Facebookから逃げ出す若者たち・・・日本のfacebookは中高年の居酒屋感覚か?

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月間アクティブユーザー数が16億5000万人を超える(2016年4月時点)世界最大規模のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、フェイスブック(Facebook)。日本だけでも月間アクティブユーザー数は2500万人を超える。その「世界一のSNS」で今、「若者離れ」が進んでいるという。その結果、フェイスブックは、中高年ユーザーたちが自らのリア充(リアルな世界で充実した生活を送ること)をアピールし合う場になってしまったというのだ。Facebookに一体、何が起きているのか

10代の利用率低下が顕著

 若者のFacebook離れ――。昨今、そんな言葉がメディアでよく取り上げられるようになった。

 ソフト開発会社・ジャストシステムが日本国内の15歳から69歳までの男女1100人を対象に実施した「モバイル&ソーシャルメディア月次定点調査」(16年4月)によると、Facebookを「現在利用している」と回答した10代の割合は27%。前年同月の調査の45%から大幅に減少した。全年代のFacebook利用率は36%で、1年前からほぼ横ばいとなっており、年代別に見ても10代の減少ぶりが突出している。


 一方、ネットリサーチ会社「マクロミル」が実施した「2016年 新成人に関する調査」によると、15年度に成人を迎えた若者のFacebook利用率は36.6%で、12年度の48.8%から12.2ポイント低下している。

出典:当然? Facebookから逃げ出す若者たち : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 1/3

	

親や先生ともFacebookでつながる異常事態

 若者のFacebook離れは、世界的な傾向だ。なぜ、そうなってしまったのか。


 それは、今のFacebookが、「中高年の交流場」となってしまっていることが大きな理由の一つだろう。若者たちは元々、同世代の友だち同士でつながり、コミュニケーションしたいという欲求を持っている。そのためにSNSは大きな役割を果たしてきた。ところが、親の世代もSNSを利用するようになるなど、若者から高齢者まで、あらゆる世代が同じサービスでつながるという“異常事態”となってしまったのだ。


 あらゆる世代が同じサービスでつながったことで、10代が友だちと楽しく盛り上がっているところに親が介入してきたり、学校の先生から指導が入ったりするようになる。そこで、親や先生にやりとりを見られたくない若者たちは、Facebookから離れ、LINE(ライン)やTwitter(ツイッター)、Instagram(インスタグラム)など、親世代の利用がまだ少ない他のSNSにコミュニケーションの場を移してしまった。それが、「若者のFacebook離れ」の正体だ。


 一方、Facebookを使い続ける中高年たちは、評判のレストランでの食事の感想を書き込んだり、楽しかった旅行の様子を報告したりと、自らのリア充ぶりをアピールする。そんな中高年の自慢話に若者たちがウンザリし、Facebook離れがさらに進むという具合だ。


 つまり、Facebook自体に問題があるのではなく、Facebookが普及し過ぎたがゆえに若者が離れるという構造なのだ。たとえどんなサービスであろうと、親世代とつながりたくない若者は、親世代が使い始めた時点でそのサービスから逃げていく。サービスを提供する企業はユーザーの拡大を目指すが、拡大すれば必ず若者は逃げる。


 それは構造上、逃れられない宿命と言ってもいいだろう。SNSは元々、人と人とをつなげるサービスとして生まれたものだが、つながり過ぎると今度は“つながりたくない需要”が生まれるのは、皮肉としか言いようがない。

出典:当然? Facebookから逃げ出す若者たち : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 1/3

	

より簡単に視覚的に感覚的に変化

 それでは、SNSは今後どうなっていくのだろうか。日本では04年のGREE(グリー)に始まり、mixi(ミクシィ)によって一般に普及した。主にパソコンやフィーチャーフォン(従来型の携帯電話、ガラケー)で利用されたmixiは、日記という文章によるコミュニケーションがメインで、画像はごく小さくしか掲載できなかった。


 ところが、09年ごろから、短文でやりとりができるTwitterが人気を博すようになる。続いて10年ごろから、画像を大きく掲載でき、「いいね」だけでコミュニケーションできるFacebookが普及してくる。


