原爆写真展でよく見られる、黒焦げの姿で撮られた少年が「兄では」と長崎の遺族が名乗り出た。
1945年の今日(8月9日)長崎に投下された原爆の熱線に焼かれて亡くなった少年の写真が法医学の専門家の鑑定で当時旧制中学1年生である可能性があると判断された。
長崎原爆の爆心地付近で黒焦げの姿で写真に撮られた少年が、当時長崎市の旧制中学1年の生徒だった可能性があることがわかった。家族が名乗り出て、法医学の専門家の鑑定で判断された。原爆写真の収集・調査を続けている長崎市の被爆者、深堀好敏さん(87)が13日発表した。写真は原爆投下翌日の1945年8月10日に、日本軍の報道部員だった山端庸介氏が撮影。長崎原爆資料館で「黒焦げとなった少年」として展示され、原爆の実相を伝える写真として知られてきた。ただ、少年が誰かは特定されていなかった。
長崎市で原爆写真展を見た遺族が「自分の兄ではないか」と気づき、生前の家族写真を法医学の専門家が鑑定したところ輪郭の一致などで「同一人物」の可能性が浮上した。
日本原水爆被害者団体制作の展示用写真
原爆の過酷さ、実相を伝える代表的な写真として展示され続けたが長い間身元が分からなかった。
深堀さんによると、自身が部会長を務める長崎平和推進協会写真資料調査部会が昨年、長崎市で写真展を開いた際に訪れたという同市の西川美代子さん(78)、山口ケイさん(76)の姉妹が「自分の兄ではないか」と名乗り出た。深堀さんが、法医学の専門家に、生前の家族写真との鑑定を依頼したところ、輪郭が一致しているなど「同一人物の可能性がある」との結果が出たという。
1942年に撮影されたという家族写真。左端が谷崎昭治さん。右端が西川美代子さん=西川さん提供
西川さんによると、兄・谷崎昭治さんは当時、旧制中学1年で爆心地近くに下宿していた。原爆投下前日、父が現在の西海市の自宅に連れて帰ろうとしたが「翌日英語の試験がある」と言って、とどまったという。母は戦後、兄が生前に出したはがきを小銭入れに収め、肌身離さず持っていた。鑑定結果が出て、西川さんは「写真を持って、お墓で両親と会わせてきました」と話した。深堀さんは「一般の社会ではあり得ない写真。とてつもない熱線で照射され、水分が蒸発し、一瞬のうちに命が奪われたと思う」と原爆の悲惨さを訴えた。(岡田将平)