大河ドラマ『西郷どん』の世界に触れる!同時代を生きた偉人たちのお勧め歴史本!

著者:
投稿日:
更新日:
2018年NHK大河ドラマ『西郷どん』でおなじみの西郷隆盛。日本人の多くが好む幕末から明治維新にかけての動乱の物語です。

この変革期においては数多の偉人、賢人、英雄が生まれました。西郷隆盛は維新の三傑の一人として、今でも人気の歴史上の人物です。

今回は大河ドラマの時代背景に触れるためにも、西郷隆盛とその関係の深い人物として、勝海舟徳川慶喜天璋院篤姫をテーマにした書籍をご紹介します。

1、西郷隆盛

西郷隆盛という人物像

西郷隆盛は明治維新を成し遂げた薩摩藩の中心人物の一人。現在の鹿児島県に位置する薩摩藩の下級武士の家で生まれます。

若き頃よりその才で頭角を現し、やがて藩主島津斉彬に見い出され、藩内の重臣として動乱の藩政を治めていきます。

幕末の動乱期、難しい藩政の舵取りを行い、当初は親幕府側として公武合体派の姿勢を取りますが、坂本竜馬を仲介として長州の桂小五郎らと盟約した薩長同盟を皮切りに、討幕派の急先鋒として戊申戦争を起こします。

鳥羽伏見の戦いに勝ち、徳川幕府を追い詰め、幕臣勝海舟との密談により江戸城を無血開城させるも、遂にはその勢力を一掃し、明治の新しい時代を作り上げます。

明治新政府では、これまでの実績、また人間的な魅力も相まって、参議や陸軍大将など要職を務め、明治天皇からも絶大な信頼を得ていました。

しかし征韓論と言われる武力制圧での朝鮮外交の方針に異を唱え辞職。政治の表舞台から姿を消し、故郷薩摩へ帰ることになります。


薩摩に帰った後、西郷を慕い集まった旧士族たちの、新政府への反感を制御するために私塾を開校します。

当時、明治維新の礎として戦った後、身分も仕事も無くなった旧士族たちは、新政府への反感が相当強く、西郷はこの一触即発の状況を憂い、農業や教育へ目を向けさせようとします。

しかし遂には塾生が新政府へ反旗を翻し挙兵します。西郷はその事実を知ると反乱軍へ合流し、大将として自らも武器を取り九州各地を転戦しますが、新政府の圧倒的な軍備の前に敗走。鹿児島県城山で自刀して果てることになります。


反逆罪の汚名を着た西郷ですが後に赦免され、その功績を称える有志達により、上野公園に銅像が建てられます。

明治政府は西郷の圧倒的な人気を政治利用することにより、旧士族の不満を抑え、第二、第三の西南戦争が起きないよう、西郷を神格化していきます。

絶大な人気と実力により、新しい世の中を築いた西郷隆盛は、死してなお、日本国民に大きな影響力を残し、今なお、親しまれています。

〇関連書籍紹介

・『西郷隆盛』池波正太郎

英雄の足跡からみる明治維新史『西郷隆盛』
class="item_add_between">
『西郷隆盛』は、時代小説家池波正太郎の描く、維新の英雄西郷隆盛の伝記的小説です。

幕末から維新、西南戦争での最期まで、動乱の幕末を西郷の目を通して描かれた傑作読み物です。

維新の三傑の一人、西郷隆盛は人情味に溢れた政治家として描かれ、片や三傑のうちの一人で同じ薩摩藩重臣の大久保利通は少し冷たくも見える合理的な政治家として描かれています。

いずれが良い悪いではなく、双方が理想の政治家像として比較される構図は現在の政治家を考えると興味深い考察です。

明治維新後、袂を分かつことになりますが、幼少から国を憂い、政治家として切磋琢磨していく二人の数奇な運命と押し寄せる時代の波。二人の英雄の生き方、歩んだ道に引き込まれる作品です。西郷隆盛の生涯を知る作品として一気に読める名作です。


