700年前の『徒然草』を現代語訳したら…現代人にも突き刺さるいい話だった!

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これから芸事を身に着けようとする人はとかく

「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。

こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」

と言うものだけど、

そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。

まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、

バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、

特別な才能がなくても上達できる。

道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。

そのまま練習し続けていれば、

そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。

人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。

今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、

最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。

それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、

多くの人がその教えを授かることができるようになった。

どんな世界でも同じである。

出典:the movie house - Linkis.com

	
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これは凄い!

その通りだと思う~その点、ネットが便利だ!

ネットでは誰でもいつでも自由気ままに晒せることができる・・・

ところが、社交辞令な反応ばかりを集めていては

褒め殺しそのもので潰されてしまう

厳しい切り刻みにあってこそ原石が磨かれるというものだ

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長明の身を以て書いた文学は、要するに人はいかにして安静なる生を得べきかをテーマとした人生のための文学であつた。これに比べるとつれづれ草の方が芸術のための芸術の色彩が多い。否、方丈記ほどに人生のための文芸はわが文芸史上には稀なものであらう。

兼好と長明と/佐藤春夫

	

「つれづれなるままに 日ぐらし すずりにむかいて 心にうつりゆくよしなし事を そこはかとなく 書きつくれば あやしうこそ ものぐる ほしけれ」
徒然草 (つれづれ草) 吉田兼好 序段

学生の頃に勉強した古典を思い出した。試験の時、思い出していれば…イヒ〜。

	

ヒカンザクラ花も実もある、つぼみも葉もあるショット。つれづれ草 下 第137段「花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。(中略)よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ」吉田 兼好(1283年~1350年)?

	




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Sharetube