【死刑判決】宇土・熊本3人強盗殺傷事件の「田尻賢一」とは
熊本県宇土市医師妻強盗殺人事件
2004年3月13日、熊本県宇土市走潟町で午後3時40分頃、ゴルフ練習場から帰宅した医師が、自宅玄関で当時49歳の妻が血を流して倒れているのを見つける。妻は頭に殴られた跡が複数あり、顔を刃物で刺され、失血死していた。室内には血の付いた包丁が落ちており、物色した跡があった。
妻・千鶴子さんの死因
出典:???????????ч※??STOP????В羆坂?篁吟??菴純?? ????絅恰?у七罧...
顔面を鈍器のようなモノで殴られての失血死。顔面には、殴打の形跡が50箇所以上あったという。遺体の側には、根元から曲がっていた中津家の包丁が落ちていたが、千鶴子さんにはほとんど切り傷がなかった
熊本市会社役員夫婦強盗殺傷事件
2011年2月23日午後6時40分頃、熊本市渡鹿2丁目の民家から「男が大声を上げて、玄関をたたいている」「隣の人が血を流して倒れている」と2回にわたり110番通報があった。熊本東署員が駆け付け、民家の玄関近くで男性が、隣家の中で女性がそれぞれ刺されて倒れているのを発見し、救急車で病院へ搬送。病院で65歳女性の死亡を確認、72歳男性は重傷。
田尻賢一
2011年2月25日午後4時頃、熊本市長嶺東5丁目の無職の39歳男が家族に付き添われて熊本東署に出頭。26日未明、熊本市渡鹿の72歳会社役員方で、妻の65歳女性が刺殺され、72歳男性も重傷を負った事件で、熊本東署捜査本部は、殺人、殺人未遂容疑で無職の39歳男を逮捕。容疑を強盗殺人、強盗殺人未遂に切り替え、39歳容疑者を送検。3月19日、熊本地検は、強盗殺人、強盗殺人未遂罪で、無職の39歳容疑者を起訴した。その後、39歳男は、県警の調べで宇土市の事件を実行したことを認める供述をはじめる。県警は、男が宇土市での事件当時着ていたとされる衣服を男の供述通りに熊本市富合町の山中で発見した。
3月26日、熊本県警は、熊本県宇土市で2004年、医院長の49歳妻が殺害された事件で、無職の39歳男を強盗殺人、住居侵入容疑で再逮捕。4月16日、熊本地検は、強盗殺人、住居侵入罪で無職の39歳容疑者を追起訴した。
田尻賢一 宇土・熊本3人強盗殺傷事件【田尻賢一】
宇土・熊本3人強盗殺傷事件【田尻賢一】
供述
金銭目的で(右田さん方に)入った。現金10万円くらいと商品券2万円分を盗んだ
右田さん方が新築した後、仕事で家具を搬入したことがあり、金がありそうだと思った。借金返済のため思い立った
裁判焦点
裁判員裁判。起訴事実に争いはなく、宇土市の事件について自首が成立するかどうかが焦点となった。2011年10月11日の初公判で、田尻被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。
検察側は冒頭陳述で「両事件とも凶器を準備し、下見をして被害者が1人の時を狙った。最初の事件の7年後、再び金品を奪って殺害した。犯行はそれぞれ悪質。7年間にわたり平然と生活し、熊本市の犯行に及んだ。両事件とも言い逃れができないと考えるまで自白しなかった」と指摘した。また、熊本市の事件について自首の成立を認めたが、宇土市の事件については「取り調べで初めて供述した」と述べ自首は成立しないと主張した。一方、弁護側は「強盗は計画的だったが、殺意の発生は偶発的なもの。当初から確定的な殺意があったわけではない」と主張。被害者から抵抗されたり、悲鳴を上げられたりしたことから、田尻被告が動転して殺害に及んだと訴えた。宇土市の事件についても「宇土市の事件は発生から7年が経過して迷宮入りし、検察官から提出された証拠を検討しても、被告の自首と協力なくして、事件の立証はできなかった。自首が認定されるべきことは当然」と自首の成立を主張し、情状酌量を求めた。
10月14日の第4回公判では、それぞれの事件の遺族が、いずれも極刑を訴えている。田尻被告は被告人質問で弁護人から「遺族が極刑を望んでいる」と伝えられると「当然だと思います」と述べた。
10月17日の論告で検察側は、宇土市の事件は取り調べ中に自白したもので、自首に当たらないと強調。永山基準に従って今回の事件を整理し、「2人の命を奪い、1人に重傷を負わせた被告を無期懲役にしたのでは、罪と刑罰の均衡を図ることができない。心理的抵抗を感じず、残虐極まりない犯行を繰り返しており、命をもって償いをさせるほかない」と結論づけた。一方、弁護側は最終弁論で「(自白は)犯人発覚前のもので、自首の成立が認定されるべきだ」と主張。公判では正直に喋って反省しているなどと主張し、有期懲役か無期懲役を求めた。
田尻被告は最終意見陳述で、声を震わせながら「何の罪もない人たち(実名)の命を奪って本当にすみませんでした」と、検察席と傍聴席の遺族らに向かって頭を下げた。
判決理由で鈴木裁判長は動機について、パチンコや風俗店で使った借金返済のため強盗殺人を繰り返しており「身勝手かつ短絡的」とし、凶器で顔を執拗(しつよう)に狙った手口も残虐と批判。そして、「犯行の経緯や動機に酌むべきところは全くなく、結果も深刻だ。最初の事件から7年後に同様の手口で再び犯行に及んでおり、罪責はまことに重大だ」と指摘。争点の自首について鈴木裁判長は「自発的に供述したとは到底言えない」として認めず、熊本市の事件での自首も「罪の意識からではなく、逃げ切れないと考えた経緯を考えれば過大に評価できない」と述べた。
11月1日、田尻賢一被告の弁護団は判決を不服として福岡高裁に控訴した。弁護団は、(1)熊本市の事件が自首とされながらも軽減対象にならなかった(2)宇土市の事件で主張していた自首が認められなかったことを指摘。「量刑は不当だ」としており、田尻被告は「判決に特に不満はないが、弁護人の方針なら受け入れます」と話したという。
2012年3月7日の控訴審初公判で、弁護側は、死刑制度の違憲性を訴えるとともに、自首が成立するなどとして改めて死刑回避を求めた。検察側は控訴棄却を求めた。田尻被告は被告人質問で遺族に謝罪し、被害者参加制度を利用した夫婦の長男が意見陳述して結審した。
判決で陶山博生裁判長は、自白について「詳細に供述し、事件解決に多大な寄与をした」と評価したが、「捜査官からの取り調べを受け、もうごまかせないと思って自白した。自発的申告とは言えず、約7年間もひた隠しにしており遅きに失する」と判断し、「極刑を回避する事情には当たらない」と指摘した。また、日本の絞首刑は残虐な刑で違憲とする弁護側主張に対しても「過去の判例から違憲ではない」と退けた。そのうえで、判決は、最高裁が1983年に示した死刑選択の基準「永山基準」に基づいて量刑を検討。「7年前の事件を自供したことからも反省の気持ちはうかがえるが、犯情の極めて悪い重大事件では反省などの情状が量刑に与える影響力はかなり小さい」と指摘し、「人命軽視の危険な性向は顕著で、矯正は極めて困難。死刑を回避すべき特段の事情はなく、極刑と判断した一審判決はやむをえない」と結論付けた。
4月19日、弁護人が上告した。9月10日付で上告を取り下げ、確定した。
出典:tajirik"