・『話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく』長尾剛

西郷隆盛の言葉から人生の教訓を得る
『話し言葉で読める「西郷南洲翁遺訓」 無事は有事のごとく、有事は無事のごとく』は、西郷隆盛の遺訓をまとめた「西郷南洲翁遺訓」を現代語に書き換えた本です。

人生の教訓やビジネスマンの上司としてのあり方などを学べる作品です。

西郷隆盛の死後、旧庄内藩士が生前聞いた言葉などを、西郷を師と慕う有志がまとめたものが西郷南洲翁遺訓です。

原作は明治23年になりますので、古文で書かれていたものを現代風に書き換えています。

世紀の偉人、西郷の言葉が現代に蘇り、人生の教訓が学べる本です。

本書は、上に立つ者の心構え、政治とカネの問題、人生の道標、日々暮らしの心得といった群に分けた構成で、ビジネス論、リーダー論に留まらず、人の生き方を綴っています。

西郷のような無欲、公正な生き方をするのは難しいことですが、心に留めているか否かは、これからの人生を変えることに繋がるかもしれません。

西郷の言葉から座右の銘を探すのも面白い読み方、本との向き合い方だと思います。

2、勝海舟

〇幕臣勝海舟とは

勝海舟は幕末から明治維新にかけて活躍した、徳川幕府方の役人。西郷隆盛との会談で江戸城を無血開城し、大きな内乱を防いだ人物として称されています。

勝海舟は幼名麟太郎、徳川幕府御家人で江戸の旗本の家で生まれます。幼少より学問に秀でていて蘭学塾を開くほどでした。


蘭学の勉学中に交流した当時最高の頭脳といわれる佐久間象山に妹を嫁がせるほど敬服します。海舟という名は佐久間象山の書からとった号になります。

ペリーの黒船が来航した際に、幕府は今後の取る道を模索し広く意見を求めます。

この時、勝の意見書が認められ、政治の表舞台に登場します。その後、咸臨丸での渡米で見聞を広げたことから、机上の攘夷論に異を唱え海軍の重要性を説くようになります。

帰国後は海軍の設立に力を注ぎ、海軍学校などの設立に尽力します。

勝が目指した政治は公議政体論といわれ、それまでの徳川幕府の独裁政治から、諸藩を含めた合議制で行う政治を目指していました。


しかし薩長を始めとした討幕派に押されはじめ、遂には政治権を朝廷に返す大政奉還を迎えます。

その後も武力による徳川家討伐を目論む新政府軍に追い込まれますが、江戸城総攻撃の直前、新政府軍側の西郷隆盛と会談し、遂には江戸城無血開城による徳川家存続を勝ち取ります。江戸の町を戦火から救ったのみならず、主家である徳川家の滅亡も防いだことになります。

晩年は、新政府の大臣などに任命されますが、そのほとんどを辞退、または即時に辞任。

蟄居した徳川慶喜の赦免や、西南戦争で逆賊とされた西郷隆盛の名誉回復などに尽力します。

明治32年に亡くなるまで、旧幕臣の世話や明治の世に取り残された人々の保護などで一生を終えることになります。


〇関連書籍紹介

・『氷川清話』勝 海舟

歯に衣着せぬ勝海舟回顧録『氷川清話』

3、徳川慶喜

〇英雄か逆賊か。徳川幕府最後の将軍「徳川慶喜

徳川慶喜は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭の七男で幼名松平七郎麻呂として生まれます。

幼少からその才覚は抜きんでており評判も高く、10歳の時に徳川家御三卿のひとつ一橋家を相続し一橋慶喜を名乗るようになります。

その後、徳川家定が13代将軍となった時、次期将軍の跡目争いに巻き込まれます。薩摩、水戸などが推す慶喜と紀伊、井伊などが推す家茂です。

安政の大獄で知られる井伊直弼が大老に就くと、家茂派がこれに勝ち、14代将軍になります。この時慶喜は将軍後見職となり黒船来航からの攘夷問題など、実質幕府側の代表者として責務を果たし、家茂が病死すると遂に15代将軍徳川慶喜となるのです。


