「兄が妹を殺害しバラバラに。。。」渋谷区短大生切断遺体事件の「武藤勇貴」とは
東京都渋谷区の歯科医の娘、武藤亜澄さん(20)を、兄である勇貴容疑者(21)が殺害、死体を損壊させ遺棄した事件。
家族構成
父:武藤 衛 (62) 東京都渋谷区の歯科医母:(57)
長男:都内有名私大の歯学部
次男:武藤 勇貴 (21) 予備校生
長女:武藤 亜澄 (20) 短大生
武藤亜澄さんについて
東京都渋谷区の歯科医、武藤衛さん(62)の長女・短大生(20)
家庭については
「両親が歯科医のためおとなしくしていなければならない。
兄とは平行線の関係だ」と打ち明けていた
都内の芸能事務所に所属してい
亜澄さんの芸名は「高峯駆(たかみねかける)」
「両性的な雰囲気がいい」と自分で決めたという
癒やし系の女優になりたいと
演技やダンスのレッスンに励んでいた
演劇の舞台に出演する一方、より大きな活躍の場を目指し、
オーディションに十数回連続して落ちるなどの厳しさも味わった
「頑張れば結果はついてくる」と夢を追っていた
ドラマやグラビアのオーディションに何度も挑戦
初めて受けたVシネマで脇役をもらえたが、
以後は落ち続けた。「悔しさを表に出さなかった
短大を卒業するまでに結果を出そうと、地道に努力していた」
武藤亜澄さん出演作品
勇貴容疑者について
渋谷区短大生切断遺体事件の概要
2006年12月30日午後、歯科医師の両親と大学生の長男が帰省中となり東京都渋谷区の自宅の中で予備校生の次男(当時21歳)と短大生の長女(当時20歳)が二人きりとなっていた。二人は家族や生活態度などについて1時間に渡り話し続けたが、長女の「兄さんには夢がないね」という言葉で逆上し、加害者は木刀で被害者の頭を殴りつけた後にタオルで首を絞め殺害。さらにのこぎりで被害者の体を首や腕、脚の各関節部分を中心に15カ所でバラバラに切断した。翌日12月31日に次男は予備校合宿に参加していたが、出発前に帰省していた父親に「友人からもらった観賞魚のサメが死んだので、においがしても部屋を開けないで」と話すなど事件の隠蔽工作をしていた。2007年1月3日午後9時ごろ、母親が自宅3階の部屋で袋詰めの長女の遺体を発見。午後10時半ごろ、父親が警視庁代々木署に届け出た。1月4日になり、次男が死体損壊の容疑で逮捕された。1月15日に殺人の容疑で再逮捕された。
殺害された長女は家出経験があるなど自由奔放な面やはばからないところのある性格だったが、女優として舞台やVシネマに出演するなど努力家でもあった。兄は妹のことを家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずな人間と述べているが、妹の血を止めてあげる夢を見たなどの事も述べている。後に両親が次男をかばい長女を批判したとも取れる手記を発表し物議を醸した。両親は裁判でも弁護側証人として出廷している。
2008年5月12日、東京地方裁判所で行われた公判で、検察側は「完全責任能力があった」として、懲役17年を求刑した。同年5月27日に行われた公判では弁護側が主張した被告人が多重人格で死体損壊時は別人格であったということを認め、殺人に関しては有罪と認め、懲役7年、死体損壊に関しては無罪の判決が下された。しかし、2009年4月28日、東京高等裁判所で行われた2審判決では1審判決を破棄、さらには被告人の多重人格を否定し死体損壊の責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。