 スマホがものすごいスピードで普及し始め、それにつれてSNSは主にスマホで使われるようになった。そして、11年に登場して以来、スタンプという感覚的なやりとりができるLINEが広く普及していくことになる。徐々にSNSでのコミュニケーションは、より簡単に、視覚的に、感覚的に変わってきているのだ。

出典:当然? Facebookから逃げ出す若者たち : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 2/3

	

つながり過ぎて「SNS疲れ」

 SNSが普及し始めてから既に10年以上が経たっている。今の10代の若者たちは、物心がついたころにはSNSがあった世代だ。彼らはSNSありきの“評価社会”が当たり前となっており、いつも他人の視線を気にし、他人がどう思うか、他人から評価されるか、友だちと比べてどうかを気にしながら生きている。そのことが、このところよく取り沙汰される「SNS疲れ」を呼び起こしている。ユーザー同士でコミュニケーションを重ねるうちに気疲れしてしまうのは、大人も同様だ。


 人間は、根源的に人とつながりたい欲求を持っている。そこで生まれたのがSNSだ。人と人とをつながりやすくし、コミュニケーションしやすくするサービスは、爆発的な人気を博した。ところが、つながりたい欲求は持っているくせに、つながり過ぎるとストレスを感じるのが人間というものだ。


 一人では生きられないくせに、つながり過ぎると見えを張ったり、劣等感を感じたりして楽しめなくなる悲しい動物なのだ。他人との距離感が分からなくなったり、自分のリアルの生活よりSNSが大切になってくる者も現れてくる。


 人が人とつながりたい欲求は根源的なものだからこそ、様々なSNSが誕生し、Facebookはここまで拡大した。だから、これからもSNS的要素は消えてなくなることはないと考える。たとえSNS自体が衰退しても、どこかに“人とつながる“というSNS的要素は形を変えて残り続けるだろう。


 今後、さらに感覚的で考えずに簡単に投稿できるSNSが出てくるだろう。若者が先に飛びつき、そのサービスが若者の間に十分普及したころ、大人たちも重い腰を上げてそのサービスを使い始めるに違いない。しかし、大人たちが「このサービスはいいね」と言い始めたころ、若者たちはきっと次のサービスに移っているはずだ。


 人と人とがつながることによって問題が生じ、軋轢あつれきを生み、それでも人はSNSを使いたいと思うだろう。人間同士のコミュニケーションには正解がなく、悩みは尽きないように、SNSを使い続ける以上、悩みから解放されることはない。SNSは、生きている限り続く、人間関係そのものだからだ。人類は、なんとも罪なものを開発したものである。

出典:当然? Facebookから逃げ出す若者たち : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 3/3

	
もう45年ほど前になるだろうか?IBファッションのVANが日本の若者を総なめした。服飾から始まり靴や鞄までトータルファッションでVANが日本社会を席巻した・・・それがアッという一瞬で市場から日本社会から姿を消した。ワッペンまで格好良かったのが、それも消えた。飽和状態というのがあるらしい!twitterは文字制限があるため逆に中途半端で面倒になったときfacebookが登場した。名乗り顔を見せ責任を持ち情報を発信するのがウケた。ところが同じ情報でも受け手のより実に様々な反応があるためウザいと感じる向きもあると思う

Instagram→ “つまり、「楽しく綺麗に生きてるかどうか」がリア充の評価軸であって、金が一杯あって贅沢だけどデブは全くだめなんですよ。スポーツと自然が好きでヨガもやってるとベスト。” www / “若者のFacebook離れ

	

記事

新井克弥2016年07月08日 03:17facebookの若者離れは、オヤジによる介入やリア充自慢のせいではない

LINEとカブったfacebook

さてfacebookである。SNSの中でも最大であることは言うまでもない。ここには、たとえばビデオ電話も写真のアーカイブも、グループでのクローズドでのチャット(若者はこれを使えばオヤジ害を排除できる)も、ファイルの転送もといったかたちで、まあいろいろと機能がある。しかし、機能満載で使いづらいところがあるのも事実だ。恐らくほとんどのユーザーは機能の一部、メッセージやフィードくらいしか使いこなしていないだろう。煩雑で面倒くさがりのユーザーには少々使いづらいのも確かだ。


