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長崎男児誘拐殺人事件(駿君殺害事件)とは

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長崎男児誘拐殺人事件(駿君殺害事件)とは

Author:
sicsic
Posted date:
Update date:2019年10月28日
長崎男児誘拐殺人事件(駿君殺害事件)とは

長崎男児誘拐殺人事件(駿君殺害事件)

長崎男児誘拐殺人事件(ながさきだんじゆうかいさつじんじけん)とは、2003年に、長崎県長崎市で発生した、男児が誘拐され殺害された事件。

駿君殺害

2003年7月1日午後7時、長崎市の大型電器店で、種元駿君(4歳)は「ゲームコーナーに行く」と家族に言って別れたきり行方不明になった。

その後、いくら探しても駿君を発見できない両親は8時15分頃、警察に通報している。

 翌2日朝、4km離れた同市万才町の立体駐車場のビル脇で全裸の遺体で見つかる。
駿君の直接の死因は、転落で頭を強く打ったことによる脳障害だったが、小さな体の一部には殺害前に付けられたはさみによる生々しい傷や、殴られてできたとみられるあざも数カ所見つかっていた。

 8日、長崎署捜査本部は、殺害現場の駐車場ビル近くの商店街に設置された防犯ビデオを解析して、男児と若い男が一緒に写っていた映像の男児は駿ちゃんと断定。

男についても服装や容ぼうなどから同市内の中学生・A(当時12歳)と特定した。

 9日、長崎署捜査本部は、Aを補導、駿ちゃんを誘拐し殺害したとする非行事実を児童相談所に通告した。

補導時、職場体験学習に向かう待ち合わせ場所に捜査員2、3人が車で現れAを連れて行った。
捜査員は残された生徒に「みんなに黙っていて」と話したという。

集合場所に教諭はいなかった。中学側に事前の連絡はなく、関係者から「やり過ぎではないか」という疑問の声が出たが、同県警の上川秀男捜査1課長は中学校周辺などに報道関係者が大勢いたなどとし「最良の方法を取った」と述べた。
 
 Aは駿君を誘拐する前、1日午後、学校が家庭訪問などのためいつもより早く帰宅。
荷物を置いて外出し、はさみを購入している。
その後、大型電器店のゲームコーナーで偶然見かけた駿君を、「ゲームをしに行こう」と連れ出した。
疑うこともなく手をつないでついて来た駿ちゃん。
 約2時間後、Aは4km離れた市内の立体駐車場の屋上から駿君を突き落として殺害した。殺害当時の様子は明かにされていないが、Aは駿ちゃんにいたずらをしようと駐車場に連れていった後、裸にし、性器をカッターナイフで傷つけるなどした。駿ちゃんは泣きだすか、激しく抵抗して手に負えなくなった。
少年はパニック状態に陥り、我を失って駿ちゃんを屋上から投げ落とした。

出典:ビビにゅーす(*´ω`*) : 長崎・駿君殺害事件<過去ニュース>

	

長崎男児誘拐殺人事件

			

事件現場

			

長崎男児誘拐殺人事件

			

事件の経緯

【7月1日】
午後7時ごろ駿ちゃんが両親や妹と長崎市三芳町の大型電器店に来店
同7時20分ごろ駿ちゃんの姿が見えないことに両親が気づく
同8時14分父親が「子供の行方がわからなくなった」と110番

【2日】
午前9時45分電器店から約4キロ南の同市万才町の立体駐車場で駿ちゃんの遺体発見
午後4時半県警が捜査本部を設置
同9時半ごろ県警が死因は頭部打撲、死亡推定時刻は1日午後8時から2日午前0時と発表

【4日】
午後1時駿ちゃんの告別式が父毅さんの実家がある長崎県佐世保市で営まれる

【5日】
遺体発見現場近くの防犯カメラに駿ちゃんらしき男児と若い男が一緒に映っていたことが判明

【9日】
午前9時36分県警の捜査本部が長崎市内の中学1年の男子を稲佐署に呼び、事情聴取を始めた

出典:長崎市男児誘拐殺人事件

	