2009年5月9日、2審判決を不服として、弁護側が最高裁判所に上告、2009年9月16日、最高裁判所で2審判決を支持、上告を棄却、懲役12年が確定した。
事件時の家族の動き
12/30妻と長男、東北地方に帰省
出発の際、インターホン越しに亜澄さんと話す。
12/30 PM3:00頃
勇貴容疑者、亜澄さんを殺害
死体を切断
12/31 PM2:00頃
勇貴容疑者は、12月31日から今月11日までの予定で
神奈川県で開かれた予備校の合宿に参加予備校の合宿に行くため、
集合場所まで父親に車で送ってもらう。
勇貴容疑者は父親に
「友人にもらった鑑賞用のサメが死んでしまった。
においがするかもしれないが、部屋を開けないで」
と頼んでいた。
12/31
武藤衛(父親)東北地方に帰省。
1/2 深夜
武藤さんら3人が帰宅
1/3 PM9:00時頃
妻が異臭に気づき、遺体を見つける
1/3 PM10:00時頃
武藤 衛さんから「ビニール袋に入った遺体がある」と
警視庁代々木署に届け出
1/4未明
合宿先から勇貴容疑者に同行を求め、事情聴取。
追及したところ事件への関与を認めた。
殺害状況
洗面所で顔を洗っていた亜澄さんに対し、背後から木刀で頭を数回殴る
しかし、気絶した後で起き上がったので浴室に運び、
水を張った浴槽に頭を沈めひものようなもので首を絞める
遺体から着衣を脱がせ
頭髪、頭部、両腕、胸部、下腹部、両足などを
自宅にあった文化包丁とのこぎりで
関節部分で十数個に切断
二重、三重にしたごみ用ポリ袋4袋に分けて口を結んで、
自宅3階の自分の部屋のクローゼットへ3袋、
キャビネットへ1袋に分けて隠す
胸部と下腹部は切り取られ
流し台のディスポーザー(生ごみ処理機)で処分する。
切断に使ったのこぎりと文化包丁は洗い元の場所へ戻し、
返り血を浴びた着衣は洗濯
遺体を切断したとみられる風呂場、
2階廊下の床などに付着した血痕をふき取る
遺体の切断の際、胸を切り取る
犯行後に、予備校の合宿さきへ
妹の下着を持ち出す
武藤勇貴容疑者の供述
「親に『受験生なんだから』と言われ続けていた」「家族から(1人前と認められず)受験生扱いされることが不満だった」
「いつのころからかはっきりしないが、仲が悪くなった」(妹との関係について)
「3年ぐらい家の中でもお互いを避け、話をすることもなかった」
「妹から『私には夢があるけど勇君にはないね』『勇君はしっかり勉強しないから夢がかなわない』となじられた」
「『勉強をしてもどうせダメだ』と言われたと思い、頭にきてやってしまった」
「洗面所で顔を洗っていた妹の背後から木刀で2回頭を殴り、さらに首を絞めた。本当に死んだか不安だったので浴室に運び、水をはった浴槽に頭を沈めた」
「遺体をバラバラにして捨てるつもりだった」
「流し台のディスポーザー(生ごみ処理機)で処分した」(切り取った乳房について)
「洗って血を流した」(のこぎりと文化包丁について)
「着ていた自分の服を洗濯した」
「犯行後に妹の下着を持ち出し、合宿所に持って行った」
覚せい剤の関与
3浪の兄が妹をばらばらに殺してしまった事件も、直前に覚せい剤類似物質(抗うつ薬)をとっていたし、恐ろしい。妹にしてみたら兄弟げんかもできない。「夢がないね」ぐらいのことは誰でもいうセリフである。
出典: 最近の猟奇的事件の背景には覚せい剤類似物質(新型抗うつ薬)...
