2階の浴室で江崎社長と小学5年の長男(当時11歳)、二女・Y子ちゃん(当時4歳)が一緒に入浴した。

 午後9時38分、長男が浴槽につかり、江崎社長が二女の背中を洗っていた時、白い毛糸の目出し帽の2人の男が押し入って来た。

「静かにしろ」

 男は拳銃と空気銃のようなものを構えていた。江崎社長は全裸に泡をつけたまま2人の男に囲まれ連れ去られ、家の前に止まっていた赤色の乗用車に押しこまれ、薄い毛布をかけられた。運転席には第3の男がおり、車を急発進させた。


 男達は浴室に入る直前、2階東端の寝室でテレビを見ていた夫人(当時35歳)と小学2年の長女M子ちゃん(当時7歳)も襲っていた。長女が悲鳴をあげると、男は「M子ちゃん、静かにしろ」と言い、2人を粘着テープで後ろ手に縛り、脇のトイレに閉じ込めた。夫人はこの後、自力でテープをほどき通報しようとしたが、寝室の電話線は切られていた。すぐさま1階に降り、食堂の電話から通報した。これは午後9時36分のことである。夫人は子どもの元に向かい、初めて夫が連れ去られたことに気がついた。


 男達は江崎社長の家にどうやって侵入したのか。

 実は江崎社長宅の母親(当時70歳)が1人で住んでいた。母親は江崎宅の合鍵を持っており、犯人はまずこの家に侵入し、母親を縛ったうえで鍵を奪っていたことがわかった。その鍵は社長宅の勝手口にささったままとなっていた。


 この後、未明にかけて、江崎社長宅には計11回の無言電話があった。


3月19日

 午前1時頃、社長宅から約30km離れた高槻市安岡寺町の江崎グリコ取締役宅に電話がかかり、男の声で「高槻市真上北自治会の釜風呂温泉の看板の前に電話ボックスがある。その中を見ろ」と言ってきた。

 大阪府警機動捜査隊員がその電話ボックスを見に行くと、身代金10億円と金塊100kgを要求する脅迫状があった。詳細


 10億円という金額は積み上げると高さ9.5mになり、重さは130kgにもなる。しかし、江崎グリコは実際にそれを用意していた。しかし約束の時間である午後5時を過ぎても、取締役宅に犯人からの連絡はなかった。

 午後6時23分、ついに電話があった。

「茨木のレストラン『寿』。81局の7500番。お前の名前は今後、中村や。1人で連絡を待て」

 電話はその後、6時49分、56分、7時1分の計4回、同じ内容であった。ちなみにレストラン「寿」は茨木市ではなく、高槻市にある。

 副社長である社長の弟・正道氏(当時39歳)は現金5000万円を持ち、指定されたレストランに近い、取締役宅に入り、レストランには捜査員が張りこんだが、この後犯人からの連絡はなかった。

 

 県警は江崎社長の安全を考え、記者クラブに報道協定を申しこむが、すでに朝刊・テレビで報道がされていた。結局、協定はこの日じゅうに締結されたが、夕刊紙「日刊ゲンダイ」は新聞協会に加盟していなかったため、報道を続けた。


3月20日

 兵庫県警、社長宅に押し入った2人組の犯人像を発表。


▼A・・・身長160cm位。35、6歳。中肉。目と目の間が広く俳優の川谷拓三に似ている。鼻は低い。白の目出し帽、黒っぽい運動靴、白手袋、拳銃を所持。

▼B・・・身長170cm位。40歳前後。押し殺したような低い声で喋った。白の目出し帽、白手袋、黒っぽいジャンパー、黒い靴を身につけ、空気銃を持っていた。


※犯人の1人は関西弁に語尾に「~ケ」とつける話し方をした。私(管理人)は滋賀県の生まれですが、私の地元にはそういう方言が使われており、県内でもちょっと南の方に行くとそういった言い方は使われていない。


▼後に発表された運転手役C・・・20歳ぐらい。身長165cm前後。赤ら顔にニキビ。黒い目出し帽。高知訛り?の関西弁。


3月21日 

 午後2時15分すぎ、摂津市新在家の国鉄大阪貨物ターミナル駅構内の留置1番線を、ふらついた足取りで歩いてくる男性がいた。男性は古びた黒いオーバーと、濡れたズボン、右手首からロープを垂らし、右頬には傷があり、裸足だった。この男性に気づいた保線区の作業員達は「覚せい剤中毒の患者か?」と思ったという。それほど異常な風貌をしていた。実はこの男性こそ、65時間前に自宅から連れ去られた江崎勝久社長だった。

「見つかったら殺される。見張りがおらんから逃げてきた。見つかったら自分も殺される。早く110番を!」

 社長は作業員に車に乗せてもらい、ターミナル駅輸送本部まで連れていってもらった。事務室に駆けこんだ社長は、自分で「サイレン消して迎えに来てくれ。娘が殺される」と110番通報した。

 警察に保護された社長は、自宅に電話をかけ「M子は大丈夫か?」と何度も聞いた。これは犯人達に「同じように娘も誘拐した」と聞かされていたからである。夫人は「M子は無事ですよ」と言ったが、社長はその後も捜査員に確かめた。

 しばらくは府警の事情聴取に対して話し始めた江崎社長だったが、グリコ幹部が駆けつけてきて、「5分間だけ社長としゃべらせてくれ」と言ってきた。この個室における2人の話し合いは20分にもなり、捜査員が部屋に入ると、さきほどまで饒舌だった江崎社長は早く家に帰りたい。「私が無事だったから事件は終わったんでしょ?」とめっきり話さなくなった。この時の幹部は亡くなり、その会話内容を知る者は江崎社長しかいないが、それは絶対に明らかにされることはないだろう。

 ちなみに社長に対する事情聴取は、その社会的地位を考慮して、事情をよく知った捜査指揮者ではなく県警の警視クラスの人間が行なったという。この点は批判を招くものとなった。


 社長の話のよると、車で連れ去られると頭から袋をかぶせられたという。途中、高速道路料金所で金額を告げる係員の声を聞いた。そして茨木市宮島の安威川左岸の水防倉庫に到着、そこにずっと監禁されていたという。この水防倉庫には水害に備えて土嚢や縄などが積まれていた。周りには人家はなく、一般市民が入ってくる場所でもない。社長は事件当日夜にこの小屋に連れこまれ、2階に縛られて転がされた。犯人は「勝久」と呼び捨てにし、M子ちゃんを誘拐したと伝えた。食事についてはパン、ビスケット、缶ジュースが与えられた。犯人は20日夜に姿を消したという。


 社長が縛られていた状態だったのに逃走に成功したのは、20日昼頃に犯人が足のロープをはずし、腕を緩く縛り直したからだった。実際、社長は自力で手のロープをはずしている。このことから犯人は社長をあえて「解放した」という見方が強かったが、捜査本部では「犯人の誤算」と見ているという。それは次のような理由である。

 水防倉庫には2ヶ所の出入り口があり、普段使う東側の鉄製の扉には、犯人が形が同じで鍵の形状が異なる南京錠を取り替えてつけていた。これは鍵がないと開かない。しかし社長が逃げたのは、東側ではなく北側のレール状鉄扉からで、これはナットとボルトでとめられていたが、腐蝕しており、社長はドアを叩いているうちにこれに気づいて手でナットを回して開けた。このナットの腐蝕については、犯人が把握していなかった可能性が高いというのである。


 犯人は全裸状態だった社長に黒いオーバーをかけたが、これは1940年(昭和15年)以前に新潟県村上市の製造されたものを、戦後表地を裏返しにして仕立て直されたものだった。


