【死刑判決】福岡病院長殺人事件とは
福岡病院長殺人事件
福岡病院長殺人事件(ふくおかびょういんちょうさつじんじけん)とは、1979年(昭和54年)に福岡県北九州市小倉北区で発生した誘拐および強盗殺人事件である。また犠牲者に対する死体損壊から「福岡病院長バラバラ殺人事件」とも呼称する。なお、事件は被害者1名に対して被告人2名がいずれも死刑を宣告され、後に執行された。
被告人
杉本嘉昭・横山一美
漂流物
1979年11月12日午後3時頃、大分県の国東半島国東町の沖合600mのノリ養殖場に、異様な漂流物が流れていた。発見した漁民はこれを海岸まで曳航して調べてみたところ、毛布とビニール袋の中に人間の胴体部分が入っていたため通報した。指紋から、この遺体は4日から行方不明となっていた北九州市小倉の「T病院」のT院長(61歳)のものと判明した。
T病院は4階建てと2階建ての病院(171床)、さらに7階建ての新館も建築中という大病院だった。院長は市内の高額所得番付3位(79年5月)という大富豪だった。
ただT院長については悪い噂が多かった。他の病院では敬遠される生活保護者や暴力団組員らもすすんで入院させ、「人道的措置だ」と言っていたが、常勤医師は院長を含めてわずか2人。当然、患者1人1人に目は行き届かない。入院患者同士のトラブルの目立った。院長がこうした行為をしていたのは、十分な治療をしなくても入院患者さえいれば国から医療費が入るからだと思われる。
金にはまったく困らない院長は夜の街でも豪遊し、「夜の帝王」として有名だった。行きつけのスナック、クラブは40軒あり、月々の飲み代は200~600万円にもなっていたという。また気に入ったホステスや、知り合った女性客には高価な宝石などを買ってやり、愛人にした。 また暴力団組長らとも親密で、病院内のトラブル処理を依頼していたりした。警察は愛人・暴力団関係者などを調べてみたが、どれもシロだった。
4日午後9時ごろ、院長は夫人(当時57歳)に「ちょっと街へ出かけてくる。会う人がいる」と言って家を出た。その日は帰らず、5日午前9時ごろ電話があった。
「高い買い物をした。現金を2000万円か3000準備してくれ。それを車のトランクに積んで『小倉キャッスルホテル』前に置け。キーはフロントに預けてくれ」
夫人は言われる通りに福岡相互銀行で、2500万円を引き出し帰宅。この時に再び電話があり、「都合で場所が変わった。ホテル『ニュー田川』のロビーに持って来い」と言ってきた。夫人は指示通りに「ニュー田川」のフロント係に預けた。
正午頃、「ニュー田川」に若い男がやって来た。男は「Tさんから預かっているものをください」と言ってきたが、フロント係は「貴重品なので、預かり証がなければお渡しできません」と断り、立ち去った。
夫人はホテルに問い合わせの電話を入れ、このことを聞き、「夫が何か事件に巻き込まれたのでは」と思い、弁護士に相談、7日に署に届けた。
また愛人の1人が4日に院長と会っていたこともわかった。
愛人はスナックのママの紹介で知り合った24歳のOLで、この日は福岡市で会ったという。2人は美術館で絵を見た後、北九州市に戻ってパチンコなどをして4時ごろに別れた。院長はその時「北九州で会う人がいる」と言っていた。
さらに病院に出入りしている薬品のセールスマンの証言によると、院長は「4日に小柳ルミ子と会うことになっているのだが、日曜日なので良いレストランが開いてなくて困っている」と洩らしていた。
この証言から、警察は日曜日にも開いているレストランをあたり、あるホテルに院長が4万円の特別室を予約していたことをつきとめた。しかしながら、小柳ルミ子はこの病院長と会う約束などなかった。
出典:病院長バラバラ殺人事件
2人
もなく遺体にくるんであった毛布についていたクリーニング店の顧客札から、小倉の釣具店経営者・杉本嘉昭(当時33歳)が浮上。杉本は院長とは交友はなかったが、T病院に入院していたことがあった。また院長の交友関係を1人1人あたり、最後まで灰色だったのがスナック「ピラニア」経営・横山一美(当時27歳)だった。彼は院長の子分格で、よく一緒に飲んでいた。杉本とも仲が良かったという。
捜査員は横山の愛人のホステス(当時22歳)から彼の4日のアリバイを聞くと、「マスター(横山)と杉本さんと、あたしの3人でスナックで夜明かしで飲んでたわ」と言ったが、このスナックは休業だった。陳腐なアリバイ工作はあっさり見抜かれる。
2人が疑わしい点はいくつもあった。
まず遺体をぐるぐる巻きにしていたナイロンロープは、柳川市の卸し店から杉本の店に卸されたものであること。横山は「ピラニア」の絨毯を、院長行方不明後3回も張り替えている。さらに5日分の小倉港出港・四国松山港行き関西汽船フェリー「はやとも丸」(3350t)の乗船名簿に、杉本所有のトヨタ・ハイエースのナンバーが記載されていた。フェリーの航路から院長の遺体を投げ落としたとすれば、潮流に乗って国東町方面に漂着する可能性があったのである。
