「日本初の死後再審」徳島ラジオ商殺人事件とは

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徳島ラジオ商殺人事件


徳島ラジオ商殺人事件(とくしまラジオしょうさつじんじけん)とは、1953年に徳島県徳島市で発生した強盗殺人事件。犯人とされた冨士茂子に対し刑の確定後に再審によって無罪が言い渡された冤罪事件である。日本弁護士連合会が支援していた。しかしながら無罪判決によって名誉回復されたのは彼女の死後のことであった。日本初の死後再審が行われた判例である。

事件の概要

1953(昭和28)年11月5日、徳島県徳島市(徳島駅前)でラジオ販売業の三枝亀三郎さん(50歳)が三枝電気店八百屋町営業所で殺害された(受傷9箇所、殺害方法極めて残忍)。殺害現場となった店舗には、内妻(婚姻届未提出)の富士茂子さん(当時43歳)と三女(当時9歳)が一緒寝ていて、2人は、見知らぬ男が侵入したことを証言した。

警察(徳島市警)は、居直り強盗かラジオ商に恨み(怨恨)をもっていた外部の男の犯行とみて捜査を始め、暴力団員らを別件逮捕するが、自白が得られず捜査は難航、迷宮入りかと思われる状況となったころ、徳島地検が、内部犯行の線で、警察と別に捜査を開始する。

検察は、事件から8ケ月後に中卒後まもない、まだ世間を知らない住み込み店員A(17歳)とB(16歳)を逮捕し、それぞれ45日間、27日間も身柄を拘束、「被害者と茂子が格闘しているのを見た」「(凶器の)刺身包丁を捨てる様に依頼され川に投げ捨てた」「茂子が犯人である」という嘘の供述を強いた。店員達は本当のことをいうと打ち消され、検察官の考えに合ったことを誘導されたのである。


この証言をもとに、検察は、事件発生翌年の54(昭和29)年8月13日に茂子さんを殺人容疑で逮捕する。

地検に逮捕された茂子さんは、取調べの最初段階では犯行を否定したが、後に「自白」、同年9月2日に起訴されるが、公判では、「わたしは、絶対にやっとりませんツ」と、一貫して無実を主張する。

出典:

	

地検の罠


徳島地検は店員のA少年(当時17歳)とB少年(当時16歳)を逮捕した。A少年は45日間、B少年は27日間身柄を拘束し虚偽の供述をさせる。年端のいかない少年に検事らが寄ってたかって「お前が茂子に言われて電話線を切ったんだろう」などと執拗に取り調べた。当初、身に覚えのないことだと否認していた少年を自白(虚偽)させるには簡単であったろう。そのうち、自白すれば家に返してやるなどとアメとムチで以下の虚偽自白を引き出した。

《富士茂子が寝ている三枝の腹部を突き刺して殺したということを前提として》

(A少年に対する虚偽の供述を要請した内容)

1.Aは富士茂子と三枝が格闘しているのを見た。

2.富士茂子から頼まれて電話線、電灯線を切ってくれと頼まれたこと。

3.富士茂子から刺身包丁を川に棄てて来てくれと言われたこと。


(B少年に対する虚偽の供述を要請した内容)

1.富士茂子から匕首を篠原組から借りてきてと言われた。


以上の嘘供述を証拠として、昭和29年8月13日、富士茂子は殺人罪で逮捕される。厳しい取り調べで、一旦は「犯行を自供」するが、公判は一貫して無実を主張した。しかし、主張は認められず、昭和31年4月18日第一審で徳島地裁は、懲役13年の判決を下す。


昭和32年12月21日第二審の高松高裁で富士茂子の控訴棄却。昭和33年5月10日、富士茂子は上告を取り下げる。理由は裁判費用の問題と獄中での無罪主張は無理と考え、服役後に無罪活動を行うというものであった。よって、昭和41年11月30日に仮出所を果たすと「冤罪活動」を開始した。


富士茂子が上告を取り下げた昭和33年に、AとBは「検察側に嘘の供述を強要された」と告白する。ところが、この2人に対して地検は「茂子の身内から脅迫された虚偽の告白であると」発表。彼らに異常な圧力をかけ続けた。


この頃になると、地検の不合理な行動に疑問を持った人々が「富士茂子を擁護する」団体を結成。社会党の市川房枝や作家の瀬戸内寂聴ら知識人の活動も活発になっていく。

出典:

	

一審判決言渡しの日、裁判所へ向かう冨士

			

無罪判決


その直後に店員が検事に強要されて偽証したと告白し、真犯人を名乗る人物が静岡県沼津署に自首に現れるも、後に不起訴処分となる。冨士は、模範囚として服役しながら再審請求を始めた(第1~3次再審請求)。1966年11月30日に仮出所。姉弟や市民団体の支援のもと再審請求を続けたが、第5次再審請求中の1979年11月15日に肝臓がんのため死去した(享年69)。

その後、冨士の遺志は姉弟が受け継ぎ再審請求がなされた。第5次再審請求は(姉妹弟への継承にともない名称は「第6次再審請求」となる)、1980年12月13日に徳島地方裁判所が再審開始を決定。1985年7月9日に徳島地方裁判所は無罪判決を出した。


無罪の理由は

●有罪の決め手となった店員の証言は誘導尋問によって導き出された疑いが強い

●冨士に男性を殺害すべき動機もない

●外部からの侵入者による犯行をうがかわせる証拠が多い


というもので、捜査機関のずさんな捜査が糾弾されたものであった。

1985年12月12日、徳島地方裁判所は冨士の娘に対して3235万円(逮捕された1954年8月13日から仮出所した1966年11月30日までの4493日間に7200円を掛けた額)の刑事補償を支払うことを決定した。

この事件は1980年に早坂暁によって『暁は寒かった―誰かが母を殺した日―』という題でドラマ化されている(NHK土曜ドラマ)。冨士茂子を渡辺美佐子が演じた。

出典:徳島ラジオ商殺し事件 - Wikipedia

	

徳島地方裁判所は無罪判決を出した

			

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Sharetube