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NHK「小野田さん帰還42に年後の真実」でのルバング島等フィリピンで未だ癒えぬ遺族等と優生を主張して殺戮を起こしてしまう右傾化・加害日本

サムネイル出典:

NHK「小野田さん帰還42に年後の真実」でのルバング島等フィリピンで未だ癒えぬ遺族等と優生を主張して殺戮を起こしてしまう右傾化・加害日本

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AIOAIO
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NHK「小野田さん帰還42に年後の真実」でのルバング島等フィリピンで未だ癒えぬ遺族等と優生を主張して殺戮を起こしてしまう右傾化・加害日本

藤田嗣治1943「アッツ島玉砕」とアッツ島実写・写真

フェルナンド・アモルソロ・1945

フェルナンド・アモルソロ・1945

フェルナンド・アモルソロ・1945

フェルナンド・アモルソロ・1945

日本兵侵入からフィリピン人家族を守る(部分)

1945~7年フェルナンド・アモルソロ フィリピン抗日、日本軍レイプ虐殺

1945~7年フェルナンド・アモルソロ、 フィリピン抗日「運命の家族」

1945~7年フェルナンド・アモルソロ、 フィリピン抗日「運命の家族」(部分)

藤田嗣治、1945ブキテマの夜戦、フィリピン人女性殺害する日本兵・フェルナンド・アモルソロと、オーストラリア兵捕虜・死の行進・マーレイ・グリフィン

藤田嗣治「血戦ガダルカナル」1944とフィリピンの画家フェルナンド・アモルソロのレイプ・虐殺する日本兵

藤田嗣治「薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す1945部分」とフィリピン国立歴史博物館にある1942~45年前後、画家フェルナンド・アモルソロ・日本占領下での自宅でスケッチら行い日本軍の蛮行を描く、「運命の家族」フィリプン人家族虐殺の抗日絵画。

横山大観 1942年「輝八紘」とオーストラリアの日本軍捕虜兵、マーレイ・グリフィンの被害からの絵画、グリフィンは従軍画家で少佐の立場で数々の日本兵残虐行為を描く。

藤田嗣治1942 シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)と日本軍捕虜として泰緬鉄道強制労働もさせられてオーストラリア人捕虜で従軍画家のマーレイ・グリィフィン
	
*もうすぐ敗戦記念日8月15日になる。つい3日前、NHK/ニュース9では珍しく興味深い報道があった。それは「42年前、帰国した小野田さんの真実」。私は、小野田さんが日本に帰還した当時は中学生。私の父は、テレビで小野田さんの姿を見ながら涙したのを覚えているし、報道機関全てが帰還に対し(国が中心)英雄扱いだった。少年だった私も心の中で「良く帰って来た」と思っていたのだ(その前に帰還兵で横井さんもいたが)。しかし、今回のNHK報道は、180°異なる。真逆の、日本軍が背景にある、加害の小野田少尉という側面、さらに家族を殺害され、未だ補償もされずない家族(遺族)が30人以上いるということ。情報公開による内部文書もびっくりだ。

NHK記事引用・・・
「7月23日、日本とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日本人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。
当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジャングルに潜みました。その後、仲間を次々と失い1人で潜伏を続けていた小野田さんが祖国の土を踏んだのは、終戦から29年たった1974年のことでした。」

「埋もれていた極秘の外交文書・・・
日本とフィリピンの戦後史を研究している広島市立大学の永井均教授は、小野田さんの帰国に関する日本政府の極秘文書を情報公開請求で初めて入手しました。670枚に及ぶ外交文書です。

この中には次のような記載もありました。
・小野田氏ら元日本兵により30人が殺され、100人が傷つけられた。
・何らかの手を打たなければ、フィリピン側の世論も納得しない。
戦争の終結を知らない残留日本兵らが、地元の住民に深刻な被害を与えていたことが公文書で初めて確認されたのです。

永井教授は「文書からは小野田元少尉の救出問題が通常の残留日本兵の扱いをはるかに超える、政治的・外交的な重要案件だったことが分かる」と話しています。」

「“見舞い金”は3億円に
かかる人的、物的損害に対し、日本政府は補償する動きがあるか。

交渉の中で、フィリピン側は、被害への補償の有無を打診していました。
 日本政府は1956年のフィリピンとの協定で、戦後賠償は解決済みとの立場でした。しかし一方で、現地の被害者や遺族たちが声を挙げ、反日世論が高まることを懸念し「見舞金」を支払う検討を始めました。
「被害者らは、損害賠償請求権を行使するおそれがある。見舞金は、請求権行使を思い止まらせる効果をもつであろう」

日本政府は、見舞い金として3億円を拠出する方針を固めていきました。」
「当時、フィリピンとの交渉に関わり、のちに外務事務次官を務めた竹内行夫さんは両国の将来を見据えたという日本の見舞い金の提案に、フィリピン側も理解を示したといいます。そのうえで「いろんな被害というか損害を島民の方に与えていたという事実が判明しましたので、小野田少尉の救出に多大の協力をしてくれたフィリピンに対しては感謝をしたいという日本側の誠意としてやった」と述べました。」
「当時から協会の中心として活動し、現在は顧問を務めるベンジャミン・サンビクトーレスさんは資金は、小野田さんの帰国後に交付され、協会は日本語学校の運営や、日本への留学生の支援に充ててきたといいます。資金の使いみちについてフィリピン政府から明確な指示はなかったと言います。
 「マルコス大統領は協会に金を与えれば、日本とフィリピンの関係が発展し、長年続くだろうと考えたのでしょう」と話していました。」