 なお、この日で報道協定は解除されている。


3月22日

 この日、江崎社長は自宅で役員会を開いた。この席上で、社長は「私には全く犯人に心当たりがない。みなさんの中で、もし心当たりがあるなら、私に不名誉なことであっても構わない。正直に警察に話してくれ」と伝えた。


【かい人21面相】


4月2日 

 この日はグリコ本社の入社式だったが、社長は欠席した。朝、江崎社長宅に6000万円を要求する脅迫状が届いていた。 

「この要求に応じるかどうか、土曜日までに、全国紙の新聞広告で回答せよ。▽西宮市熊野町の喫茶店『マミー』で日曜日(8日)の午後7時に連絡を待て。▽現金受け渡し場所はあらためて指示する。▽要求に応じなければコンチ(※)を爆破する」


※コンチ・・・・コンチングマシン。チョコレート製造で、カカオをミルクなどと混ぜ合わせる、製造工程の心臓部)


 封筒には録音テープと目薬容器が入っていた。テープには監禁中の江崎社長が吹き込まされた声が入っており、まぎれもなく誘拐犯本人だった。目薬容器には塩酸が入っていた。脅迫状にはさらに「写真ばらすぞ」と書かれていた。


 犯人のこの要求に対して、社長は捜査本部と相談したうえで、応じないことを決めた。


4月8日

 取引には応じなかったが、犯人が接触する可能性を考え、熊野町近辺の道路や、喫茶店「マミー」には防弾チョッキを着用した捜査員が張りんだ。


 同じくこの日、報道機関と兵庫県警甲子園署に挑戦状が届いた。詳細

     


4月10日 

 午後8時50分頃、大阪市西淀川区の江崎グリコ本社・工務部試作室から出火。その20分ほど前に残業していた社員がドアを施錠して、鍵を守衛室に預けたばかりだった。火は棟続きの作業員更衣室にも燃え移り、試作室約150㎡は全焼した。これは放火事件であり、犯人は警戒が手薄な通用門から侵入した可能性が高いと見られた。当時、通用門は残業社員の出入りがあるため赤外線センサーを切っており、施錠もされていなかった。


 9時20分、淀川をはさんで約3km南のグリコ栄養食品でも火の手があがった。車庫に止めてあったライトバンが何者かに放火されたのである。こちらはすぐに従業員が気づき、車の天井部分を焼いただけで消しとめられた。出火の直後には、ゴルフ帽のような帽子に白マスク、作業衣、ジーンズの不審な男がボストンバッグを抱えて逃げるのが目撃されていた。放火にはガソリンの入った容器のふた代わりに布を詰めたものが使用され、犯人は布に火をつけ立ち去った。


 さらに大阪府警の無線の妨害もあった。グリコ本社出火の際の指示の後に、「ピー」という音の妨害電波が断続的に入ったのである。捜査員は無視して交信を続けていたが、連続音になり、午後9時55分頃からは男の声で「まじめにやれ」「アホか」「キャラメルやろか」などという言葉が繰り返された。この妨害は午後10時20分頃まで続いたという。これも一連の犯行グループによるものと見られたが、この事件に関しては8月末に神戸市長田区の無職男性(当時31歳)が逮捕されている。この男性は夏頃にかけて、関西4府県警の警察無線に数百回も妨害電波を流していた。


4月11日

 午前8時ごろ、江崎家に「思い知ったやろ。今後も気をつけろ」と男の声で脅迫電話。

 さらに午後3時5分、京都市伏見区のグリコ栄養食品京都工場にも、3、40代の男の声で「燃やすから、覚悟しろ」という電話があった。


4月12日 

 警察庁、この一連の事件を「広域重要114号事件」に指定。


4月16日 

 午前11時頃、茨木市東野々宮町の曙橋左岸橋脚台に釣りに来た人が「えんさんきけん 大さか市西よど川区歌島4-6-5 江崎グリコ 江崎勝久」と書かれた脅迫文が添付された塩酸入りの赤いプラスティック容器が置かれているのを見つけた。脅迫文は、以前の脅迫状に使われたタイプライターと同じもので書かれていた。「えんさんきけん」から「ん」の文字を抜き取ると、「えさきけ(江崎家)」となると報じた新聞もあった。

 この容器は一般家庭で灯油用に使うもので、富山市の会社が75年5、6月に製造した約25,000個のうちの1つだった。


4月20日

 午後5時ごろから3回、江崎社長宅に脅迫電話があった。内容は不明。逆探知の結果、この電話は阪急西宮北口駅の今津線宝塚行きホームの公衆電話が使われていたことがわかった。


4月23日 

 大阪の毎日、サンケイの新聞社に脅迫状が届く。初めて「かい人21面相」と名乗った。詳細 

      

 さらに豊中市の江崎グリコ常勤監査役宅に脅迫状が届いていたこともわかった。

「24日か27日夜、豊中市上津島3丁月のレストラン『ダンヒル』に、現金2千万の束を6つ、1億2千万円持って来い。グリコ本社の運転手1人で、カローラで来い。午後7時半に連絡する」


4月24日 

 捜査員は指定された豊中インターチェンジすぐ傍の喫茶店「ダンヒル」で待機。

 午後7時半頃、監査宅に「名神高速道路を85キロで吹田のサービスエリアへ走れ」という電話が入る。これは録音テープに吹き込まれた女の声だった。初めて江崎社長誘拐の3人の男の他に仲間がいることがわかった。


 運転手に扮した捜査員は犯人の指示通りに吹田SAに向かった。ここで車を止め、煙草の自販機の上を見ると、手紙が置いてあるのを見つけた。

「国鉄高槻駅前の公衆電話ボックスへ行け。×印のついた電話の下を見ろ。電話帳に手紙がはさんである」


 捜査員は指定された電話ボックス(7台並び)に行き、印の電話ボックスを調べたが電話帳に手紙はなく、犯人からの連絡もなかった。


5月9日 

 江崎グリコ大阪工場付近の路上にガソリンを入れた家庭用洗剤のプラスチック容器3個が置かれる。


5月10日 

 朝、報道機関に挑戦状が届く。詳細

 グリコ製品に青酸を混入するという脅迫状に、ダイエー、ジャスコ、ニチイ、イトーヨーカドーなどの大手スーパーはグリコ製品の撤去を始めた。


 実はこの挑戦状の前に、本社に「グリコアーモンドチョコレート20個に青酸ソーダを入れる用意をした。いうことを聞けば、中止する」という脅迫状が届けられていた。


5月13日

 江崎グリコは全国紙5紙、地方紙などに事件に対する見解と、小売店などへのお願いを内容とする「謹告」広告を掲載。


5月14日 

 江崎社長が本社で記者会見。「隠し事は一切しておりません」


5月17日 

 報道機関に挑戦状。ダイエー社長を名指しする内容。詳細。

 

   

5月18日 

 捜査本部、監禁中の江崎社長に着せられた黒いオーバーコートと、黄・緑・ピンクのラインの入ったスキー帽を公開手配。スキー帽は東大阪市の「松原商店」が78年秋に120個つくったうちの1つ。


5月20日 

 グリコと取引のあった大阪市東区の香料製造会社「長岡香料」に、グリコへの裏取引を迫る脅迫状。

「3億円出せ。出せば青酸ソーダ混入の脅しをやめる。茨木市内のレストランに金を持って来い。江崎グリコに伝えろ。要求に応ずるなら、長岡香料の前に自動車3台を縦に並べろ」

 

