「未解決事件」草加次郎事件とは

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草加次郎事件


草加次郎事件(くさかじろうじけん/そうかじろうじけん)は1962年11月から1963年9月に起きた爆破、脅迫、狙撃などの一連の事件である。

概要

1962年から1963年の間に、十数件にわたって「草加次郎」名での爆破、脅迫、狙撃などの事件が相次いだ。犯人は複数回にわたって現金の受け渡しを指示したが、最後まで受け渡し場所に現れることはなかった。

犯人は指紋と筆跡を残しており警視庁は延べ1万9000人の捜査員を投入し、火薬・爆弾マニアなど約9600人をリストアップしたが、犯人を特定することはできなかった。1978年9月5日に公訴時効が成立。戦後日本の犯罪史に名を残す未解決事件となった。

出典:草加次郎事件 - Wikipedia

	

草加次郎

郵便物に書かれた「草加次郎」のサイン

概略

同一人物(組織)宛ての事件において時日が空くケースがあるので、ここでは時系列順に整理する。

1962年

11月4日、歌手の島倉千代子援護会事務所に爆発物を郵送し、同事務員を負傷させる。郵便物に「草加次郎」のサインを残す。

11月13日、港区麻布に住むバーホステスに爆発物を郵送。未遂に終わる。

11月20日、有楽町ニュー東宝劇場のロビーに爆発物を設置し爆破。観客1人に火傷を負わせる。

11月26日、有楽町日比谷劇場の洗面所に爆発物を設置。爆発したものの負傷者及び火災はなし。指紋が検出される。

11月29日、世田谷区の電話ボックスに爆発物を設置。電話ボックスを利用した1人を負傷させる。

12月12日、浅草寺境内の切り株上に爆発物を設置。警備員1人が負傷。


1963年

5月9日 - 7月22日、女優の吉永小百合宅に6通にわたる脅迫状を郵送。

7月15日、上野公園歩道にて自作ピストルで屋台の店主を狙撃。重傷を負わせる(のちに警視庁へ弾丸と拳銃を郵送)。

7月24日、渋谷東横デパートに脅迫電話を掛けた後、同デパートの洗面所を爆破。負傷者はなし。

8月11日、同デパートの屋上に時限爆弾を設置。爆発したものの負傷者はなし(のちに警視庁へ弾丸と拳銃を郵送)。

8月14日、同デパート店長宛に爆発物を郵送。事務員1人が火傷を負う。

9月5日、地下鉄銀座線の車内に爆発物を設置。10人が重軽傷。

9月6日、吉永小百合宅に脅迫状を郵送。100万円を要求。


1978年

9月5日、公訴時効成立。


この他、鰐淵晴子(当時18歳)や桑野みゆき(当時21歳)の自宅住所宛てにも、弾丸を同封した100万円を要求する脅迫状が届いていたことが判明。

出典:草加次郎事件 - Wikipedia

	

現場検証

			

一連の事件


島倉千代子援護会事務所爆発事件

1962年11月4日午前11時頃、歌手の島倉千代子(当時24歳)後援会事務所に差出人名のない二重になった封筒が届いた。23歳の男性事務職員が封を開けると、中から細長い筒が出てきた。筒の中には紙が入っており、その紙を引っぱると筒が爆発した。筒から炎と白煙があがった。男性事務職員は右手に2週間の火傷を負った。


筒から紙を取り出すと、中に仕込んであるマッチがこすれて火薬に引火する仕掛けになっていた。筒の裏には「草加次郎」と「K」と書かれていた。お気に入り詳細を見る

出典:

	
麻布バーホステス宅爆発未遂事件


出典:草加次郎事件 - Yourpedia

1962年11月13日、東京都港区に住む41歳のバーホステス宛てに島倉後援事務所と同じ円筒型小包爆弾が届くが、不発に終わった。

これには「草加次郎」とは一字違いの「杉加次郎」と書かれていたが、捜査当局は筆跡鑑定の結果、「草加次郎」と同一人物と判明した。

ニュー東宝劇場爆発事件


出典:爆弾魔・草加次郎事件

夕方頃、有楽町の映画館「ニュー東宝劇場」で、観客の1人が3階ロビーのソファーにあった円筒型のボール箱を触ったところ、箱が突然爆発・1週間の火傷を負う。

 このボール箱は乾電池と火薬が仕組んであり、横にしてある状態では何も起こらないが、立てると同じに電池が接点に接触し、火薬に電流が通じて爆発する仕組みになっていた。

日比谷劇場爆発事件


出典:

1962年11月26日午後4時半頃、ニュー東宝近くの日比谷映画劇場で2階男性トイレを掃除していた47歳の女性従業員が、掃除を終えて廊下に出ようとドアを開けると、開けたドアからの風で洗面台の上に置かれていた筒が落下して爆発した。怪我人はなかった。

この筒には火薬と乾電池が詰められ電気回路でつないであり、箱に衝撃を加えると電気が流れて発火する仕組みになっていた。


この筒にも「草加次郎」と書かれていた。この筒から犯人のものと思われる指紋が検出された。

世田谷・電話ボックス爆発事件


出典:

1962年11月29日午後5時半頃、東京都世田谷区の公衆電話ボックスに入った25歳の男性会社員が、棚の上にあった『石川啄木詩集』を発見。会社員が本を手に取り、ケースと本の間に挟まっていた名前が書かれたしおりのような紙切れを引き抜いた瞬間に爆発。会社員は左手に5日間の火傷を負った。

本の真ん中には穴がくり抜いてあり、その穴にニクロム線を配線した電池と黒色火薬が詰められていた。しおりのような紙切れを引くと火薬が発火する仕組みになっていた。


しおりのような紙切れには「草加次郎」と書かれていた。

浅草寺爆発未遂事件


出典:爆弾魔・草加次郎事件

浅草寺境内の銀杏の切り株の上にエラリー・クイーンの推理小説「犯罪カレンダー」が置かれてあり、これを拾った人が1週間の火傷を負った。爆弾の仕組みは電話ボックスのものと同じで、親指の指紋が残されていた。

 11月、12月の6件の爆弾物事件が起こって以降、草加次郎の活動は一旦鳴りをひそめたかに見えた。ところが彼の犯行は続いていた。

吉永小百合脅迫事件


出典:草加次郎事件 - Yourpedia

1963年の5月から8月にかけて女優の吉永小百合(当時18歳)宅に、「草加次郎」名の6通の脅迫状が届いた。脅迫状にはおでん屋台店主(後述)に撃ち込まれた弾丸と同じ弾丸が入っており、内容は100万円を要求するものであった。1通目から4通目までは小百合の父親が上野駅前の喫茶店まで来るように書かれていたが、犯人は現れなかった。
1963年9月6日に届いた「草加次郎」名の7通目の脅迫状には、9月9日または9月10日に「草加次郎」が指定した急行列車から現金投下のサインの場所で100万円を投下するという現金の受渡し方法が提示された。過去の6通の脅迫状と異なり、時限爆弾を示す絵が入っていた。

だが、9月9日と9月10日に列車に乗り込むも、現金投下のサインは現れなかった。

――五月十八日午後七時、上野駅正面横の喫茶店ひがしに現金百万円をあなたのお父さんが持ってこい。七時二十分に電話する。あなたの呼び名は田中。

                                       

                                               草加次郎

出典:爆弾魔・草加次郎事件

1通目の脅迫状。2通目は内容は同じで、現金受取指定日を「二十七日」に変更していた。
――午後七時十分上野発青森行急行十和田に乗ること。進行方向に向って左のデッキに乗り、外を見ること。青(緑)の懐中電燈の点灯する所に現金百万円を投下すること、8時までに完予。


                                                草加次郎

出典:爆弾魔・草加次郎事件

3通目の脅迫状。4通目は内容はほぼ同じで、「投下しないと殺す」と赤いインクで書かれており、「十和田」の乗車指定日を「七月二十五日」に変更していた。この脅迫状が届いた後、6人の本部員を「十和田」に乗せ、現金を用意。沿線一帯に289人を張り込ませ、追跡車両や投光器も準備した。だが犯人は姿を見せなかった。
上野公園おでん屋台店主銃撃事件


出典:

1963年7月15日午後7時45分頃、東京都台東区の上野公園でおでん屋台を開いていた27歳男性が何者かによって撃たれ、病院に運ばれたが全治3ヶ月の重傷を負った。

事件から10日後の7月25日、上野警察署に1通の封書が届く。封筒の中には弾丸が一発入っているだけで、他に手紙らしいものはなかった。この弾丸は鑑識の結果、おでん屋台店主の体から摘出した弾丸と材質や大きさが同じであった。


