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【死刑判決】女性連続毒殺魔事件の「杉村サダメ」とは

【死刑判決】女性連続毒殺魔事件の「杉村サダメ」とは

Author:
sicsic
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【死刑判決】女性連続毒殺魔事件の「杉村サダメ」とは

女性連続毒殺魔事件

女性連続毒殺魔事件(じょせいれんぞくどくさつまじけん)とは、1960年(昭和35年)11月から12月にかけて熊本県熊本市で3人が毒殺され、1人が毒物により植物状態になった、金銭目的の事件である。犯人も被害者も全員女性。

杉村サダメ

サダメは明治44年(1911)に生まれ、19歳になった昭和5年(1930)にトビ職人だった登と結婚した。当時は珍しい恋愛結婚で、翌年には長女が生まれている。
 しかし結婚生活は平穏なものではなかった。登は大酒飲みで、女にも目がなかった。結婚して10年もたつと登は愛人2人とその連れ子たちを同居させてしまう。妻妾同居という異常な生活――。これに対しサダメは時に離婚を持ち出すなど、大きな不満を漏らしたが、登はそれを許すどころか、殴る蹴るの暴力を振るったという。
 そんなストレスから、サダメは昭和27年に子宮を摘出する病魔に襲われる。だが翌28年、サダメではなく夫の登がメチルアルコール中毒で死亡してしまうのだ。当時、サダメの1人娘は婿養子をとっており、登の死後は、サダメと娘夫婦という平穏な生活が始まったかに見えた。だが夫が死亡した1年後、サダメに愛人ができるのだ。
 愛人は乳酸飲料の配達員をしている男で、夫と違い暴力などは振るわない「優しい男」だったという。昭和31~32年頃には、男はサダメの家で同居を始める。そのため娘夫婦は近くに引っ越していった。しかし、この愛人の存在こそがサダメの犯行の原因になったともいわれているのだ。

出典:

	

毒殺魔

1960年、この頃のサダメには親戚、近所の八百屋、酒屋、魚屋などに合わせて16万5800円の借金があり、かなり焦っていた。
 11月6日、サダメの家に姑にあたる杉村クラさんが訪ねて来た。クラさんは小金を貯め、いつも肌身離さず持ち歩いていたおり、この日も手提げバッグを持っていた。そこでサダメはクラさん好物の乳酸飲料に農薬ホリドール(メチルパラチオン)を混入して飲ませた。クラさんは自分の家に帰る途中、隣家の家の前で気分が悪くなり倒れ、そのまま死亡した。しかし、この時に限ってクラさんは現金を持っておらず、バッグの中に入っていたのは汚れた下着で、サダメが金を手にすることはできなかった。まもなく医者が駆けつけてきて「卒中だろう」と診断、犯行は明るみにでずに済んだ。お気に入り詳細を見る

クラさん殺しがバレなかったことに自信を持ったサダメは次のターゲットを見つける。隣家の主婦・嘉悦タケさんである。少し前に嘉悦さんの息子の結婚式があり、その祝金を狙った。
 12月14日、サダメは農薬を塗った馬肉を持って隣家を訪れた。タケさんは死亡。またしても「卒中」ということで片がついた。結局、この時もタケさん手持ちの財布を奪えずに終った。

 12月17日、3人目の被害者がでる。この日の昼頃、顔なじみの依頼行商人・山本富士子さんに農薬入りの鯛味噌を食べさせた。だが薬の量が少なかったためか、山本さんは死に至らなかった。この3件目の毒盛りでサダメは初めて1万3500円の現金を手にすることに成功した。山本さんは重い命を取りとめたものの重い障害が残った。この一件でサダメの犯行は露見し始める。ところがサダメは逮捕前にもう1人を殺害していた。

 12月28日、行商人・奥村キヨノさんを農薬入り納豆で殺害。しかし、財布に入っていたのは15円だけだった。
 翌日はサダメの49歳の誕生日だったが、この日熊本市川尻署に任意同行を求められた。取り調べでは「なにも知らない」と犯行を否認していたが、家宅捜索の結果、サダメ宅の台所から、納豆の入った壷、鯛味噌が残っていた小皿などを押収されており、証拠をつきつけられたサダメは行商人2人の殺害を認めたが、「あれは卒中だ」とクラさん、タケさん殺害は否認した。

 30日、クラさん、タケさんの死因に関して医師の脳出血との診断は誤りだったということが判明。追い詰められたサダメはいっさいを自供した。「年末をひかえ、借金返済に迫られていたためお金が欲しかった」とその動機を話している。

出典:連続女性毒殺魔・杉村サダメ事件

	

戦後2人目の女死刑囚

警察に連行されたサダメだが、当初は犯行を否認した。しかし家宅捜査で納豆や鯛ミソを押収、熊本大学でキヨノの解剖が行われ、有機リン酸の反応が検出される。さらに火葬でなく土葬だった嘉悦タケの遺体を発掘解剖するなど、数々の物証を突きつけられ、12月30日、サダメは犯行の自供に至った。

