<Floret>9月の花・萩ハギ・カボチャ・蕎麦・ガーデニング・ミケーネ・シュリーマン・アガメムノン
★雲
雲に包まれた地球をよく見たのは、スペースシャトルからの映像だった。地球は、水を湛え、大気中にも水蒸気が浮遊する<水の惑星>。
地上の水に太陽が照りつけると水蒸気になり、塵などを核にして空高くに上がっていく。
それから徐々に冷やされて、直径10ミクロン位の小さな「水滴」や−20℃以下では「氷の結晶」に変わり、<雲>を作ります。
対流圏内の雲は、国際的に十種雲級に分類されるが、形状での分類は3種類。
氷の粒が落下し、風に流され刷毛で書いたような雲は「巻雲」。
膜のように水平に広がる雲は、空気が穏やかに上昇する時に発生する「層状雲」。
雲が浮力で上昇して塊になったのは「積雲」と呼ばれます。
人工的な雲は、工場などの煙突から出た水蒸気がそのまま雲になったり、飛行機から排出される水蒸気が作る飛行機雲などです。
この飛行機の雲は、下の雲に氷の粒が落下し、雨を生む雲を作る時もあるそうです。
水滴や氷の粒が日光を反射して白く見えることなど頭の片隅にもなく、形を変える雲がただ面白くて、ぼんやりと空を見上げていた時間があった。
★花暦「彼岸花(ヒガンバナ)/曼珠沙華(マンジュシャゲ)」
ウメ、サクラ、フジなどを抑えて最も多く登場する花です。
秋の気配を感じ始める頃とハギの花期が重なり、花枝が風に揺れる姿に秋の訪れを感じたのでしょうか。
万葉の時代も、蒸し暑い夏が続くと秋を待ち望む気持ちは同じだったようです。
また、一輪一輪の花を見ると、決して目立つ花ではありませんが、秋風に、小さな花が、はらはらと散るその姿をも好んだ人々の心も推し量ることができます。
絵画や美術工芸品においては、ススキと一緒に描かれた作品も多く残っています。
ハギの仲間は、ハナハギ、ヤハズソウなど沢山ありますが、一般的にハギと呼ばれているものは、ハギ属の約40種のうち、木本的な習性を持つグループを指し、ヤマハギの別名とされています。
ワスレナグサやスイトピー、ゴデチア等は15℃以下になる10月蒔きに適した品種もありますので注意してください。
種子袋には簡単な説明が記されているものが多いのですが、園芸書などで品種ごとに下調べすることをお勧めします。
今思い描く春の花壇を実際に完成させるのは至難の技ですが、色の組み合わせや高低差、株の大きさ、開花期などを考えておくと失敗が少なくなります。
一面に同じ花が咲くのも見事ですが、多品種の組み合わせは、オリジナルで花のある時間を長く楽しむことも出来ます。
小球根類のサフラン、クロッカス、オキザリスなどは、今月上旬には植えましょう。
10〜11月に植えるチューリップやヒヤシンスなどの秋植え球根類のために、堆肥や腐葉土を混入する土作りは今月中に済ませておきます。
春植え球根のグラジオラスなどには、花後にお礼肥を施します。
夏の間、半日陰に置いていたゴムノキやドラセナなどの観葉植物は、下旬頃から直射日光に徐々に慣らしていきます。
根詰まりを起こしているものは、根を整理し、新しい用土に植え替えると元気になります。
庭木には、根や茎葉を充実させるために、リン酸とカリの多い肥料を株元にやります。
大きくなったツバキやサザンカなどの常緑樹の移植の適期でもあります。
収穫後の果樹へのお礼肥、ボタンやシバザクラ、アルメリアなどの株分け・植え替えなども今月の作業です。
★カボチャ
我が家の庭は、もうすぐカボチャに占領されそうだ。生ゴミから作った堆肥の中の種子が発芽したようだ。
発見してからツルをあちこちに移動しつつ雄花が10ケほど咲いた先に雌花が花を付けた。
手引書によると「早朝に雄花を取り、おしべを雌花に人工授粉するように」とある。しかも「必ず」と。
しかし私は、Bee Balm(ベルガモット)も植えてある花壇に集まる虫たちの役割を信じてみた。
案の定、全ての雌花は立派な実になっていった。
食卓はカボチャのフルコース。
カボチャスープ〜カボチャコロッケ〜カボチャケーキetc.
★in the season「蕎麦」
蕎麦(そば)は成長が速く、種子を蒔いてから2ケ月程で結実する種類もあります。そば粉は、花後の果実の胚乳から作りますが、本来つなぎに使っていた小麦粉の分量が多く、蕎麦独特の食感や香りが少ないものも多く流通しています。
蕎麦は、稲と同時期の縄文晩期に渡来したようですが、稲のように貴重な食品とは考えられておらず、江戸時代になってから現在のようにそば粉に製粉されて麺になり、江戸時代の後期には、年越し蕎麦や引っ越し蕎麦などが生活習慣として定着しました。
栄養価については、たんぱく質や食物繊維を多く含み、動脈硬化などの予防効果もあるといいます。
★海を越えて
黄金に富むアクロポリス「ギリシャ・ミケーネ」
ミケーネはギリシア本土のアルゴス平野にある。1876年にシュリーマンによって発見され、高度なミケーネ文明の存在が明らかになった。王宮跡には巨大な石造建築物の獅子門などがあり、また黄金のマスクなどの金製品が多数出土した。それによってこの遺跡はミケーネ王国の王都跡であることが明らかになった。
ミケーネ文明は、前1600年頃、アカイア人を第一波とするギリシア人の南下によって、クレタ文明に代わってギリシア本土に広がったと考えられ、ミケーネ遺跡はティリンスやピュロスとともに、規準となる遺跡である。
前1200年ごろには荒廃したらしく、ポリス形成の時代以降は忘れ去られ、ローマ時代にはすでに地下に眠っていた。シュリーマンはホメロスの叙事詩に触発されてトロイア遺跡の発掘に成功、さらに続けてミケーネの遺跡調査にあたり、多くの黄金製副葬品を伴う王墓を発見した。
<怒りを歌え、女神よ!ペレウスの子アキレスの忌まわしい怒りを。あの怒りこそアカイア人に・(中略)・人々の王者なるアトレウスの子(=アガメムノン)と神々しいアキレスとが口論し・(後略)>24巻15,000行以上に及ぶ「イリアス」の書き出し。
そして「オデュッセイア」。
この世界最古とされるホメロスの叙事詩には、ミケーネ時代(紀元前16〜11世紀頃)の人間が登場する。
この詩をドイツの貿易商人、ハインリッヒ・シュリーマン(1822〜1890)は、幼い頃から史実だと信じ続けた。
そして50歳を過ぎて、ついにトロイア戦争のギリシャ軍総大将=アガメムノン王の居城を発見し、黄金に富むミケーネの伝説を現実のものにした。
ミケーネはアテネから約2時間半。オリーブがわずかに育つ荒れた丘を歩き、獅子門をくぐってすぐの所に円形墳墓があった。
シュリーマンがアガメムノン王のものだと確信した黄金のマスクを発掘した夢の跡だ。
妻に殺されるアガメムノン王と、砂の中から次々に現れた黄金を見るシュリーマンが交互に重なりながら、頂上の王宮跡に立った。
後ろを振り返ると、広々としたアルゴリス平野の向こうに、輝くエーゲ海。葡萄色なす海原の・・・