津川雅彦長女誘拐事件とは

著者:
投稿日:
更新日:

津川雅彦長女誘拐事件

津川雅彦長女誘拐事件(つがわまさひこちょうじょゆうかいじけん)は、1974年に起こった誘拐事件。誘拐された女児の両親が著名な俳優(津川雅彦と朝丘雪路)であったため、注目を集めた。

津川 雅彦

津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年(昭和15年)1月2日 - )は、日本の俳優、評論家。本名、加藤 雅彦(かとう まさひこ)。京都市中京区出身。芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務める。洛星中学校から同志社高校、早稲田大学高等学院編入・中退。明治大学付属中野高等学校、文化学院卒業。『寝ずの番』をはじめとした自らが監督を務めた映画では、監督名をマキノ 雅彦としている。

朝丘 雪路

朝丘 雪路(あさおか ゆきじ、1935年7月23日 - )は、日本の女優・タレント・歌手。本名;加藤 雪会(かとう ゆきえ)。旧姓・勝田。

東京市京橋区築地生まれ。血液型はB型。元宝塚歌劇団月組娘役。父は日本画家の伊東深水。夫は津川雅彦、娘は真由子。義兄は長門裕之、義姉は南田洋子。日舞の深水流家元として、深水 美智雪の名も持つ。

経緯


1974年8月15日午前3時、東京都世田谷区の津川雅彦・朝丘雪路宅2階から長女・真由子(まゆこ・当時生後5ヶ月)が誘拐され、身代金200万円が要求される。犯人は身代金を第一勧業銀行(現:みずほ銀行)の偽名口座に振り込むことを要求、津川は警察の指示に従い当日に150万円を指定の口座に振り込む。

当初、当時のオンラインシステムから得られる情報では取引の行われたCD機を特定できなかったため、警察は第一勧業銀行の全店舗に人員を配置し、取引発生の度に捜査員がATM周辺の顧客を包囲して犯人を捜すという大掛かりな作戦が展開された。しかし、これは本件の容疑者特定にはつながらなかった。

この間、第一勧銀事務センターのSEが、突貫作業でソフトウェアを書き換え、取引CD機が特定できるようにし、第一勧銀と子会社の常陽銀行のオンラインシステムが更新された。

この結果、8月16日正午、第一勧業銀行東京駅南口出張所のCD機から2000円、続いて29万円を引き出されたことが判明。張り込みの刑事が直ちに該当する男性の身柄を確保。男性が所有していた暗証番号とカード番号が一致したことを問い詰めると犯行を自供したため、同日午後5時に逮捕された。


犯人である23歳の男性は、当初、佐川満男・伊東ゆかり夫妻の長女を誘拐する予定だったが、住所がわからなかったため、津川夫妻の長女に変更した。人質は犯人の家である千葉県我孫子市のアパートにおり、同日午後7時15分、41時間ぶりに発見され無事に保護された。

その後の捜査で、犯人は津川の家庭状況や自宅の住所・間取りなどの知識を週刊誌等で得ていたことが判明。裁判では犯人に懲役12年6ヶ月が確定した。

本事件は被害者が有名人の子供ということと、身代金の受け渡しに当時普及したばかりのCD機を利用したものだったことから世間の注目を集めた(人質だった長女は、成人後の1998年に女優としてデビューしている)。


また、当時、『東京新聞』紙面ではこの誘拐事件が「子供が産まれた事を、自分の宣伝に使ったのが悪い」とし津川の自業自得であるかのような論調の記事が大きく掲載された。なお、『東京新聞』はこの件について津川の直接抗議にも関わらず一切謝罪をせず、当時の編集長が津川に対し「私はジャーナリストとしての信念を貫いた」と反論した上、読者投稿欄で「津川の自業自得」とする投稿を多数採り上げて掲載するという行動を取った。津川はこの件も影響して現在までジャーナリズムへの不信感を抱いている。

出典:津川雅彦長女誘拐事件 - Wikipedia

	