 長岡香料がグリコと取引のあることは、それほど知られておらず、盲点となっていた。

 この後、捜査本部の指示で、車を並べた。2通目は30日に届いた。


5月23日

 大阪証券取引所で江崎グリコの84年3月期決算案の発表。大久保会長はグリコ製品販売停止の影響を受ける翌年度の決算について、事件が早期に解決しても、50億円の減収となる」という見通しを明らかにした。


5月26日

 グリコが茨木市のロッテリア茨木店で裏取引に応じるも、犯人は姿を現さず。 

 この裏取引が報じられたのは6月に入ってからである。

 


5月30日

 長岡香料に2通目の脅迫状。

「6月2日午後8時から8時半の間に、摂津市内のレストラン・大同門の駐車場に、3億円を積んだ白色のカローラを置け」


【寝屋川・アベック襲撃事件】


6月2日 

 捜査本部は途中でエンストを起こすように細工したカローラに3億円を積み、午後7時10分に江崎グリコ総務部長と総務課員の2人が本社を出発した。午後7時57分には焼肉レストラン「大同門」駐車場に到着。周辺には約30人の捜査員が張りこんでいた。


 午後8時45分頃、駐車場に不審な男が現れた。男はタイプ打ちされた「これを持参した者に自動車を引き渡せ」というメモを持っており、そのままカローラに乗りこんだ。しかし、北へ550mほど進んだところでエンストを起こし、追尾した警察によって取り押さえられた。ようやく犯人の一味を捕まえた、と誰もが思った。


「違う、俺は違う。女の子がさらわれたんや!グリコなんて知らん」

 しかし、男性は否定した。この男性は商事会社に勤めるXさん(当時22歳)で、同僚の恋人とデートしている時に3人組の男に襲われたのだという。


 この夜、Aさんと恋人Y子さん(当時18歳)は、「大同門」から約2.8km離れた寝屋川市木屋元町の淀川堤防に停めたトヨタ・チェイサーの中で、ラジオを聞きながら話をしていた。その周辺には同じように車を停めて話しているカップルがいたという。

 午後8時15分頃、突然運転席の窓から銃身のようなものが差し込まれた。外には男が立っており、元自衛隊員で腕力に自信のあったXさんはすぐに飛び出したが、すぐに別の男に顔や頭を殴られた。男達は無抵抗となったXさんを車に押し戻し、Y子さんに果物ナイフをつきつけ、「言うことを聞かんと、命ないぞ」と脅して、2人に黒い布袋をかぶせた。

 このカップルを襲ったのは3人組の男だったという。1人は20m離れたところに停めてあった別の車にY子さんを連れ去り、残る2人がチェイサーに乗りこみ、Xさんに「言うとおりに走れ」と指示した。

 男の指示通りに走っていた車は、やがて「大同門」を通りすぎた。Xさんはここで2人組に指示され、降ろされたのだという。


 Xさんによると、カローラは「(襲撃現場である)淀川左岸堤防まで持って来い」と指示されていた。さっそく捜査員がカローラでこの現場に向かい、午後11時頃まで待ったが犯人は現れなかった。


 一方、連れ去られていたY子さんは車の後部座席に乗せられていた。堤防から数分走ったところで車は止まり、3、40分停車したところで再び走り出した。

 午後9時半頃に車は止まり、男から「友達と10時半に寝屋川市駅前で落ち合え」と指示された。タクシー代として2,000円を渡され、両手で顔を目隠ししたまま降ろされた。「10かぞえる間、どこも見たらあかん」と言われていたからである。

 B子さんは3つ数えたところで振向くと、車はドアを閉めながら、京都方向に向かって走り去った。後部ドアは自動で閉まった(ようにY子さんは思えた)のである。このため犯行に使われた車はタクシーの払い下げ車両だったのではないかと見られた。その後の調べでは車種はトヨペット・クラウンか日産セドリックと判明している。  

 なお、Y子さんが降ろされたのは京都の光善寺駅である。


 Xさんはその夜遅くまで事情聴取され、勤務先の寮に戻っていたY子さんの話とも内容が一致し、グループとは関わりのないことがはっきりした。


 カップルを襲った3人組の特徴

▼A・・・30歳前後。身長168cmぐらい。黒い毛糸の帽子に黒っぽい布を顔に巻く。

▼B・・・25歳前後。やせ型。覆面をし、果物ナイフを持っていた。

▼C・・・25~30歳。低い声。


※江崎社長誘拐の際のA、B、Cとは対応していない。


6月3日

 未明、Aさんのチェイサーが、寝屋川市木屋町の神社の参道に乗り捨ててあるのが見つかった。車内の運転席には果物ナイフの鞘、助手席のマットには目隠し袋が残されていた。

 鞘からは、岐阜県関市の刃物メーカーが78年から20万本以上を製造した果物ナイフのものとわかった。このナイフはスーパーなどの「100円均一」で販売されている普及品だった。目隠し袋は大阪市の「小泉」が84年1~4月に「丹治織物」に発注し製造された布地が使われていた。これはスーパーなどでスカート生地として販売されていた。


 また2日午後9時15分に、チェイサーが見つかった神社で、茶色の日産ローレルが2、3分ほど停車した後急発進していたこと、アベック襲撃現場と「大同門」周辺で、屋根にキャリアを取り付けた「36-84」ナンバーの不審車が目撃されていたことがわかった。


6月11日

 捜査本部は管内80万世帯を1軒1軒洗うローラー作戦を実施。この捜査は8月まで続き、10月下旬から第2次が開始されている。


【キツネ目の男 丸大食品脅迫事件】


6月22日 

 高槻市緑町の丸大食品に脅迫状が届いた。

「グリコと同じ目にあいたくなかったら、5千万円用意しろ。警察には届けるな」


 犯人はこの裏取引に応じる合図として、「26日付の毎日新聞朝刊と、27日付サンケイ新聞朝刊にパート従業員募集の広告を掲載しろ」、「28日夜、高槻市日吉台5番町の太田常務宅に現金を用意して待て」と指示した。


6月24日 

 グリコが新聞に「ともこちゃん、ありがとう。グリコはがんばります」という7段抜きの広告掲載。滋賀県に住む小学2年生の女の子からの激励の手紙が同時に掲載されていた。

「わたしはグリコのおかしが大好きです。でもはんにんがどくをいれた というのでおかしがかえなくなってとってもさみしいです。だからはん人がつかまってはやく『グリコ』のおかしがたべたいです」


 グリコは当時、TVCMも減らしていたが、突然のこの広告に、裏取引の可能性が指摘されている。そして翌日、グリコはターゲットからはずされた。


6月26日 

 報道機関に挑戦状。「グリコ狙うのもうやめたる」と休戦宣言。詳細

 これを受けて、江崎グリコは生産の全面再開を打ち出し、スーパーなどでも販売再開が決められた。


 一方、丸大食品は犯人の指示通り、新聞広告を出した。

「パート募集 宣伝販売員 ▽35歳までの健康な女性 ▽時給500円交通費全額支給 丸大食品人事部」


6月28日 

 丸大食品は裏取引に応じ、午後6時10分、現金を用意して太田常務宅で待機した。

 午後8時3分、犯人からの電話があった。またも女性による録音テープだった。

「高槻の西武デパートの三井銀行南 市バスおりばの観光案内板の裏」

 

