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ファニートンボとペリー・ザ・ホボの物語

サムネイル出典:

ファニートンボとペリー・ザ・ホボの物語

Original:

One-Man Band Sings "No Woman No Cry"

Posted date:
Update date:2014年06月15日
ファニートンボとペリー・ザ・ホボの物語

2003年5月、久しぶりにペリーのホームページを見た。

「3月22日午後3時、ニューオリンズのクラウン、多量の薬物投与により、ボストンにて死亡」

心の師と仰いだ彼の訃は、あの旅の思い出にピリオドを打った。

昔からアメリカの音楽が好きだった。そしていつかアメリカを旅したい、そんな夢があった。普通の旅では面白くない。「見る旅ではなく、見せる旅」にしようと、以前から興味を持っていた多くの楽器を同時演奏する大道芸、「ワンマンバンド」の旅を計画した。

当時、演奏技術も語学力さえも未熟であったが、旅に対する誠実さと出会いを求める勇気があれば、最高の旅になるという確信があった。

2000年5月から8ヶ月間、アメリカ・カナダ大道芸横断の旅が始まった。

ペリーと最初に出会ったのは忘れもしない2000年5月18日、場所はニューオリンズのジャクソンスクエアという広場。僕の記念すべき旅の始まりで、大道芸デビューの日のこと。

初めての大道芸、緊張で顔が引きつっているのが分った。お客さんが遠くで見ているが、チップなど入れるわけもなく、時間だけがむなしく過ぎていった。

すると一人のクラウンが僕の方に歩いてくる。目の前まで来ると彼は左手をそっと胸に、右手は僕を差し、そして観光客が集まる広場の真ん中で、いきなりこう叫んだ

「どうか彼にチップを!」

彼は1ドル札をギターケースにそっと置いた後、僕の肩を軽く叩き、僕から去っていく。するとそれを観ていた客は「良かったよ」とチップを入れてくれた。

そう、あのクラウンは僕にとって最初の客であり、最初に出会った大道芸人。彼の名はペリー・ザ・ホボといった。

僕は彼をバーに誘い、友達になった。デビューと出会いを祝し、彼が愛用している「トップハット」がほしかった。

「この帽子は古くて汚い方がチップの入りが良いんだ」と気の利いたアドバイス。その日以来、広場には一方ピカピカ、一方はボロボロ、二つのトップハットが広場に並んだ。

彼は人懐っこい所が魅力のひとつで、さらに輪を掛けてとてもシャイな所がまた人を寄せ付ける。彼の人柄が大いに芸に生かされているように思えた。

そんな彼を師と仰ぎ、僕は次の町へと向かった。

カナダに入って横断し、再びアメリカへ。メキシコを経由しながらこの旅のスタート地点、ニューオーリンズにたどり着いたのは半年後のこと。

懐かしのニューオーリンズに心躍ったのをよく覚えている。安宿でチェックインした後、夜行バスの疲れを忘れ、すぐにあの広場へ向かった。

街並みは当時となんら変わらず、ただただ懐かしい湿った風が、この地を去ってからの時間の経過を、ゆるやかに縮めてくれた。

ペリーだ。バルーンを使い、観光客を楽しませている。僕はすぐに声をかけることなどできなかった。半年もの間、ずっと目標だった彼の存在は、想像以上に大きくなっていたのだろう。僕の方へやってきて隣に腰をかけた後、ゆっくり口を開く

「今日の調子はいまいちだ」

前に会ったのは半年前のたった三日間、彼はそんな僕のことを覚えてくれていたようだ。

「僕を知ってるの?」そう返すと彼は笑った。

「一緒のトップハットをかぶっている限り俺達は兄弟さ!」

旅を始めた時よりずいぶん語学力が付いたせいか、僕たちはいつも一緒にいた。そこで感じたのは、ペリーは警察には煙たがられていたものの、多くの観光客のみならず、市民にも愛されているということだった。友達や、客にまで僕を紹介してくれるその姿は、まるで「兄」のようだった。