1980年2月29日、捜査本部は2人を恐喝未遂で逮捕。
しばらく2人は院長殺害を否認していたが、3月31日に横山が自供、その翌日に「罪をこちらにかぶせられるまい」と杉本も自供した。
出典:病院長バラバラ殺人事件
姦計
杉本は幼い頃に父親と死別し、料理店仲居などをした母親に育てられた。高校卒業後、国鉄行橋機関区の整備係として就職したが、半年で退職。それからは鮮魚仲買商をして、その経営者の娘と結婚、子どもも生まれた。釣具店を始めたのは71年のことである。妻とは離婚し、愛人だった女性と再婚したが、この女性に店をほとんどまかせ、遊び回った。この頃、別に2人の愛人がいた。横山は共稼ぎの両親のもと、妹2人と寂しい子ども時代を過ごした。高校卒業後、カー用品販売店の就職、19歳で結婚した。しかし会社はオイルショックの影響を受けた退職。知り合いのスナックに勤めはじめ、「ピラニア」を開店させた。店のホステスの1人とは愛人関係だった。杉本はもともと店の客で、意気投合して一緒に飲み歩くようになった。
2人とも店の経営自体はそれほど行き詰まっていたわけではなかった。しかし、ともに高級外車を乗り回し、愛人を囲うなど不相応な出費を重ねていた。2人で飲んでは、楽に金が手に入るようなアイディアがないか話し合っていたという。院長殺害の半月前、10月18日には新北九州信用金庫曾根支店から30万円の恐喝未遂も働いていた。
ある日、横山は普段世話になっていた院長殺害を、杉本に持ちかけた。
「あのT院長を生け捕って脅そう。年間2億くらい儲けているんだから、1億や2億はとれるはずだ」
10月末、横山が「福岡市に講演に来る小柳ルミ子が、4日の公演を終えた後うちの店に来ることになっているので会いませんか?」と持ちかけた。これは院長が芸能人と交際していることを横山がよく知っていたからだった。小柳ルミ子は地元出身のスターで、当時27歳。院長が食いついてこないはずがないと考えた。
11月1日、2人は死体運搬用のスチール製ロッカーを購入。また死体解体用のナタ2本、のこぎり、ポリバケツ、ニューム線、軍手なども揃えた。
11月4日、院長は横山の店にやって来て、しばらく横山と談笑していた。そこに杉本が入ってきて、横山から散弾銃をつきつけた。横山もカウンターに置いてあったアイクチをとり、院長の後ろにまわった。
2人の金の要求に対し、院長はポケットから75万円を取り出した。2人は院長に服を脱ぐように命令した。脱ぐのを渋っていた院長は一転強気に出て脅した。
「何をするんだ。こげなことをしてタダで済むと思うのか、わしにはヤクザがついとる」
この直後、横山がアイクチで院長の左脇腹を刺した。これは肺に達する傷で、止血してみたが血はとまらなかった。
2人はさらに院長夫人を騙して数千万の金を奪い取ることをにし、前述したような電話を院長にかけさせた。
ホテル「ニュー田川」に預けられた金の受け取りには横山が行った。カツラをかぶり、ヒゲをそり落とすなど念を入れていたが、受け取りに失敗した。
5日正午頃、衰弱しきった院長を寝袋に押しこみ、横山が首を絞めて殺害した。遺体はロッカーに入れ、あれこれ遺棄場所を探してまわった後、モーテルで首、下肢を切断。深夜1時頃に毛布にくるんだ状態でフェリーから投げ落とした。
出典:病院長バラバラ殺人事件
裁判焦点
公判中、互いに罪のなすり合いをした。一審では「非道な犯罪で、極刑で臨むしかない」として、死刑判決を言い渡した。控訴審で横山被告の弁護側は、直接の死因となった病院長の左胸の刺し傷について「やったのは横山被告ではなく杉本嘉昭被告」と主張した。
1988年2月1日の最高裁弁論で被告側は「死刑は残虐な刑罰で違憲。また原判決には重大な事実誤認があるうえ、他の事件と比べても刑が重過ぎる」などと主張した。横山被告側の弁護士は、横山被告が小、中学生時代に障害がある同級生に付き添って登校したことや模範生だったことを挙げて情状酌量を求めた。
判決で香川裁判長は「二被告は一獲千金を狙って津田院長の殺害を計画。完全犯罪にしようと誘い出す方法をはじめ金の強奪、死体の解体など犯行の隠滅について綿密な計画を練りあげた。またアイクチで切りつけて重傷を負わせ、傷が肺に達しているから医者を呼んでほしいという院長の必死の哀願を無視、長時間にわたり放置した。二千万円の奪取に失敗すると、すでに頻死状態だった院長の首を両手で絞めて殺害、死体をバラバラにし、捨てたという犯行態様も非情で残酷極まりない」と指摘。さらに「院長は永年、北九州市で大病院を経営して地域社会の医療に貢献しており、犯行の結果も重大。二人の役割をみても、終始一体となって当初の計画に沿って共同実行した。刑事責任に軽重の差を見いだせない」と述べた。そして「計画的犯行で動機は身勝手な金銭欲。犯行の態様も非情で残酷極まりない」と述べた。
出典:sugimoto"