日本内地で報道されない沖縄・高江の現状(田中龍作氏画像にみる)、吉永小百合さん対談「沖縄海兵隊、東京へ」、アメリカ退役軍人・高江ヘリパッド中止決議等

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全国から送られてきた支援物資は軽トラ1台分に及んだ。高江まで来られない人々の気持ちだ。食料、水が中心。=7月、N1ゲート『前』 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

カレー100食分の仕度。ニンジン、玉ねぎを刻む包丁の音がリズミカルに響いた。=7日夕、高江N1ゲート裏 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

集会参加者が続々と詰めかけた。車列は2㎞余りも続いた。=5日夕、高江N1ゲート裏 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

ヘリパッド建設反対集会には島袋文子オバア(87歳・写真左)も駆けつけた。沖縄戦で泥水をすすって生き延びたオバアは戦争に対する憎しみが深い。=5日夕、高江N1ゲート裏 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

屈強な機動隊員にヘッドロックされる男性は窒息寸前だった。=8日午前9時頃、東村高江 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

男性はヘリパッド建設資材を運ぶダンプカーに飛び乗って、搬入を阻止しようとした。=8日午前9時頃、東村高江 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

機動隊は道路上に座り込んだ抗議の女性を数人がかりで排除した。=8日午前9時頃、東村高江 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

炎天下、仲間の身柄が留置されている名護警察署前で抗議する住民・市民100人。=12日 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から(在日で警察官を倒したという警察側虚偽情報を鵜呑みに、そのまま日本内地は報道した)。

「(警察に)獲られた仲間は必ず奪還する」。男性が釈放されると山城博治議長が出迎えた。=12日午後8時20分頃、名護警察署前 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。(この内地報道は酷かった。在日朝鮮人がバイクで警察煽り転倒というもので、幅寄せしたのは警察であった。警察報道鵜呑み日本内地メディアは、ブログなどは、なぜ在日がリーダーなのか、在日に運動かとあからさまな差別内包したコメントを出していた。事実の裏付けを全くせずにネットに垂れ流し、事実と異なっていても謝罪が全くない。このような、疑似・偽を事実と歪曲して信じることで・ヘイト・も増幅する)。

女性はカマボコの下に潜り込んだが、すぐに引きずり出された。=13日朝8時頃。東村高江 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

機動隊はヘリパッド建設に反対する住民・市民の車をジャッキ付きの荷車に乗せて次々と強制移動していった。=13日朝8時頃。東村高江 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

道路のセンターライン上に並んだ機動隊員。一番奥はカマボコ。民間車両は袋のネズミとなる。=13日朝8時頃、東村高江 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

街宣車の上から落とされそうになり悲鳴をあげる女性。住民・市民のマイカーが下に見える。=7月22日、高江N1ゲート前 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

街宣車の屋根にのぼって来た機動隊員から首を絞められる男性。=22日、高江N1ゲート前 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

住民ら500人座り込み。建設資材の搬入を阻止し踊り出す地元住民。写真中央は辺野古のチャップリンこと小橋川共行氏。

=19日午前9時頃 米軍北部訓練場メインゲート前 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

「君たち、(7月)22日のようなことはするなよ。世界に恥をさらすぞ」。山城議長は機動隊に警告した。=19日午前6時03分、米軍北部訓練場メインゲート前 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

500人からなる住民らに警察は手出しできなかった。=19日午前7時40分、米軍北部訓練場メインゲート前 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。

沖縄戦の語り部、島袋文子オバア。「触るな」と一喝された機動隊は、なす術もなかった。=19日午前8時35分、米軍北部訓練場メインゲート前 本文・撮影:筆者=田中龍作氏から。
ジャーナリスト、田中龍作氏は連日伝えている沖縄・高江・問題。機動隊・警察の強引で強制的暴力行為は、他のツィートでも状況と事実が流される。沖縄内の2紙、沖縄タイムズと琉球新報は当然の事ながら記者を現地に置き、ツィート等でも報道しているが、日本内地・大和の大手報道機関含めほとんどがまるでオリンピック詣でのように無視するか、報道しない。特にテレビ等の報道は多くの時間をオリンピックに割き、アスリートの金・銀・銅連日の活躍・インタヴューで社会問題報道はおいてけぼりをくらう。オリンピック報道がわる訳ではない。しかし、あまりにも報道時間をスポーツ枠・視聴率稼ぎとはいえ割き過ぎるのはいかがなものか?吉永小百合さんの発言も十分現政府に対する刺激的な批判であるが、我々内地・日本市民にも十分伝わり、傾聴に値するものだ。8月15日付のアメリカ人による高江ヘリパッド中止決議もアメリカ退役軍人等が声を上げたことには傾聴に値する(沖縄大学教員であり日本の靖国問題を「ヤスクニズム」と命名したダグラス・スミスさんが主導と思われるが)。高江・現場で何が起きているのか、我々、日本内地、市民の人々は、多くがもっと知るべきであり、無知から起きる沈黙・無言の加担は、なお沖縄に2重の重荷を背負わせる、・終わらない敗戦後・というべきものである。


