【サイコパス】北九州監禁殺人事件 死刑囚松永太の現在【閲覧注意】

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北九州監禁殺人事件とは

北九州監禁殺人事件とは、2002年3月から福岡県の北九州市小倉北区で発生した事件。

死刑囚:松永太

受刑者:緒方純子

被害者7名

事件の相関図(敬称略)

少女(1984年 - )

松永と緒方に虐待され、2002年に脱出した少女。

松永、緒方の息子2人を含めた4人の子の子守役をしていた。一連の事件解明における最重要証人ともいえる。


虎谷久美雄(1961年 - 1996年)少女の父。1番目の被害者。

元不動産会社勤務。松永、緒方と同学年。


緒方誉(1936年 - 1997年)緒方純子の父。2番目に死亡した。

農協系土地改良区副理事。


緒方静美(1939年 - 1998年)緒方純子の母。3番目に死亡した。主婦。久留米の農家出身。良妻賢母だが、気丈な性格。
緒方理恵子(1965年 - 1998年)緒方純子の妹。4番目に死亡した。歯科衛生士。

結婚前に妊娠中絶経験をし、結婚後も職場不倫をするなど複数の男性と肉体関係があった。

松永による支配下における外出では主に買い物役を担当。


緒方主也(1959年 - 1998年)緒方理恵子の夫。5番目に死亡した。

農協系土地改良区事務所職員。4月生。久留米市出身。実家は農家で次男。高校卒業後に千葉県警警察官になるも、父親の看病を機に退職して実家に戻り農協の職員となる。

1986年に婿養子という形で緒方理恵子と結婚。


緒方彩緒方理恵子と緒方主也の長女。小学生。

7番目に死亡した。


緒方優貴緒方理恵子と緒方主也の長男で緒方彩の弟。保育園児。6番目に死亡した。

北九州監禁殺人事件 概要

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と被告人男女を厳しく非難した。2011年12月、最高裁判所によって主犯Xの死刑と共犯Yの無期懲役が確定した。

非情な残虐性・悪質性にもかかわらず、事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。当初は地元の報道機関を中心に報道をしていたが、途中から報道機関が自主規制して報道量が少なくなり、全国の報道機関での集中報道に結びつかなかったといわれている。報道量が少なくなった理由としては「あまりにも残酷な事件内容のため表現方法が極めて難しいこと」「家族同士が殺しあった事件の性格から被害者遺族がメディアに積極露出をして被害を訴えづらいこと」があるとされている。

出典:北九州監禁殺人事件 - Wikipedia

	

松永太の生い立ち

松永太

犯罪者は生まれたときから犯罪者だったのか?

