被災地関係者の方々へ・・・参考になればと、シェアしてください。 東日本大震災、体育館避難所で起きたこと 佐藤一男 / 防災士
東日本全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。その際に気になった点を記させていただきます。
小学校体育館避難所の初期(4日目まで)
3月12日、中学校から移動して来た人は200人を超えていたと思います。室内でしたが、いつでもどこの出入り口からでも避難できるように土足で生活していました。移動してすぐに確認したのは、トイレと水です。体育館のトイレは合併浄化槽につながっています。電気のない状態でトイレを流せば壊れる危険性もありました。
浄化槽の業者さんに問い合わせると、「水で流し込んでもらえば、なんとかなります。定期的に見に行きますから」とのこと。その日からバケツに水を汲み、大便をした時だけ水で流すことを決めました。みんなで順番に近くの川から水を汲み、トイレを流しながら使っていました。
一方、飲食に使う水を、川から汲むわけにいきません。調べて廻ると車で5分程度の所に2箇所、湧き水を汲める場所が見つかりました。それぞれ、土地の所有者さんが落差を利用しホースをつないでくれていました。水を運ぶ入れ物も、近所の農家さんがりんご畑に水を運ぶために持っていた500リットルのタンクを借りることができました。そのタンクを軽トラに積み、毎日交代で朝と晩に水汲みして飲料水と調理用に使います。
次は、食事を確保しなければいけません。校舎内にプロパンガスによる調理室がありましたが、鉄筋コンクリートの建物の中を鉄のパイプが配管されている設計で、地震で校舎にひびが入っている状態では怖くてガスを使うことができません。電気が来ていないためガス漏れ警報機も作動しません。
幸い、100mほどの所に保育園がありました。調理場もあります。古い園舎でしたが、そのぶん、ガスの配管はむき出しで接続はゴムホースでした。つなぎ目に洗剤を溶かした水を塗り、ガス漏れがないことが確認できたので、保育園の調理場でおかずと味噌汁を作り、避難した3月12日から暖かい食事を続けることができました。
被災した3日目には水・米・野菜・毛布といった個人レベルでの支援物資が届きました。近くの工事現場に務めていた人が、大型の発電機を運んでくれました。近所の炊飯器を2台持っているお宅から炊飯器を借りてきました。発電機と米と炊飯器、米を炊くことができます。しかし、200名に対して5合炊飯器6台。フル回転しても全員にはご飯は届きません。全員に届く頃には、次の食事の時間でした。
夕方には、被災を免れたものの電気がないために保管できなくなったということで、大船渡のお寿司屋さんから握り寿司が届けられました。また、同じように大船渡から「かもめの玉子」も人数分いただきました。寿司と甘いもの、この状況には贅沢すぎる食べ物です。涙を流しながら皆で食べました。
4日目には自衛隊の第一陣が米崎小学校に様子見に来ました。米崎小学校では、グラウンドを半分あけ、自衛隊が到着しだい活動できるように指示されました。自衛隊はすぐに作業に取り掛かり、お風呂、大量の炊飯、洗濯設備を設置しました。お風呂に入れるようになったのはそれから3日後ですが、ご飯はすぐに炊き上がりました。
暖かいおにぎりを人数分、皆で食べることができる。炊事の担当をしていた人も一緒に食べることができる。なによりの幸せでした。おかずや味噌汁も欲しくなります。
この4日間、避難者みんなが自発的に炊事、掃除、物資の整理、修理、外来者対応などをしていました。そうすると、自然と各作業の取り纏めと指示をする人が見えてきます。総括として受付にいた私から見て、各分担の中心となる人物を一本釣りで集めて、運営役員を決めました。
出典:東日本大震災、体育館避難所で起きたこと / 佐藤一男 / 防災士 (2)役員は最初に物資を取らない 役員が決めたことに協力してもらうためには「役得」と思われないように行動する必要があります。ですので、役員が先に物資を取らないと役員会で決め、周知もしました。どんなに立派なことを言っても、「役得」だと思われたら、誰も耳を貸してくれなくなるでしょうから。 (3)決まったことの説明は全員が揃った時に行う 避難所にいる人たちのほとんどが、家族が行方不明になっていたり家が流されているために、捜索や片付けに行きます。物資が届くたびに配布していたのでは、物資の配分に偏りができます。ですので、いただいた物資はすべてステージや二階のギャラリーに重ねておき、今日は衣類の配布、明日は靴の配布などと、毎日夕方に時間を決めて配布しました。そうすることにより、食事の支度や全員での掃除の時以外は自由に行動できるようになりました。 (4)持ち物による強弱を作らない まずは、携帯電話の充電器をすべて集めて、皆の携帯電話を事務局管理で充電しました。全員から借りると、DoCoMo、au、softbankのガラケーとスマホ用と全てありました(当時はガラケー率が8割くらいで、充電器も統一されていませんでした)。個人的に貸し借りしても良いのですが、毎回頭を下げて借りていると全体的に強弱が出てしまいます。私たちは、なるべく持ち物による強弱を作らないように心掛けました。 出典:東日本大震災、体育館避難所で起きたこと / 佐藤一男 / 防災士 阪神の教訓 経験を今こそ活用したいhttp://www.sankei.com/column/news/160420/clm1604200002-n1.html …避難所の運営管理は行政だけでは到底無理。運営がうまくいったところは、避難所で自然発生的に生まれた自治会と、それをサポートするボランティア組織が機能したところであった。そこには成熟した市民性が感じられた
「あります」と「ありません」を全員に知らせるためにすべての物資を見えるところに重ねておきました。 SYNODOS -シノドス-