・被害者家族は・・・
「残留日本兵に家族を殺害されたという人にも取材することができました。クリスティーナ・デラクルスさんは29歳の時、夫のシプリアーノさんを失いました。夫は釣りをしていたとき突然、撃たれたといいます。クリスティーナさんは「ある人が私を訪ねてきて、夫が教会に運ばれたと知らされました。教会で夫と対面しました。そのときはもう亡くなっていました」と当時の状況を語ってくれました。
7人の子どもがいたクリスティーナさん。夫の死後、事務員をしながら、子どもたちを育てました。日本政府から支払われた3億円の存在は聞いたこともなく、「1人で子どもたちを養って、学校に通わせました。どんなに大変でも、じっと耐えるしかなかった。今も生活は大変です」と話していました。
ルバング島の元町長も私たちの取材に対し、3億円が住民や島のために使われた事実はないと答えました。」・・・以上引用終わり

*はっきり言えば、小野田さん等残留日本兵によるルバング島住民への殺害被害のご遺族には、一切補償もされず、生活等困窮含め傷は癒えていない。加害・被害に関係は確実にあり、終わっていない。当時のフィリピン政府と日本政府の対応が問われるこは言うまでもないが、大日本のため戦い、敗戦後、終戦(敗戦)も知らず、大日本のため戦うためルバングに残り、困難な状態・帰還なき置き去りにされ、忘れさられた兵士というの悲哀の・英雄視・をメディアも国も行った。官民一体の政治的に戦時英雄としてつくられた・・・。

・小野田さんは、こんな証言をお風呂でしている。
引用、山田順・40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」

「私はおそるおそる聞いた。「小野田さん、戦争が終わったのを知っていたんですか?」 

すると、小野田さんは、なにかに怯えているような目つきになり、「そうだ」とぽつりと言った。私はこのとき、ただ、「やっぱり」と思っただけだった。それから、小野田さんは湯船につかりながら、突然、持っていた銃の話をしてくれた。「坊主、銃というのはこうやって構えて、こうやって撃つんだ」みたいな話だった。 
あとから知ったが、小野田さんは戦後、ルバング島で生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。銃は肌身離さず持っていた。だから、戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くてジャングルを出られなかった。ただ、最後に残った仲間の小塚一等兵がフィリピン警察軍に殺されたので、観念したのだろう。 

*私は、皇国日本を信じ切り戦い、敗戦を迎えたことを知りつつ、生きるためルバングに留まり、真実を語らなかった小野田さんを責めているのではない(もちろん戦争は犯罪だし、敗戦後の殺害は自国での犯罪となる)。フィリピンでは大戦中日本軍の残虐極まりない行為があった。ネット等で右派が一つの記述を軸にして否定している「バターン、死の行進」や沈黙している「従軍慰安婦」の証言もある。さらに、日本兵同士の殺戮、後続、食糧補給停止により飢餓からの人肉食。事実だ。
敗戦後71年目の今日、美しい日本国を愛する国家主義、安倍政権の参院選改権勢力3分の2勝ち取る右派隆盛の見方が、文化・教育の至る所で現れ(藤田嗣治の天皇・皇国賛美目的の加害・戦争記録画を歴史背景を無視し、素晴らしいと評価する誤った動きがあるが、被害にあったフィリピンの抗日絵画と比べるべきだ・画像参照のこと)、差別助長のヘイトスピーチが平然と行われる。
その行き過ぎた極端な例が、ナチスを思わせる優生保護・国家主義・右派・ネトウヨとも思われる身体障害者に対する蔑視・侮蔑からの思い込みによる19名の虐殺。しかし、ナチスばかりを形容できない。戦中、皇軍・日本がフィリピン等(いたるところで)で起こした、捕虜虐殺・侮蔑・人間以下扱いは、「あの戦争」著者・加藤陽子氏によれば、最終章で、戦中どこの国よりも(ナチスドイツ・アメリカ等含む)日本軍の捕虜の扱いの酷さが際立つ。つまり、日本兵は捕虜になる他国の兵士を非常に高い比率で・モノ扱い・したという。同様なことは、日本兵同士でも行われた。傷ついたり、足手まといの仲間・兵士はお荷物として(たとえ子供であろうとも)殺害した。足手まといはもの扱い(もしかしたら日本人に通底する意識なのかもしれない)。これは、大きな流れに乗っかり、怒涛のごとく流れてしまう私達日本人の中に潜んでいる意識の問題として注意するべきかも知れない。身体障害者19名殺戮した植松容疑者の意識は、右派の影響、フリーメイスン・イルミナティという陰謀論信奉、さらにナチス的優生保護をも内包、自己中、身勝手な思い込みにより他者性なき、健常者、身障者の確信的使い分けの殺戮ら、平和的な今日の社会に対する・テロ・的行為でもあるだろう。全て、広義の意味で当たってるかもしれない。しかし、だからと言って、この植松容疑者の殺戮を突き放し、他者化して断じてはならないのではないか。自分とは程遠い、あっちに行っちゃった人の殺戮蛮行・・・。違う。植松容疑者の殺戮行為は・2項対立し他者化・するのではなく、私たちの人間の内側にある、潜み、隠れた、内在された侮蔑・差別殺戮行為なのだと。戦中での日本兵が起こした数々の殺戮・残虐行為も同様に、我々の内に潜んでいるものが、たまたま現在、この状況下・要因で行き過ぎたジャンプとなり殺戮行為が浮上した。したがって、絶えず私達が内側に持っているものとして、この事件も捉え得なくてはならないのではないか。しかも同時に、いつも加害には被害がある。私たちは、傷が一生癒えないご遺族が、フィリピンにも津久井にもヒロシマ・ナガサキにもシリアにもパレスチナ等、至るところに名も亡き悲しみを抱えている人々がいるということ、この方々への思い・想像力を絶えず働かせる必要があると思う。私たちが当事者として・・・。




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