万葉の頃から江戸時代まで日本人は性におおらかだった!

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「夜這(ば)い」こそ日本の伝統!

「夜ばい」の風習を実体験に基づき書き上げた「裏民俗学」の大家赤松啓介先生の『夜這いの民俗学 夜這の性愛論』は不朽の名作です。柳田民俗学では絶対に語られる事のない本当の日本の風俗がここに書かれています。特に村の若衆を筆下しする場面があります。後家さんや経験豊富な熟女が若衆の相手となって三日三晩性の手ほどきをするのですが、男女が「南、無、阿、弥、陀、仏」と6文字のなかの一字が書かれた札を持ち、それが一致したもの同志が相手となります。狭い村の事、母子で相手するという事もあったようですな。村という生活単位は全体が生きていくための「工夫』がなされておりまして、夜ばいで妊娠しても殺すような事はせず、その生んだ母親の家の子供として育てられるってわけです。

赤松氏は明治新政府の西洋風道徳が、日本から性のおおらかさを奪った元凶であると、蛇蝎のごとく嫌っておりました。


げにもげにも、さこそあらめ!

歴史上の性豪と言われる人たち

target="_blank">日本史に眠るトンデモ「性豪」伝説! ご先祖様たちはこんなに大らかに楽しんでいた 道鏡から伊藤博文まで
賢者の知恵 現代ビジネス [講談社]
class="matome_content_block_link_description"> 日本史に眠るトンデモ「性豪」伝説! ご先祖様たちはこんなに大らかに楽しんでいた
恋多き平安の女流歌人が歌に残せしエッチの体位として浮かぶのが有名なこの歌。

「黒髪の 乱れも知らずうつぶせば まずかきやりし 人ぞ恋しき」

わたしゃこれなど、(ドギーなスタイルで乱れて絶快の境地に果て、)ふと気づいたときにはあのひとが髪をかき分けてくれた、ああ、(既に死んでしまった)あの人が恋しい!と既に亡くなったあの人とのエッチを思い出しているのだとその意味を汲み取ったのですが、そういうことは真面目であるべき学者は絶対に著書の中では説明しません。

カッコ内は私の勝手な解釈です。でも和泉式部という女性をひもとくとこういう結論になります。

神社の拝殿で乱交パーティは別に珍しい事ではなかった!

『好色一代男』54年にわたり3,700人以上にも及ぶ主人公世之介の性遍歴!

『源氏物語』のパロディ版が井原西鶴の『好色一代男』(『源氏物語』54貼にちなみ、この物語も世之介7歳から60歳までの54年の遍歴としたのです)です。主人公の世之介が7歳で性に目覚め、3,742人以上の女性とナニの連歴を重ねるという(女性のみならず少年725人とも。当時は男性と少年の同性愛は普通の事でした)、俗に文学界の中では「浮世草子」と呼ばれる分野の読み物です。

屋根の上から行水中の女を望遠鏡でのぞくなんてオツじゃありませんか。

京都大原の神社の拝殿で(原文には神社名の名前はありませんが「江文神社」と言われています。その神社に言った人の話では「かなり奥なので、西鶴は実際には現地にはいかずに風聞で書いたのだろう」とのことでした。

「雑魚寝とて、庄屋の内儀、娘、下女下人に限らず、老若の分ち無く」乱交パーティーが一夜繰り広げられ、「70に及ぶばばあ驚かせ」るなどして江戸時代の男女は戯れておったのでございます。

こういう雑魚寝は江戸時代には全国的にあったようですが、明治新政府が風紀が乱れるということで禁止しました。

実は『万葉集』にもおおらかな(というか率直な)歌が

『万葉集』の巻16は性におおらかな歌がけっこうありますね。

表現も直接的です。少しだけあげてみましょう。原文は「万葉がな」ですので現代ひらがなでご容赦を。(また、日本の若にはすべて番号が付けられていますが、その番号は省略します。)


恥を忍び恥を黙して事もなく物言はぬさきに我れは寄りなむ

否も諾も欲しきまにまに許すべき顔見ゆるかも我れも寄りなむ

春の野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに

家にありし櫃にかぎさし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて


私の誤訳妄想でせうか。

これらはもっと書きたい事がたくさんありますな。




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Sharetube