Aの性質

Aは、4歳の時に通っていた長崎市内の幼稚園でかんしゃくを起こした際にはさみを振り回し、問題になったことがある。
人を傷つけることはなかったが、当時は幼稚園の職員が目を離せない状態が続いたという。

 Aは両親と3人暮らし。成績は非常に優秀でクラスでトップクラス。体育は苦手で部活動はしていない。
親との行動が多く、母親と一緒に買い物する姿がよく見られた。
「三国志」など歴史本を好んで読んでいた。性格はおとなしい半面、落ち着きがなく、幼稚な面もあった。

 家庭では、少なくとも両親にとっては、“仲のいい家族”だった。取材に応じた母親は言う。
「息子は不器用だし、体力もない。コンプレックスがあって、勉強では負けたくない気持ちがあったと思う。いいとこを伸ばしてやろうと思った」。
少年が「お母さん、お願いします」と言えば、家事の合間に付ききりで勉強を教えた。

勉強には厳しかったが、「後はべったり。私とは友達みたいな関係。あの子はひょうきんで、よくしゃべる。甘えん坊で、息子の方からよく腕を組んできた」。母親は密着ぶりを認める。

 父親も「息子が登校するときは必ず起きて、見送るようにしていた」。夜遅くまでの仕事だったが、あいさつは欠かしていない。

出典:ビビにゅーす(*´ω`*) : 長崎・駿君殺害事件<過去ニュース>

	

温厚な父親、過保護な母親

【温厚な父親】

 生徒は長崎市北部の集合アパートで、両親との3人暮らし。父親は長崎市内にある全国展開の人気レストランで調理師をしており、母親は今年4月まで専業主婦だった。

 男子生徒は私立の幼稚園からエスカレート式に小学校に入学したが、2年生の2学期には公立小に転校している。

 父親は転校時に仕事を休み、「学校になじめなかったようだ」と息子をかばった。

 「父親は温和で、人とトラブルを起こすこともなかった」(知人)という。学校の役員会にもよく顔を出し、教育熱心な父親だったらしい。

 【過保護な母親】

 「その正反対だった」と知人たちが口をそろえるのは、母親である。

 「一種のトラブルメーカーだった。ひと言で言えば、過保護で息子を溺愛していた」と証言するのは、10年ほど前から母親を良く知る男性だ。

 生徒は4歳になる年に、最初に通った幼稚園も3カ月でやめている。

 「我が子かわいさのあまり、(母親は)息子さんに嫌なことがあると、他人、つまり友達のせいにしていた。生徒は自分で勝手に転んでも、『人に押された』と訴えるようなところがあった」

 友達が使っていたおもちゃの順番が待ちきれず、先生が「それはダメよ」と諭すと、生徒はかんしゃくを起こして、長時間泣き叫び続けることもあったという。

 幼稚園の年少組は一般に、「最初は分からなくても、さまざまな経験の中でしかられ、褒められながら、社会のルールを学んでいく」(幼稚園関係者)とされる。

 だが、「あの子は3カ月間、かんしゃくはまったく治らなかった。自己本位の性格は、小学校でも変わらなかった」(両親の知人)という。

 【幼稚園に抗議】

 母親はしつけとして、息子をたしなめるどころか、常に息子の言い分を真に受け、幼稚園にたびたび抗議に押しかけた。

 「毎週に近い印象があるほど、頻繁に抗議に来ていた。興奮することはなかったが、強い口調で『気をつけてください』と幼稚園側に迫っていた」(幼稚園関係者)

 幼稚園側が事実をありのままに説明しても、他人のせいにする息子を信じ続ける。毎日の送迎にも、大勢の母親に溶け込めず、非社交的なタイプだったという。

 男子生徒が幼稚園を辞める際、表向きの理由は引っ越しだったが、幼稚園側は「トラブル続きに母親が嫌気をさした」という認識だった。

出典:

	

未然に防げたのか

4月27日午後1時45分ごろ、大型商業施設2階の広場で遊んでいた3歳男児が若い男性に声を掛けられ、階段踊り場で裸にされるなどした。
前日の26日にも同じ場所で4歳男児が「おじちゃん」に連れ去られて突き飛ばされる事件があり、浦上署は同一犯の可能性が高いとみて捜査を行っていた。

 4月下旬、電器店近くの大型商業施設で、児童を狙った事件が2日連続で発生。
浦上署は事件後1週間は毎日、その後は犯行日と同じ土曜、日曜に私服警官による張り込み捜査を継続していた。
多い日は8人態勢で臨み、最後に行われたのが日曜日の6月29日。駿ちゃんはその2日後、少年に連れ去られた。

 4月の事件で被害に遭った3歳男児は「お兄ちゃん」という以外、犯人の特徴を説明できず、似顔絵は作成していなかった。
捜査幹部の一人は「犯人像がまったく絞れず、現行犯逮捕しかないと判断した。中学生というのは想定外で、犯人像をもっと検討すべきだった。捜査方法を検証する必要がある」と口にする。

 浦上署は4月の事件について住民や幼稚園、小中学校には知らせておらず、地元では「知っていたらもっと注意することができた」と警察の対応を批判する声も聞かれた。

出典:ビビにゅーす(*´ω`*) : 長崎・駿君殺害事件<過去ニュース>

	

事件の余波と騒動

☆2003年7月3日、長崎県長与町の小学校で男性教頭(49)が、授業中、忘れ物をした児童らに対し「裸にして突き落とすぞ」と発言していた。町教委などによると、教頭は3年生の図画工作の授業を担当。授業中、忘れ物をした児童らに対し「あまり忘れ物が多いと、裸にして突き落とすぞ」と発言し、児童らは「先生が(誘拐殺人事件の)犯人じゃないか」などと騒いだという。教頭は「軽い気持ちで発言してしまい、大変申し訳ない」と謝罪した。

☆11日、福島市の市立福島第三中学で、30代の男性教諭が駿ちゃん誘拐殺人事件で補導された少年と称してインターネット上に掲載された顔写真を印刷し、3年生の社会科の授業計3クラスで写真を回覧。教諭は校長らに対し「新聞は少年を匿名としているのに、ネット上では人権侵害が日常的に行われていることを知らせようとした」と回覧の理由を説明。「軽率な行動で自ら人権侵害に当たるようなことをしてしまった」と謝罪した。

☆11日、鴻池防災担当相はこの日午前の記者会見で、長崎市の男児誘拐殺人事件に関して発言。
「親の責任だ。嘆き悲しむ家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビに)映すべきだ。全部引きずり出すべきだ。担任教師や親は全部出てくるべきだ。信賞必罰、勧善懲悪の思想が戦後教育の中に欠落している」さらに「このままではえらいことになる。日本中の親が自覚するように引きずり出すべきだと思う」と“引きずり”を連発した。鴻池氏の放言はとどまるところを知らず「厳しい罰則をつくるべきだ」と少年法の改正に言及。「(加害者の)親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればいい」
 鴻池氏は内閣府で記者団に「市中引き回し」や「打ち首」発言について、「それは例え話だ。僕は東映映画が好きだから」と釈明。「水戸黄門がいまだにはやっているのは、いいことをどんどん勧め、悪いことを懲らしめるからだ」と、再び勧善懲悪を強調した。
 鴻池氏の発言を受けて、長崎県弁護士会の吉田良尚会長は「いろんなことを考えた上での発言なのか疑問だ。一般の人が言うならともかく…」と絶句。同弁護士会「子どもの権利委員会」委員長の中村尚達弁護士も「言語道断だ。政府の中枢にいる人間がこういう発言をすることで、国民感情の悪い面だけがいたずらに増幅される」と指摘した
 少年の非行事実の通告を受けた長崎県中央児童相談所の川原ゆかり所長(当時56歳)は「魔女狩りのようなもので体が震える。見せしめによる制裁からは恐怖以外の何も生まれない。社会の一人一人が自分の問題として何ができるか考えるべきだ」と激しく反論した。