サイコパスは常人よりもIQが高いことで知られているが、松永太の場合はどうだったのだろうか。

出生

1961年(昭和36年)4月28日、北九州市小倉北区に長男として生まれる。

松永が7歳の頃、畳屋を営む両親が実家の布団や販売業を引き継ぐため柳川市に転居した。

経済的には裕福な家庭であり、母親と祖母に甘やかされて育った。


学生時代

小学生の頃はほぼ成績が"5"であり、統率力があったため学級委員長や生徒会役員を務めていた。

中学1年生の時には校内弁論大会で優勝し、男子バレー部ではキャプテンを務めていた。

リーダー的存在で取り巻きがおり、その取り巻き達に悪さをさせていたという。

しかし当時から松永には虚言癖があり、そのためか教師からの信用は低かった。

家庭訪問も両親が拒否するため、担任教師は松永の両親がどんな人間か知る由もなかった。

高校は緒方純子と同じ学校に進学し風紀委員長になるが、三年時に不純異性交遊が発覚して男子校に転校させられた。

転校した先の学校でも風紀委員を担当することになる。


社会人

高校を卒業後松永は福岡市内の菓子店に入社。入社後10日程で退職し、実家の布団販売業を手伝い始める。

その後数年で結婚し、一児を儲けている。

親から譲り受けた3年後、自宅を本店とする有限会社にし、2年後には自宅敷地内に自社ビルを新設した。

その翌年、有限会社ワールドを株式会社として設立する。

松永は1992年に指名手配されるまで詐欺商法を繰り返していた。

ワールドでは従業員に対して虐待、通電をし恐怖で支配していく。

このワールド時代に松永は少なくとも1億8千万円荒稼ぎしていたと考えられる。

1980年に結婚して1男をもうけるが、1992年に前妻と離婚。その後に緒方純子と2男をもうける。

本人の供述によると緒方純子と付き合い始めたころも10人ほどの愛人がいたという。

緒方純子の生い立ち

出生

1962年(昭和37年)2月25日、久留米市安武町に生まれる。

実家は農家で、祖父が元村会議員、父親は農協の関連団体の理事を務めた名家であった。

両親は厳格で真面目、悪評もなく父親は人望も厚かった。母親は良妻賢母として評判だった。

緒方純子には妹がおり、2人姉妹であった。


学生時代

生真面目な両親から厳しく育てられたが姉妹は反抗することなく、純子は高校時代男性と交際することもなかった。

両親に叱られるからと言う理由で当時流行っていた制服のスカートをロングにはしなかった。

短大一年生の頃、松永太からもらった一本の電話をきっかけに彼女の人生は流転していく。


社会人

短期大学卒業後、幼稚園教諭となった緒方純子は後に松永の内妻となり、緒方は1993年1月に長男を、1996年3月に次男をそれぞれ出産している。

本人は子供好きな正確だったが、松永との子供には躾と称して虐待をおこなっていた。

松永太と緒方純子の出会い

1982年、緒方受刑者が18歳のころに松永死刑囚からかかってきた電話で人生の全てが変わってしまった。


松永死刑囚は高校の卒業アルバムを見て緒方受刑者に会いたいと電話をかけてきた。当時妻がいながら、「君の写真が目に留まって、思わず電話してしまったんです」と語ったという。


その後、数年に渡って何度か会う中で、2人は男女の関係になった。


緒方受刑者は裁判で「恋愛に溺れてはいけないと自制はしていました。不倫関係ですし、私はいずれは養子を迎えて、家を継がないといけないことも自覚していました。でも、親が養子縁組した相手と結婚するまでに、一度くらいは恋愛経験をしてみたいという思いもありました。松永に対する恋愛感情が段々大きくなっていって、自制心が薄らいでいきました」と語っている。


緒方受刑者の両親は、不倫関係だった2人の交際を当初認めなかったが、松永死刑囚の得意の話術などで次第に好印象を抱くようになっていく。


松永死刑囚はわざわざ婚約確認書を作成し、両親に渡したりしている。しかし、その直後から2人の関係に変化が起こりだした。

出典:北九州監禁殺人事件の全容。7人殺害した犯人の素顔

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緒方受刑者は、松永死刑囚に言われるがまま、親戚や友人に嫌がらせの電話などをかけ、関係を断たせられる。「なんとかして信用してもらいたい。自分が信用されないのは自分が悪いからだ」と裁判で言っていたように、松永死刑囚のマインドコントロールの下に置かれていくようになる。


松永死刑囚はそれをいいことに、「自分に愛情があるのなら体に印をつけてもいいだろう」とタバコの火で緒方受刑者の胸に“太”と自分の名前を書き、太ももにも同じ刺青を入れるなど、卑劣な行為を続けた。


松永死刑囚の暴言と暴力は、会社の従業員達に対しても行われた。のちに事件でも頻繁使われることになる、家庭用コンセントに繋いだコードの先を裸にして、ワニ口クリップを繋げた装置を体につけて電気を流す『通電』も始められた。しかし、暴力などに耐えられなかった従業員が1人消え、2人消え、さらには粗悪品の布団は売れなくなり、会社の経営は傾いていく。


すると松永死刑囚は、知り合いやその親戚から金をだまし取ったり、消費者金融などから繰り返し借りさせたりして、金を集めた。緒方受刑者も指示を受けて同様に金を騙し取り、とうとう2人は詐欺と脅迫容疑で指名手配されることとなった。


