「一般市民が巻き添えに。。。」前橋スナック乱射事件とは
前橋スナック乱射事とは、平成15年(2003年)1月25日、前橋市三俣町のスナックで住吉会系組員がスナック内外で十数発を発砲。一般市民を含む4人を殺害し、稲川会系元組長ら2人に重傷を負わせた事件。
前橋スナック乱射事件 概要
平成15年(2003年)1月25日午後11時半ごろ、前橋市三俣町のスナックで、指定暴力団住吉会幸平一家矢野睦会の幹部組員2人が店内などで拳銃を発砲し、客の市民ら3人を含む4人を殺害、指定暴力団稲川会大前田一家本部長、後藤邦雄元後藤組組長ら2人に重傷を負わせた。平成16年(2004年)2月に首謀者とされる矢野睦会会長、矢野治と実行役とされる小日向将人が逮捕され、もう1人の実行犯として指名手配されていた山田健一郎も同年5月に逮捕された。
事件の全容解明は、小日向将人の全面供述によるところが大きかったが、矢野治、小日向将人、山田健一郎3人共に1、2審と死刑判決を受けた。
また銃乱射事件に巻き込まれ死亡した一般市民の男性の遺族が、住吉会・西口茂男総裁らに、使用者責任があるとして、およそ2億円の損害賠償を求めた訴訟で、住吉会側は、使用者責任を認めて「深く遺憾の意を表する」と謝罪したうえで、再発防止を約束、遺族に9750万円を支払うことで和解が成立した。
乱射事件は、2001年8月、前橋市の稲川会系大前田一家(解散)の幹部2人が東京都葛飾区で営まれた住吉会系幹部の通夜で、住吉会住吉一家向後四代目と滝野川一家七代目の総長を射殺した事件が発端とされる。
稲川会は、住吉会側に大前田一家の「家名抹消」などを伝え、両組織は手打ちとなったが、住吉会幸平一家上層部などが大前田一家の元組長らへの報復を計画し、幸平一家矢野睦会が中心となって事件を引き起こした。
前橋スナック乱射事件
山田健一郎 裁判焦点
山田被告は逮捕当初から犯行を黙秘した。2004年7月22日の初公判で、山田被告は起訴事実を全面否認した。
2006年11月28日に東京地裁で開かれた矢野治被告の公判で、山田被告が弁護人証人として出廷し、自身の事件への関与を初めて認めた。しかし、事件直前に携帯電話で矢野被告に「撃ち合いになる。危険すぎる」と話したなどとする小日向被告の法廷証言については、「全くのでたらめだ。証言の7、8割はウソ」と明言。矢野被告が犯行を指示したかについては「電話を受けたのは小日向被告なので自分はわからない」と話した。また小日向被告が襲撃に消極的だったとされる点について「(準備段階で)自分の目からはやる気に見えた」と述べ、その後も小日向被告の供述に対して逐一反論を述べた。山田被告は事件当日の模様についても詳細に供述した。
2007年2月26日の公判で、山田被告は矢野被告の公判で述べたとおり、実行役であることを認める証言を展開した。被告人質問では矢野被告の公判での証言と同様、もう1人の実行役である小日向将人被告の証言をことごとく否定。事件の全容解明に貢献したとされる小日向被告の証言は「事実と違う。だまされないでほしい」と訴えた。
7月2日の論告求刑で検察側は、「冷酷無比で残忍極まりなく、一般市民の平穏安全など眼中にない傍若無人な犯行」と指弾。「捜査段階では黙秘を貫き、公判段階では(首謀者の)矢野をかばうなど、真相解明を阻む態度に終始し、反省にはほど遠く、矯正可能性はいささかもない」「一般市民の生命を奪うのも構わないと凶行に及び、憐憫や躊躇など人間らしい感情は全くうかがわれず鬼畜の仕業に等しい」とした。また、遺族側の「犯人に対する刑としては死刑しか考えられない。私たちの苦しみを犯人たちに思い知らせてやりたい」とする言葉も読み上げた。
