<・・・今日のゾンビ社会を昔の言葉で無責任社会という> いじめる側と、いじめを受けている側の問題ではなく、それを知らんぷりして見て見ぬふりをしている傍観者の問題、傍観者がいじめの構図を支えていることを考えると、本土に住んでる人間の他人事感、無関心が今問われている <義務や責任を忘れた権利追及者をゾンビという>

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民主主義を放棄したのは民衆大衆なのか? 国会議事堂の中にいる政府なのか?? 日々、ネットには政治や行政への愚痴やヤジが乱れ飛び、言葉足らずな評論家の真似事批判ばかりが目立つが、民主主義の原点は民衆がみずからの自治で民衆を収める点にある。その責任や義務を放棄している民衆に国会を批判できるのだろうか?

『報道特集』、金平さん「いじめる側と、いじめを受けている側の問題ではなく、それを知らんぷりして見て見ぬふりをしている傍観者の問題、傍観者がいじめの構図を支えていることを考えると、本土に住んでる人間の他人事感、無関心が今問われている

	

憲法改正が争点だった参議院選挙の結果は改憲派が支持されました。
日本国民は70年間で民主主義と基本的人権を放棄する道を選択しました。
日本の民主主義は国民が勝ち取ったのではなく米国から与えられた民主主義であり価値感が軽いのでしょう。

	

しばき隊「蓮舫が野党共闘放棄、改憲確定」「日本の民主主義は民進党の裏切りで壊滅」「日本人は十中八九基本的人権を失う」「どうしよう僕らはどうすればいい。かなりマズい」

	

「日本の民主主義を守らなければ」という掛け声を見る度にはっきり言ってやりたくなるのだけれど、「守る」もなにも、そんなものないって。民主主義もどきの形式ならありますし、過去の日本に民主主義が一応あった時代もありますけど、現代の日本人の大勢はとっくに民主主義なんて放棄してますよ。

	

「議論の放棄」とは?いったい いつから自民改憲に参加しなければ ならなくなったんでしょう?国民からの改憲の声はごく一部ですよ。多くの国民はそれよりも社会保障をやってくれと望んでます。わたしとアベ自民ではどちらが反民主主義的でしょうか。

	

これって、紛れも無き民主主義の放棄だよね。この人は参院選に立って何をするつもりだったの?自分の人気投票?

	

民主主義国家が多数決で民主主義を放棄し、独裁政治を選択するというパラドックスは銀英伝にも出ていたが、そういう国が現実に現れるとは。

	

権利を主張するためにはまず義務を果たさなければなりません。義務を放棄して権利ばかり主張するのは、民主主義国家にはふさわしくない人と言って過言ではないです。

	

日本を駄目にしている張本人は日本国民自身。国民の無関心が自らの権利放棄を推し進めている。後押しするのはプライドを喪った日本のジャーナリズム。民主主義の墓標が見えるようだ。

	

民主主義を見捨てたのか、民主主義に見捨てられたのか。延々、悠久の時の流れを遡り、人権の放棄に行き着いた謎の民、日本人。彼らが目指したものは何か。彼らが恐れたものは何か。日本会議の秘密が、この国に眠る。
次回「改憲の野望」。70年ぶりに稲妻が走る。

	







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Sharetube