【キンプリ岩橋玄樹】パニック障害とは|治療法|知る事によって伝染する症状
連日放送されている、「キンプリ」ことKing&Princeの岩橋玄樹君(21)のパニック障害による活動休止により、パニック障害自体も取りざたされています。過去にもパニック障害だと自ら告白した有名人・芸能人、またはマスコミによって暴露された芸能人も多くいます。その陰で、実は大きな問題が起こっている事は残念ながら報道されたことはありません。更に、自分自身が巻き込まれている事を知らずにいるパニック障害者が殆どなのです。
報道されている内容の問題点
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テレビ・ネットなどで見る13の症状
● 心臓がドキドキしたり、脈拍が増加する● 手の平や、全身に汗をかく
● 体や、手足がふるえる
● 息切れ感や、息苦しさを感じる
● 窒息感、または喉(のど)が詰まった感じがする
● 胸の痛みや圧迫感、不快感がある
● 吐気や腹部の不快感がある
● めまい、ふらつき、または気が遠くなるような感じがする
● 現実感が失われ、自分が自分ではない感覚が起こる
● 自分をコントロールできなくなる恐怖や、気が狂う恐怖に襲われる
● このままでは死んでしまうという恐怖を感じる
● 体の一部にしびれ感や、うずきを感じる
● 冷たい感じや、ほてった感覚がある
この内4つ以上当てはまる方は、パニック障害の可能性が高い?
「この内4つ以上当てはまる方は、パニック障害の可能性が高い。」とテレビやネットでは当然のように伝えていますが、例えば緊張する場面に立った時はどうでしょう。また、体調が悪い時はどうでしょう。ほとんどの人が度々経験している項目が幾つもあります。
実はこれ以外にももっとあるパニック障害の症状
敢えて詳しい事はお伝えしませんが、多く報道されているパニック障害者の行動の特徴についてお話します。パニック障害になると先ず「乗り物に乗れなくなる」「人が大勢いる場所に行けなくなる」「パニック発作が起きた場所を回避するようになる」というのが圧倒的に多い行動パターンです。
しかし、交通機関の利用が出来なくなったり、人が大勢いる場所に行けなくなる事も全て、その症状は人それぞれなのです。ある方は「飛行機とタクシーは乗れるけれど電車とバスが乗れない」「バスと電車は乗れるのに地下鉄が無理」といった風にです。「結婚式は出席できないけれどお葬式には行けた」「駅は大丈夫だけれど一番行きたい病院の待合室が無理」と言う方もいます。
パニック障害は自分に当てはめていけば行くほど不利
細かい例を挙げるとキリがないほど症状はたくさんあります。パニック障害を患っている方・完治した方のブログや、実際に患者さんに訊くと驚くような症状に出会います。パニック障害は勿論伝染病ではありません。しかし、この誰かの体験談や自分の知らなかったパニック障害の症状を知った事をキッカケに同じ症状が出てくる方が非常に多いのです。
例えば、それまで電車に乗れていたのに、報道や他の情報で「電車のドアが閉まった途端逃げられない恐怖感に襲われる」と知識を得た方が、それから電車に乗れなくなった、というように、まるで症状だけが伝染する事がよくあるのです。他にも「○○が食べられなくなる」と知った途端同じものが食べられなくなるケースも多くあります。ですので、あまり深く追求せず、「その方の症状」とだけ受け止める事も自身を守る大事なポイントと言えると思います。
パニック障害を発症する方の特徴
出典:Amazon 今回キンプリの岩橋君がパニック症状が悪化したのは、自身の限界を超えた露出の増加によるものと報道されています。おそらく、毎日、毎時が緊張尽くめだった事でしょう。「病を克服し、今よりもたくましい岩橋玄樹になって必ず戻ってきます」とメッセージを残していますが、社会復帰の際に彼が選ぶ道は、表舞台に立たず才能を活かす道を選択する事ではないかと考えます。報道関係者が騒げば騒ぐほど復帰への道は遠くなり、アン・ルイスさんの様に芸能活動を止め日本から離れる方も居ます。 岩橋君の場合10年以上のパニック歴がある中で「今よりもたくましい岩橋玄樹になって」と語るには、辛すぎるものがあります。それほど軽々しく口にできるセリフではない事を自身も当然解っていた筈です。 表舞台だけが芸能界ではありませんし、芸能界だけを選択しなくても良い若さがあります。治療していく中で自身のスキルアップを図りいつかどこかでその名を見たいと期待しています。 ゴールデン☆ベスト アン・ルイス 1982~1992
治療方は自分次第「自力で完治した母の記録」
最後に。パニック障害になった母の生活はうつ病にまで発展していきました。毎日、家中のカーテンを閉め切り、30分毎に手を洗い、外との接触を断ちました。元々、教育関係で働き、講演会などを開いている、先程の「公の場に出ることが多い人」に当てはまる生活をしていましたが、本人曰く「極度のあがり症」だと思っていたいう事でした。多くの結婚式でもスピーチをしてきましたが、倒れそうなほど真っ白な状態になり、事前にビールを飲んで勢いを付けようにも手と膝が震えてビールを飲むのも困難な状態だったとか。遂に、てんかん発作を起こして病院に行く事になるのですが、治療は柔らかい言葉のやり取りをするカウンセリングと投薬治療でした。
薬は眠剤と精神安定剤です。普段薬をあまり飲まない母にとって効果がありましたが、1日3度飲む安定剤は不安感や緊張はなくなるものの、「1日中ぼーっとなる。それだけだった」との事。毎回同じようなカウンセリングと同じ薬、そして思考力さえも湧いてこないほどの眠気。「こんなものに人生を奪われてたまるか!」思い立った母はその場で薬を全て捨て、病院へも行かなくなりました。カーテンを開け、30分に1度の手洗いも日毎に減っていきました。
出来る事と出来ない事、やりたい事とやりたくない事の書き出し
それから母は、出来る事と出来ない事、やりたい事とやりたくない事の書き出しを始めたのです。やりたくない事は一切やらず、ひとつでも出来る事・やりたい事があると、たとえ出来なくても良いからやってみる。というものでした。昨日駅まで行けたのだから、今日は駅の構内までは入れる筈。構内まで入れたのなら、一駅先まで行ける筈。隣駅、次の駅まで父が迎えに行く事もしょっちゅうありましたし、救急車で病院に搬送されたこともありました。
けれど、講演会などはキッパリと断り、書き物仕事に移行していったのです。
その内、父が迎えに行く事も病院から連絡が来ることもなくなりました。家族が協力したのは、本人が何か言ってくるまで放っておく事、それだけでした。文字にするとこんなに短く、簡単なように思えますが、おそらく並大抵の事ではなかったと推察します。
ただ、これが全ての方への正しい治療法だとは考えられません。出来る事と出来ない事、どうやってパニック障害と向き合っていくか?その方針をどうやって決めるか、ここに突破口があるのではないか、と思います。
最後までご覧頂きありがとうございました。ギンアンコ。