以下、琉球新報スタイル・女性自身対談から・・・

――吉永小百合さん(71)と姜尚中さん(65)はラジオの番組などで折に触れて意見の交換を重ねてきた。そんなふたりが緊急対談。いまこの対談を通して、訴えたいこととは。


吉永小百合(以下、吉永) 初めてお話したのは07年。私のラジオ番組に来ていただきました。そのとき私、姜先生に、こう質問しました。「『憲法9条を守ってほしい』と友人に言ったら『よその国が攻めてきたらどうするのか』と言われて、言葉に詰まってしまいました。なんと返せばよかったのでしょうか」って。姜先生は、「あの天文学的な軍事力を持っているアメリカでも、9.11のテロを防げなかった。だから日本も、アメリカ以上の軍事力を持たないと、武力で抑止するのはむずかしいし、それは不可能。憲法9条を持っていることのほうが、より安全を守れるんですよ」と答えてくださったんです。


姜尚中(以下、姜) あぁ、そんな話をしましたね。吉永さんも、この間さらに、憲法9条を守ってほしいというお気持ちが強くなったのではないですか。昨年は、安保関連法も成立してしまいましたからね。


吉永 大混乱のなか強行採決されてしまって。あきらめかけている方も多いのではないでしょうか。私自身もそういう思いになることがあります。私は若いころ、母に「なぜ戦争は起こったの?反対はできなかったの?」と質問したことがあるのです。そしたら母は、ひとこと「言えなかったのよ……」って。言えないって、どういうことなんだろうと、そのときは理解ができなかった。けれど最近、母の言っていた意味がわかります。今の世の中を見ていると、息苦しい感じがして。


姜 そうですね。私も、この年齢になって、実際、日本が「新しい戦前」に向かうのではないか、という気持ちがないわけではありません。以前は「やっぱり戦争はダメ」という最低限度の暗黙の了解がありましたが、最近は、そのタガが急に外れつつあると感じます。


吉永 はい。こんな時代だからこそ、私たちも、思っていたら言わなきゃいけないと、今改めて思っています。


姜 たとえ感情的だと思われても、戦争は嫌だと言い続けなければなりませんね。


吉永 はい。日本は核廃絶に関する会議があっても、政府として明確に核廃絶を訴えませんよね。唯一の被ばく国だから、核や核兵器は絶対やめようと言ってほしいのに言わない。被爆者の団体の方たちも、どんなにガッカリしていらっしゃるかと思います。それはシンプルに言わなきゃいけないことなのに。


姜 今、こうして僕たちが話をしている間も、沖縄の高江という集落では米軍のヘリパット建設に反対する住民たちに対して政府の荒っぽい弾圧が行われています。けどこうした問題を中央のメディアは、あまり伝えません。


吉永 ええ。そんなに必要なら海兵隊を東京に持って来たらどうかと思うくらい、申し訳ない気持ちがあります。言葉では言い表せないほどつらい経験をしてきた沖縄の人たちに、もっと人間らしい対応をしてほしいと思うんですね。けど、なかなかそういう思いは政治に反映されません。私自身、どういう形で政治をチェックし、参加していけばいいのだろうと、思い悩んでしまうんです。


姜 けど、僕は今回、日本の市民社会の成熟はたいしたものだと思いました。「シールズ」のような若い人たちが声をあげ、全国にはお母さんたちの「安保関連法に反対するママの会」ができました。またこれに一般市民や学者が加わり、市民連合ができた。その後押しで、参院選で野党共闘が実現し、すべての一人区で統一候補が立てられました。吉永さんも関西の市民連合にメッセージを寄せておられましたね。


吉永 はい。こういう市民の活動は、ほんとうに素晴らしいと思います。みなさんが、自分が思っていることを声に出して、意志表示しておられる。その中でも意見はたぶん違うのだと思うのですが、いろんな場所で、つながって行動する力強さを感じました。ただ、これを継続していかないといけませんよね。


――未来への不安、老後の不安を抱えている人が多い日本。こんな時代を、どう乗り切っていけばいいのか。おふたりにお聞きした。


姜 市民連合やママの会などもそうですが、やはり「つながっていく」ことです。むずかしい言葉でいうと、「社会関係資本」と言うんです。つまり、お金では買えない関係ですね。社会関係資本が成り立っていれば「お金を貯めないと」と考えて、将来や老後を不安に思う必要はありません。


吉永 人と人が手を携えて、思っていることを声に出していくことですね。今年は戦後71年ですが、私はここからが大事だと思うのです。先の戦争を反省し、2度と戦争をしないという憲法9条を大切にして、戦後が80年、100年と続くように、みんなの思いで平和をつなげていきたいです。


(完全版は『女性自身8月23日・30日合併号』で)