事件の流れ

銀行のオンラインシステムを使った世界初の身代金誘拐事件は、 

俳優津川雅彦(当時34)と朝丘雪路(39)夫妻のひとり娘

真由子ちゃん(5ヵ月)が誘拐された事件。

犯人からカネの渡し方法をCD(キャッシュディスペンサー)でと言われた警察は「…?」となったらしい


当時のシステムは取引をリアルタイムで確認できなかった。

そのため第一勧銀の中央事務センターでは犯人指定の口座を間断なく

コンソールタイプライターで打ち込み、その残高に変更がないかの

残高照会作業を繰り返すことでしか犯人のアクセスを確認する手段がなかった。

が、たとえ犯人の引き落としが確認できても引き出した場所を知るためには

改めて取引記録の磁気テープをコンピュータにかけプリントアウトしなければ

ならなかった。スムーズにいってもここまで15分。


1974年8月15日午前4時 

犯人の電話→津川邸

津川に化けた刑事「どのくらいならいいのですか?」

犯人「500万円位ならいいだろ」

刑事「500万円・・・大金ですから私のほうではすぐにはできません」

犯人「う・・・ん、大金だからな・・・明日の昼、12時頃までにできるだろ」


ここで犯人が身代金振込みで32時間の猶予を捜査陣に与えたので

第一勧銀のプログラマたちは犯人がカードで現金を引き出したと同時に、

その金額と使用場所を打ち出せる特殊プログラムを突貫作業で完成させた。


1974年8月16日午後0時15分

犯人が東京駅丸の内南口のCDで引き出そうとしたのがリアルタイムで確認。

確認と同時に近くで張り込んでいる捜査員に緊急無線がとんだが

なにしろ1回の引き落とし時間はわずか20秒。

しかし、ここで犯人はミスをした。

犯人は振り込み確認も兼ねて1000円をまず引きだし、

次に29万を引き出した(当時一回限度額30万)。

そこに刑事達が滑り込んで逮捕!

無事真由子ちゃんも無事保護された。

出典:

	

俳優・津川雅彦氏が「娘を誘拐した犯人は恩人」と振り返る


両親ともに俳優で、母方の祖父は"日本映画の父"といわれた映画監督。芸能一家で育った津川雅彦さんは役者になる気はなかったものの、軽い気持ちで出た映画で一躍人気者に。その後女優の朝丘雪路さんと結婚し、翌年には長女・真由子さんが誕生。そして、生後5カ月の時に真由子さんが誘拐されるという大事件に見舞われた。

*  *  *

 この事件を契機に、僕は何事にも真剣に向き合うようになり、人生は大きく変化することになった。誘拐犯はある意味、恩人と言ってもいいかもしれない。


 娘の真由子が、もし役者の子でなかったら、こんな危険な日には遭わなかったはずだ。だから、これは役者だった僕に責任がある。娘には償いをしなくてはならない。「よし、では彼女にとって世界一の父親になってやろう」。そう決めた。


 世界一になるための最高のライバルは、おっぱいをあげる母親だ。赤ちゃんを産んだ絶対的な存在、スーパーウーマンの母親を抜いて、父親の僕のほうをより好きにさせるのは至難の業だ。


 そして、ひらめいたのが遊んでやること。一緒に遊び、娘と笑顔を共有することで、僕は母親を超える存在になれるかもしれない。一緒に遊べば娘の情緒も発達して、彼女の心を豊かにさせることもできる。いざ遊んでみると、娘の要求は想像を絶することばかり。これに合格点で応えるのはやはり至難の業。それこそスーパーマンにならざるを得ない。当時は「パパ」と呼ばれるたび、娘が差し出してくるハードルの高さにビクビクしたものだ。父親修業の末、やっと一人前になれたと思えたのは10年後のことだった。

出典:俳優・津川雅彦氏が「娘を誘拐した犯人は恩人」と振り返る ...

	

津川雅彦 長女誘拐事件語る「拉致問題は我がこと」


 政府からの依頼でモデルを務めた津川は、1974年に自身の長女が誘拐された事件に触れて、「子をさらわれた親の気持ちで問題に関心を持っていただければ、大きな力になる。私は5カ月だった娘が誘拐されたことがございまして、拉致問題は我がことと思える人間です」と切実に訴えた。

拉致問題啓発ポスター

			

過去の身代金目的誘拐の要求金額【備考】

1960年 雅樹ちゃん事件 200万(被害者死亡) 本山茂久<死刑> 

1963年 吉展ちゃん事件 50万(被害者死亡) 小原保<死刑>★身代金奪取成功

1964年 智行ちゃん事件 500万(被害者死亡) 車興吉<死刑>

1965年 新潟デザイナー 700万(被害者死亡) 山川真也<獄中自殺>

1974年 美弥子ちゃん事件 1000万(被害者死亡) 八文字美佐子<懲役13年>

1974年 津川雅彦+朝丘雪路長女誘拐 500万(被害者無事) <懲役12年6月>

1978年 日立市女子中学生誘拐 3000万(被害者死亡)綿引誠<病死>

1980年 名古屋女子大生 3500万(被害者死亡) 木村修治<死刑>

1984年 福山・泰州ちゃん事件 1000万(被害者死亡) 津田暎<死刑>

1987年 群馬・功明ちゃん事件 2000万(被害者死亡)★未解決

1989年 美幸子ちゃん事件 1000万(被害者死亡) 浦山裕司<無期懲役>

1993年 甲府信金女子職員事件 4500万(被害者死亡) 宮川豊<無期懲役>

2013年 田園調布女子中生誘拐 2000万(被害者無事)羽田宏明、宮城元貴、田場龍之介

オススメのまとめ

著者プロフィール
Sharetube