猟奇的殺人事件のニュースを見ると、たいてい、その犯人の方が、その直前に、精神科に通って、新型の抗うつ薬(覚せい剤類似物質)をとっていることがわかりはじめる。というか、ほぼ、最近の猟奇的な事件の場合、100%そうである。そして、事件後に逮捕されて、最初は冷静だが、そのうち、覚せい剤類似物質(抗うつ薬)が切れ始めて、われに帰って自分のやったとんでもないこと(殺人)に気づき、わんわん泣くのだろう。この新型の抗うつ薬が、覚醒剤に類似した化学構造をもつ物質であることを報道するところは「ほとんどない」と言ってよい。報道に巨大広告代理店の電通から圧力がかかるからだ。
歯科医一家武藤家
武藤兄妹の一家は両親と二男一女の五人家族で、典型的な歯科医一家であった。両親は共に歯科医である。父方の祖父も歯科医で、祖母も歯学部の出身者であったらしい。母方の祖父母は共に歯科医である。渋谷区にある武藤歯科医院はこの母方の祖父の開業した物であるらしい。父親の衛はこの自宅兼歯科医院で歯科医を勤め、母親は別に某ホテル内で歯科医を開業していたらしい。
長男は事件当時、歯学部に五年生として在学していた。おそらく、武藤歯科医院の跡継ぎとして期待されていたと思われる。
加害者となった次男、武藤勇貴はやはり歯学部への進学を目指し、三浪中だった。予備校(医歯薬獣医学部専門予備校メディカルマインド)の歯学部コースに通っていたという事で、この授業料は年間300万円、逮捕時に参加していた強化合宿の参加費用も12日間で60万円であったという情報もある。
被害者となった武藤亜澄は、祖父母、両親、二人の兄がいずれも歯科医師であったり歯科医師を目指して勉強していたりという家族の中にあって、ただ一人、東海大短期大学部情報・ネットワーク学科に通い、同時に東京都内の芸能事務所、キャンパスシネマに在籍、高峯駆の芸名で芸能活動をするという、他の家族とは全く異なる人生を歩んでいた。
現在のところ、武藤兄妹の両親の生育歴、生活史についての資料は殆ど無い。自宅を兼ねていた歯科医院は母方の祖父の開業した医院であるらしいが、父親が婿養子となったのか、マスオさんをしていたのかも不明である。ただ、母方の祖父の歯科医院を父親が継いだという事は、母親は一人娘か、兄、弟のいない長女であった可能性が高い。最も重要な事は、両親が共に、歯科医師の親から生まれて育てられた歯科医師であるという、職業、社会的なステイタスの継承という人生を歩んできたという事である。歯科医師になるべく、歯科医師である祖父母に育てられた武藤家の両親は、ある意味で当然のように、自分の子供達にも将来、歯科医師になるという子育てをしていたのではないかと考えられる。
おそらく、長男は最初から両親の歯科医院を継ぐ事を期待されていたであろうし、その期待に答える形で歯学部に進学しており、そのまま現在も在学しているのなら、歯科医師の免許を取るのもそう遠い将来の事では無いだろう。親にとっても子供にとっても、将来は歯科医になるのが当然という思いこみの中で育て、また育てられてきた事は想像に難くない。それは、親子が人生設計を熟慮の末に決定した結果と云うよりも、考えるまでもなく当然の子育てと将来の進路という物ではなかったかと私は想像する。歯科医になるべく歯科医に育てられた両親が、その連鎖、その反復として自分の子供も歯科医になるように育て、子供の方も当たり前の事として歯科医を目指していた……そういう事ではなかったかと私は思う。
医療関係者の中でも、歯科医師という仕事は、例えば、普通の医師が、外科、内科、小児科、皮膚科、精神科、耳鼻科といった診療科目を一通り研修医としても体験してからそれぞれの専門分野を選択するという事とは違って、医師の中でも特殊な技術職とでもいう職種であって、ある意味、職人が代々その職を継承していくような家族関係が作られていたのかも知れない。
