「空気を読んではいけない」マッチョな格闘技界で異端・お茶派、青木真也が面白い。
「先輩・後輩との飲み会は断る」格闘家の青木真也、空気を読まないワケを語る
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/23/shinya-aoki-interview_n_12612150.html
格闘技界は、ファイトマネーを手にして、「飲め、食え!」とみんなにおごってしまう文化が残っています。「マッチョ志向」の一種かもしれません。
閲覧注意・・・最後、桜庭・青木の抱擁後、青木の号泣・涙で終わるが世代の変る感動的な終わり方。
青木の負けた試合。格闘系嫌いな方は閲覧注意。
世界の格闘技界で通用する寝業師である青木真也が新刊「空気を「読んではいけない」が評判だ。マッチョな格闘技界にありながら、試合後の飲み会等すべてキャンセル。情報は、お茶を飲みに行き入手、後は大切な家族との時間、自分の時間とする。格闘技戦後は特に勝者が、飲み会に行けばおごりまくるという・慣例・があるようで、それをひたすら断っているという(マッチョな体育会系ではよくあるのだろう)。理由、「もったいないから」。たとえば、今後これからどのくらい試合をして勝てて、どのくらいのファイトマネーが入るか分からない。世界で一番に成る事を目指し、アメリカ格闘技最高峰UFCでの成功が一番で、大金持ちになること・・・それって実は不毛じゃないか、もっと多様な生き方があるだろう・・・と、青木は説く。これって、今の弱肉強食、新自由主義的資本主義の強欲なあり方や、ひところ日本の政界で言われた日本が「一番じゃなくもいいんじゃないですか、2番じゃだめですか」との発言に総じて批判が集まり、政府は「日本、一番を目指す」なんて見方が中心となる現代の矛盾と重なり合うのではないか。そんなこと日本で出来ないし、おかしいと知りながら発言するということ・・・。現在のアメリカ選挙で非難ごうごうのトランプ候補は「強いアメリカの復活、アメリカ・アズ・ナンバー1を復活」と言ってる。でも、そんなことされたら、他の国の人々も、アメリカ人の中で世界に総資産と同等を持つ約1パーセントの富裕層以外のアメリカ一般人もいい加減にしてくれ、と実は思っている。つまり、異端とされる格闘家・青木の発言、見方の中に、我々に潜む一番を目指し成長していく姿、それが幸せな姿なのではなく、皆がやってるからやらなくちゃという同調圧力から自意識を持って離れて、決して皆の生き方を無視するわけでも、傲慢でもなく、少しずらした見方、やり方で捉え生活を営もうとする行為、つまり多様な見方、共に生きる生き方を認めるべきという、現在の我々の内に密かに意識しているであろう見方を浮上させている。そこが、ある共感を得ているのではないだろうか。実にマッチョな格闘技界で・非マッチョ・は見方という意味では、・異端・なのだろう。でも面白い。以下インタヴュー記事ハフィントンポストから引用・・・
*「今の時代、みんながお互いを抑え合って生きています。他人に、どう思われるかを気にしています。オリジナルなものを持てず、足を引っ張り合う。自分の価値観の中で生きてみよう、周りに理解されなかったとしても「ギャーギャー」言うのはやめましょう、ということを書きました。
収入がいくらあれば幸せなのか。人によって月に5万円あればいい人もいる一方、500万円なければいけないという人もいる。物差しが違うのに、皆でお互いに監視し合って、縛り合っているのは、無駄なことですよね。」
「世界がこれだけ多様化しているのに、「アメリカ」にとらわれすぎなんです。また、「世界ナンバーワンになる」という目標設定も夢がありますが、「ナンバーワン」というのは、世界中で1人しかなれない。1番にならないと失敗だとか不幸だという価値観になると、1人以外は全員不幸じゃないですか。それはちょっと違いますよね?「目標」って、多様であるべきなんです。