10月15日の最終弁論で、弁護側は山田、小日向両被告の証言の違いに言及。会長の矢野治被告が「事件を指揮した」とする小日向被告の供述を「刑事責任を軽減するために作り上げたストーリー」として、矢野被告を首謀者とする事実認定には「誤りがある」と指摘した。また、女性客の射殺について、両被告は「撃ったのは自分ではない」としてきたが、弁護側は残った銃弾などの状況証拠を挙げ、山田被告の犯行ではないと訴えた。山田被告による死傷者は抗争相手の元組長と元組長と間違えた男性客2人とし、「一見して一般人と分かる女性らへの発砲は、共犯者による、共謀を超えた行動」と訴えた。そして、「小日向被告の虚偽(の証言)をうのみにした判断は承服できない」と述べ、小日向判決にとらわれない判断を求めた。
暴力団関係者が見守る中、約2時間の弁論を聞いていた山田被告に、裁判長が「最後に言いたいことは」と問うと、被害者の名前を1人ずつ挙げ「私が誤射してあやめてしまった人やご遺族に心からおわび申し上げます。いかなる刑でも受ける所存です」と述べ、傍聴席の遺族に深々と頭を下げた。言葉は5分以上続き「なぜこんなことになったか分からない」と述べた。
当初、12月17日に判決予定だったが、前橋地裁は弁護側の申し立てを受け弁論を再開。判決を2008年1月21日に延期した。 弁護側は1遺族との和解成立を陳述。改めて減軽を求めた。検察側は「和解を斟酌するには限度がある」と反論した。
久我裁判長は判決で、「住宅街のスナックで、たまたま居合わせただけの一般人3人を射殺するなど前例のない痛ましい事件。被告も必要不可欠な役割を果たした。計画性、組織性が極めて高度(な犯行)で、被告の果たした役割も重大。(被害者は)残虐な方法で殺されており、その無念さは察するに余りある。山田被告が上位者の指示を受けて犯行に及んだ経緯などを考慮しても、罪刑の均衡の見地から極刑はやむを得ない」と述べた。
弁護側が「(亡くなった4人のうち)3人の殺害は、もう一人の実行犯の犯行」などとし、責任が限定的だと主張していた点については、指示役とされる矢野治被告や、もう1人の実行犯とされる小日向将人被告と比較すると、山田被告は「犯行計画や準備行為への関与の度合いが低い」などと情状酌量すべき点も指摘。山田被告側の「責任は客の男性1人の殺害と男性1人の傷害にとどまる」とする主張も一部認めた。しかし、結論としては、「遅くともスナックに入って客が多数いることを認識した時点で、元暴力団組長の殺害に障害となる者をも拳銃で殺害するという意図を、小日向被告との間で暗黙のうちに共有した」と指摘。死傷者全員について山田被告は共同正犯として責任を負うとした。
久我裁判長は、山田被告に対して「まだ時間はある。これまで語っていない部分を正直に話してほしい。それが遺族にとっても、自分にとっても唯一できる最善のことだ」と説諭。山田被告はこの言葉を聞いた後、遺族のいる傍聴席に向かって土下座をした。
っても、自分にとっても唯一できる最善のことだ」と説諭。山田被告はこの言葉を聞いた後、遺族のいる傍聴席に向かって土下座をした。
2008年11月13日の控訴審初公判で、弁護側は控訴理由について「市民3人のうち2人の殺害は小日向被告によるもので、一審判決は事実誤認。山田被告に殺意はなかった」として減刑を求めた。また事件は小日向被告の主導によるもので、山田被告は従属的な立場だったとの主張を展開した。そのうえで、山田被告が犯行に積極的に関与したと結論づけた一審判決は事実誤認だと訴え、「(死刑ではなく)一生をかけて罪を償う機会を与えてほしい」と減刑を求めた。
弁護側の主張に対して検察側は、店の営業時間中に乱入し、拳銃を発砲している時点で殺害行為に加担しており、死刑は免れないとして控訴棄却を求めた。