 一審の熊本地裁、死刑判決。二審の福岡高裁、控訴棄却、そして昭和38年3月28日に最高裁にて上告が棄却され死刑が確定した。戦後、女としては2人目の死刑確定だった。極めて短期間のうちに、4人もの親しい間柄だった女性たちを毒殺しようとしたサダメ。だが、本当に借金だけが犯行の動機だったのか疑問が残る。借金の返済はそう急ぐものではなかった。しかも狙った相手は全てサダメとは親しい間柄にあった“女性”である。最初の犯行は憎き前夫の実母でもある。当時の狭い人間関係の中、別の動機は本当に存在しなかったのだろうか。そして妻子ある愛人との生活は、本当はどのようなものであったのか。

 だが、こうした疑問が解消されることはなかった。サダメの連続毒殺事件は、その後の裁判で「女としては戦後2人目の死刑確定」という重大な結果にもかかわらず、その詳細は意外にも世間の注目を浴びることはなかった。そのためサダメの生い立ち、裁判過程について、当時のマスコミ報道も驚くほど少ない。

 同じ時期の女性死刑囚といえば、戦後初めて死刑が確定した山本宏子や、初めて死刑が執行された小林カウがいる。これら3人の女性犯罪者についてあらためて整理してみると、戦後初めての死刑確定時期としては山本宏子、次がサダメ、そしてカウという順番になり、また実際の執行では、第一号がカウ、そしてサダメという順番になる。3人は戦中戦後の貧しい環境の中での犯行という共通項があるが、にもかかわらず、カウや山本に対する世間の注目度に比してサダメはあまりにもそれが低いと感じるのだ。

出典:「物語性」なき犯罪者、歴史に沈んだ死刑囚・杉村サダメの獄...

	

裁判

1963年3月28日、死刑確定。

 死刑囚となってからのサダメは荒れ狂う日と、逆に落ちこむ日々をすごしていたが、教誨師の導きで仏門に帰依。それからは生まれ変わったような模範囚となった。同囚者たちからも「4階のおばあちゃん」と呼ばれ、親しまれた。免田事件の免田栄さんも獄中記のなかで「驚くほど立派な最後だったといわれている」と記している。

※教誨・・・・きょうかい。受刑者に徳性教育をし、正しい道に導くこと

出典:連続女性毒殺魔・杉村サダメ事件

	

マスコミや世間の無関心さの“正体”

個別恩赦で減刑され、結核や精神病のための病院で病死した山本に関しては、主婦層などから助命・嘆願運動が起こった(参照)。同じく連続毒殺犯のカウは、事件が映画化された。だが、未遂も含め4人もの被害者が存在するサダメの事件が、深く考察された形跡はない。

 おそらく、サダメのキャラクターは、特に凶暴でも、逆に同情を買うほど、何か突出したものがなかったのだと考えられる。犯行の手口も4つとも手が込んでいるわけでもなくまったく同じ手法であり、また計画的といえるほどのものではない。知る限り彼女自身の人生の物語性も極めて薄い。前夫の生活にしても、妻妾同居にしても、特段語られることはなかったのだ。

 しかし死刑確定後、サダメの存在が多少なりともクローズアップされたことがあった。死刑判決に対する冤罪事件の被害者としてあまりに有名な免田栄氏が、獄中のエピソードとしてサダメについて言及したからだ。これを受ける形でノンフィクション作家の大塚公子もまた、獄中や死刑執行のサダメの様子を詳しく書き綴っている。数多くの死刑囚に関する著書を持つ大塚にして、サダメに対する人物評は絶賛といってもいい。
「取材したかぎりでも、模範囚となってからのサダメは、生まれ変わったと表現したくなるほどの、すばらしい女、だった」

 死刑確定後はしばらく荒れ狂ったというサダメだが、その後は仏教に帰依し、謙虚で慎み深い模範囚となったという。その間、福岡拘置所の支所長に、目をつけられイジメ抜かれたにもかかわらず、サダメはそれに動じることもなかった。大塚によると死刑執行の際のサダメの態度は見事なものだったようだ。
「私のような人間のために、こんな最後のひとときを設けていただきまして、本当にもったいない気持ちでいっぱいです」
「あの世では被害者の皆さんに会って、罪を償いたいと思います」
 関係者への感謝と、被害者への謝罪を言葉にして、堂々とそして静かに絞殺台に上っていったという。そして顔には恍惚とした笑みさえ浮かんでいたともいわれる。
 山本宏子や小林カウに比べても、あまりに平凡だが、しかし罪の意識を十分に自覚し達観した女性死刑囚――。そんなサダメの姿が浮かび上がる。その後、サダメの娘夫婦は、それまで住んでいた地域からいつの間にか姿を消したという。そして今、犯行のあった熊本でもこの事件を知る人間はほとんどいない。

 サダメの最後の犯行の前日には、池田勇人首相が所得倍増計画を発表している。日本がますます豊かになりつつある中、4人を毒殺しようとして僅かな金を強奪したサダメは戦後2人目の女性死刑囚として歴史に沈んだ。

 昭和45年9月19日。戦後2番目に女性として死刑が執行された杉村サダメ。享年59歳。

出典:「物語性」なき犯罪者、歴史に沈んだ死刑囚・杉村サダメの獄...

	

杉村サダメの最後の言葉

あの世では被害者の皆さんに会って罪を償いたいと思います

出典:「死刑囚、最期の言葉」とその背景:DDN JAPAN

	

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