整形で美貌を捨てた「デッド・オア・アライヴ」のピート・バーンズが急死
ピート・バーンズさん死去 「デッド・オア・アライブ」のボーカル
ユーロビートのロックバンド「デッド・オア・アライブ」のリーダーでボーカルを務めていたピート・バーンズさんが死去した。57歳だった。マネージャーのスティーブ・コイ、元妻のリン・コーレット、そしてパートナーのマイケル・シンプソン が彼のTwitterで、ピートが10月23日に急性心不全で亡くなったことを伝えた。
ピート・バーンズとは
10代のときリバプールのレコード店で働きながら音楽活動をスタートしたバーンズは、1980年にデッド・オア・アライヴのデビュー・シングル「I’m Falling」をリリース。1984年に、セカンド・アルバムに収録される「You Spin Me Round (Like a Record)」がブレイクし、UKをはじめヨーロッパ各国で1位を獲得した。音楽だけでなく、その妖艶な姿やファッション、言動が注目を浴び、2006年には有名人がひとつ屋根の下で暮らすリアリティ番組『Celebrity Big Brother』に出演し、再び“お茶の間の顔”となった。
出典:デッド・オア・アライヴのピート・バーンズ、急逝 「僕は300回ぐらい整形をしている。80歳になって天に召される時、神様は僕が誰だかわからなくなっていればいいと願っている」とピートは話していたと同紙は伝えている。 出典:デッド・オア・アライヴのピート・バーンズが急死 1980年にリヴァプール出身のピート・バーンズをリーダーに結成された。前身のバンド時代も含め、デビュー当初はゴシック・ロックとして扱われていたが、ストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュースを受けるようになり、ユーロビートと称されるダンス・ミュージックに音楽性をシフトさせた1980年代中盤から、コンスタントに世界的なヒットを飛ばした。全世界での総売り上げは2000万枚を超える。 特に日本ではバブル景気真っ只中のディスコ・ブームに乗り一躍時代を象徴する人気バンドとなり、イベント系サークルが開くディスコパーティーでは必ず曲がかかるほどであった他、日本人歌手によるカヴァー曲が数曲リリースされた。また、世界的には人気の絶頂期を過ぎた1990年代以降も、日本のみでリリースされるアルバムがいくつもあるほど日本での人気が高かったこともあり、近年も度々来日していた。 Dead Or Alive
ピート・バーンズ死去…。最近は整形ネタでしか取り沙汰されなくなっていたけれど、才能のあるアーティストでした。人生の後半に勿体無い時間の使い方したなと思う。心の中にはDead Or Alive時代の麗しきお姿がいつまでも。Requiescat in Pace.pic.twitter.com/qDi2x9AwMA