そんな折に緒方受刑者に子供が生まれた。当時の気持ちを法廷でこう話していた。

「子どもが生まれたことで自首をして身を潔白にしたいという気持ちより、松永死刑囚と一緒に時効まで逃げ続けようという気持ちの方が強くなりました」


2人は警察から逃げ、生活をするために元従業員から金をだまし取ったり、以前交際していた既婚女性を結婚詐欺にかけて離婚させた上で金をだまし取ったりした。


その後、その女性は死亡。2人は警察から事情聴取を受けることを恐れ、逃亡した。


しかし、逃亡を続ける中、7人が殺害される事件が起きていく。

出典:北九州監禁殺人事件の全容。7人殺害した犯人の素顔


松永死刑囚は偽名を使って一流メーカーで働く優秀なエンジニアを演じ、投資話を持ちかけた。それに男性は取り込まれた。


松永死刑囚は、男性の妻に対する不満などを聞いては煽り、別居させ、過去に犯した悪事などを書面にするなどして弱みを握った。男性は当時8歳の娘を連れ、彼らと共同生活をはじめるようになる。この娘は17歳になり逃走するまで、9年間を2人と過ごすこととなる。


しかし、同居が始まると、松永死刑囚と緒方受刑者は、男性の行動に難癖をつけては“通電”などの暴力を始めた。体をペンチでつねる、殴る、剣道のそんきょの姿勢や長時間の起立。食事はラードを乗せた白米のみで、浴室に閉じ込め、真冬に冷水のシャワー、睡眠時間の制限などありとあらゆる虐待を加えた。


そしてその虐待は当時8歳だった男性の娘にも行われた。


男性と娘は虐待に次ぐ虐待で、松永死刑囚のマインドコントロール下に置かれ、口止め料・慰謝料・娘の養育費などと様々な名目で、多額の金を要求されるようになる。男性は消費者金融や親、知人などから借金して金を渡し、その総額は少なくとも1083万円にのぼった。


虐待を続けられた男性は次第に衰弱し、共同生活をはじめて1年4か月後、1996年に死亡した。享年34歳だった。


松永死刑囚は緒方受刑者に、遺体をバラバラに解体させ、刻んで捨てさせた。


この行為について松永死刑囚は「私は解体の構成に関わり、プロデュースしました。設計士がビルを建てるのと同じですよ。私の解体方法はオリジナルです。魚料理の本を読み、応用し、佃煮をつくる要領でやりました」と語っている。

出典:北九州監禁殺人事件の全容。 7人はどのように殺害されたのか...

	
男性を殺害する前、松永死刑囚は男性の知人の妻を結婚詐欺にかけ、男性と同様に監禁し、金を奪って虐待をしていた。男性が殺害され、知人の妻が逃走した後は、緒方受刑者の母親からの送金で暮らしていた。


しかし、その送金が1500万円を超える頃、母親の蓄えが底をつき、送金がなくなった。


松永死刑囚は緒方受刑者に資金作りを要求したところ、緒方受刑者は内緒で湯布院で働きに出た。それに対して松永死刑囚が逃げたと思い込んで激昂し、緒方受刑者の家族が巻き込まれることとなる。


松永死刑囚は緒方受刑者の家族に芝居をさせ、緒方受刑者を呼び戻した。さらに家族に対して「緒方受刑者が男性を殺害して死体を解体し、さらに女性を海に突き落として殺害した」など事実を誇張して伝え、家族から“緒方受刑者を時効成立まで逃走させる知恵料”などの名目で結果的に4000万円以上もの金をだまし取った。


両親と妹が、まず頻繁に松永死刑囚からマンションに呼び出され金策などを話し合わされるようになった。さらに、元警察官だった妹の夫まで松永に取り込まれ、妹夫妻の娘と息子も含めた同居生活が始まってしまう。

出典:北九州監禁殺人事件の全容。 7人はどのように殺害されたのか...