慶喜が将軍職に就いた時には既に時代は混沌を極め、参勤交代の緩和や海軍、陸軍の整備など大胆な改革を行いますが、幕府は衰退の一途を辿ることになります。

薩摩、長州などの討幕派は武力で徳川を滅ぼそうと暗躍し、慶喜はこれを避けるため260年続いた政治統括権利を朝廷に返上します。世に言う大政奉還です。

しかし時代の流れは止められず鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争が始まり、幕府軍は敗戦が続き追い詰められていきます。

慶喜は一貫して武力衝突を避けるために、朝廷への恭順を示し、江戸城を無血開城。その後自身も謹慎することになります。


以降政治には一切かかわらず、謹慎先の静岡で余生を送り大正2年77歳でその生涯を閉じます。歴代の徳川将軍で最高齢まで生きたことになります。


〇関連書籍紹介

・『最後の将軍―徳川慶喜』司馬遼太郎

明治維新を成し遂げた陰の立役者

出典:新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫)

司馬 遼太郎
物語は水戸藩徳川斉昭の子として生まれた時から始まります。幼少のころからいかに優秀で、いかに期待されてきたかを知ることができます。この頃は幕府終焉など予想もしていない時期ですので、徳川家の家督争いや、幕府内での権力争いが描かれていきます。

徳川家康の再来とまで言われ育った慶喜の優秀さが際立ってわかります。


黒船来航以降、幕府の権力に陰りが見え始め、慶喜は将軍後見役として様々な政策を行います。この頃の慶喜は攘夷思想だったようで、朝廷の攘夷派との調整や文久の改革と言われる人事や政務の改革を行っていきます。

これらを見ても慶喜はいかに政治的に優れた文官としての能力があったことがわかります。

将軍就任後も軍事改革として、「慶応の改革」という幕府最後の改革を行いますが、時代の歯車を止めることは出来ませんでした。

この頃の慶喜はフランスの軍備や文化に傾倒し、幕府軍もフランス式を用いるようになります。攘夷思想の持ち主が、異国の文化に触れ、開国派に変わっていく柔軟さは、やはり慶喜の才能を表していると思われます。


慶喜は諸外国の軍事干渉を危惧し内戦を阻止するために大政奉還を決断します。

その後江戸城受け渡しから謹慎蟄居まで、一途に国を思い、朝廷を奉る姿が描かれています。

徳川慶喜という人物は決して凡庸な将軍ではないことを著者は表現しているようです。

徳川最後の将軍にして明治の代を築いた功績は闇に葬られますが、その実像を探るためには必読の本といえます。


・『その後の慶喜』家近良樹

表舞台から去った最後の将軍
『その後の慶喜』は、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が明治維新後に蟄居してからの生活を描いた作品です。

歴史の表舞台にいた将軍慶喜を描く作品は多くありますが、晩年の慶喜の生活を描いた本作は、その人柄を探る貴重な資料です。


鳥羽伏見の戦いでの敵前逃亡や、それまでの慣習に捉われない行いで、明治維新を平和的に導いた英雄とも、凡庸な愚君とも言われる徳川慶喜

その人物像はとかくわかりづらい性格とされてきています。本作では官位を失った素の慶喜の言動から、人間の本質を探っています。

慶喜は明治維新後、静岡で政府の監視下の元、隠居しますが、その生活は実に優雅だったようです。狩りや絵画、写真など多趣味であり、なおかつその才能も豊かでした。

引退後、趣味に没頭して田舎で暮らすとは、まさに現代のサラリーマンが引退後スローライフをおくるようなものではないでしょうか。


元幕臣で函館戦争の首謀者だった榎本榎本武揚が、静岡の慶喜を訪ねた時には、慶喜自ら給仕を行い驚かせた逸話がありますが、食通としての慶喜も有名だったようです。

大正2年に亡くなるまで、実に約46年もの間おくった蟄居生活は、優雅に気楽に見えます。しかし、明治天皇に合うことを頑なに拒んだり、政治に関することは一切口にしなかったりなど、自分の存在が新しい明治の世に与える影響を考えての体裁だとしたら、慶喜の不思議な魅力が見え隠れするとも思われます。