☆16日、駿君の遺体が見つかった立体駐車場脇に、「中学教諭」と名乗る匿名の人物からの手紙が置かれていた。

出典:長崎・駿君殺害事件

	
今まで僕らはいったい何を教えてきたつもりだったのだろう。駿ちゃん、ごめんな
 
大人がこんだけまわりにいて、助けてあげられなくて本当にごめんね。前の長崎はみんなの顔が、お互いに見えとった
 
駿くんのことを、生徒と一緒に語り合いました。命を命と思わない心、自分自身の中にもあるかもしれない邪悪な心と対決していく誓いを交わしました

出典:長崎・駿君殺害事件

	

家庭裁判所の審判

長崎家裁は審判にあたり、専門家チームによる2カ月間の精神鑑定を実施した。
その結果、少年の特質として

■パニックになりやすい

■対人共感性、対人コミュニケーション能力が乏しい

■母親を異常に恐れている

と分析。一方、学校の成績は学年トップクラス、なおかつ12歳でありながらすでに三国志を小説で読破しているなど知能面での障害がないことから、少年をアスペルガー症候群であると診断した。

だが、家裁はアスペルガー症候群について「事件に影響はしたが、理由ではない」と慎重な断りを入れた上で、直接的な背景は「中学校に進学して環境が激変したこと」「両親の不仲が続き、心理的負担が大きかったこと」などを列挙。そして「当日、帰宅が遅れたことを母親に叱責されるのを恐れて」緊張状態のまま家を離れたことが引き金になり、従来から抱いていた男性性器への関心が強迫症状として表れたと認定した。

母親は少年に非常に厳しく接する面もあったが、まだ12歳という少年に毎月10万程度の小遣いを与えていた過保護な面、少年が深夜に帰ってこなくても心配もしなければ叱りもしないという放任の面もありながら、気に入らない事があるとすぐに癇癪を起こし、騒音を起こす等近隣住民や知人からは「身勝手な人」として有名だった。取材を受けた際にも報道陣を睨みつけ、「迷惑なんですよね、子供のしたことでこんな」と話しはじめ、一切の責任を感じていない旨を記者に述べた。

事件の3ヵ月後、加害者の両親は被害者の両親に謝罪をしたが、被害者家族にとっては形式だけの真摯さのない虚構の謝罪としか受け取れないものであった。また、謝罪するまでは雲隠れするかのように沈黙を続けており、それも被害者家族の加害者両親への憤慨を助長させる結果となった。

これらを踏まえ、家裁は児童自立支援施設への収容と最長1年間の強制措置(鍵付きの部屋に入れられる)を認め、少年は2003年9月、国立武蔵野学院へ入所した。強制措置についてはその後1年ごとに再検討が行われているが、2006年9月の際も「改善が見られない」として3度目の延長がされている。

2007年7月、加害少年の強制措置は2007年9月に解除されるも、引き続き同施設で生活しているとされた。しかし2009年に九州地方に居た事が明らかとなる。

出典:長崎男児誘拐殺人事件 - Wikipedia

	

