被災ママたちの今 それぞれの愛
おはようございます、しんぎょうです。朝一で読んだ記事がこちら、
涙が止まりませんでした、
さーみんなで考えよー!!
着の身着のまま逃げたあの日から、 自分の中に時計を2つ
原発が爆発? 突然、悪夢の中に投げ込まれた目の前に海が広がり、車で30分走れば阿武隈(あぶくま)山脈が見える。
「自然のあふれる福島で、家族みんなが笑顔の多い人生にしたいね」
一大決心で、名古屋から富岡町への移住を決めたという鈴村家。築50年の古民家を買ってDIYやガーデニングを楽しみ、友達を作り、着実に福島に根を張っていったのが震災前の5年間でした。
出典:「着の身着のまま逃げたあの日から、 自分の中に時計を2つ持って生きています」 娘の卒園式を控えた11日、福島市内で被災した佐原さん。直後から5日間電気が止まり、夜は真っ暗な中、大きな余震が続きます。 「何がなんだかわからない状態で、携帯電話を車で充電しながら見続けました。福島原発の状況が次々と報道されていて、国や市はただちに影響はないと言っている。最初はそれを信じていたけど、ネットではまったく違うことがどんどん書かれていた。その違いに逆に不安を感じました。その頃、友達が勤めている大病院で医者の先生たちが“危険だ”と言っている、子供を連れて避難した人もいると聞いたんです」 やはり危険なのかもしれない。佐原さんはそう感じ始めます。 出典:「迷いはすごくありました。でも今はここ福島で、子供を守るためにベストを尽くしたい」 郡山市に家を建てて4年目。その日、磯貝さんはパートで勤めていたアパレルの店で被災しました。家族と連絡のつかないまま午後8時。帰り着いた家には電気がついていて、夫と2人の娘が迎えてくれました。 磯貝 あぁ、うちは大丈夫だったとホッとしたんですけど、そこからですよね。とにかく私は無知でした。原発が水素爆発と言われても、ちんぷんかんぷん。一応、春休み中は窓を閉めて換気扇を止めて、子供たちは外に出さなかった。事故当初、うちのあたりの線量は30μSvと発表されていましたが、4月の始業式の頃は3μSvに下がったと。じゃあ大丈夫なのかなと、歩いて学校に行かせてしまった。今も後悔しています。 鎌仲 学校なんか休めばいいのに。