茨城・徳宿村精米業一家殺害事件の「緑志保」とは

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茨城・徳宿村精米業一家殺害事件


昭和29年10月11日午前5時頃、茨城県鹿島郡徳宿村(現・鉾田町)の農業兼精米業の大沼豊房さん(当時42歳)方から出火。住宅や納屋などが全焼し焼け跡から主人の豊房さん、妻のとめさん、長男の豊中さんら一家9人が焼死体で発見された。警察は、失火原因が掴めない事や焼死体に不審な点があるとして9人の死体を司法解剖へ回した。
昭和29年10月11日午前3時頃、鹿島郡徳宿村の舟木121、農業兼精米業、大沼豊房さん(当時42歳)から出た火はたちまち同家83平方メートルを焼き尽くし、焼け跡から一家8人と女中さん1人の計9人の焼死体が見つかった。

 当初は、<①強盗殺人放火 ②殺人放火 ③一家無理心中 ④放火 ⑤失火> の、5つを想定。現場検証したところ、井戸の中からアルコール消毒用の薬ビン、注射器などが発見され、しかも薬ビンには青酸性劇毒物が入っている事が判明した。さらに解剖ではいずれも青酸反応があり、死後、火災により分かれたことが分かった。

出典:【茨城の凶悪事件史】 徳宿村の一家九人青酸カリ毒殺放火事...

	

茨城・徳宿村精米業一家殺害事件

			
このため、最終的には①の強盗殺人放火の線が濃厚となり、現場近くの中坪公民館に毒殺放火事件特別捜査本部(本部長・長岡篤県警本部長)を設置した。捜査一課から捜査本部に加わった猿田裕警部のほか、桜井芳雄、寺門司農夫、市毛勝、森木輝、市毛俊二、小張定吉、鈴木中庸らの各捜査員。

 捜査員の一部には無理心中を主張する者もいた。しかし綿密な聞き込みを指示、地取りで付近をうろついていた「白衣の怪人」が浮かんでからは毒殺放火に絞り、この男の割り出しに集中させた。この男は身長165センチ・やせ型・細面。10月10日午前11時14分水戸着の下り列車から降り、水戸市白銀町(現:南町)のM食堂でビール1本、刺身一皿を注文、竹の皮に包んだ握り飯を食べて立ち去り、同市の鹿島参宮バス(現:関鉄バス)発着所から石岡行きバスに乗り込んだ。東茨城群川根村(現:茨城町)奥ノ谷停留所で鉾田行きバスに乗り換えたあと、現場に近い菖蒲沼停留所で下車、付近の農家で被害者大沼さん方への道を聞き、午後4時20分ごろ、大沼さん方を訪れた。同家にいたのは15分くらい。その同7時ごろまでうろついていた。同夜の行動ははっきりしないが、翌11日には午前7時半頃、M食堂に服装を変えて立ち寄り、前日と同じ椅子に座って飲食、店を出たあと行方が分からなくなっていることが捜査でつきとめられた。

 

 大沼さん宅から10キロ離れた鹿島郡沼崎村(現:茨城町)駒場の涸沼川堤防近くに、大沼さんのところから盗まれていた自転車が乗り捨てられているのが見つかった。盗品の長靴も発見されて、犯人の一連の動きが手に取るように分かり始めたとき「こんなことでも参考になれば」と、老婆が、村民がワイシャツを拾ったという話を捜査本部に教えてくれた。雨の日、聞き込みのため傘をさして歩いていた鉾田署の司法主任のIという人。まだ30過ぎだがはげていて一見すると老人にも見える。それを見た老婆は、こんな雨の中老人が犯罪捜査のために歩いていると感激し、「なんでもいいから捜査の参考になるような話を教えてくれ」と言われて、村民がワイシャツを拾ったという話を捜査本部に知らせてくれた。捜査したら「フ・ミドリ」のネームとイニシャル「I・M」の刺繍の入ったワイシャツがでてきた。

 

 <ネーム「フ・ミドリ」・イニシャルの刺繍「I・M」>の捜査が始まった。早速前歴者カードを調べた。特徴から「緑 志保」【シホ】のもリストアップされたがイニシャルの「I・M」には結びつかない。ああだこうだと日が経つうち、鑑識課のひとりが声をあげた。「志保は いつほ とも読むぞ・・・。」(志保はシホではなく、イツホと読むのが正なのであった)

 その一方で「フ・ミドリ」の解明にあたっていた捜査員・境署の戸恒正男、石崎広両巡査は宇都宮のクリーニングてんで「フリーの客ミドリ」という事をつきとめた。

出典:【茨城の凶悪事件史】 徳宿村の一家九人青酸カリ毒殺放火事...