「極刑以外納得できぬ」~男児殺害の両親ら意見陳述

長崎市の男児誘拐殺人事件で殺害された種元駿(しゅん)ちゃん(4)の遺族による意見陳述が24日午前10時から、長崎家裁(伊東浩子裁判長)の少年審判廷で行われた。
遺族は伊東裁判長らに約40分にわたり、被害を受けた心情や事件に対する意見を述べた。
陳述は非公開で行われ、終了後に会見した弁護士によると、陳述したのは、父毅さん(30)、母圭子さん、祖父母4人の代表の計3人。
遺族側が駿ちゃんの遺影を抱いたまま、伊東裁判長ら裁判官3人に向き合う形で行われた。
遺族側の希望で、観護措置のため長崎少年鑑別所に収容中の中学1年の少年(12)は出席しなかった。
毅さんは「私たちにとって相手が何歳であろうが全く関係のないことで、極刑以外に納得できる処分は他にありえません」と憤りを表した。


さらに「(少年は)12歳ということで少年法に守られ、すべてが明かされることがない現実がある」とした上で、「どういう家庭環境で育ち、どういう教育を受けどんな精神状態の時に犯罪に走るのか、世の中の誰もが不安に感じていることだと思います」と指摘。 
その上で「少年の精神鑑定の結果が公の場で公表され、世の中の人みんなが教訓とすることにより、安心して暮らせる世の中にしてもらいたいと切に願います」と涙ながらに訴えた。
陳述後、伊東裁判長は「お聞きしたことをきちんと受け止めて今後の審判に臨みたい」と遺族に語りかけたという。
陳述に向け、遺族側は7月下旬、少年の非行事実に関する記録を閲覧、複写し、今月22日には精神鑑定書の一部を閲覧した。事前に陳述内容をワープロでまとめるなど、入念に準備してきた。
少年事件の被害者や遺族らは、2001年4月施行の改正少年法で意見陳述を家裁に申請できるようになった。
最高裁によると、今年3月末までに313人が申請し、うち300人が陳述した。
長崎市の男児誘拐殺人事件で24日、長崎家裁(伊東浩子裁判長)の少年審判廷で行われた遺族の意見陳述で、殺害された種元駿(しゅん)ちゃん(4)の両親らは、突然の事件で駿ちゃんを失った悲しみを訴え、長崎少年鑑別所に収容中の中学1年の少年(12)に対して「極刑」を望む考えを改めて強調、法体系の改正も求めた。
午前10時からの陳述は非公開で、父毅さん(30)ら3人が駿ちゃんの遺影を抱いて入廷。
少年は遺族側の希望で出席しなかった。
終了後会見した弁護士によると、3人とも涙ぐみながら用意した意見書を読み上げた。
母圭子さんは駿ちゃんが立体駐車場屋上から突き落とされたことに触れ、「買い物で立体駐車場に行くと『お空が見える屋上がいい』と言っていました。
大好きだった屋上から突き落とされたと思うと、涙があふれてきます」と癒やされぬ悲しみを表した。
また、3人はすぐに謝罪をしなかった少年の両親を批判。
「現行の法体系では被害者側が必要以上に苦しみ、加害者側が保護される」として、法改正を求めた。
さらに、精神鑑定結果を公表し、再発防止への教訓とすることを望んだ。

出典:長崎市男児誘拐殺人事件

	

意見陳述のため遺影を抱き長崎家裁に入る種元駿ちゃんの両親

			

駿君の遺族は

03年7月9日、A逮捕を受けて、駿君の両親はコメントを発表した。
「あなたは反省しているのですか。事件から一週間以上たちますが、自首する時間はいっぱいあったのではないですか。あなたには一生かけて、罪をつぐなってもらいたいと切に願います」


 また、事件から1年が経過した04年6月30日、駿君の父親・種元毅さんはが手記を発表。内容は以下の通り。
「息子駿の一周忌を迎えるにあたり、この1年間の思いをつづっている最中に、同じ長崎でまた痛ましい事件(※)が起こってしまいました。亡くなられた御手洗怜美さんと駿が重なってしまい、表現しがたい感情がこみあげてきます」

 「先日私たちは加害者の両親からの謝罪を今後一切お断りする決断をしました。納得できない形で謝罪を受け入れることは、無念にも命を奪われた駿の思いを裏切ることになると思っています」