たとえば私がいる格闘技の世界では、「アメリカに行くことが、世界一になること」という価値観ばかりが蔓延している。価値観が一つの方向だけに定まるのは、ちょっとしんどい。」
「僕は小金持ちや成金、大金持ちまで、色々な人をこれまで見てきました。たとえば、どんどんお金を使っているように見えても、「本当のお金持ち」ではないんです。支払いのときに領収証をもらっているのかもらっていないのか、など細かい立ち振る舞いを見てきました。
単なる見栄としてお金を使っているのではなく、ビジネス化ができているお金の回し方をする人が、シンガポールには多いと感じました。ここにはチャンスがあるな、と。格闘家として生きるには日本にいる必要がないし、みんなと同じようにアメリカを目指さなくていい。自分を売り込めるマーケットを探すことが大切なんです。」
「格闘技の世界では、男だったら、「1人の稼ぎで、家族3人を養って、大学に行かせてなんぼだ」みたいなマッチョ志向が根強い。でもそれって今のご時世では難しくなってるじゃないですか。共働きをする必要もあるだろうし、お父さんの職がいつ奪われるか分からない。格闘技の選手だけじゃなくて、日本のすべてのお父さんが自分の中で理想像をつくって、自分勝手に苦しめられているようなことが、よりわかりやすく格闘技に残っているんじゃないかな。
日本は、もはや右肩上がりで成長していません。それなのに、昔の良かった時代のフォーマットを捨てず、発言力のある上の世代が「俺たちはやってきたんだ」「俺たちはこうだったんだ」ということを押しつけてますよね。」
「格闘技は不安定な仕事です。明日どうなるかわからない、20秒後、30秒後にどうなるかわからないという気持ちは常に持っています。何かに追われてるような感じなんですよ。生き残るために自分の価値観をきちんと持つのは自然なことです。」
「格闘技界は練習後の食事までがひとつの「流れ」というか「セット」です。そういう、先輩や後輩、関係者との飲み会は基本的に断っていますね。格闘技界は、たくさんのファイトマネーを手にして、「飲め、食え!」とみんなにおごってしまう文化が残っていますが、それって一時的な大金にすぎないんです。さきほど触れた「マッチョ志向」の一種かもしれません。
時間とお金がすごく無駄だなと思っちゃうんです。連れて行かれたりして「やだな」「帰りたいな」と思って、でもこれはすごい料理だなと驚いて、その直後に「子どもに食わせたい」ってなるんです。その時間あったら一緒に居れるのにな、って。
すみませんって、2回断れば大丈夫なんです。すみませんって言っておいて、あいつは行かないか、となれば、別に悪気がないじゃないですか。本当にコストに合わないですよね。不思議じゃないですか。だってちょっとお酒を飲んで5000円、1万円。話があるなら、夜にそこでミーティングしなくて、その5000円や1万円をお昼に使ったらもっといいものが食べられます(笑)。」
――(インタビューに同席していた)担当編集者の箕輪厚介さん:青木さんが面白いなと思ったのは、人との食事は「なあなあ」ではいかないけど、会いたい人を決めて定期的にお茶に行くんです。そしてお茶代500円以上の情報を得て帰ってくる。目的意識を持ってアポを取って、お茶するんです。
出会う方法は色々でしょうが、大事な仕事を一緒にやる人同士とは、必然的に再会すると思っています。利害関係があれば絶対に、くっつく。喧嘩をして「お前のことなんか嫌いだ」と言って別れても、そうなる。ご飯を食べてお互い楽しんで見せかけの関係を作るより、もっと深いところでつながっているんじゃないですかね。
飯を食うって楽しいですよ。親密さも生まれた気になります。お酒が入れば、お互いに壮大な夢やプロジェクトのアイデアも生まれますよね。でも、そういう瞬間的な情熱もすごく貴重なんですけど、一番大切なのはスポーツも一緒で、どれだけやり続けるか。やり続けることに僕は価値を置いているので、食事をして美味しいものを食べて盛り上がっているときの一瞬の感情ってあんまり意味を感じません。」
以下・・・全文サイトで参照のこと。