	
松永死刑囚は妹の夫にわざわざ不満を言わせ、暴力を振るわせた。家族に対しては、緒方受刑者の犯行に加担したとの負い目を感じさせるために、男性を殺害して処理した台所の配管などの取り替えをさせたりした。また、独自のルールを決め、家族全員をマインドコントロール下に置いていった。


そのルールとは、松永死刑囚が指示するときだけとれる1日1回の食事。水も松永死刑囚が許したときだけ、緒方受刑者が準備して飲むことができた。ご飯の内容は炊事がいらないという理由から、ほとんど食パンか菓子パン。そんきょの姿勢で食器を使わせず、7〜8分以内に食べられなかったら“通電”や殴る蹴るの制裁が加えられた。


排泄や睡眠も松永死刑囚が支配し、自由な行動や会話は許されず、一日中無言のまま足がむくむほど立たされたこともあったという。


もちろん知人や仕事先などとの連絡は一切断たせた。また、家族一人一人に「ランク付け」をして、その時々によってランク付けを変えることで、お互いに敵対心を生まれさせた。


逃げ場のない異様な環境で、松永死刑囚は独自のルールと暴行と暴言、そして“通電”などによって緒方受刑者一家を支配し、何かを考えさせる余地を与えなかった。


緒方受刑者は「父は『もうこうなったら松永さんにぶら下がって生きていくしかありません』と話していたことを覚えています」と裁判で語っている。


そして松永死刑囚は、ついに緒方家の命を奪っていく。それも、自らの手は汚さずに。


日常的に暴行と“通電”が行なわれていたが、父親の些細な言葉に腹を立てた際、緒方受刑者に“通電”をさせると父親は前かがみに倒れ、そのまま息を引き取った。


緒方一家は松永死刑囚の指示で父親の遺体をバラバラに解体。これにより、一家にさらなる弱みを負わせた。


その後、日常的な虐待や“通電”、そして夫を亡くし自ら処理をしたショックで、母親が奇声を発するようになった。


松永死刑囚は緒方受刑者に母親を浴室に閉じ込めさせた上、「困るのはお前たちだろう」と妹夫婦に問いかけた。「よくなるかもしれないから、もう少し様子を見ましょう」などの提案には耳を貸さず、各々に役割分担を指示し、殺害させた。


そして、それまでと同様に、遺体は解体され、捨てられた。


今度は肉体的、精神的なストレスから妹の耳が聞こえにくくなり、松永死刑囚の指示によって夫の手で絞殺された。


その後、妹の夫が通電などの虐待によって死亡、甥と姪も殺害された。

出典:北九州監禁殺人事件の全容。 7人はどのように殺害されたのか...

	

判決

緒方受刑者の家族が全員殺害されたのち、およそ4年たってから、1人目の被害者の娘がマンションから逃げ出したことで事件は発覚する。


2005年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部で行われた一審判決で死刑が2人に言い渡された。


緒方受刑者は罪を認めたが、松永死刑囚は法廷で「控訴だ」と叫んだという。


2007年9月26日に行われた二審で、緒方受刑者については「松永死刑囚の暴力に支配され犯行への関与も従属的だった」として一審の死刑判決を破棄し、異例の減刑となる無期懲役を言い渡された。


松永死刑囚は、2011年12月12日、最高裁での上告は棄却となり死刑が確定した。

出典:北九州監禁殺人事件の全容。 7人はどのように殺害されたのか...

	

松永死刑囚の異質感

フリーライターの小野一光は松永死刑囚との面会をこう語る。

「自分が取り込まれてしまう恐怖を感じるようになった」


 松永死刑囚がこのような事件を起こしたのはなぜなのか。小野さんは、松永死刑囚に接近、2008年、初めての面会を果たす。


 「最初に面会した時の、"先生、よく来てくれました。わざわざ遠くから大変だったですね"と笑顔で話す明るさに驚いた。私に対し、最初は"先生、先生"と呼んでいたのが、徐々に"小野さん"に変わり、さらに"一光さん"に変わった。私との距離が縮まったという演出のために、わざとやっていたのだと思う」。


