【死刑判決】高岡暴力団組長夫婦射殺事件とは

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高岡暴力団組長夫婦射殺事件


高岡暴力団組長夫婦射殺事件(たかおかぼうりょくだんくみちょうふうふしゃさつじけん)は、2000年7月13日に暴力団組長である男性とその妻が殺害された事件である。
平成12年7月13日午前9時30分頃、元暴力団組長の伊藤稔(当時47歳/現姓:藁科)と無職で中国籍のW(当時28歳)は、高岡市の指定暴力団組長宅に侵入し同組長(当時56歳)と妻(当時52歳)の2人を拳銃で射殺した。その後、組長夫婦が射殺されているのを発見した組員が警察に通報した。

富山県警は、犯行現場を検証した結果、顔見知りの犯行とみて捜査を開始。同年11月になって伊藤が捜査線上に浮上し殺人容疑で逮捕した。県警の取調べで、組長の殺害を依頼したのは、組長のナンバー2である太田賢治(当時53歳/現姓:幾島)であることを伊藤が自供。更に、太田から拳銃2丁と組長夫婦の写真などを渡されたことを認めた。県警は、伊藤の自供に基づき太田とWを殺人容疑で逮捕した。

出典:

	

幾島賢治


事件当時年齢 53歳

犯行日時 2000年7月13日

罪 状 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、覚せい剤取締法違反、建造物侵入、威力業務妨害

事件名 高岡市組長夫婦射殺事件


出典:ikushimak"

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幾島賢治ー裁判焦点

幾島被告は「組長の妻の殺害までは依頼していない」と主張していた。

 富山地裁は、その点について「組長と一緒にいた妻の安全面に配慮した形跡はなく、妻が殺害されることを十分に認識していた」と殺意を認定した。そして判決理由で「2人の生命を奪った極悪非道な行為」「実行役に何度も殺害を依頼し、主導的な役割を果たしており、責任は重大」と厳しく指摘した。


 控訴審でも幾島被告は妻に対する殺意はなかったと主張していた。

 判決理由で安江裁判長は、殺意はなかったとする弁護側の主張について「組長と妻が一緒にいる際に犯行を企てており、妻の生命の安全に配慮した事実はない」などと指摘し、殺意を認定した。

 さらに、同裁判長は「実行犯のために拳銃二丁を用意するなど、犯行に必要不可欠な役割を果たした」と述べ、「組長を殺害することで組の実権を握ろうとした自己中心的な犯行で、経済的利益を確実なものにするために妻の殺害まで企てた動機に酌量の余地はない」と断じた。


 弁論で幾島被告側は死刑は重すぎると量刑不当を訴えた。

 今井裁判長は「実行犯に拳銃を渡し、殺害を促すなど、犯行に主体的、積極的に関わった。至近距離から拳銃を発射して即死させた。白昼の住宅街での犯行で、近隣や社会に与えた影響も大きい」と述べた。

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幾島賢治ー備考

旧姓太田。

 藁科稔(旧姓伊藤)被告は2004年3月26日、富山地裁で求刑通り死刑判決。2006年2月16日、名古屋高裁金沢支部で被告側控訴棄却。2009年1月22日、被告側上告棄却、確定。

 W被告は2004年3月26日、「伊藤被告と一体となって行動したが、役割は従属的」との事情を酌み、求刑無期懲役に対し、懲役18年判決。控訴せず、そのまま確定した。

 幾島賢治被告と一緒に殺害を依頼したとして起訴されたK被告は求刑死刑に対し、2006年11月21日、富山地裁で無罪判決。2008年4月17日、名古屋高裁金沢支部で検察側控訴棄却。無罪が確定。

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藁科稔

事件当時年齢 47歳

犯行日時 2000年7月13日

罪状 殺人、強盗予備、銃砲刀剣類所持等取締法違反

事件名 高岡市組長夫婦射殺事件

出典:itoum"

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藁科稔ー裁判焦点


2002年10月8日に結審したが、2003年3月、検察側は新たに殺人などで起訴した幾島賢治被告、K被告を加え「四人による共謀」と訴因変更を申請し、裁判長は変更を認めたため、審理が再開された。

 一審最終弁論で弁護側は「犯行は組の内部の人間が被告をそそのかした物で、金目あてではなく、また計画性もない」として情状酌量を求めた。

 判決理由で神沢裁判長は、伊藤被告について「共犯者を指揮し、主導的かつ中心的な役割を果たした。確定的な殺意で、二人の命を奪う行為を自ら実行した」と断じた。W被告については「事前の下見や謀議、犯行時の見張り役などに参加したが、伊藤被告の指示で行動し、殺人の実行行為時に果たした役割も限定的」とした。


 控訴審になって弁護側は、組長夫婦を射殺したのは、覆面姿の別の人物だったと主張した。

 判決理由で安江裁判長は、別の実行役が夫婦を殺害したとする伊藤被告の主張について「同被告に殺害を依頼した共犯者が別の実行役の存在に一切言及していないことなどから、到底信用できない」と指摘。本件犯行が綿密に計画され、拳銃で被害者の顔面や後頭部を撃つという極めて冷酷で残忍な犯行であると位置づけ、「被告人が実行役として中心的な役割を果たした」と述べた。

 さらに同裁判長は「両親の生命を奪われた遺族の処罰感情は峻烈を極めており、遺族への謝罪の言葉など被告人にとって酌むべき事情を最大限に考慮しても、極刑はやむを得ない」と断じた。


 2008年12月11日の最高裁弁論で、弁護人は「指示を受けただけで、計画性もない」として、死刑回避を訴えた。検察側は「犯行の中心的役割を果たした」とし、上告棄却を求めた。

 判決で涌井裁判長は、「共犯者から依頼された報酬目当てという動機に酌量の余地はない。命ごいをする妻を容赦なく射殺する非情な犯行で、白昼の住宅街で敢行され、社会に与えた影響も大きい。2人の生命を奪った刑事責任は極めて重大で、死刑を是認せざるを得ない」と述べた。

出典:itoum"

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藁科稔ー備考


藁科被告は2004年3月26日、「伊藤被告と一体となって行動したが、役割は従属的」との事情を酌み、求刑無期懲役に対し、懲役18年判決。控訴せず、そのまま確定した。

 幾島賢治被告と一緒に殺害を依頼したとして起訴されたK被告は求刑死刑に対し、2006年11月21日、富山地裁で無罪判決。2008年4月17日、名古屋高裁金沢支部で検察側控訴棄却。無罪が確定。

 幾島賢治被告(旧姓太田)は2005年1月27日、富山地裁で求刑通り死刑判決。2006年10月12日、名古屋高裁金沢支部で被告側控訴棄却。2009年3月25日、被告側上告棄却、確定。

出典:itoum"

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病死


藁科は2009年4月16日、収容されていた名古屋拘置所の居室で吐血。食道静脈瘤と診断され外部の病院に入院していたが5月2日午後6時16分、入院先の病院で肝不全による出血性ショックにより死亡した。56歳没。病死は5月3日に名古屋拘置所が発表した。幾島も名古屋拘置所に収監され、再審請求をしていたが、2014年7月16日、同所にて肝臓がんのため病死。67歳だった。死刑が確定した藁科・幾島ともに執行されないまま病死するという結末を迎えた。

出典:高岡暴力団組長夫婦射殺事件 - Wikipedia

	

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