「46人が死傷」関越自動車道高速バス居眠り運転事故とは
関越自動車道高速バス居眠り運転事故
関越自動車道上り線藤岡ジャンクション(JCT)付近で、千葉県印西市のバス会社「陸援隊」が運営する針生エキスプレスのツアーバス、乗員乗客46人が道路左の防音壁に衝突、大破した。群馬県警によると、乗客45人のうち7人(うち女性6人)が死亡、残る38人がけがをして病院へ運ばれ、うち3人が重体、9人が重傷。運転手の河野崋山も負傷した。
事故概要
事故に遭ったツアーバスは、大阪府豊中市の旅行会社「株式会社ハーヴェストホールディングス」が主催する都市間ツアーバス「ハーヴェストライナー」で、千葉県印西市の貸切バス会社「有限会社陸援隊」が運行していた。このツアーバスの金沢・富山 - 関東間の片道旅行代金は3,000円台で、同区間の高速路線バスの運賃の半分以下と格安であった。車種は三菱ふそう・エアロクイーンM(P-MS729S)だった。当該便は2012年(平成24年)4月28日22時過ぎに金沢駅前を出発し、途中、富山県高岡市で乗客を乗せた。この時点でバスには新宿駅あるいは東京駅までの38人、東京ディズニーランドまでの7人、計45人の乗客と運転手1人のあわせて46人が乗っていた。そして翌4月29日4時40分頃、群馬県藤岡市岡之郷の関越自動車道上り線藤岡ジャンクション付近で防音壁に衝突。バスは大破して、46人全員が死傷した。7人が死亡し、2人が重体、12人が重傷、25人が軽傷を負った。
本件事故現場は片側3車線の緩やかな左カーブで、バスは道路左側のガードレールに接触し、そのまま高さ約3m、厚さ12cmの金属製の防音壁端面に車体正面から衝突した。全長12メートルのバスに防音壁が、あたかも突き刺さったかのような形で約10.5メートルめりこんだ。防音壁と直前区間にあるガードレールには10cmの隙間があり、このことが被害が拡大化した可能性があると指摘されている。犠牲者の7人は全て進行方向に向かって左側の席に座っていた乗客で、うち6人は前から5列目までの乗客であり、軽傷者のほとんどは右側の乗客だった。犠牲者の死因は大半が圧死でリクライニングシートを傾けて寝ていたと見られている。現場にブレーキ痕やスリップ痕は見つかっておらず、運転手は群馬県警に「居眠りしていた」と説明した。バスの速度計は92km/hを示した状態で止まっており、90 - 100km/h程度で衝突したと推定される。
事故発生後、4時51分に高崎市等広域消防局が事故発生を覚知した。これにより午前5時に、関越自動車道上りの高崎ICから本庄児玉ICの間と、北関東自動車道西行きの前橋南ICから高崎JCTの間が通行止めとなった。現場に到着した高崎市等消防局の高度救助隊や救急隊により救助活動・救急活動を実施し多野藤岡広域市町村圏振興整備組合消防本部の救助隊・救急隊も出場したほか前橋市消防本部、渋川広域消防本部、利根沼田広域消防本部、伊勢崎市消防本部の救急部隊にも増強要請が入る。5時10分に災害派遣医療チーム「群馬DMAT」や災害拠点病院である前橋赤十字病院に第一報が入った。群馬県医務課と消防の間にホットラインがなかったことから死傷者が多数出ていることが確認されたのが5時40分、初動救護班が到達した7時15分にはトリアージが終わり、重傷者はすでに搬送された後であった。この通行止めが解除されたのは正午頃である。
死者
関越自動車道の7人死亡バス事故の事故画像
運転手
運転手の男性(事故当時43歳)は、1993年(平成5年)に来日した中国残留孤児の子弟で、翌年に日本国籍を取得したが、日本語が不自由であり、簡単な会話しか理解できないため、逮捕後も通訳を必要としたほどだった。大型二種免許は、2009年(平成21年)7月に取得、バス運転手としての経歴は約2年であった。陸援隊には人手不足の時に単発で短期雇用され、主に中国人を相手にした短距離便の乗務がメインで、金沢便の乗務は初めてであった。
4月28日8時に、石川県白山市のホテルにチェックイン。16時半頃にホテルをチェックアウトし、22時10分に金沢駅を出発した。出発後、頻繁に急ブレーキをかけたり、カーナビゲーションの画面をよく見ていた。また、事故直前の休憩中、ハンドルにうつぶせで休んでいたという乗客の証言もある。関越自動車道経由の運行ルートについては、「走りやすいから関越道を通った」としている。
ハーヴェストホールディングスの運行指示書には上越ジャンクションから上信越自動車道を通るルート(更埴ジャンクション経由)が記載されていたが、約35キロ遠回りの関越自動車道のルート(長岡ジャンクション経由)を通行したことが分かっている。
群馬県警察本部は、入院中の運転手の負傷回復を待ち、運転手に対して自動車運転過失致死傷容疑で5月1日に逮捕状を執行、退院後に逮捕した。22日に起訴された。
また、この運転手は、自身が所有するバス4台の営業用ナンバープレートを陸援隊名義で取得し、独自の屋号で無許可営業し、中国人観光客向けバスツアーを主催してバスを運行していたことが発覚した。このため運転手は道路運送法違反(無許可営業、いわゆる「白バス」)で5月28日に再逮捕され、7月18日付けで国土交通省関東運輸局から道路運送法第81条第1項による自家用自動車の使用禁止処分が下された。
2014年3月25日に前橋地裁は運転手に対して懲役9年6ヶ月を言い渡した。
事故当時の運転手の勤務状況
試しに、以下の計算をしました。予定では、22:10に金沢駅を出発。550kmを走って、翌日の7:40に東京ディズニーランド着の予定でした。この間9時間半。と言う事は、実際は、もちろん間に休憩を取るのでしょうが、ずっと走り続けるとして平均60km/hでバスを運行しなければなりません。
私もドライバーの経験があるのでわかりますが、お客様をお乗せして、混雑する市街地、単調な高速道路、それも交代要員なしで一人で走らなければならないとなると、肉体的精神的疲労度はかなりのものであった筈。
更に、河野容疑者の勤務状況をみてみますと、前日も千葉から金沢まで乗客を乗せてバスを運行し、早朝ホテルにチェックインで数時間の過眠を取った後に、夕方チェックアウトとなっています。ぐっすり眠れたらよいのでしょうが、私生活でトラブルなどを抱えていた彼はどうだったのでしょうか?
