大阪の釜ヶ崎と東京の山谷から、労働者の大半が消えてしまった!!

著者:
投稿日:
更新日:

一時は、「原発特需」でにぎわった地区であったか、青いテントが、姿を決してしまった。

住む者がいないのだ!


残っている労働者に原発の話をすると・・・・・


「原発に行ったものは、誰も帰ってこんがのう!!」


「恐ろしくて、もう誰も行かんが!!」


どこかほかで、元気にしているのでは・・・・・・・


「いきてりゃ帰って来るくさ!!」


「おまはんたちにゃあ分からんだろうがのう」


「ここに住んだら、よそにゃあ住めんばい」


1,000人近い労働者が行方不明とは・・・・・・!!

1,000人近い労働者が行方不明とは・・・・・・!

『大阪の釜ヶ崎と東京の山谷から、労働者の大半が消えてしまった!!』1000人以上が行方不明?!

	

多重請け負いのシステムでカースト制度での最下層身分のような立場に置かれ、死亡しても身元引受人の現れない労働者。全国からかき集められている多くのホームレスの人々。かつての東京五輪の建築ブームでの、山谷や釜ヶ崎の労働者使い捨てと同じと。

	

山谷、寿町、釜ヶ崎。かつては活気と日雇い労働者であふれたドヤ街も、経済停滞が続き仕事は減り、労働者の高齢化が進み、街の一部には一般住宅街が進出し、以前とは様子が大きく変わっている。アルジャジーラが取材した、ドヤ街の今とこれから。

	




著者プロフィール
Sharetube