 同社の社員を装った捜査員が案内板の裏を調べると、タイプ文字の指示書が貼ってあった。

「国鉄高槻駅に入れ 8:19か8:35の京都行き各停に乗れ バッグ出せるように進行方向に向かって左側の窓を開けて線路を見とれ 白い旗が見えたらバッグを外にほれ」

 他にも切符と座席図が同封されており、犯人は後ろから2両目に乗ることを指示した。


 捜査員は指示通りに高槻駅から8時35分の国鉄電車に乗ったが、あいにく降雨と日没のため白旗が見えず。京都駅から高槻駅に引き返した。


 その車内では社員(捜査員)の様子を絶えず気にしていた不審な「キツネ目の男」が、同乗していた別の7人の捜査員達によって目撃されていた。男は35~45歳くらい、身長175~178cm、縁なし眼鏡をかけ、グレーの背広を着ていた。現金を持つ捜査員が京都で降りると、この男も降り、捜査員の座るベンチの隣りに腰掛けた。男も高槻駅まで戻り、捜査員が改札口を出て行くのを見送っていたという。別の捜査員がこの男を尾行してみたが、雑踏のなかに消えていき見失った。この「キツネ目の男」は後にも目撃される。


7月3日

 高槻市山手町の藤田政光・丸大食品取締役宅に脅迫状。

「6日午後8時、茨木市内のレストランで待て」


7月6日 

 夜、丸大食品は吹田市新芦屋上の小森嘉之・取締役宅で犯人からの連絡を待った。

 午後8時7分、犯人からの電話。今度はなんと子どもの声の録音テープだった。

「茨木市上穂積のバス停看板の横の電話ボックスの物置台の裏」

 

 午後9時12分、社員に扮した捜査員が指定場所に着き、指示書を見つけた。

「茨城インターから名神高速道路に入れ 京都方面へ時速85キロで走れ。山崎バス停待合室のベンチの裏」


 午後9時29分、捜査員は現場に着いた。

「深草のバス停のベンチの裏」

 捜査員は高速道路を北上して京都市伏見区深草五反田町に向かった。


 午後9時40分、捜査員が深草バス停に到着

「太田1人で高速バスの看板のある30cm四角の白い布のところにバックを置け」

 捜査員は言われる通りにしたが、犯人は姿を現さなかった。


 この直後、丸大食品には犯人から、「おまえら なに やっとんや」というタイプ文が送りつけられた。

 この一連の丸大脅迫事件は、11月に入って犯人の挑戦状によって初めて公にされた。


7月23日 

 ジャスコ社長、ニチイなど4社宛てに警告状。詳細


【森永事件】


9月12日

「グリコと同じめにあいたくなければ、1億円出せ」

 朝、大阪市北区西天満の森永製菓関西販売本部に数千万円を要求する脅迫状。青酸入りの菓子が同封されていた。これで「要求に応じなければ、製品に青酸ソーダを入れて 店頭に置く」と脅していた。「現金の受け渡しは18日、守口市のレストラン『USA』で待て」とした。


 同社・松崎昭雄社長は、役員との協議で1億円を準備することを決断。不動産取引の名目で、現金を準備し、小田島総務部長が空路で大阪に運んだ。


9月18日 

 午後8時半頃、森永脅迫事件で犯人から関西支社に連絡。電話は子どもの声を録音したもので、5回繰り返した。

「レストランから、1号線を、南へ、1500m行ったところにある。守口市民会館の、前の。京阪本通2丁目の、陸橋の、階段の下の、空き缶の中」

 捜査員が指定された陸橋の空き缶(森永乳業製品)を調べると、「京阪守口市駅の東口へ行け」というメモが入っていた。その後、守口市内の衣装箱の中に現金を入れるも、犯人は姿を現さず。


 捜査本部は、この事件を、一連の脅迫状とタイプの活字も違い、その表現も異なることから、便乗犯によるものと断定した。


9月25日

 報道機関に挑戦状。森永の事件は便乗犯ではなく、自分たちによるものと主張した。詳細


10月7日~13日 

 この1週間で兵庫、大阪、京都、愛知のスーパーなどで青酸入り森永製菓の菓子を13個発見。詳細


10月8日 

 報道機関に青酸入り菓子のばらまきを予告する挑戦状。詳細


 また阪急百貨店社長など27社宛てにも、森永製品撤去を求める脅迫状があった。詳細


10月10日 

 関西西友は「販売を続ける」という姿勢をとっていたが、この日の午後に森永製品を撤去することを決定。他にもすでに青酸菓子が見つかっていた店舗、伊勢丹(東京)、松坂屋(名古屋)など本州の店舗が撤去を開始した。


 森永製菓は経費節減のために近畿地区でのTVコマーシャルを中止。


10月11日 

 捜査本部、4月24日の脅迫電話で流れた録音テープを公開。

「名神高速道路を、85キロで、吹田のサービスエリアへ、走れ。京阪レストランの、左側の、煙草の自動販売機の上に、手紙がある。手紙のとおりにしろ」

 前述したように、女の声で録音されたものである。抑揚がなく、紙に書かれた文を読み上げるような調子だった。


 次に9月18日の森永脅迫事件の脅迫電話。子どもの声である。

「レストランから、1号線を、南へ、1500m行ったところに、ある守口市、市民会館の、ま、エッ?・・・・・・・前の京阪本通2丁目の陸橋の、階段の下の空き缶の中」


 報道陣が、犯人グループに女と子どもがいるのを知ったのは、この日だった。国語学者による、この女と子どもの声の解析は次のようなもの。


▼国語学者・金田一春彦氏

 女は「走れ」の「シ」を高く発音しており、東京~愛知、あるいは岡山~山口出身になるらしい。また子どもの方は「2丁目の」の「の」を平らに発音しているので、やはり東京~愛知(岡山~山口の可能性も)で生まれ育ったのでは、と推測。


▼甲南女子大教授・鎌田良二氏

 全体に名古屋以東。とくに関東式のアクセントが強い。女は20代後半から30代前半、子どもは10代の声。


▼関西外語大教授・堀井令以知氏

 完全に東京式のアクセント。


 この音声については、各府県警でテレホンサービスを行い、電話回線がパンクしそうな勢いだった。 

 「犯人は近所で遊んでいる子ども達に声をかけ、録音してもらったのではないか」という声もあったが、捜査本部は「あの緻密な犯人がそんな軽率なことはしない。後で通報されればアウトとなる」とこの説を否定した。実際、そうした子どもは名乗り出ていない。


 また日本音響研究所長である鈴木松美紙は次のような分析をしている。

「4月24日の江崎グリコへの電話は中学2、3年の女の子。9月18日の森永製菓への電話は小学5、6年ぐらいの男の子」

 そして「2人とも、口の動きがスムーズであったため、書かれた文章を読む練習をかなり行ない、ほとんど暗記した状態で録音したのではないか」と推測した。


10月12日

 森永製菓は製菓部門5工場で50%減産。臨時従業員、パートら450人を自宅待機させた。


10月15日 

 捜査本部、ファミリマート甲子園口店の防犯カメラに映っていた「不審な男」の映像を公開。

 男が映っていたのは10月7日の午前10時27分から11時23分の間。男は2、30代。身長170cmでがっちりした体格、眼鏡に巨人の野球帽をかぶり、帽子からはパーマのかかった髪がはみ出ていた。服装はベージュのブレザー(ノーネクタイ)、白っぽいズボン、スニーカーである。男はまずまず棚から週刊誌をとりだした。続いて、菓子売場へいく途中、カメラに気づいたような素振りをした。その後、青酸ソーダ付着のドロップ発見場所に近寄り、レジで会計をすませた。

       

 報道機関に挑戦状。NHK大阪放送局に30錠の青酸錠が郵送される。詳細


10月16日 

 大阪の西友系スーパー2店に脅迫状。青酸入り菓子が同封されていた。 

「店長え おまえらの店の名前で  店のきゃくえ おくることもできるんやで かい人21面相」(消印・豊島郵便局10月13日午後)

 西友グループは全国230店で森永製品を撤去した。

 