封筒の裏には「草加次郎」と書かれており、前年の連続爆破事件で残された「草加次郎」の筆跡と一致した。

渋谷・東横デパート爆発脅迫事件


出典:草加次郎事件 - Yourpedia

1963年7月24日午後3時頃に渋谷東横デパート(現・東急百貨店東横店)に500万円を要求する脅迫電話がかかる。声の主は3、40代くらいの男性。指定の受け渡し場所に警察が張りこむも、結局、犯人は現れなかった。

しかし、午後3時50分になって、同デパート西館9階の男子トイレで突然爆発が発生。怪我人は出なかった。爆発物はトイレの天井裏にあった、乾電池とキッチンタイマーを使用した時限爆弾であった。

8月11日夕方、同デパートの東館屋上で爆発があったが、怪我人はなかった。

8月14日昼前、同デパートに親展とされた速達小包が届けられ、開封すると爆発。男性職員が軽い火傷を負った。この小包には500万円を要求し、拒否すればデパート内で本格的な爆発を起こすと書かれた脅迫状が入っていた。犯人の指定した受け渡し場所に警察が張り込むも犯人は現れず、デパート内での爆発も起こらなかった。

捜査当局はこの事件と「草加次郎」との関連を調べたが、爆発物と脅迫状の筆跡が違うことから、「草加次郎」の名を騙った模倣犯ではないかとする見方もあった。

営団地下鉄銀座線爆破事件


出典:草加次郎事件 - Yourpedia

1963年9月5日午後8時14分頃、営団地下鉄(現:東京メトロ)銀座線京橋駅に停車中の車内で手製の時限爆弾が爆発、乗客10人(重傷2人・軽傷8人)が負傷した。

爆弾は時計じかけになっており、予定の時刻まで針が動くと爆発する仕組みになっていた。

二つの乾電池にはそれぞれ「次」と「郎」という文字が書かれていた。

発車直前の地下鉄車内で爆発、血が点々と落ちているホーム

			

時効


時限爆弾の物的証拠もあることから犯人特定は比較的容易と見られていた。しかし、警視庁は大規模な捜査本部を設置し捜査を行ったが犯人の特定ができず昭和53年9月5日時効が成立した。

出典:

	

草加次郎の犯人像

草加次郎とは一体どんな人物だったのだろうか。「年齢15歳から30歳。台東区の西部もしくは常磐線沿線に住んでいて、火薬と電気の知識があり、世の中に不満を抱く男。指紋などから前科はない」というのが捜査陣の見方だったが、各メディアは挙って草加次郎の犯人像推理を試みた。

 爆弾がしかけられた映画館「ニュー東宝」では当時アメリカ映画「乾いた太陽」、「日比谷映画劇場ではアメリカ映画「ハタリ」が上映されていた。


 島倉千代子後援会事務所の封筒の消印は1文字目が判読できず、2文字目は「谷」という字だった。このため渋谷か下谷郵便局内から投函されたものとされたが、上野警察署に弾丸が送られてきた封筒が下谷消印で、犯人は下町中心に犯行を重ねていたことから下谷の線が強いとされた。

出典:爆弾魔・草加次郎事件

	
年齢15~30歳、ガンマニアか機械いじりの好きな意外に明るいタイプの性格。文学青年

出典:爆弾魔・草加次郎事件

歴史読本
若くて社会に不満を持っている。ビジネスマンではない。受験生か、失業中の者。ガンマニアで、科学的な知識がある。表面はごく一般的な男だが、陰で異常性格があらわれる。

出典:

週刊大衆
(負傷者10人を出した地下鉄事件後)それくらいでやめるんだから、真面目で小心な男なんだろう

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週刊大衆 捜査員談
犯人は若者と言われてますが、私は中年、大正から昭和初期の人間じゃないかって気がするんだ。というのも、”草加次郎”というネーミングは若者じゃない。若者なら、なんとかキッドとかつけそうなもんだ

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週刊大衆 作家・西村京太郎談
装置そのものについては幼稚なものだが、一般のシロウトが誰でもつくれるといったものではない

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週刊サンケイ 警視庁科学検査所談
あれだけ連続して犯行を重ねていた犯人が、突然プツリと消えたのは死んでしまったからではないか

出典:Google

週刊大衆 作家・結城昌治談

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Sharetube