全日空61便ハイジャック事件の「西沢裕司」とは
全日空61便ハイジャック事件
全日空61便ハイジャック事件(ぜんにっくう61びんハイジャックじけん)は、1999年(平成11年)7月23日に発生したハイジャック事件。日本におけるハイジャックで人質が死亡した初めての事件である。
事件当日のANA61便
使用機材:B747-481D機体記号:JA8966(1995年12月導入、2014年1月にANAから退役)
コールサイン:All Nippon 61
フライトプラン:羽田空港発新千歳空港行
乗務員
コックピットクルー(年齢は事件当時)
機長:長島 直之(ながしま なおゆき、51歳)
副操縦士:古賀 和幸(こが かずゆき、34歳)
客室乗務員:12名
乗客:犯人・デッドヘッド各1名ずつを含む503人
乗っ取られた61便
1999年7月23日午前11時23分、羽田発新千歳行きの全日空061便ジャンボ機は定刻より30分ほど遅れて羽田空港を離陸した。061便は夏休みということもあって、乗員14人の他、満席に近い503人の乗客が乗っていた。操縦士は長島直之機長(51歳)で、副操縦士は古賀和幸さん(当時34歳)。出発まもない午前11時25分頃、「ハイジャックされた」という連絡。その時、061便は千葉県・房総半島上空を飛んでいた。
午前11時45分頃、航空局にハイジャック対策本部が設置される。
正午前、「本機はハイジャックされています」という機内アナウンス。機体はどんどん降下していった。乗客の顔色は一気に変わる。
「テレイン(地上接近)」警報が聞こえたため、古賀副操縦士はコックピットのドアを蹴破って、男と格闘。取り押さえ、近くの座席に縛りつけた。長島機長は男に包丁で刺されており、乗客の1人だった医者によってその死亡が確認された。首などを刺されたことによる、出血多量死だった。
午後0時10分、古賀副操縦士から「機長が刺された。犯人を取り押さえた」という無線連絡。
午後0時14分、061便は羽田空港に着陸。同時に乗っ取っていた男、無職・西沢裕司(当時28歳)がハイジャック防止法違反の容疑で逮捕された。
西沢は「ジャンボ機を自分で操縦してみたかった」、「レインボーブリッジをくぐりたかった」、「宙返りやダッチロールをして見たかった」と供述。好きな飛行機操縦ゲームのように操縦したかったのだという。
また、運輸省などの調べからジャンボ機は長島機長が刺された直後、米軍横田基地上空付近で、わずか2分間に約570メートルを急降下していたことが判明。このままの速度で降下していれば、あと1分余りで墜落する危機的状況だった。
盲点
なぜ西沢は機内に凶器を持ちこむことができたのか。それは手荷物預かりシステムを悪用し、さらに空港内の「死角」をついていた点にあった。当日午前6時過ぎ、西沢は羽田空港カウンターで、11時に出発する061便のチェックインをあらかじめ済ましていた。そしてまずは羽田発大阪(伊丹)行きの日航101便に搭乗する。機内の座席まで携帯する手荷物は搭乗の際にX線透視検査装置でチェックを受けるが、手荷物預かりの場合は凶器が入っていても目的地まで運ばれる。西沢は刃物を入れたバッグをまずは一旦預けていた。
伊丹空港に着いた西沢は8時50分発の羽田行き日航102便に乗り、東京に戻った。同じく刃物の入ったバッグを預けている。
羽田空港についた西沢はターミナルビル1階で荷物を受け取り、そのまま通路を逆行して2階の出発ロビーにつながる階段を上った。信じられないことに、そこには警備員が配置されておらず、西沢の行動を見咎める職員はいなかった。
そしてそのまま061便に乗りこんだ。刃物を入れたバッグを抱えながら・・・・。
西沢はの座席は「75H」。2階席の前から5番目である。
離陸から2分後、立ちあがった西沢はバッグから取り出した文化包丁を客室乗務員につきつけ、「命が惜しければ、操縦室を開けろ」と脅した。
こうして操縦室に入った西沢は古賀副操縦士を室外に押し出し、長島機長に「横田へ行け」「伊豆大島方向へ行け」要求、そして「操縦させろ」と求めた。
交信記録
長島機長は交信をつなぎっぱなしにし、独り言のように喋って、管制に絶えず機内の様子を伝えていた。西沢の声も入っていたが、ぶつぶつと何を言っているのかわからないため、長島機長の言葉だけを取り上げる。この記録からは長島機長が男を刺激しないように、優しく、言葉を選びながら、説明していたことがわかる。
(午前11時38分)
「コックピットから今出るように言ってます。えーと、単独犯のようです。今、コ・バイ(副操縦士)が外に押し出されました」
(午前11時47分)
「もうすぐ旋廻しますよ。あの、ここ下、見ていただければ、三浦ですね。えー、横須賀で、あれが江ノ島。見えますか。右手、あそこに江ノ島が見えますね。今、回りましたね。このままにしてますから。大島のほうに向かってますから」