バスの運行会社
バスを運行した陸援隊は、事業用バスを19台保有し、外国人観光客を中心に観光バス業務を営業していた。しかし、2011年(平成23年)3月に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と福島第一原子力発電所事故以降、外国人観光客が激減したため、夜行のツアーバス事業へ本格参入した。登記簿の記載によれば、同社は資本金1500万円で、1997年4月3日に有限会社針生エキスプレスとして設立され、2000年2月9日付で現商号に変更している。今回の事故では、ハーヴェストホールディングスと陸援隊の間に2業者が介在し、赤字にもなりかねない往復15万円で受注していた。社長は、事故を起こした運転手について、「休みを与えており、過労運転ではなかった」との認識を示した。事故を起こしたバスは、ゴールデンウィーク中の増発便であり、その影響で通常は発注していない陸援隊により運行されたものだった。
また、先述のように陸援隊は事故を起こした運転手に名義を貸し、無許可営業をさせていたことが発覚したため、同社の男性社長(当時55歳)も運転手とともに5月28日に道路運送法違反(名義貸し)により逮捕された(同年6月22日に保釈)。 同年12月10日、道路運送法違反に問われた裁判の判決が前橋地裁であった。社長への求刑は懲役4年、罰金200万円に対して懲役2年、執行猶予5年、罰金160万円。会社への求刑は罰金200万円に対し罰金160万円であった。
事故から1ヵ月後の5月27日に金沢市内のホテルで被害者説明会を行った。説明会中はハーウェストホールディングスの社長達が土下座するほど、被害者の家族や一部の乗客から「謝って済むか!」「土下座ぐらいできるだろ!」などの激しい怒号が飛び交った。終了後も被害者からは「まったく納得できない。許せない。」など、憤った。
事故後に国土交通省関東運輸局が陸援隊に対して実施した特別監査では運転手の日雇い、シートベルトの整備不良、運行指示書を作成せずにバスを運行したことなど28項目の法令違反が発覚し、違反点数は242点に達した。事業許可取り消しとなる基準点の81点を3倍上回ったため、陸援隊は6月22日に貸切バス事業許可を取り消され、陸援隊は倒産した。
バス会社と旅行会社の力関係
都市間ツアーバスの利用者は、2005年(平成17年)には約21万人だったが、国の規制緩和により新規参入事業者が増え、2010年(平成22年)には約600万人が利用している。その反面、過当競争となり、「立場の強い旅行会社がコスト削減を強要し、安全対策がおろそかになっている」との指摘が、バス関係者から上がっていた。総務省でも、2010年に国土交通省に指導を徹底するよう勧告がなされていた。
12年からの規制緩和によりバス会社は11年度の2336社から22年度の4492社へ倍増。一方、1台の1日当たりの営業収入は同じ期間に8万519円から6万3435円へ2割以上
減っているという。
高速路線バスと高速ツアーバスの違いは下図の通りだ。
バス会社社長、遺族に謝罪 「耐え難い苦痛与えた」
関越自動車道ツアーバス事故で、運転手の12日の公判終了後、運行したバス会社「陸援隊」(千葉県印西市、事業許可取り消し)の針生裕美秀社長(56)が前橋地裁近くで遺族に面会し、「耐え難い苦痛を与えたことを反省している」とあらためて謝罪した。針生社長は、黒のスーツの上にコートを羽織って面会場所に現れた。娘を亡くした富山県高岡市の長谷川利明さん(53)が「傷は消えないが、加害者、被害者の歩み寄りがないと救われない」と話すと、針生社長は「しゃべることはすべて言い訳になる。何をしていいか分からない」と視線を落とし、か細い声で答えた。
別の遺族は「私があなたの立場だったら、殴られても蹴られても追い返されても頭を下げるが、それがなく悔しい思いをしている」と怒りを押し殺すように話した。
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