判決で長岡裁判長は「ほかの実行犯との間で事前に役割分担が決められ、多数の客がいる店内で拳銃を発射した犯行に酌むべき事情はない」と指摘。共謀はなかったとする弁護側の主張を退けた。そして「狭い店内で発砲すれば、客に当たることは想定できた。住宅街での銃器犯罪で、法治国家への露骨な挑戦だ」と指摘。「刑事責任は極めて重い。遺族らに見舞金を支払っていることなどを考慮しても死刑が相当。結果の重大性などを考えれば、死刑が重すぎて不当とはいえない」とした。
上告審弁論は当初2013年3月1日に指定されたが、裁判官の都合により延期となった。
4月26日の最高裁弁論で、弁護側が店の客に対する殺意を否定し、「事件での役割は従属的で、反省を深めている。死刑は妥当でない」と主張した。
判決で千葉裁判長は、「無防備な被害者に、計十数発の弾丸を発射した冷酷な犯行。暴力団とは関係ない一般客を射殺しており残虐で、地域に与えた影響は計り知れず、事件で果たした役割は大きい。真摯な反省があるとも言い難い。死刑判断を認めざるを得ない」と述べた。
小日向将人 裁判焦点
小日向被告は別の罪で起訴された後、2004年2月に乱射事件への関与を認め、事件の全容解明に向けて積極的に供述、捜査に協力してきた。しかし、論告で検察側は、捜査の過程から同1月上旬には同被告に強い嫌疑を抱いていたとして、同被告の供述を「自白」とは認めず、減軽理由となる「自首」には当たらないとした。また、同被告は具体的な襲撃方法の検討に中心的にかかわるなど「現場の指揮官的立場にあった」と指摘した。検察側は「罪のない市民を一方的に殺害するという非道この上ない残虐な殺りく行為であり、全国を震撼させた前代未聞の事件。矯正は期待できない」「暴力団特有の論理に基づく、他に例を見ない凶悪、残虐かつ卑劣な事件」として死刑を求刑した。
小日向被告は一貫して「店内にいるのは全員、敵だと聞かされ、撃たなければやられると思った」と供述。このほか▽自供により一連の事件が解明された▽真摯に反省している--などと主張した。
久我裁判長は、スナック店内に一般客がいる可能性も認識していたとして、「暴力団特有の極めて反社会的な犯行。遺族の被害感情は極めて峻烈」とした。小日向被告の自供で捜査が進展したことは認めたが、被告側の自首の主張は退け、「死刑をもって臨むほかない」とした。
判決を言い渡した後、久我裁判長は小日向被告に「私としては君には出来るだけ長く生きてもらいたい。遺族に謝罪を続けていって下さい」などと涙ながらに諭した。
控訴審で弁護側は、小日向被告の自白は自首にあたり、刑を軽減すべきだと主張したが、判決は「捜査機関は自白する前に被告を犯人だと特定していた」と退けた。また、同被告は、店内に一般客がいるかもしれないと考え、犯行直前に中止を進言していたが、判決では「最終的に襲撃を決断した後は、店内に何人いようと、殺害する意図があった」と指摘された。そして仙波裁判長は「被告の自白で事件の全容が解明され、その真摯な反省の態度は評価すべきだが、4人もの命を奪った責任はあまりにも重い」と述べた。
2009年6月12日の最高裁弁論で、被告側は「一般市民がいるとは知らなかった。自首も成立している」と死刑回避を求めた。検察側は「無関係の飲食客を殺害した比類なき凶悪事件」として、上告棄却を主張した。
判決で竹内行夫裁判長は「住宅街の飲食店で敢行され、一般客3人が殺されたことが地域社会に与えた衝撃は計り知れない。自らの手で2人を射殺し、犯行に果たした役割も大きい」と指摘。また自首については成立しないとした。そして「対立暴力団への報復で、動機に酌量の余地はなく、冷酷で残虐。事件の解明に協力し、首謀者の所属暴力団組長の命令で実行したことなどを考慮しても、刑事責任は重い」として、被告が事件の解明に協力し、反省していることを考慮しても、死刑が相当と判断した。
出典:kohinatam"