「南風20ノットですね。陸上の風は強い風ですよ、はい、難しいですよ。管制の方が、大島の後どうするかという風に聞いているんですけど、・・・・横田に向かえばいいってこと。
今度大島から横田に行きたいって言って、横田に行っていいよって言ったら、・・・・その右の上に、ちゃんと横田の・・・、あとどのくらいで横田だって出てくるから。それは、それはわかります。だから、このままでもいいと思います。じゃあ、あの管制の方に、えー横田に行きたいって言いますね。あとちょっと、これ非常に高度が低くて、ちょっと、もうちょっと上げた方がいいと思うんですよね。大島と・・・、こう・・・、まあ雲も出てるし、ねえ、もうう100フィート(約300m)上げましょう」
「それで、じゃあ、横田の方の距離がわかるようにしますからね。ちょっと揺れてきたから、高度どうでしょうね。上げた方が揺れがおさまると思うんですけど、このまんまじゃないとだめですが」
「こんなこと聞いて怒んないでね。あのー、どこかで降りますよね。当たり前ですけどね。あ、そのうち指示くれるんでしょうけど、お昼くらいになってくると、どんどんさっきよりも、雲がすごく出てきたでしょう。うん、昨日も一昨日も、あの東京、ほら、すごく練馬で大雨が降ったでしょう。あれと同じようにあの、これから、あの、もこもこもこもこ白い雲が出てくるから、あのー、今日の予報がそうなんですけど。今こうやって、いいお天気でよく見えるから、3000フィート(約900m)で問題ないんだけれども、これからもっともっと雲が出てくると、ちょっとだんだん飛べなくなってきて、雲に入って来たりすると、他の飛行機と衝突したりする危険が出てくるから、高度かえるとか、あと降りるとか、あの、しないといけないので、それも考えておいて下さい。で、燃料があと2時間、もうないだろうから・・・、もうすでにね、40分、50分も経っているから」
「あれは江ノ島ですからね、右手に見えるの。ここ、外見といてね。見といてねと言うのは、厚木とかあるから。他の飛行機もいっぱい飛んでいるから、うん、ちょっと危ないから。あと丹沢の山も、あそこ、見えてきたでしょ。もうちょっと、本当はもう1000フィートくらい高度上げたいんですよね」
(午前11時55分頃)
長島機長の悲鳴。以後連絡はなし。
西沢裕司について
1970年東京生まれ。小学校2、3年生の時、いじめに遭う。
私立の名門・武蔵中学、武蔵高校を卒業後、一橋大学に入学。一橋大学の2年と3年の時に、羽田空港でアルバイトをしていた事がある。
大学卒業後、94年4月JR貨物に入社。自宅を出て寮生活を始めた。だが希望の航空会社に入社できなかったことが悔やまれ、またコミュニケーション能力不足から人付き合いに苦しみ、うつとなった。
1996年、西沢は自殺を考え、寮を飛び出した。しかし死ぬことはできず、半年ほど放浪を続けた後所持金が底をついて自宅に戻った。仕事を辞めてもうつは改善せず、事件当時まで精神科の治療を受けるなど、苦しんでいた。
その後は就職活動をするもののうまくいかず、家でゲームなどをして過ごした。特に好きだったのはフライトシミュレーション。パイロットになったつもりで、自由に飛行機を操縦できるゲームである。
ある時、家でインターネットをしていて、羽田空港の配置図から空港の警備体制に欠陥に気づいた西沢は、航空会社、運輸省、東京空港署などにこうした「死角」を指摘する手紙を送りつけ、同時に自身を警備員として採用するように求めた。しかし断られ、提言についても無視されたことから、「対策していないじゃないか!」と電話を入れたりした。
こうした苛立ちから、西沢はハイジャックを計画。当初は7月22日に決行する予定だった。ところが天気が悪いということで、翌日に延期していた。
22日、北海道行きの航空チケットを持っているのを見られて、家族に「飛行機はやめなさい」と咎められると、「じゃあ、電車で行く」と家を飛び出していった。西沢は明日の早朝からの犯行に間にあわすためか、空港に通じるモノレールの駅近くのカプセルホテルに宿泊した。
事件当日の23日、西沢は羽田発千歳行きのハイジャック機の予約は「ササオカ・シンジ」の偽名を使用。以前、広島のJR貨物に勤めていたことがあり、広島カープの佐々岡真司投手からとったとみられる。さらに凶器を持ち込むために利用した羽田発大阪行きの日航機の予約は「タカハシ・カツヤ」の名前を使用。これは地下鉄サリン事件で特別手配中の高橋克也と同名だ。犯行前の21日夜には東京・浜松町駅前のカプセルホテルに「マツイ・サブロウ」で宿泊していた