三人の子供達の中で、長男は、その当然の人生としての歯科医師の将来を選択して順調にその道を歩み、末っ子の長女、事件の被害者となった亜澄は、全く無関係な進路へと進もうとしていた。亜澄があえて歯科医一家に暗黙の了解としてあった、歯科医師業界での人生を拒絶したのかは後にまた考えたいが、最も微妙な立場にいたのが、加害者となった次男、勇貴であったと考えられる。彼は、歯科医師になるのが当然という武藤家の暗黙の了解に従って歯科医師を目指していたが、歯学部への受験は三度にわたって失敗していた。兄のように両親の敷いたレールに乗っかる事も出来ず、かと云って、妹のように、全く別の選択をする事もしなかった。
事件の加害者と被害者になった兄と妹は、歯科医一家の暗黙の了解の中で、それぞれにストレスを抱えていたと考えられる。
「亜澄が謝ってさえいれば…」妹バラバラ殺人、両親が手記
亜澄さんの両親が手記を発表しました。東京都渋谷区の自宅で短大生、武藤亜澄さん(20)が切断遺体で見つかり、殺人容疑で次兄の元歯学予備校生、勇貴容疑者(21)が逮捕された事件で、歯科医の両親が24日、現在の心境をつづった手記を弁護士を通じて公表した。手記では、勇貴容疑者が警視庁に「(亜澄さんと)3年間口をきかなかった」と供述したことについて、「兄妹の関係は決して険悪ではなかった」とし、勇貴容疑者の一日も早い更生を願う思いがしたためられている。全文は以下の通り。
この度は息子勇貴の事件によって、世間の皆様に対し、大変なご心配をおかけしお騒がせ致しましたことを、紙面をお借りして心よりおわび申し上げます。
私ども家族にとりましては、事件を知ったこの正月3日から今日まで、正直申し上げ、どのくらいの日時が経ったものか、正確には考えられない精神状態でございます。
娘亜澄の死亡と二男の凶行とがどうしても結びつかないということが、私ども家族の苦しみ悩むところでございます。家族でさえこの情況でありますから、世間の皆様にはご理解できないことはなおさらのことと存じます。
事件から約20日が経ち、警察のお調べが進むにつれて、事実については少しずつ解明されてきていますが、なぜ息子があれほどまでの凶行をしてしまったのかという点につきましては、いまだに理解できないのです。
しかし、時間の経過にともない、おかげさまで少し落ち着いて考えることができるようになりましたので、現在の心境を少ししたためさせていただきます。
そこでまず、亜澄と勇貴の関係についてですが、「3年間も口をきかなかったような冷たい関係」と報道されていますが、それは若干事実と違います。亜澄が在籍していた短大の入学についても、勇貴が懸命にパソコンで探し当て、やっと入学期限に間に合ったという経緯からも、兄妹の関係は決して険悪というものではありませんでした。
しかし、亜澄の他を顧みない自由奔放な性格と言動は、家族から理解されていなかったのは事実です。
こうした亜澄の生活態度を見ているうちに、亜澄と1歳しか違わない勇貴は、妹が両親を悩ます元凶と思い込むようになったのではないかと思います。
また勇貴の性格ですが、優しく、家族に対し暴力をふるったりするようなことは1度もありませんでした。しかし、残念なことに、妹の亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供でした。
とはいえ、2人とも私たちにとってはかけがえのない子供たちです。今となっては、なぜあのとき、亜澄が「ごめんなさい」と兄に謝ってくれなかったのか、もし、謝ってさえいてくれれば、兄も我に返り、このような凶行に至らずに済んだのではないか…、と今さらながら詮無い繰り言を繰り返す日々でございます。
今後私ども夫婦は、生涯にわたり亜澄の霊を弔うとともに、勇貴が1日も早く更生できるように支え続けたいと考えております。
どうか皆様、私たちがもう少し心の余裕が持てるまでお時間をいただきたく、伏してお願い申し上げ、本手記をお届けさせていただいた次第です。
報道