 森永製菓は全国でTVコマーシャルを中止。


10月19日~22日 

 東京・豊島区のファミリーマートの郵便受けに青酸入り菓子が投函される。


10月22日 

 ファミリーマート埼玉城北地区本部(豊島区)の郵便受けに青酸入りのドロップとキャラメルが投函される。


 森永は自社製品を袋に詰めた「1000円パック」を街頭で販売開始した。これはなかなか好評で、11月27日には100万袋販売した。


10月23日 

 6月2日の現金奪取の際に使用された改造タクシーが大阪・生野区で発見される。


10月25日 

 報道機関は7月後半に食品メーカーに脅迫状が届いていたことを初めて報道。


11月1日 

 報道機関に挑戦状。詳細

 森永乳業副社長宅に森永製菓宛ての脅迫状。詳細

 森永製菓、9割減産体制に。


11月6日 

 森永製菓、犯人の指示通り毎日新聞朝刊に要求に応じるサイン「二郎へ」という尋ね人広告を出す。詳細


【ハウス事件】


11月7日 

 ハウス食品工業総務部長宅に脅迫状。詳細


 森永は東京証券取引所での9月中間決算発表で、「経営段階では下半期だけで46億円の赤字になる」という見通しを発表。また450人のパート従業員の解雇や、社員の冬のボーナス支払延期、削減を示唆した。この時はすでに5工場で一割程度の可動率に落ちこんでいた。結局、森永の損失は200億円以上になった。


11月9日 

 ハウス食品工業に裏取引に関する確認電話。ハウス側はこれに応じる返答。


11月12日 

 長岡京市の電設会社でライトバン盗難。

 鈴木邦芳・大阪府警刑事部長は報道協定を報道機関各社に要請。


11月13日 

 報道機関に挑戦状。詳細


 マスコミは2回目の報道協定を締結。


11月14日 

 午後6時過ぎ、ハウス食品工業は犯人の指示通り、現金1億円を積んだ白いワゴン車を出す。乗りこんだのは社員ではなく、警官2名。東大阪市の本社を出発した車は、近畿自動車道に入り、名神高速道路へ。

 午後6時53分、車は京都市伏見区のファミリーレストラン「さと伏見店」の北300m地点で待機。犯人指定の午後7時20分に同店駐車場に入った。店内では、アベックを装った警官が張りこんでいた。

 午後8時20分、店内で社員に扮した捜査員が犯人の指示を待っていたところ、ハウスの総務部長宅に電話が入った。公衆電話(静岡以東、広島以西)からの電話で、子どもの声の録音テープである。4回繰り返された。

「京都へ向かって、1号機を、2キロ、バス停城南宮の、ベンチの、腰掛けの裏」


 午後8時38分、指定されたバス停には次のようなメモがあった。

「おまえら、みはられとるで 名神こうそくどおろ 京都南インターに はいれ 名ごや方面え じそく85キロで はしれ 大津の サービスエリヤ の身障者用の ちゅう車場の 〇印の ところで とまれ ×印の あんないづの かんばんの うらに 手紙 はってある みたら かいてある とおりに しろ」


 午後8時59分、名神・大津サービスエリアの張り紙発見。

「これ みたら すぐ うごけ 草津の パーキングまで 85キロで 走行車せんを はしるんや パーキングの しるし みおとさんよう 1人が しっかり みはるんや 草津の パーキングの ベンチの こしかけの うらに 手紙 はってある  〇印の ところや    かいてある とおりに しろ」


 この大津サービスエリア駐車場には不審な男がいた。黒っぽいジャンパーに黒いゴルフ帽、35~45歳、サングラス、パンチパーマ風、細くつりあがった目。あの「キツネ目の男」である。目撃していたのは、6月28日に電車内で目撃した捜査員と同一人物である。キツネ目の男は5、60m離れたところから現金輸送車の様子をうかがっており、捜査員が近づこうとすると逃げ去り、姿を消した。


 午後9時23分、滋賀県草津市の名神・草津パーキングエリアで張り紙発見。

「これ みたら すぐ うごけ なごやの 方え じそく60キロで はしれ 左がわの さくに 30センチ × 90センチの 白い ぬの みえたら とまれ 白い ぬのの 下に あきかんが ある なかの 手紙の とおりに するんや」


 現金輸送車が到着するよりも先に、白い布が草津PAから東へ5kmの地点の道路脇の防護フェンスに取り付けられているのが発見された。道路管理局の巡回記録によると、14日午後8時50分から午後9時18分の間に取りつけられたものとわかった。この防護フェンスの下には、県道川辺-御園線が交差しており、犯人が現金を受け取るには、絶好の場所だった。ワゴン車を指定したのも、車高の高さから下の道から確認しやすいからだと考えられる。警察はこの県道と名神の交差部分を封鎖した。

 しかし、問題の空き缶がなかった。犯人らしい男も姿を見せず、午後10時20分に捜査は打ち切られた。


 この日、ひとつの捜査の不備があった。

 現金輸送車が草津PAに向かっている頃、栗東町川辺の県道川辺-御園線に、白いライトバンが停まっているのを、偶然通りかかった滋賀県警のパトカーが気づいた。滋賀県警は本部から「名神高速道路とインター付近には近づくな」という指示を受けていたが、この地点は高速道路からも離れているので、巡回していた。もちろん、最重要事件の現金取引所であるという連絡も受けていない。

 午後9時18分、滋賀県警は人気のないこの場所に停められたライトバンに近づいた。人が乗っている様子はなかったが、ライトを照らしたところ、運転席に男がいた。このライトバンは急発進したが、この警官はすぐには追尾しなかった。その後、サイレンを鳴らして後を追ったが、男はこのあたりの地理を熟知しているようで、パトカーは追いつくことはできず、草津駅前の商店街あたりで見失った。


▼白いライトバンの男・・・40歳ぐらい。無精ヒゲで頬がこけている。紺と黄色のセーターに巨人軍の帽子をかぶり、パンチパーマ。耳にはイヤホンをつけていた。この地の道をよく知り、運転が巧い。


※ファミリーマートのビデオに映った男と共通する部分がいくつかある。


 午後9時25分、草津市内の薬局前にエンジンがかかったままの白いライトバンが見つかったが、男の姿はなかった。県警は9時35分に周辺に緊急配備を敷いたが、時既に遅し、男を発見することはできなかった。


 白いライトバンは、ナンバーから、京都府長岡京市の電設会社駐車場で、11月12日に盗まれていたものとわかった。車内には改造無線機(83年から84年9月に秋葉原の無線屋で売られた357台の1つ)、女性用バッグ(東京・墨田区のメーカーがつくった455個のうちの1つ)、バッグの中に粘着テープ、白い綿製ロープ、黒の家庭用ゴミ袋、軍手、プライヤー、針金2本、茶封筒2枚が入っていた。この針金は、白い布を固定していたものと一致した。遺留品は他に、サファリハット(県内の平和堂堅田店などで売られたもの。直毛が付着)、クリッパー、小型掃除機(ナショナル製)、ポリエチレンの手提げ袋などがあった。


「滋賀はなんだ!台無しじゃないか!」

 この1件で、滋賀県警がバッシングに遭う。しかし、これは滋賀県警だけのミスではない。捜査本部から県警へ連絡がいかなかった点が問題だったのである。この背後には大事件に関わったことが少ない滋賀県警へ対する「軽視」があったとされた。広域捜査の難しさが出た。県警本部長は翌年、責任をとり焼身自殺している。


 報道協定下だったので、この事件はすぐには新聞で報じられることはなかったが、日本新聞協会に加盟していない新左翼系の「人民新聞」(当時3000部前後の部数)はこの事件を報じ、後日号外を配っている。