西沢は横田基地付近で急降下させたことについて、「横田基地は滑走路が長く、フライトシミュレーション(模擬操縦)でもやっていたので、着陸できると思った」と供述。このほか、「コース・セレクター・ダイヤル(針路変更ダイヤル)を回して機首を都心に向けた」などと専門用語を並べ立てていた。一方で「米軍横田基地に着陸して、自殺しようと思った」とも供述している
事件当日のマスコミの対応
●テレビ報道では、11時40分過ぎに第一報が各局のニュース速報で流れ、NHKは12時40分過ぎまで正午のニュースを延長して報じ、着陸後は機内のスカイビジョンでも受信・放映された。●NNN24は第一報から13時頃まで特別編成で羽田空港の中継映像等を継続して放送した。
●一般乗客が未だ機内に滞留されていた12時45分の『すずらん』再放送時のオープニング場面で機長の死亡を伝えるニュース速報が流れ、機内に乗り合わせていた複数の報道関係者が撮影したビデオや一般乗客へのインタビューにより、着陸後の乗客の動揺が広がる様子が新聞やニュース番組などでルポされている。
●61便にはフジテレビ『とくダネ!』リポーターの緒方昭一が搭乗しており、当日のフジテレビのニュースでは緒方リポーターによる事件当時の機内の様子などの証言が放送された。
被害者遺族への対応
●殉職した61便の長島直之機長に対しては、勲四等瑞宝章の叙勲、内閣総理大臣小渕恵三から内閣総理大臣顕彰が、運輸大臣川崎二郎から運輸大臣表彰が行われた。●この事件で殺害されたことについて「業務上の被災である」として機長の遺族が労働災害を申請し、2000年(平成12年)1月26日に大田労働基準監督署から「乗客・乗員を守るという機長本来の職務中に被災した」として労災と認定された。日本におけるハイジャック事件の被害者に対する初の労災認定事例である。
●日本で発生したハイジャック事件で犯人を除く乗員・乗客計516人は人質の数としては最多である。
空港警備上の対応
●この事件を受けて運輸省航空局は、犯人が指摘した羽田空港(第1旅客ターミナル)の「警備保安上の問題点」について急遽臨時予算を投じて対応されるとともに警備が強化され、全国の空港でも同様の保安上の問題点がないかどうかについての調査・対策が行われた。●主立った対策としては、保安検査場の金属探知機感度の引き上げや、盲点となった1階到着ロビー(受託手荷物返却場)入場後の2階ゲートラウンジ(出発口)への後戻りができないよう、専用の自動改札機の設置とその付近で監視する警備員の配置が行われた。これにより犯人が実践した、61便の搭乗手続・セキュリティチェックを経て入場したゲートラウンジから到着ロビーの受託手荷物返却場へ向かい、伊丹からの乗り継ぎ到着便の受託手荷物に入れた凶器を取り出してゲートラウンジへ逆戻りする事でセキュリティチェックを免れて搭乗するという手段は不可能となった。また、それまで機長の裁量で認められてきたコックピットへの一般乗客の見学・立ち入り禁止や、当時18空港しか設置されていなかった受託手荷物検査時のX線透視検査装置を対テロ対策の促進も合わさり、全国のローカル空港や定期運航路線のある離島飛行場へ順次導入されたことなどが挙げられる。
●2004年(平成16年)に運用開始した羽田空港第2旅客ターミナルビルでは、出発ゲート(地上2階=到着ゲートのM2相当)と到着ゲート(地上1.5階部分)、ランプバス出発待合室及び手荷物返却場・到着ロビー(地上1階)の三層構造とし、ボーディングブリッジを用いる搭乗口では各ゲート階へ通じる緩やかなスロープ型の通路2本が<の字型に設置され、通路前にある扉の開閉により流入をコントロールしている。2010年(平成22年)竣工の新国際線ターミナルでも同様の構造が採られている。
●ただし、前述のとおり、犯人が犯行前の同年6月中旬に保安構造についての改善と自身を警備員として雇用を求める投書を送付したことについて、運輸省(当時)側は民間航空会社との会議の結果以後対応せずに空港ビルや航空会社など民間側へ丸投げし、受任した民間側もコストを理由に対応しかねていた(放置した)事実が、読売新聞東京本社社会部が2002年(平成14年)に情報公開請求して開示された資料で判明し、5月12日付け朝刊でスクープされた。事件が未然に防げた可能性があるとして、各者の対応の杜撰さが改めて露呈した。
その他
浜田省吾 ‐ 北海道キロロリゾートでの野外ライブのため、61便に搭乗したスタッフとバンド・メンバーがハイジャックに遭遇した。浜田本人は前日に北海道入りしていて難を逃れた。当日のライブでは、亡くなった機長に対してステージ上で黙祷が捧げられた。
古矢徹 - 61便に乗り合わせ、事件に巻き込まれた。
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