 「駿がこの世からいなくなったという事実を突きつけられ、ほとんど何も感じられなくなる状態になりました。悲しみとか怒りの感情がほとんどわかないのに突然涙があふれ、ほとんど眠れない日々が長く続いたことにひどく悩まされました」

 「駿の尊い命を奪った12歳の人間が刑事罰さえ加えられず、少年院にも入れられないことは頭の中ではわかっていても、やり場のない怒りが生じました。また、私たちを苦しめたのは、事件に関する事実をなかなか知ることができないことでした。少年が罪を犯したときは、罪を犯した人間が特定される情報だけ制約を受ければいいのであって、審判記録・精神鑑定記録等すべての事実は公にされるべきだと思います。厳罰化には、罪を犯した人間が受ける処遇が、被害者とその家族、遺族にとってより納得できるものに近づけるという意味もあると思います」

出典:長崎・駿君殺害事件

	

「誠意尽くし一生かけて3人で償う」少年の両親謝罪

長崎市の男児誘拐殺人事件で、長崎県中央児童相談所の川原ゆかり所長は8日、加害者の少年(14)の両親による謝罪の言葉を公表した。
所長は両親と毎月面会しており、謝罪の言葉は6月末ごろまとめられた。
殺害された種元駿(しゅん)ちゃんの遺族の代理人には伝えたという。
謝罪の言葉の要旨は次の通り。
ご遺族に対してどうおわびし、社会に対してどう謝罪していいかわからないまま生きてきました。

わびてもわびても、おわびしきれないと思いますが、今はおわびするしかありません。
すべては親の責任だと思っています。

誠意を尽くし、一生をかけて3人で罪を償っていきます。
駿君のご冥福(めいふく)を毎晩祈っています。

私たちは生きてさえいれば子どもに会えますが、駿君はご遺族とはもう会えないという現実を考えると、罪の深さを思い、生きて償いたいと思います。

3人でおわびすることができるよう、一生懸命頑張っていきます

出典:長崎市男児誘拐殺人事件

	

影響

加害者の補導後、加害者がアスペルガー症候群との診断を受けたことから、西日本新聞は、「加害少年は自閉症」と1面トップで報道した。これに対し、日本自閉症協会は、「自閉症に対する偏見を助長しかねない」「自閉症と事件に因果関係はない」と抗議声明を発表。特に全国にあるアスペルガー症候群の子をもつ保護者の会の反発は強く、各報道機関に「アスペルガーという名称を使用しないでほしい」と要望する出来事まで起きた。

一方、アスペルガー症候群への理解を深めるための本が出版されたり、「自分はアスペルガー症候群」と名乗る人が出たりして、社会的な関心が広まったという側面もある。

また、この事件を契機に、保護者や教育関係者の外部に対する警戒心が高まった。

加害者の少年補導後、加害少年の通っていた中学校では、生徒に対する嫌がらせや暴行が相次いだ。またしんぶん赤旗の報道によると、嫌がらせの電話が矢継ぎ早にかけられたという。学校のホームページにも中傷や罵詈雑言の書き込みが相次ぎ、閉鎖に追い込まれた。また「加害少年」と題した顔入り写メールが出回り、加害少年ではない、別の少年の顔写真までもが出回った。

加害者生徒が通っていた学校は報道では名前が伏せられていたが、インターネットの書き込みによって暴露されることとなった。生徒への暴行、嫌がらせの背景にはインターネットによる暴露という事情があった。

こうした経緯により、生徒から「中学校名・校章の付いた制服では登校したくない」との訴えが多数寄せられ、学校側は急遽私服での登校を許可した。

出典:長崎男児誘拐殺人事件 - Wikipedia

	

ゴシップ週刊誌は猟奇的事件を大いにあおり、アスペルガー症候群の児童を持つ親たちに偏見を与える内容を植え付けた。写真は当時の週刊誌

			

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