ここにLINEのような単純なSNS(LINEはプラットフォーム化を狙って通話やタイムライン、アプリ、マンガなど様々な機能が加えられてはいるが、基本的にチャット=トークと通話に特化されていると言ってよいだろう)、しかもスマホベースのそれが登場すればどうなるか。当然、使い方簡単で、メッセージボックスを利用してチャットを繰り広げるという点ではパソコンベース(facebookのインターフェイスは明らかにパソコンベースで、スマホ用としてはちょっと扱いにくいし見づらい)よりスマホベースのLINEの方が圧倒的に優位であることは言うまでもない。それゆえ、スマホベース、単純機能ベースのユーザーはこちらに流れる。そして、そういった流れたユーザーに、パソコンなどほとんど使わずスマホを所有したユーザーが飛びついていく。その多くは若年層だ。オヤジ臭に嫌気がさしてこちらに移動した若者も、まあ、いないこともないだろうが、それはマイノリティだろう(オヤジ臭を放つユーザーにウンザリしているのは、オヤジ臭を放っていない中高年ユーザーも同じこと。だから、この理屈であればオヤジ臭にウンザリしたオヤジもfacebookから撤退するはずだ。だがデータ的には必ずしもそうはなっていない)。一方、中高年はパソコン利用に慣れている。だからパソコンベースのfacebookの方が何かと使いやすい。つまり中高年のSNS、とりわけfacebookの利用はパソコン>スマホ、若者はパソコン<スマホ。こういったかたちで棲み分けが起こる。だから若者のfacebook離れ、あるいはfacebookを利用する気にならないのは、ある意味当然ということになる。


社会圏、社会性が分けるSNS利用

もう一つはユーザー層の特性に関する側面だ。中高年と若者、とりわけ若年層の年代的な違いは、ズバリ社会圏の広さと、それに伴う社会性にある。当然、中高年の方がともに高い、言い換えれば社会的成熟度が高い。


で、facebookはこの側面でも若者にとっては扱いにくいSNSなのだ。中高年がfacebookにハマる理由は、一つは本人が抱えている人的インフラにある。つまり既存のリアルな知り合いが個人的な付き合いであれ仕事上のそれであれ多い。こういったリアルな社交と社会圏を活性化するヴァーチャルな装置としてfacebookはうまく機能するのだ(学校時代の旧友がゾンビのように復活したりする(笑))。また、大人ゆえ公私の分別が可能。だから、実名制であったとしても、節度をわきまえるわけで、例えばTwitterで炎上したり晒されたりするようなバカッター的な状況にはなる可能性は低い(リア充ばっかりやっているマイノリティもいるので、これはこれで迷惑千万な話だが)。また、仕事上の関係等でデータをやり取りしたりといったこともやりやすい。これはLINEでは難しいし、第一若者はそんな「大人の仕事」に用はない。


一方、こういったfacebookの利便性は若者にとっては不便なものになる。大人と違って社会圏、社会性が低い。友達は限定されているし、社会的成熟度が低いから公私をキチッと分別する能力も弱い。だからSNSの利用にあたってはLINEを利用して身内仲間でしっぽりとやっているのがよいわけで、しかもLINEのトークならクローズドなので、炎上と事態は起こりづらいし(メンバー間でのイジメはあるだろうが)、バカッター的にひっかかるということもない。つまりLINEは「安心ケータイ」ならぬ「安心SNS」なのだ。しかも前述したように若者の必携ツールであるスマホを前提としたインターフェイスになっている(パソコンでも使えるが、LINEのパソコンアプリを使用している若者は少ないはずだ。スマホがあれば、それで事は足りるので)。


ということで「若者がfacebook離れを起こしたのはオヤジ臭にウンザリしたから」と言うのは、かなり無理があるということがおわかりだろうか。


そうは言ってももちろん、このオヤジ臭には僕もウンザリしている。こういうリア充自慢のオヤジは、公私を区別できてないわけで、ようするに実のところ「子供」なのである。

出典:facebookの若者離れは、オヤジによる介入やリア充自慢のせいではない

	
	




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Sharetube