11月18日 

 森永製菓に2億円受け渡しのための広告掲載を要求する脅迫状。


11月19日 

 奈良市中山町のハウス食品工業管理課長宅に脅迫状。詳細

 森永製菓の関連会社・わかなみ製菓・切石利昭社長宅に脅迫状。詳細


11月21日、22日 

 森永製菓は毎日新聞朝刊に裏取引に応じるサインの求人広告を出した。


11月24日 

 報道機関に挑戦状。詳細

       

 「週刊読売」誌上で『1億2000万出すからやめろ』と呼びかけた作家・川内康範氏宛てに断りの返事。詳細


11月26日 

 兵庫県警・吉野穀本部長宅に挑戦状。14日の捜査失態を皮肉った。詳細


 この日、森永は停止していた菓子生産を、鶴見・中京の2工場で再開。29日にも3工場が再開した(前年12月の45%ほどの操業率)。これは「安全パック」売上げ好調のためである。


11月30日 

 大阪府警・四万修本部長宅に挑戦状。詳細

       

 森永製菓・木下義盛総務部長宅に脅迫状。2億円を要求し、応じるなら新聞広告掲載を指示した。詳細


【不二家脅迫事件】


12月7日 

 森永製菓、脅迫状の指示通りに産経新聞朝刊に「かい人21面相へ」という広告を出し始める。 

      

 「週刊読売」に犯人から手記が届く。詳細

      

 不二家の田尻敬司労務部長宅に脅迫状。テープと青酸ソーダが同封されていた。


12月10日 

 報道協定解除。


12月11日 

 不二家の田尻労務部長宅に裏取引に関する確認電話。不二家側はこれに応じる返事。


12月15日  

 不二家の労務部長宅に脅迫状。「24日に大阪・梅田の阪神百貨店の屋上から2000万円ばらまけ」と指示。


12月17日 

 報道機関に挑戦状。詳細


12月18日 

 報道機関に挑戦状。詳細


12月14日 

 不二家は指示された阪神百貨店屋上からの現金ばらまきは行なわず。


12月26日 

 東京のスーパー社長宅に脅迫状。「1月5日に不二家が、池袋のビルの屋上から2000万円ばらまくように」と指示。

       

 報道機関に挑戦状。正月休戦宣言。詳細

 


◆1985年


1月5日 

 不二家は指示された池袋のビル屋上からの現金ばらまきは行なわず。


1月10日 

 6月と11月に目撃された「キツネ目の男」の似顔絵公開。この男は「FOX」の頭文字をとって「F」と呼ばれた。


1月11日 

 不二家脅迫事件が初めて報道される。


1月16日 

 読売新聞大阪本社の玄関前の柱のかげに青酸入り菓子が置かれる。詳細

 報道機関に挑戦状。詳細


1月26日 ハウス食品工業に再び脅迫状。詳細

      報道機関に挑戦状。詳細


2月2日 

 報道機関に挑戦状。詳細


2月6日 江崎社長宛てに脅迫状。


2月12日~13日 

 東京、愛知で「どくいり きけん」と書かれた青酸入り菓子が相次いで発見される。

 置かれていたのは東京・中央区の明治製菓本社向かいにある天ぷら屋前、神田駅のトイレと駅周辺の寿司屋の店先、名古屋氏千種区の名古屋集中局管内のポストなどで、東京8ヶ所9個、名古屋4ヶ所4個になった。


2月13日 

 報道機関に挑戦状。詳細


2月14日 

 自民党はこの事件を受け、「流通食品への毒物混入罪」を新設するなどの防止法案をまとめた。ただし、かい人21面相には不遡及の原則で適用することはできない。


2月15日 

 東京・兜町の証券界で「かい人21面相が捕まった」という謎の噂が流れ、そのため森永、グリコ株などが軒並み20円~55円高という異常な値動きを見せた。


2月20日 

 報道機関に挑戦状。詳細


【犯行終結宣言、時効へ】


2月27日 

 茨木市の派出所に「森永ゆるしたろ」という内容の挑戦状。詳細


3月6日

 和歌山県の老舗和菓子会社駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届く。


3月8日

 駿河屋に「けいさつの あほが うるそおて かなわん 8日 とりひき するの しばらく えんきや」と通告。その後、犯人側から駿河屋に対する連絡はなかった。


3月17日  

 大阪城天守閣に挑戦状が貼りつけられる。詳細


4月4日 報道機関に挑戦状。詳細。


8月7日 

 滋賀県警本部長・山本昌二氏が辞任直後に公舎の庭で焼身自殺。


8月12日 

 報道機関に挑戦状。犯行終結宣言。詳細


◆1994年


3月21日 

 江崎社長誘拐事件が時効。


6月2日 

 寝屋川市のカップル襲撃事件が時効。


◆1999年


10月7日~9日 

 大阪、兵庫、京都、愛知の青酸入り菓子ばらまき殺人未遂事件が時効。


◆2000年


2月13日 

 東京、愛知の青酸菓子ばらまき殺人未遂事件が時効。(最終時効)

【なぜ、まずグリコが狙われたのか】


 犯人が森永製菓に目をつけたのは、グリコ事件で製品に毒物を混入したとして脅迫することが有効だと証明されたからであると言える。では、なぜまず最初にグリコが狙われたのだろうか。社長誘拐はもちろん、放火事件などから、同社に対する怨恨の可能性が考えられる。そして、江崎家に男が襲撃した時、犯人は長女M子ちゃんを名指しで呼んでいる。家には他にも3歳下の二女がいるのに、この女の子をM子ちゃんと判っていたのは江崎家の内部事情に詳しい者ではないかと見られた。その後のハウス、森永脅迫と比べても、グリコは特に犯人側がよく知っている印象が強い。


 江崎グリコは江崎勝久氏の祖父である利一氏が、1922年(大正11年)に創業した。

 利一氏は故郷・佐賀県でとれるカキのグリコーゲンに目をつけ、これをアメのなかに混ぜた栄養菓子を販売した。この商品に公衆販売機(現在の自動販売機)の導入や、玩具のおまけといったアイディアでヒット商品となった。

 戦後、グリコ協同乳業、江崎グリコ栄食など、20社を傘下に抱える大企業となったが、利一氏が一代で築いたものと言っていい。


 利一氏の長男は1947年に死亡、彼の長男である勝久氏が利一氏に後継者として指名された。

 勝久氏は神戸大学経営学部卒業後、松下電器産業に入社。66年に江崎グリコに入り、73年に副社長、1982年に利一氏の片腕だった大久保武夫氏の後を継いで社長に就任した。勝久氏の他の3人の姉弟がいずれも関連会社の重役、その妻という同族会社である。

 勝久氏は水防倉庫から脱出して保護された後、あまり多くを語らなかった。それが裏取引があったのではという憶測を呼んだ。そして「グリコゆるしたる」宣言の2日前に新聞に掲載された新聞広告も裏取引に応じるものと思えなくもない。


 事件の伏線となるようなことは、ないことはなかった。

▽1978年8月、「黄巾族」と名乗るグループから、脅迫状や脅迫電話があった。


▽それ以前には工場の廃液を川にたれ流したとして、住民運動が起こったこともあった。


▽1978年(昭和53年)に江崎グリコに1本のテープが送られてきた。それは捜査関係者のあいだで「53年テープ」と呼ばれるものである。テープは初老の男性の声で、「ある過激派がグリコから3億円を脅し取ろうとしている。自分が間に立って金額をまけるように働きかけてやるから、いくらかよこせ」というような内容だった。