タブロイド紙や週刊誌はその猟奇性をこぞって取り上げ、次男の異常性を強調するような報道を行っている。また、被害者は兄と義理の妹との「禁断の愛」をテーマにしたVシネマに出演していたため、週刊誌などでは近親相姦の話が出回ったが、この話について宮崎哲弥はそれはないだろうと個人的見解ながら否定するコメントを残している。家庭内で父や兄にドメスティックバイオレンスを受けたという一部報道もあったが、いずれも肝腎とされる出典はあやふやであるため、臆測の域を出ない情報が多く、情報は錯綜していた。さらに直後に起こった新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件と比較する報道も確認されている。
これらの問題について警察は2月5日に起訴を行った際、週刊誌などで報道されたような性的趣味や死体趣味は一切ないと言う発表を行った。
警察による不祥事
警視庁は2月9日、凶器として押収された木刀、のこぎりと家族が着ていた衣類2点の重要証拠品4点を紛失したと発表した。1月6日に捜査一課の捜査員がゴミと間違えて処分してしまい、翌日紛失に気づいたという。しかし裁判では代替品を用いることにするとして、多少の損失はあるが大きな問題はないとされている。
裁判
東京地裁判決公判東京都渋谷区の短大生、武藤亜澄さん(20)自宅で殺害、切断された事件で、殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元歯科予備校生、勇貴(23)の判決公判が2008年9月27日、東京地裁で開かれた。
秋葉康弘裁判長は殺人については有罪を認め、懲役7年(求刑懲役17年)を言い渡した。損壊については無罪とした。
2007年7月に始まった裁判で最大の争点となったのは勇貴の責任能力。
弁護側が「犯行時は心神喪失か心神耗弱だった」と主張し精神鑑定を申請、秋葉裁判長が実施を決めた。鑑定のため、2007年9月5日の第3回公判後、約半年間にわたり中断した。2008年3月24日の第4回公判で鑑定結果が報告された。
鑑定医の牛島定信・東京女子大教授(精神医学)は
「勇貴は生来のアスペルガー障害、中学時代に発症した強迫性障害に加え、犯行時には解離性同一性障害(多重人格)を発症していた」と指摘。「被害者の挑発的な態度で人格内部に隠れていた自分でも認識していない部分が爆発して犯行に及んだ」とした。
そのうえで「殺害時の責任能力は著しく限られており、遺体損壊時には解離性同一性障害を引き起こしていて責任能力はなかった」と結論づけた。
勇貴は公判の中で、殺害時の心情を「ドライな感じ」と表現。犯行時の記憶について「ほとんど覚えていない」などと供述していた。
裁判長に深々頭下げ
「懲役7年に処す。死体損壊については無罪」。秋葉裁判長が主文を告げると、勇貴は深々と一礼した。「失礼します」ともう一度お辞儀をして被告席に座ると、握りしめた拳をひざの上に置きじっと判決理由に聴き入った。表情を変えることはほとんどなかった。
最後に秋葉裁判長が「謝罪の気持ちを持ち続けながら前向きに生きてほしい。それが妹の死に報いることだと思います」と言葉をかけると、無言でうなずいた。
閉廷後、宮川泰彦・主任弁護人は「(死体損壊を無罪とした点は)率直に評価したい。控訴するかどうかは、本人と家族とも相談して決めたい」と語った。
死体損壊無罪の1審不服で東京地検が控訴東京地検は2008年6月4日、死体損壊について無罪とし、殺人罪で懲役7年(求刑・懲役17年)とした1審・東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。
弁護側も控訴
弁護側は2008年6月6日、東京高裁に控訴した。
控訴審(2009年4月)
渋谷妹バラバラ殺人控訴審。1審を破棄、懲役12年判決
殺人と死体損壊の罪に問われた次兄の元予備校生、勇貴被告(24)の控訴審判決公判が28日、東京高裁で開かれた。阿部文洋裁判長は、死体損壊罪を心神喪失で無罪とし、殺人罪については完全責任能力を認め懲役7年を言い渡した1審東京地裁判決を破棄、死体損壊罪についても責任能力を認め、懲役12年を言い渡した。
