【死刑判決】別府3億円保険金殺人事件の「荒木虎美」とは

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別府3億円保険金殺人事件

別府3億円保険金殺人事件(べっぷさんおくえんほけんきんさつじんじけん)は、1974年に大分県別府市で発生した殺人事件である。


海の中へ

1974年11月17日夜、大分県別府市の国際観光港第三埠頭付近は日曜日ということもあって、雨が降っていたが数人の夜釣りをする人がいた。

 

 午後10時頃、そこに時速40kmほどで走ってきた日産サニーがそのまま海面に転落した。車はすぐに海中に消え、まもなく男が「助けてくれ!」と浮き上がってきた。釣り人らは懐中電灯を照らして男の姿を確認し、タモを差し出し、男はそれに捕まって救助された。


 午後11時30分頃、転落した車が引き揚げられる。車の中には男の妻・玉子さん(41歳)、長女・祐子さん(12歳)、まだ小学生5年の次女・涼子さん(10歳)の溺死体があった。3人は後部座席に折り重なるように倒れていた。

 救助された男は両手の甲に擦り傷があるだけだったが、病院に運ばれた。名前は荒木虎美(当時47歳)と言い、別府市内で不動産屋をやっているとのことだった。


「家族に関門大橋を見せることを約束していた。今日の昼過ぎ、長男に留守を頼み家を出た。ドライブは私と妻が交互に代わり、北九州まで行って、帰りは妻が運転したが、途中、別府湾の夜景がきれいで、妻はフェリー岸壁内に車を向けた。娘2人は後部座席で眠っており、私も助手席でうつらうつらしていた。車が海に飛び込んだ時、玉子が『アーッ!』と声をあげ、驚いて目を覚ました時には海の中だった」


 病院で荒木はそう語り、あくまで事故であることを強調した。

出典:別府・3億円保険金殺人事件

	

車両引き上げ時の状態

			

荒木虎美

1927年に大分県佐伯市で生まれた荒木虎美(旧姓・山口)はいわゆる「特攻隊の生き残り」だった。

 終戦後、工業専門学校を経て、代用教員をしていた時、愛人が身ごもった。この時は「優生保護法」が成立したばかりで堕胎罪というものがあり、公然と堕胎はできなかった。そこで荒木は知り合いの鍼灸師に頼んで堕ろしてもらった。だが堕胎が済むと、「堕胎罪を告発する」と恐喝したのである。荒木は鍼灸師から告訴された。これが彼の最初の犯罪だった。


 それからの荒木は保険金詐欺、放火、恐喝などにより、ほとんどを服役して過すこととなり、「九州一のワル」とその悪名を轟かすようになった。

 


 1972年11月、刑務所を出所した荒木は大分県別府市に家を借りて、不動産の仕事を始めた。口の巧かった荒木には向いていた仕事だった。


 荒木は73年7月頃にレストラン従業員の玉子さんと知り合いとなった。これは「母子家庭を紹介してくれ」と頼む荒木に、町会役員が玉子さんを世話したもので、玉子さんの方も生活保護を受けながらの生活は苦しいため、再婚したいと考えていた。


 玉子さんには中学3年生を始めとする3人の子どもがいたが、74年9月に入り婿のかたちで結婚している。しかし、年頃の子ども達は荒木に懐こうとはしなかった。「お父さん」ではなく「あれ」と呼び、嫌われていることを知っていた荒木は筋向いのアパートで1人暮らしをし、玉子さんがそこに通うというような生活を送っていた。

 1人暮らしにはもう1つ理由があった。荒木は玉子さんとの結婚前から、数人の女性と交際しており、そのなかには人妻もいた。その多くは金目的に荒木が近づいては捨てていた。


 同じ頃、荒木は保険会社5社に玉子さんと2人の娘を被保険者として。災害死亡時の総受取額3億1000万円の高額の保険契約を結んだ。所得に見合わないこの金額は明らかに不自然なものだった。受取人は荒木、荒木の養女(実の姪 当時20歳)、中3の玉子の長男だった。


 最後の保険契約からわずか12日後の11月17日に、荒木は家族をドライブに誘った。日頃から荒木に対して反抗的であった長男はその提案を拒否したため、結局親子4人で関門橋方面に出かけた。


 荒木は玉子さん達の葬式にも出なかった。玉子さんの身内に責められたというのがその理由だった。


 11月26日、荒木は別府署交通課に「事故証明」をもらいに行くが、「調査中のため、お出しできません」と断られると、声を荒げた。

出典:別府・3億円保険金殺人事件

	

荒木虎美

			

ワイドショー出演


11日、別府署は「別府国際観光港の高額保険金搾取を企図した妻子3人殺害事件特別捜査本部」を設置。荒木の自宅や、養女A子、実妹B子(当時42歳)方など5ヵ所を家宅捜索した。

 同じ日、荒木はフジテレビ系「三時のあなた」に出演。濃い茶色のスーツを着て、スタジオの壇上にどっかり座った。バックには亡くなった3人の家族の大きな写真、手前にはひっくり返った車があった。