 水防倉庫から脱出した江崎社長が着せられていたオーバーは、グリコが戦前に建てた全寮制の「グリコ青年学校」で生徒に配っていたものだった。しかも各地で色分けされたこのオーバーは、旧満州の奉天で支給されたものだった。当時としてはかなりの高級品で、簡単に捨てるようなことはないものである。

 戦後、大陸から引き揚げた生徒達は、グリコで冷遇され、恨んでいるものが多いという説もある。その年代の人間は事件当時は「初老」。「53年テープ」の声の主ともつながってくる。


▽グリコ栄養食品は、1982年4月に「グリコハム」と対等合併した際、「従業員の合理化(役員の更迭など)や取引先(納入業者など)の見直しをめぐって不協和音があった」という噂があった。


【犯人像】


 「地下にもぐった新左翼活動家とその家族」「警察OB」「マイノリティ団体」「暴力団」「仕手集団」・・・・・。この事件は特に様々な犯人像が浮かんでいる。

 いずれにせよ、かい人21面相は挑戦状の文面からは、したたかで、人を挑発することに長けている。時折、荒っぽい行動を見せるが、現金受け取りの時などはかなり慎重である。寝屋川アベック襲撃事件の時には、抵抗する元自衛官の男性を数発でおとなしくさせるなど、喧嘩慣れしたところもあった。


 犯人らしい人物が目撃された機会は数回あった。

 江崎社長を誘拐した3人、寝屋川でアベックを襲った3人、キツネ目の男、白いライトバンの男、防犯カメラに映った男。そして録音テープの若い女と子どももいる

 こうしたことから犯人は6~7人と見られる。そしてその結束は固く、誰も口をすべらしたり、仲間割れしたりはしない。これほどまでに団結心を生み出すというのは、家族、あるいは人を連帯させる宗教的なものもイメージできる。


 また警察関係者、OBが事件に絡んでいる可能性が強い。それは挑戦状に捜査当局幹部の名前を挙げるなど内部に詳しいこともあるが、警察無線の空白区域である場所を現金授受に選ぶということがあったからだ。実際、捜査の後半では大量の不良警官が洗われている。


 犯行については西村京太郎氏の小説「華麗なる誘拐」を参考にした可能性が高いとも見られている。この小説はIQ150以上のグループが、喫茶店のシュガーポットの中に青酸カリを混入し無差別殺人したうえで、日本国民全員を人質にとり、首相に5千億円を要求したり、ビルから金をばら撒けと脅迫している。事件との共通点がありすぎるのである。またエド・マクベインの小説「警官(さつ)」(1980年)にも類似する箇所がある。


 ノンフィクションライター・礫川全次氏は挑戦状の文面から次のような分析をしている。

・生まれは1945~1950年くらい。いわゆる団塊の世代。

・小学生の時にローマ字教育を受けた。

・テレビで「月光仮面」を楽しんだ。

・モラル意識はかなり保守的。

・七五三に言及しているため、7歳ほどの女の子がいる。

・人を訓練したり、管理したり、文書で人に指示を与えたりする職業、地位についたことがあるのではないか。


【犯人の目的】


 この事件は早い時期から怨恨の可能性が指摘されていた。しかし、グリコに恨みがあるならば、監禁中社長にもっと手荒に扱ったはずである。

 では金目当てだろうか。しかし、長期間あれだけのことをやっていたのに、結局犯人は金を手にしていない(裏取引がなければ、ということになるが)。挑戦状や現金受け取りなども、どこか余裕があり、とても「サラ金の借金で困っている」とか「失業中」といったイメージが想像しにくい。

 そうしたことから脅迫や誘拐による現金奪取計画は、あくまでパフォーマンスであり、本当の狙いは「株」だったという見方も強い。


 そのなかで、犯人達は「カラ売り」(※)をして利益をあげた可能性がある。グリコ株は、「グリコ製品に青酸が混入する」という脅迫状があった翌日の1984年5月11日に、600円から540円と値下がりを記録した。これが事件当時の最大の下げ幅だが、差額はわずか60円。宮崎学氏の試算では、1億円を投入しても、3000万円ほどの儲けにしかならないという。長丁場で、しかも数人がかりの犯罪のわりには儲けは少ないものとなる。


※カラ売り・・・・株を借りて売り払い、一定期間後にその株を買い戻す信用取引。その間に株価が下がっていれば、差額が儲けとなる。


 そういった方面で浮上したのは杉並区に本拠を持つ仕手集団「ビデオセラー」というビデオ販売会社。事件当時、森永株や不二家株を大量に買い占め、多額のもうけを得たとされた。しかし、同社のT社長は犯行終結宣言の2ヶ月後、1985年10月19日に事務所内で変死体となって見つかっている。


【犯人逮捕報道】


 1989年6月1日、毎日新聞夕刊に「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」という見出しが載った。

 それによると、4人組の主犯は江崎社長に恨みを持つ者で、犯行終結宣言後も、同社に捜査協力しないよう脅迫を続けていたという。社長が監禁されていた水防倉庫に残された遺留品と、主犯の指紋が一致したというのである。

 しかし、毎日新聞は6月10日に「行き過ぎ紙面を自戒」という記事を掲載した。誤報だったのである。


 さらに1997年7月、今度は産経新聞が「北工作員グループの犯行 捜査関係者が確信」という記事を掲載した。

 この記事では、兵庫県芦屋市の会社社長(87年死去)を中心に形成するグループがあり、その社長は「北朝鮮系非合法活動家の黒幕的存在」とされ、事件当時は北朝鮮に鉱山開発投資に失敗し、多額の資金を必要としていた。また金塊を要求した点についても、「北朝鮮で発掘したもの」に見せかけるためだったのではないかとしている。

 だがこの記事はこれっきりで、続報はなかった。


【便乗犯】


 この事件は大々的に報道されたため、商品に毒物を混入して企業を恐喝するという便乗犯が相次いだ。また1984年4月10日のグリコ本社・グリコ栄養食品放火の時に、警察無線に妨害電波を流した男も便乗犯だと言えるだろう。グリコ・森永事件を模倣した犯罪は444件、その206件は検挙されている。


 近年では、2000年に「かい人21面相の息子」を名乗り、永谷園を脅していた男(当時46歳)が逮捕されている。この時も一連の事件が最終時効を迎えた年であることから、事件を振りかえるニュースが多かった。


【人を殺さない犯罪】


 グリコ・森永事件は、人を殺さずに大金を奪取しようとするアイディアから、三億円事件と並んでよく紹介される。しかし、彼等は確かに人を直接的にはあまり傷つけなかったが、多くの人を精神的にひどく傷つけている。


 まず捜査の失態から自殺した滋賀県警本部長が最大の被害者だろう。本部長は退職後の就職先も決まっており、事件がなければ、何事もなく務めあげるはずだった。

 そして、ハウス事件の時に怪しいライトバンに職務質問した県警の巡査も、自身が自殺のきっかけを作ったと思い心を痛めたはずである。


 もちろん、犯人に直接脅された企業も甚大な被害を受けた。

 特にグリコである。家族団欒を過ごしている時に連れ去られ、ひどい扱いを受けた江崎社長。脱出した後も会社内部のことを面白おかしく書かれたり、あらぬ噂を立てられた。その後も、青酸で脅迫され、全国の工場の操業率を下げ、停止にもなった。その時には社員やパートが自宅待機となった。21面相の要求が、1人1人の生活を圧迫するようになったのである。

