早死にする職業、健康に悪い職業、そして職業に関係なく早死にするかもしれないこれから
告白しますと、私は過去に母親から受け継いだ『ミトコンドリアDNAハプログループ』というのを調べてもらったことがあります。人間ドックのオプションの中にあった「遺伝子からあなたのかかりやすい病気が分かる」という項目に目をやりますと、心臓病になりやすい人、ガンになりやすい人、高血圧云々のほかに、ミトコンドリアDNAであなたの先祖がどこから来たかが分かるとあります。ここに心奪われてしまった私は衝動的に(私の行動はほとんど衝動的です)申し込んだのであります。
結果は、いわゆる「長生き」の遺伝子だそうで、そういえば祖母もその母も90代で亡くなってました。てことは我が老母もおそらく長生きすると思われます。私はいかなる寿命にやあらむ。
なぜならば、家系を見ると男性群は60代から70代で死んでおり、どうも長生きではないからです。
それからすると長生きの遺伝子を持ちながらもそれを活かしきれずに早世する運命やもしれません。
どうでもいいような私事でしたが、その人の持つ遺伝子もあるでしょうが、毎日の食事もその人の仕事も寿命に関わってきます。(今日のところは食事は脇に置いておきます。)
危険度の高い職種はどうしても寿命に影響を与えるでしょう。生命保険でもこの点はチェックがあります。時間に追われる仕事、たとえば運転士や飛行士、新聞や出版関係の人はストレスに圧迫されているから厳しい仕事だということを昔から聞いていました。それらがコンピューターで自動化されたりインターネットで配信されるようになることが今後の寿命に多少は影響を及ぼすかもしれません。
ところで、興味深い記事を見つけました。
http://longevitysecret.info/longevity/occupation.html
人生の長い期間、従事する職業は、意外と寿命にも影響を与えているのかもしれません。中でも自由度が低くてストレスがたまりやすく、勤務時間が不規則になりがちな仕事が短命だといわれています。
早死にする職業はやはり強烈なストレスと深い関係がありそうですね。詩人や作家は短命なのですね。
最も健康に悪い職業は?
この職業の人は早死にする!?『最も健康に悪い職業ワースト10』(吉田沙羅さん)の衝撃的なタイトル記事をご紹介しましょう。これによれば、
この職業の人は早死にする!?『最も健康に悪い職業ワースト10』
http://irorio.jp/asteroid-b-612/20131205/93634/
日本でも、「きつい」「汚い」「危険」の3拍子揃った仕事は“3K”と呼ばれ、敬遠されている。当たり前だが誰だって精神的にも身体的にも害になるような仕事はしたくないだろう。そこでアメリカのニュースサイトBusiness Insiderが、労働省のデータベースOccupational Information Net
「この職業の人は早死にする」とありますが、『もっとも健康に悪い職業』ですので、早死に直結するとはいいきれませんが、それでもなるほどと思いますね。
ざっとみて気づかされるのが医療系の仕事が多いという事です。さらに「健康リスクトップ3」を見るとその理由に首肯できます。
特に目を引くのが、「汚染物質にさらされる」や「病気や感染症にさらされる」というリスクです。
知らないうちに汚染物質や病気、感染症にさらされる時が来ているかも
わたしゃ思うのです。「こういう職業だとこういうリスクがある」という分かりやすい図式ならば職業に関した事なので、そのリスクを回避しようと思えばできるわけですが、我々が知らないうちに汚染物質(食事ももちろん含めて)にさらされてしまうとか、知らないうちに恐ろしい病気や感染症と隣り合わせで暮らしている環境というのが一番恐ろしいんじゃないかって。
で、ここから話はズレていきます。その恐ろしい環境をもし人為的に操作できたら、、と思うとぞっとします。しかしそれは既に始まっていると思うのであります。(わたしゃ陰謀論者でもなんでもないですよ。)
例えば何か薬ができた時とか、発明された時、新製品が出た時、どういう目でそれらを眺めるかと言いますと、「その基本を兵器として使えるかどうか」という視点で見ます。そうするといろいろな事がみえてきますので、負の妄想が大きく広がっていくわけです。
どうしてもこちらに目がいくのですが、放射能汚染も知らないうちに(味もなければ色もない臭いもなし)人を凄まじい危険にさらします。汚染されているとわかっていて放置(人為的にといってもいいでしょう)するのは、人体実験をやっているとしか思えません。
なんだか、自分が思っていた流れと違う方向に行ってしまいましたが、無理矢理強引にまとめますと、職業が寿命に影響する可能性は高いのですが、これからは職業に関係なく我々は短命という環境にさらされていくのではないか(いや、すでにさらされている)ということが言いたかったのであります。