<保存版> 江戸後期から明治時代にかけての日本の古写真
これらの写真は、1863年から1877年の間に写真家のフェリーチェ・ベアトによって撮影されたものである。世界初のフォトジャーナリストのひとりとして広く知られているベアトは、当時、横浜に住んでいた。高級娼婦、芸者、日常のなにげないシーンなど、幅広い対象を写真におさめた。
これらの写真は、フランス、パリのヴェルデューギャラリーが保有しているが、今週から英ロンドン、エンバンクメントのトゥー・テンプル・プレイスで開かれるロンドン・フォトグラフ・フェアのオープニングで展示されている。ベアトの見事な写真はこのフォトフェアの見どころのひとつであるが、このフェアは1840年代にさかのぼる独特なショット、写真の新時代を担う秀逸な作品をイギリスに紹介するきっかけとなっている。
スタフォードシア出身のイギリス人発明家トマス・ウェッジウッドが、初めて芸術として試みた写真は1800年に登場したが、これは失敗に終わった。次はニセフォール・ニエプスが、1822年に自分が発明したヘリオグラフィーという技術を使って、1826年に世界最古の写真を撮った。これは高窓から撮ったフランスの風景で、今でも残っているが、ぼんやりした不鮮明な写真だ。1839年にルイス・ダゲールが、現在わたしたちが知っている写真法、銀板写真を初めて発明した。
それぞれの写真は手書きで色をつけた。1800年代はまだ手間のかかる時代だった。
1841年にヘンリー・フォックス・タルボットのカロタイプ写真が世界に紹介されたように、その後、さまざまな写真法が生まれ、ベアトやウィリアム・ヘイズ、ジェームズ・ロバートソンのような当時の写真家たちが道を開き、キャリアを開花させる助けになった。ヴェネチア生まれだが、当時イギリスの保護領だったコルフに家族の住まいがあったため、イギリス市民になったベアトは、コンスタンティノープル(現イスタンブール)への旅で、のちのビジネスパートナーで義理の兄弟となるロバートソンと共に写真家としてのキャリアを踏み出した。
1855年、クリミアで戦争が勃発したとき、ベアトはバラクラヴァに向かって、戦闘の様子や経過を記録した。これで世界初の戦争写真家のひとりとなった。
その後、ベアトはインドへ向かってから1860年に中国に行き、そこで第二次アヘン戦争で、英仏軍と中国の清王朝との戦いを写真におさめた。彼の撮った中国の写真には、ヴィクトリア朝ホンコンのたくさんのショットや、英軍に抵抗して死んだ中国軍兵士たちの死体が累々とした大沽砲台など、初期のものもある。