「中学女子生徒が絞殺」草加事件とは
草加事件
草加事件(そうかじけん)とは、1985年7月19日に埼玉県草加市の残土置き場で同県八潮市在住の中学3年女子生徒の絞殺体が発見され、その容疑者として草加市在住の13~15歳の少年5人が逮捕、1人が補導された事件の通称である。
事件の概要
事件の概要死体の発見
昭和60年7月19日午後1時ころ、埼玉県草加市内の残土置場で、女性の死体が発
見された。
現場は、東高校グランドの北東約250メートルのところにある。田圃の一角を残土
で高さ0・75メートル程度に埋め立てたもので、残土置場の大きさは約24メートル
四方である。3方を1・5メートル前後の雑草の生い茂る田圃に囲まれ、西側だけ砂利
道の農道に接している。付近は昼間でも人通りがまばらで、街灯等の設備は全くない。
死体は、残土置場の南東側斜面を下ったところで見つかった。死体周辺の雑草はほと
んど踏み荒らされた状態が見られず、その場で被害者が争った形跡は認められず、強姦
や殺害が行われたとは考えられない状況だった。残土置場出入口の路上からはタイヤ痕
・足跡が22個、残土置場から足跡8個が採取された。
死体は仰向けで、顔をやや右側に曲げた状態だった。スカートは腰まで捲り上げられ、
両脚は肩幅程度に開き、パンティは両膝まで引き下ろされていた。上半身は裸だった。
首には、被害者が着用していたブラスリップが巻き付けて縛られていた。顔から左肩に
かけて、約30センチ四方、厚さ約6センチのコンクリート敷石が乗っており、その上
に、被害者が着用していたシャツが丸めて乗せてあった。両脚にはソックスをはいてい
たが、靴は履いておらず、右の靴は死体の左の残土上に、左の靴は残土置場中央付近に
落ちていた。
スカートに血液型AB型の精液が付着していたが、他に着衣からは精液は検出されて
いない。シャツの襟からは、血液型AB型の毛髪1本が発見された。パンティとスカー
トからは人尿の付着が認められた。
膣・直腸・食道・胃・体表のどこからも精子・精液は検出されなかった(もっとも、
司法解剖の際、酸性フォスファターゼ反応により精液が存在する可能性があるとされて
いた。これが捜査を無用に混乱させた可能性はある。)。処女膜は健在し、裂傷等の外
傷もなく、被害者が生前性交をしたとは認められない。肛門にも裂傷等の外傷等はなく、
陰茎を無理矢理挿入した形跡はない(もっとも、実況見分時に警察官が、閉じていた肛
門を不用意に開大してしまい、そのことを検察官に報告していなかった。これも捜査を
無用に混乱させた可能性があるものである。)。両乳房から、AB型の唾液が検出され
ている。
死因は、頚部圧迫による窒息死。頚部を圧迫されている状態がやや長く続いたものと
考えられる。顔面中央に赤褐色表皮剥奪・坐裂創、鼻骨及び鶏冠部の骨折が認められる
が、頭蓋内や脳などに損傷はなく、これが死因とは考えられない。これらはコンクリー
ト敷石による受傷と考えられるが、この受傷の際は被害者はまだ生きていたものと認め
られる。
死亡時間は、7月19日午後9時20分において、死後1日内外と推定される。
被害者Vは、当時15歳で、八潮中学校に在学中だった。
小学校6年生ころから放浪癖があってたびたび家出し、一時教護院に入園したことも
あった。7月18日朝も母親と喧嘩して家出した。同日午後1時ころ、しょぼくれた姿
で街を歩いている姿を母親が見掛け、午後9時10分ころ、自宅近くの知人のアパート
に行って、泊めて欲しいと頼んだことが判明しているが、その後の足取りは不明である。
出典:????????
少年たち
Aらはいずれも当時13ないし15歳であった。Aは、小学校5年生ころから窃盗を反復して行い、中学にはいると、シンナー吸入、外泊、無免許運転、窃盗等を繰り返し、昭和59年1月には少年院送致の決定を受けた。少年院を仮退院後、昭和60年7月5日に家出し、自動販売機荒らしをして警察に保護され、7月16日保護者に引き取られたが、7月19日に家出していた。
Bは、小学校3年生ころから窃盗を反復して行い、バイクや自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸入等を繰り返し、10回以上にわたって草加署に補導されている。家出も繰り返していたが、7月12日ころ家出をして、Cらとともに車上狙いや自動車窃盗を繰り返していた。
Cは、小学校4年生ころから窃盗を繰り返すようになり、弟のDとともに非行仲間と交遊し、中学に入ってからは、家出、自動車の窃盗、シンナー吸入、電話機荒らし、自動販売機荒らし、不純異性交遊等を繰り返し、昭和59年7月以降、児童相談所の指導を受けていた。7月10日ころ家出をして、B・Dらと窃盗を繰り返すなどして暮らしていた。
Dも、年少のころから、A・Bらとともに、家出、バイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸入等を行い、6月19日に自動車窃盗で補導されて児童相談所で一時保護され、7月4日に父に引き取られたが、間もなく家出して窃盗などを繰り返していた。
E・Fについては不明である。
取調べ・審判
7月23日早朝、草加署に、「Pが、『7月19日午前0時ころ、Vが八潮中央病院付近を歩いているのを見た』とCが言ってるの