4、天璋院篤姫

〇薩摩から徳川に嫁いだ篤姫の生涯

篤姫は徳川幕府13代将軍家定の正室。薩摩藩から将軍家に嫁いだ篤姫は、討幕の機運の中、稀有な人生を送ることになります。

篤姫は、幕末の名君で薩摩藩藩主、島津斉彬の従妹として生まれます。幼少より利発な子どもで、父の島津忠剛は、男子であればと嘆いたとも伝わります。

その後、徳川幕府より将軍家定の正室にと請われると、格式をあげるため藩主島津斉彬の養女として江戸に向かうことになります。

当時幕府内では次期14代将軍の相続問題で政権争いをしていたため、婚姻に反対する勢力を抑え込むために、さらに公家の右大臣・近衛忠煕の養女となり、遂に将軍の正室として大奥へ入ることになりました。


しかし、わずか2年足らずで家定は死去し、篤姫は落飾し、以後天璋院と名乗ります。

家定亡き後、14代将軍には家茂が就任することになり、家茂は公武合体政策を進めるために天皇の妹の和宮を正室に迎えます。これにより天璋院と和宮は嫁、姑の関係となったのです。

その名君と言われた家茂も早くに他界し、15代将軍慶喜へと移る頃には、時代は討幕の機運が高まっていきます。

慶喜は大政奉還をして薩長の討幕派から逃れようとしますが、鳥羽伏見の戦いが開戦し敗走。遂には徳川幕府存亡の危機に陥ります。

天璋院は実家である薩摩藩に対して、徳川家救済の嘆願を行い、新政府軍の江戸城総攻撃前に、西郷隆盛と勝海舟の会合を援助して、遂には無血開城で内戦を防ぐことになります。

明治維新後も、解体した大奥の元女中の就職や婚姻をあっせんしたり、助命がかなった徳川宗家の徳川家達の教育などに尽力します。薩摩へ帰ることも自ら断り、生涯徳川家の女として江戸で生涯を終えるのです。


〇関連書籍紹介

・『(新装版) 天璋院篤姫 (上)』宮尾 登美子

幕末を逞しく生きた女性リーダーの物語

出典:新装版 天璋院篤姫(上) (講談社文庫)

宮尾 登美子

篤姫は幼少の頃より聡明で、藩主島津斉彬の養女として徳川13代将軍家定に嫁ぎます。大奥での勢力争いや、病弱な将軍に妻として支えていく姿は、健気で逞しく、魅力的な主人公として描かれていきます。

薩摩から篤姫に同行し、世話役として大奥へ一緒に上がる幾島。家定亡き後、次期将軍の家茂へ輿入れしてきた皇女和宮などとの関係性は、現在の働く女性社会にも通じるものがあり、歴史物が苦手な方でも読みやすい女性の一代記です。

物語は薩摩を出て江戸へ向かうところから始まります。「一日に七たび色がかわるという桜島の姿を、寅刻に仰ぐのは今日が初めてで、そしておそらく、これが最後になるであろうと篤姫は思いつつ、老女の幾島に手を取られて庭に下りた。夜明けの桜島は、肩の辺りからほのかな桃いろに染まり、噴煙は線香のように細くまっすぐ立ち昇っている」(『(新装版) 天璋院篤姫 (上)』より引用)から始まる本作は、篤姫が出立する気持ちと、自然描写が独特の美しい文章で、一気に引き込まれます。篤姫の魅力が溢れる名作です。



・『最後の大奥 天璋院篤姫と和宮』鈴木 由紀子

徳川幕府存亡の危機を救った女性たち