しかし、そんな楽しい日々はつかの間、別れの日はやってくる。

「俺のために歌ってくれないか?」と彼、「もちろん」と僕。いつも彼がパフォーマンスしている場所で準備をする。

「今から私は最高の友であるペリーにスタンド・バイ・ミーを捧げます」

デビューしたあの夏を思い出しながら観衆に向けてそう言った。客がいなかった頃と比べ、目の前には人だかりができていた。僕の成長を彼はずっと見守ってくれていた。今までの旅が走馬灯の様に流れ、その思い出を観衆はやさしく包み込む。あるものは歌い、あるものは踊っていた。

客の隙間から顔をのぞかせては引っ込み、すこし照れが見える彼の顔を僕は胸に刻み込む。別れの曲が終わると、彼は観衆に見向けてこう叫んだ。

「こいつは帰ってくる、再びこの場所で歌うだろう!」

僕は深くうなずいた。

大道芸という自由な世界に手を引いてくれたペリー。

彼の訃を知った時の僕はショックで涙さえ出ず、頭が真っ白になったのを覚えている。

ーー彼の腰にぶら下がっているチキンの人形には、薬が詰まっていた。

ショックは和らぐどころか、どん底に落ちていくばかり。読んでいると、後半に幾つかの写真を見た。

そこにはニューオーリンズの市民、大道芸人、ミュージシャンが立ち上がり、彼のためにパレードを行った光景が写っていた。

鳥肌と共に涙があふれた。彼が長い年月で作り上げた深い信頼、まさにそこに愛があった。彼がいないパレードは、彼が演じた最期のパフォーマンス。それをニューオーリンズの空から初めて観客として見ていたのだろう。

あの約束。かけがえのない第二の故郷、ニューオーリンズで再び歌う。

その時がきたら天国の彼に、僕からプレゼントしよう。

当時ピカピカだったトップハットは、すでにボロボロになっていた。

ワンマンバンドを始めて10周年の夏、僕はペリーとの約束を果たした。

ペリー、本当にありがとう。あなたは永遠に僕の友であり、兄弟であり、心の師です。

「どうか彼に安らぎを・・・・・。」

そう心で言いながら、僕は彼と出会った場所にプレゼントをそっと置いて、その場を去った。

出典:大道芸人 FUNNY TOMBOW the ONE MAN BAND ペリー・ザ・ホボ

ワンマンバンドの大道芸人、ファニートンボさんと永遠の友達でもあり、心の師匠でもあるペリー・ザ・ホボさんの物語。

人生を自由に闊歩する2人の友情物語は心に沁み入る内容で、好きに生きることもそうですが、出会いを大切にする2人の生き方って素敵ですね。

エンタメ・カルチャー

●名前   小林友哉

●住所   愛知県

●師匠   ペリー・ザ・ホボ

●芸名の由来

幼少期についたあだ名は「トンボ」。その後、大道芸を始めた旅の中でよく「Funny」と呼ばれていました。

過去と今を材料に未来を創造できるという意味を込めて、自らを「ファニートンボ」と名付けました。

●趣味

創造することは何でも好きです。絵画、彫刻、家具作りや音楽。ワンマンバンドは自分の作った楽器で演奏することから、最高の趣味といえるでしょう。

彼の情報はオフィシャルサイトから随時更新されますので気になった方は是非閲覧して下さい。大道芸人 FUNNY TOMBOW the ONE MAN BAND

実はファニートンボさん、去年の2013年08月04日にホテルで倒れ、病院に行き検査をした結果、脳梗塞になり左半身が動かない状態になったという知らせをブログで見ました。。

物凄く心配です、みなさん陰ながらでいいのでリハビリして身体がちゃんと動くように一緒に祈りましょう。

どうか、お願い致します。

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著者プロフィール
マツオカソウヤ

プログラマー。Sharetube作ってる人。サーバ周り、サービス設計、システム、デザイン、執筆を手掛ける。SNSのJoinchrome、ソーシャルRSSのBazzfeed、TwitterアプリのPicleの失敗を経て、今に至る。今日もまた東京の何処かでコードと記事を書いています。