20世紀ラテン・アメリカで最重要な写真家マヌエル・アルバレス・ブラボの回顧展を日本でやってる

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どことなくユーモアが・・・

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運動での死

フリ―ダ・カーロ

フリ―ダ・カーロ

リベラ、トロツキー、ブルトン

晩年、ブラボの肖像
今夏、世田谷美術館で開催されているメキシコ最重要写真家マヌエル・アルバレス・ブラボが素晴らしい(「アルバレス・ブラボ写真展 -メキシコ、静かなる光と時」年末、名古屋を巡回)。2002年、100歳で亡くなられたブラボは、ヨーロッパ・モダニズムの影響からの写真(どうもシュルレアリズム、キュビズムも影響があるようで、写真は独学とのことwiki)、メキシコ革命を体現(彼は子供の時、銃の音、多くの死体をみている可能性があるという。また3回結婚しているが3人の妻は全て写真家)、メキシコの社会運動の背景と同時に彼等の先住的土俗をみる眼差しがある。展示では・4部構成・で捉えているが、私が注目したの一貫した写真の距離、つまり、リアリズムやジャーナリズム、ルポルタージュのように接写したり、物事を劇的に捉えたりするのではなく、・そこに何らかの背景がある・という眼差し。美術館では、「独自の静けさと詩情」と例えているが、私にはその静けさが、何らかの・背景としてざわめき・を感じる。だから、1920年代から街角等の写真や革命・運動で頭を撃たれた青年の写真も、その出来事を声高に直接的にみせるというよりか、静かに、しかし、そこにはザワザワした背景を感じ取る。先住民を撮ったものも、サボテンの山を撮ったものも・静かなるざわめき・なのだ。その事を確信的に感じるのが、恐らくブラボに思想的にも政治的同士として影響し合い、共鳴しただろうメキシコ美術、取り分け大壁画運動の中心的存在、ディエゴ・リベラとの親交、またホセ・クレメンテ・オロスコ、ダビッド・アルファロ・シケイロス等(3大メキシコ壁画画家と呼ばれるが)、さらにこれが重要だが、シュルレアリズムのアンドレ・ブルトン、さらにメキシコに亡命した第4インターナショナル(国際共産主義)のレフ・トロツキー等との出会いだと思う。ホセ・ガダルーペ・ポサダ、ルフィーノ・タマヨやフリーダ・カーロ、レオノーラ・キャリントン、カルロス・メリダ等。ともかく驚きなのは、ブルトン、トロツキー、リベラ等(カーロも入る)の集合写真や、それぞれの肖像写真の数々。これ等の写真が圧巻だ。ブラボは、共鳴し合った彼等を単なる肖像材料として撮影しているのではなく、・静かなる同士・として友愛の眼差しを持った写真なのだろう(日本にシュルレアリズムが移入されたのは、もっぱら詩人・美術評論の滝口修造によってだが、滝口はシュルの超現実、夢想、幻想という、ただただの表面しか紹介しなかった。シュルレアリズムには、ブルトン、トロツキーといった社会変革思想が根底にあり、その上での美術表現・運動だ。だからメキシコ壁画美術は、革命運動・思想としてシュルと連動した。だが、日本のシュルは、肝心な根底・シュルの思想が伝わらなかった。故に表面的な・幻想の美しさ・という形容が敗戦後日本美術のクリシェ・美・としてまかり通り、その実態は表面でしかない。・美・が悪いというのではない。表面しか捉えない・美・が問題なのだ)。

ブラボに戻せば、ブラボは写真を撮る上での肝心な表現における・思想・理念・をこの友人達と鍛えたことは推察できる。だから、その後、メキシコ先住民を捉えた写真群の眼差しには、高みから捉えた彼等の表面ではなく、低く寄り添いながら、背景・内に潜む何ものかを捉えている(少なくと私にはそう見える)。

しかし、段々に写真の視点が遠くなる。上から、離れたところから路上を捉える・・・。そして、やがて身近な生活空間、壁、街、女性等の部分ヌード(これも路上で不思議だ)、木々等、さらに格子状まどからの晩年、年老いたブラボが撮ったご自身の肖像は素晴らしい。


付け加えれば、メキシコ壁画運動は、1930年代アメリカにも影響を与え、リベラのロックフェラーセンター壁画にレーニンを描いたことは有名だが(1932年ニューヨーク近代美術館での個展も行う)、ニューヨークのアートステューデントリーグ(美術学校)でのリベラの友人、左翼のトーマス・ハート・ベンソン(単なる地方画家ではない)の教え子にアメリカ抽象表現主義の旗手ジャクソン・ポロックがいる。後にポロックがエナメル素材としてアクション・ペインティングを行うが、その素材は、ニューヨークにも滞在したシケイロスの影響という(現にポロックは、シケイロスの影響のある絵を描いている)。アメリカ、ニューディール政策もあり、アメリカ抽象表現主義はメキシコ大壁画の影響からも大画面となったが、その左傾思想面は排除された。戦後、アメリカ美術の良心・傑出した美術運動とされるアメリカ抽象表現主義は一世を風靡し、その前の世代の芸術家(先生等)全てがレッドパージ(赤狩り)の対称となる。やがて・文化自由・という名の下、当時の東西冷静構造、西側の東側ソ連、共産化を恐れたアメリカのいわゆる「文化の冷戦」としてアメリカ抽象表現主義にCIAが莫大な予算・費用を用い、アメリカ文化の頂点・美術・武器として後押しする。ニューヨーク近代美術館もその役割の中心だった。

その、ニューヨーク近代美術館・文化の武器としてアメリカを広報・宣伝しまくる写真部門の責任者に商業的写真家でもあるエドワード・スタイケンがいる。アルバレス・ブラボの写真をニューヨーク近代美術館に紹介したのは、エドワード・スタイケンだという。だから、ニューヨーク近代美術館のアルバレス・ブラボのコレクションは素晴らしい。これは皮肉なのだろうか・・・。

世田谷美術館「アルバレス・ブラボ」の写真といい、開催中で企画が危ぶまれた府中美術館「新海覚雄」も思想・労働でも時代と戦った表現。共通するとこころがある。今夏は良い展示をやっている。

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