1、2審を通じた争点は勇貴被告に犯行時、責任能力があったか否かだった。1審では鑑定医が精神鑑定で「解離性同一性障害などにより殺害時は心神耗弱、遺体損壊時は心神喪失状態」との見解を示した。検察側は「証拠隠滅工作をするなど死体損壊時にも完全責任能力があった」と主張。弁護側は「殺害時も責任能力はない」と全面無罪を訴えていた。
2008年5月の1審判決は死体損壊時を「本来の人格とは別の獰猛な人格状態にあった可能性が高い」として、刑事責任が問えない心神喪失状態とした。一方で殺害時は、「精神障害の影響で怒りを抑える力が弱まっていた」としながらも、直前まではトラブルもなく日常生活を送っていたことから「責任能力に影響するほどではなかった」とし、完全責任能力があったと結論付けた。
被告側の上告棄却(2009年9月)
元予備校生、武藤勇貴(24)の上告審で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は武藤勇貴被告側の上告を棄却する決定をした。殺人罪のみ認め、死体損壊罪は無罪として懲役7年を言い渡した1審判決を破棄、両罪の成立を認定し、懲役12年とした2審東京高裁判決が確定する。決定は15日付。
1審東京地裁は、死体損壊罪は心神喪失で無罪とし、殺人罪のみ責任能力を認めて懲役7年(求刑懲役17年)としたが、2審は一貫して責任能力があったと認定して1審判決を破棄、懲役12年を言い渡していた。
最終陳述
《最終弁論が終わり、勇貴被告の最終陳述に移る。証言席にゆっくりと歩き出す勇貴被告の表情はこれまでと変わらない。淡々とした様子で、裁判長に相対した》裁判長「座ったほうがいいですか?」
勇貴被告「立ったままで結構です。述べたいことは3つあります。まず妹への思いから述べさせてください。妹は反抗挑戦性障害という病気のせいで、周囲となじめませんでしたが、女優という素晴らしい夢を持っていました。しかし、その夢は兄である僕によって殺されることで、踏みにじられました。僕は本当の意味での償いをしていかないといけません。一生かけて償っていきたいです」
《これまで法廷でほとんど動きがなかった勇貴被告だが、意外にもその声は、はっきりと法廷内に響いた。丁寧すぎる口調が逆に無機質さを醸し出しているようだ》
「次に僕のことを述べさせていただきます。妹は僕のことを『あずみんの勇君』と呼んでいました。妹が天国で『あずみんの勇君はこんなに立派な人なんだよ』と自慢できるような立場の人間に、僕はならないといけません。もし、そのような人間になることができたら、妹は反抗挑戦性障害という病気に気づかれず1人で苦しんでおりましたが、同じように誰からも気づかれず認めてもらえず、1人で苦しんでいる方々に少しでも手助けできるかもしれません。そうすれば、妹も喜んでくれるし、騒がせた世間や迷惑をかけた人への償いととっていただければ幸いと思います」
《自分が殺害した妹と「同じ病気」の人を助けたいとする思いを、感情を込めてよどみなく話す勇貴被告。法廷は静まり返っている》
「最後に、捜査段階での優柔不断な態度が、円滑な審理を妨げたことを深くおわびします。まことしやかに推論を述べず、分からないことは分からない、覚えていないことは覚えていないと強く申し上げねばならなかったと考えています」
「捜査での調書が、さも自分で結論付けたように弁護人に話したことが、円滑な審理を妨げる要因になったと考えています。申し訳なく思っています。この場を借りておわび申し上げたく思っています。まことにすみませんでした。ご静聴ありがとうございました」
《裁判長に向け深々と頭を下げた勇貴被告。締めの言葉も「優等生」的な一言だった》
《裁判長に「(弁護人の前の被告人席に)戻ってください」と指示されると、勇貴被告は「ありがとうございました。失礼します」と応じた。裁判長は判決公判を5月27日午後1時半に開くことを告げ、公判は午後2時32分に終了した》
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