【雑学】日本初のポテトチップスはカルビーのものではない

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日本初となるのは、濱田音四郎の手がけた「フラ印」のポテトチップス

いまや国民的スナックであるポテトチップスは、アメリカ生まれのスナックですが、これを日本に持ち込んだのは「ポテトチップスの父」と呼ばれる浜田音四朗という人物です。

出典:まとめーる

	
日本では第二次世界大戦直後、アメリカン・ポテトチップスの社長、浜田音四郎氏が最初に手がけました。

出典:ポテトチップスを考えたのはだれか-雑学倶楽部

	
日系2世だった浜田さんは戦前にハワイでポテトチップスの製造に関わり、終戦後に日本に移住し、昭和20年代に工場を設立し、製造を始めました。

出典:雑学ブログ

	
元々はハワイでポテトチップスの製造を行っていた人物でしたが帰国して「アメリカン・ポテトチップ」という会社を設立しました。その際に作ったのがフラ印というポテトチップスです。

出典:ポテトチップスの発祥や歴史!日本初のものはカルビー?

歴...
													

出典:Amazon


米軍を主な販路にしていましたが、氏の営業努力により昭和27年頃からは日本人にも受け入れられるようになってきました。

昭和20年代のアメリカン・ポテトチップスを設立した当初は顧客といえばアメリカ軍のキャンプぐらいで中々一般市場では普及しなかったそうです

出典:【70年代】カルビー・ポテトチップスの袋の表面が透明だった...

	

その他情報

フラ印のポテトチップスは、特許出願をしなかった

やがてポテトチップスは多数のメーカーが作り始め日本でも親しまれるようになりましたが、ポテトチップスの普及を望んでいた浜田さんはあえて特許を出願しなかったのです。

出典:食べ物のかたい話とやわらかい話 : 日本でポテトチップスが広...

	
今では考えにくい話ですが、そのおかげでポテトチップス製造に様々なメーカーが参入でき、年代を問わず愛されるヒット商品となったのです。

出典:雑学ブログ

	
発売から5年も経つと、日本人の間でも人気のお菓子になったが、浜田はその特許を申請しなかった。ポテトチップスの普及を望み、その妨げになる事を敢えてしなかったのである。

出典:【ユルい社長の気になる話】

カ一加藤水産 BLOG
																
浜田氏はポテチ普及のためにあえて特許を出願せず、むしろ自ら製造方法を他社にも広めたらしい。まさしく「日本のポテトチップスの父」である。

出典:まだある。: 今でも買える“懐かしの昭和”カタログ食品編 - 初...

	
濱田音四郎はポテトチップス普及のために特許申請などはせず、逆に製法を広めていきました。そのため多くの企業がポテトチップスの製造に参入することになります。

出典:ポテトチップスの発祥や歴史!日本初のものはカルビー?

「たくさんの人々に食べていただきたい!」という想いから1967年に日本で初めてポテトチップスの量産化に成功し、日本におけるポテトチップスのパイオニアとしての一歩を歩み始めました。

出典:湖池屋 ミュージアム のり塩篇|株式会社湖池屋

	
湖池屋の創業者である小池和夫が初めて食べたポテトチップスに感動し、多くの人に広めたいと試行錯誤を繰り返して完成したのものが「コイケヤポテトチップス のり塩」でした。

出典:湖池屋の“元祖”日本のポテトチップス 『コイケヤポテトチップ...

	
1962年、「湖池屋」が「コイケヤポテトチップス のり塩」を発売して、1967年に日本で初めてポテトチップスの量産化に成功

出典:【70年代】カルビー・ポテトチップスの袋の表面が透明だった...

	

Twitterより

だがしかしのED歌ってるはちみつロケットのCMで色んなポテチ持ってる人いたが左手のやつはフラ印のうすしおで日本初のポテチだからな?カルビーとかコイケヤがビックサイズ税込170円とかで売ってる中税込300円近くで売ってるそこそこ高いポテチであって駄菓子じゃないからな?なお味は保証する美味い

	

今日は輸入菓子など調味料など扱うお店に行ってきたよ〜???日本初のポテチはフラ印だよ〜???✨いちばん好きなポテチはこれだ〜\\\ ٩( ’ω’ )و ////

	

これ再宣伝ですが、堅揚げポテトがお好きな方は、フラのポテチを是非。ハワイ産のようで、日本人の日本人のための日本初のポテチです。サワークリームおすすめ。

	

フラダンスのパッケージから輸入されたポテトチップスだとばかり思っていたら、日本初の歴史あるポテトチップスだった…。

	

著者プロフィール
Sharetube