 荒木はゲストの推理作家のコメンテーターに質問にも初めは丁寧に答えていた。笑顔をまじえ、落ちつきすらあった。

 ところが20分ほどして、目撃者の話と食い違う部分を突っ込まれると、顔を紅潮させて怒りだし、「くだらない質問はやめなさい。私の言う事が信じられないなら、自分で水中に飛びこんで実験してみたらどうです。あなたがた、車ごと海に飛び込んでごらんなさい。そんなバカなことばかり聞くんだったら、もうテレビには出ない!失礼じゃないか。私は帰る!」と言って席を立った。


 スタジオ出口付近で報道陣に囲まれた荒木はここでも怒鳴りちらし、その後テレビ局の用意した控え室で記者会見に応じた。報道陣の1人から逮捕状が出たことを知らされても、「そうですか。予想していましたよ」と顔色を変えなかった。


 同日午後5時40分、新宿・河田町のフジテレビ裏門前で、逮捕。

 この後、荒木は次のような発言を繰り返した。

「デッチあげだ。状況証拠だけで逮捕して、拷問で自白に追い込むつもりだろう。警察の出方が楽しみだ。私だけが真実を知っているのだから」

出典:別府・3億円保険金殺人事件

	

ワイドショー出演

			

疑惑


この事件は、転落時に運転していたのは荒木か妻の玉子さんかでも証言がわかれた。目撃者によると、荒木が運転していたということなのだが、荒木は「妻が運転していた」と当初から過失説、無理心中説を主張した。生命保険については玉子さんに頼まれて加入したものだという。

 荒木が生還できた理由は、たまたまフロントガラスが割れており、そこから這い出した。目撃者によると、転落して5秒ぐらいで沈んでいったという。


 不審な点もいくつかあった。

 まずサニーの車体にある水抜き栓5つがすべて事前にはずされていたことだった。サニーは中古車だったのだが、前の所有者がこの栓を抜いたという事実はなかった。

 また運転席前のルームミラーが、荒木によって固定式のものから脱落式のものに取り替えていたこともわかった。脱落式は簡単に外れるため、脱出の時の障害になりにくい。

 また荒木は自分が死んだもしもの時に備えて遺書も書いており、事故後、養女にそれを焼却させていた。


 九州大教授・牧角次郎氏は車内のダッシュボードの傷、玉子さんの障害部位などから、「玉子さんは助手席にいた」という結論を出した。


 さらに警視庁の車転落実験では、実験用人形と車内の傷から、「やはり荒木は運転席に、玉子さんは助手席にいたのと考えるのが自然である」という結果。当初、荒木は金ヅチなどを使って脱出したのではないかと見られていたが、転落の衝撃でフロントガラスが割れることも明らかとなった。ちなみに金ヅチはダッシュボードの中に入っていたという。


 ただ、いずれにしても保険金搾取目的とした物証はなく、荒木の自供も期待できないことから、難しい事件であると見られた。

出典:別府・3億円保険金殺人事件

	

現場で実験する捜査本部

			

細工された?

			

裁判


海中から引き上げた乗用車の調査や裁判での証人から以下のことが明らかになった。

●車の鑑定で妻の膝に付いた傷と助手席ダッシュボードの傷跡が一致


●車に付いている水抜き孔のゴム栓が全て取り外されていたこと


●運転席前のルームミラーが固定式のものから脱落式のものに取り替えて、外れやすくなっていた。


●車のダッシュボードに窓ガラスを割るために用意したとされる金ヅチが入っていた。


●事件当夜に事件現場の手前の信号機で停まっていた日産サニーの運転席に荒木が座っていたとする鮮魚商の男性の証言


●「チャパキディック事件をヒントに家族に保険金をかけて車ごと海に飛び込み自分だけ助かる手法で保険金を手に入れること」を荒木から打ち明けられていた刑務所仲間の証言


しかし、これらは重要な証拠ではあるが、決定的直接証拠とまでは言えなかった。


また、保険金がかけられながらも死を免れた荒木の長男が証言台に立った際に「あの男を死刑にして欲しい」「お前がやったんだ!」と発言した。


1980年3月28日、大分地裁は荒木に死刑判決を言い渡す。


控訴をするも、1984年9月、福岡高裁は控訴を棄却し、死刑判決を維持。


1987年、荒木は癌に倒れ、医療刑務所に移送。


上告中の1989年1月13日に荒木は癌性腹膜炎で死亡し、公訴棄却。享年61。


状況証拠しかなかったが、荒木に一審・二審と死刑の有罪が出たのは、不可解な保険金という金銭的動機が容易に予想されたことだけでなく、短気な性格だった荒木が裁判中に荒木に不利な証言をした証人を罵倒するなどして、裁判官の心証を限りなく悪くしたためと言われている。

出典:別府3億円保険金殺人事件 - Wikipedia

	
	

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Sharetube