 事件関係者を取材、裁判も傍聴していた小野さんは、冤罪の可能性は極めて低いと感じていたという。それでも松永死刑囚に取り込まれてしまうのではないかという恐怖を感じるようになっていった。


 「訥々と、自身の冤罪を訴えかけてきた。"自分は魔女裁判にかけられている。司法の犠牲になろうとしている"と。次第に自分の中の客観性が崩されていくような感覚に陥った」(小野さん)。


しかし2011年12月、死刑が確定。それから突然、取材はできなくなった。


 「ある時から急に手紙も来なくなってしまって、面会をしようとしても会おうとしなくなった。彼は僕を利用して、世間に無実を訴えようとしたのだろう。しかし私ができるだけ話を聞き出そうと思い、のらりくらりとしていたので、"使えない"と判断したのだと思う。もうちょっと上手に彼をコントロールして、長く付き合えばよかったのかなという思もあったが、悪が自分に迫ってくるという感覚もあったので、安心した自分もいた」。


 松永死刑囚は小野さんに「一光さんを信用していいのか不明ですが、私は小野一光という人は信用できると思って、この話をしている」などと語りかけたという。

出典:面会したフリーライターが感じた恐怖 「北九州監禁殺人事件」松永死刑囚の洗脳手法とは?

	

松永太と緒方純子の子供たち

松永太と緒方純子の間には2人の息子がおり、現在はふたりとも成人している。


異色な生活環境の中、両親が捕まるまで彼らは戸籍もなく義務教育も受けることが出来ず、

気づいたときには両親が犯罪者となっていたのだ。

松永死刑囚の息子がその胸の内を語った番組となっている。

彼の親は選べないという言葉が胸に刺さる思いだった。


彼らがこの先、望んだ未来を歩めることを祈るばかりだ。

容疑者2人の現在

死刑判決を受けた松永太は2018年12月4日現在は福岡拘置所に収監されている。

ネットを徘徊してみたところ今年中に執行されるのではという意見が多かったが残すところあと一ヶ月もないので来年に持ち越すのかもしれない。


無期懲役の緒方純子においては現在も収監中である。

昨年10月、フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』が重犯罪者の息子のインタビューを放送し、話題となった。その事件とは、2002年に発覚した北九州市連続監禁殺人事件だ。内縁関係にあった松永太死刑囚と緒方純子受刑者が、マンションの一室で7人を殺害。同番組チーフプロデューサーの張江泰之氏は、両親の「恩赦」の可能性について息子に尋ねた際のことをこう証言する。


「しばらく間を置き『ごめん、その答えには答えたくない』と言われてしまいました。おそらく、恩赦でどんなことが起きるのかを考えること自体が怖いんだと思います」

出典:来年恩赦の可能性も… 収監中の死刑囚の心理に与える影響は│N...

	
許しがたいことではあるが恩赦の可能性もあるとのこと。

北九州連続監禁殺人事件を題材にした書籍

事件を題材にした書籍

出典:消された一家―北九州・連続監禁殺人事件―(新潮文庫)

豊田...

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件

七人もの人間が次々に殺されながら、一人の少女が警察に保護されるまで、その事件は闇の中に沈んでいた──。明るい人柄と巧みな弁舌で他人の家庭に入り込み、一家全員を監禁虐待によって奴隷同然にし、さらには恐怖感から家族同士を殺し合わせる。まさに鬼畜の所業を為した天才殺人鬼・松永太。人を喰らい続けた男の半生と戦慄すべき凶行の全貌を徹底取材。渾身の犯罪ノンフィクション。
張江 泰之
殺人者の息子に生まれた25年の人生とは?

凄絶ゆえに当時報道も控えられた「北九州連続監禁殺人事件」。

その加害者の長男が「音声加工なし」で事件のありさまや、その後の苦悩の人生を語り、全国的な反響を呼んだ。

彼の人生を支えた後見人への取材などを加え、番組プロデューサーがこのたび完全書籍化。

著者プロフィール
Sharetube