 森永製菓も 青酸ばらまきがされた時には、社員とその家族、OBが総出で小売店の巡回を始めた。それでも1984年の冬のボーナスは一律20%カットとなった。


【トピックス 「キツネ目の男 宮崎学」】


 キツネ目の男が目撃されたのは1984年6月28日と11月14日のことで、あの有名な似顔絵が公開されたのは半年後の1985年1月10日のことだった。この「キツネ目の男」にそっくりな男がいた。現在は作家の宮崎学氏である。


 宮崎氏は1945年に京都で生まれている。父親はヤクザ・寺村組組長で、母親も博徒の娘、自然とアウトローの人脈があった。早稲田大学法学部中退後は週刊誌記者、土建屋、地上げ屋などをする。24歳で結婚して3人の子どもをもうけたが、離婚。その後、妻の姓にするのに、再度結婚、離婚をしている。


 宮崎氏が疑われたのはその風貌以外にも、会社を倒産させ莫大な借金を抱えていたこと、1980年に企業恐喝で逮捕された前科があること、義兄がタクシーの払い下げ車両を所有していたこと、脅迫状に使われた便箋は京都市伏見区の文具屋「園城」の特製品であったが、彼がこの店の顧客だったことなどが挙げられた。

 またグリコに「53年テープ」が送付された1978年ごろ、宮崎氏はグリコの京都の工場で、労使紛争に関わっていた。これは従業員の配置転換に端を発する闘争で、宮崎氏は組合側を支援していた。ただ、これはあくまで支援で、深くは関わらず、「組合の人間とも会ったことはない」と著書で書いている。

 さらにその少し前、グリコ栄養食品の工場周辺で、工場が廃液を川に流したことから公害問題が起きた。これは宮崎宅から50mほどの川である。この時も住民運動には関わらなかったが、工場側に悪臭について怒鳴ったことも何回かあったらしい。

 そして滋賀県の名神高速栗東インター、監禁場所の水防倉庫、京都市百万遍のコピーセンターなど複数の事件現場に、仕事場や取引先があるなどして土地鑑があった。


 ここまで書くと、宮崎氏はかなり疑わしい人物に思われる。

 しかし、宮崎氏は当時東京で印刷関係の仕事をしており、6月28日には都内の音楽大学の労組会議に出席していた。完璧なアリバイである。宮崎氏はそうした当時のことを「突破者」に書き、作家デビューを果たしている。


参考文献


朝日新聞社 「週刊朝日 07年3月2日号」

朝日新聞社 「週刊朝日 07年3月9日特大号」

朝日新聞社 「週刊朝日 07年3月16日号」

朝日新聞社 「週刊朝日85周年記念増刊 週刊朝日が報じた昭和の大事件」

朝日新聞社 「メガロポリス犯罪地図」 朝倉喬司 

朝日出版社 「グリコ・森永事件 21世紀型犯罪を分析する」 小田晋

朝日新聞社 「グリコ・森永事件」 朝日新聞社大阪社会部

朝日新聞社 「昭和史の謎 檄文に秘められた真実」 保阪正康

朝日新聞社 「真犯人 グリコ・森永事件『最終報告』」 森下香枝 

岩波書店 「誤報 ―新聞報道の死角―」 後藤文康

学習研究社 「歴史群像シリーズ81 戦後事件史 あの時何が起きたのか」

角川書店 「毒殺」 上野正彦 

河出書房新社 「常識として知っておきたい昭和の重大事件」 歴史の謎を探る会・編

幻冬社 「グリコ・森永事件 最重要参考人M」 大谷昭宏・宮崎学

幻冬社 「突破者 戦後史の陰を懸けぬけた50年 下」 宮崎学

幻冬社 「自殺者 現代日本の118人」 若一光司

廣済堂出版 「20世紀の迷宮犯罪 真犯人・黒幕は誰だ!」 上村信太郎 

講談社 「昭和 二万日の全記録 第18巻 世界のなかの日本」

講談社 「戦後欲望史 転換の七、八〇年代篇」 赤塚行雄

講談社 「ビジュアル版・人間昭和史 昭和の事件簿」 扇谷正造監修

講談社 「歴史エンタテインメント 昭和戦後史 下 崩壊する経済大国」 古川隆久

徳間書店 「音の犯罪捜査官 声紋鑑定の事件簿」 鈴木松美

徳間書店 「突破者の痛快裏調書」 宮崎学

国書刊行会 「報道は真実か」 土屋道雄

三省堂 「大阪スペクタクル」 近藤勝重 

社会批評社 「腐蝕せる警察 警視庁元警視正の告白」 来栖三郎

秀英書房 「続 犯罪風土記」 朝倉喬司

白石書店 「マスコミ信仰の破たん 発表ジャーナリズムの落とし穴」 韮沢忠雄

小学館 「少女はなぜ逃げなかったか 続出する特異事件の心理学」 碓井真史

新人物往来社 「別冊歴史読本 戦後事件史データファイル」

新潮社 「週刊新潮 07年1月4・11日号」

新潮社 「消されかけたファイル」 麻生幾

新潮社 「闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相」 一橋文哉

新潮社 「事件のカンヅメ」 村野薫

新風舎 「昭和史の闇<1960-80年代>現場検証 戦後事件ファイル22」 合田一道

新日本出版社 「警備公安警察の素顔」 大野達三

第三書館 「報道協定 日本マスコミの緩慢な自死」 丸山昇

宝島社 「別冊宝島 実録完全犯罪 暴かれたトリックと意外な『真犯人』」

宝島社 「別冊宝島 戦後未解決事件史 ―犯行の全貌と『真犯人X』―」

宝島社 「日本の『未解決事件』100」

宝島社 「迷宮入り! 昭和・平成 未解決事件のタブー」 別冊宝島編集部・編

筑摩書房 「犯罪百話 昭和篇」 小沢信男・編

データハウス 「21面相の手記」 かい人21面相

データハウス 「毒物犯罪カタログ」 国民自衛研究会

東京図書出版 「天命の陳情」 村岡伸冶

東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編

東都書房 「企業恐喝犯逮捕す ふたたび刑事たちよ」 鈴木達也

東方出版 「大阪の20世紀」 産経新聞大阪本社社会部

同朋舎出版 「TRUE CRIME JAPAN 迷宮入り事件」 古瀬俊和

徳間書店 「音の犯罪捜査官 声紋鑑定の事件簿」 鈴木松美

日本経済新聞社 「ドキュメント危機管理 グリコ・森永事件の教訓」 日本経済新聞社・編

批評社 「戦後ニッポン犯罪史」 礎川全次

二見書房 「日本中を震えあがらせた恐怖の毒薬犯罪99の事件簿」 楠木誠一郎

二見書房 「衝撃犯罪と未解決事件の謎」 日本テレビ「スーパーテレビ情報最前線」・近藤昭二編著

ぶんか社 「警察庁広域重要指定事件完全ファイル」

文藝春秋 「週刊文春 05年8月11日・18日夏の特大号」

文藝春秋 「文藝春秋 2010年10月号」

平凡社 「『犯罪』の同時代史」 松本健一・高崎通浩

毎日新聞社 「サンデー毎日 84年10月28日号」

毎日新聞社 「シリーズ20世紀の記憶 かい人21面相の時代 山口百恵の経験 1976-1988」

毎日新聞社 「20世紀事件史 歴史の現場」 毎日新聞社・編

未来社 「犯罪と家族のあいだ」 山崎哲

ミリオン出版 「別冊ナックルズ 昭和三大事件」 

友人社 「一冊で昭和の重要100場面を見る」 友人社編 

洋泉社 「犯罪の向う側へ 80年代を代表する事件を読む」 朝倉喬司VS山崎哲

らむぷ舎 「同時代批評 14」 

「創意工夫 江崎グリコ70年史」 江崎グリコ株式会社 

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Sharetube