	

茨城・徳宿村精米業一家殺害事件

写真①⇒ワイシャツについていた「フ ミドリ」の文字

写真②⇒犯人,緑志保の写真

捜査の結果、事件発生から24日目の11月6日になって、[宇都宮市住吉町3-20 財団法人下野尚徳会、前科8犯、印刷工、42歳]を犯人と断定、指名手配した。指名手配に際し執筆者荒井正行は『犯人は2千人を殺せるだけの青酸カリを所持している。逮捕の際、本人が自殺する恐れもあるので絶対に青酸カリを飲ませないように留意されたい』と書き加えた。


 ところが、容疑者緑は翌7日未明、栃木県塩谷郡塩原町(現:栃木県那須塩原市)の旅館で、隣室の客から現金500円を盗み山中に逃げた。付近を山狩りした結果、大田原署に護送する事となったが、その途中ジープ上で容疑者緑は「車に酔うから仁丹ケースをくれ」と要求。中身を確認して渡した。

 

 大田原署(栃木県警)の取り調べで、徳宿村の9人殺しの犯人・緑である事がはっきりしたため、茨城県警に連絡。茨城県警から寺門司農夫警部、鈴木精一巡査部長が引き取りに向かった。しかしこの間に緑は、仁丹ケースをケースごと噛み砕き自殺した。仁丹ケースは二重底になっており、底の部分に青酸カリがいれてあったのだった・・・。


 緑が自殺したことで、どうやって9人に青酸カリを飲ませたのか等その殺人の手口は一切分からないままとなった。しかしその後の調べでは、緑は以前、宇都宮刑務所で服役中、徳宿村の窃盗犯から舟木(※事件現場番地名)周辺の情報を聞き、精米業を営んでいる被害者の大沼さんが小金を貯め裕福である事を聞き込んでいた事が判明した。

 緑は横須賀で生まれ、養子に行った。小学校を卒業後、台湾へ渡って働いており、人以上に苦労を重ねていたようだ。本州に帰って不良と付き合うようになり、大正15年から刑務所を出たり入ったりの生活を続けていた。昭和29年に栃木県宇都宮刑務所を出所して塗装工として働いていたんだが、事件はその7ヵ月後に起きているんだから、思えば青酸カリを入手するために働いていたのかも知れない。印刷に青酸化合物はつきものだからね。

出典:【茨城の凶悪事件史】 徳宿村の一家九人青酸カリ毒殺放火事...

	

現場

			

航空写真 1947年10月25日米軍撮影

上の赤丸になにか家屋のようなもの。

下の赤丸に四角い建物と、その建物の影が建物の上方向に写っているのが確認できました。(太陽は南方向に。影は上に延びる)

衛星写真(現在)

			

第二の帝銀事件


全国指名手配の翌日、11月7日に緑は栃木県塩原温泉で潜伏しているところを逮捕された。逮捕後、緑は犯行前日に宇都宮からバスを乗り継いで徳宿村まで来たこと、その途中の栃木県小山市の理髪店で白衣を購入していたことが判明した。

逮捕された緑は身柄を栃木県警大田原署に引き渡され本格的な取り調べを行うこととなったが、その取調べ中に緑は隠し持っていた仁丹ケースに入れていた青酸カリを服毒。緑が自殺したため被疑者死亡で書類送検。事件は十分に解明されないまま幕を閉じてしまった。


この事件は、保健所員に化けて毒殺するという手口が6年前に起きた「帝銀事件」と酷似していることから、帝銀事件の容疑者、平沢貞通の弁護人が真犯人の可能性ありとして現地入りしたが、緑の自殺によってこれも究明されることは無かった。

出典:

	

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