忘却された日本史「からゆきさん」(唐行きさん)、現代にも問いかける今村昌平・証言映像

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ポートセッテンハム港でキクヨさんとクランクイン。「愚行の旅」より引用

今村昌平へ、キクヨさんからの手紙・「だんなさまのお仕事に役立たなかったのではないかと、申し訳なく思っております……』と書かれている。「愚行の旅」より引用

若き日のキクヨさん。「愚行の旅」より引用

キクヨさん故郷、広島。「愚行の旅」より引用

山脇タマさん。彼女の覚えている唯一の日本語が「騙された!」だった。「愚行の旅」より引用

若くして死んだ、からゆきさんたちの無縁墓・クアラルンプールにある、訪れる人はほとんどないという。「愚行の旅」より引用

広島に着いたキクヨさん。「愚行の旅」より引用
	
ここに今村昌平監督の渾身ドキュメント「からゆきさん」(唐行きさん)がある。マレーシアで出会った2~3人の日本人老女。明治・大正時代、若いころ日本から騙されて連れて来られ、言わば強制的に売春に従事させられた女性たちである(30万人及ぶとも言われる)。その一人の広島出身の老女・キクヨさんからのインタヴューで始まり、その体験から彼女の記憶を頼りに変遷してきた場所を辿り、証言を追ったものである。日本に帰国することが出来なかったキクヨさん。19歳のとき、神戸のホテルでの仕事と言われ、連れて来られたが、車で船着き場へ。船の底に追いやられ、「どこへ連れて行かれるのか?」と不安の中、シンガポールに着いた。初めての外国である。皆泣いても返してもらえ得ない。言葉も分からず、親方らの監視から集団でも抵抗は出来なかった。いいなりに成らざるを得ない。やがて、馬車でマレーシアへ。しかも匿った人に支払うお金も払ったという(600ドルの借金)。神戸から騙され、拉致されたことと同義なのに・・・。初めて店に出て、客を取る。警察の部長だった。シナ人、インド人、カラ人を相手にして1日に一番多くは8~9人、毎日がいやでいやでしょうがなかった。6対4でお金をもらう。6割もらうのがキクヨさん。にこにこ笑いながら質問に答えるキクヨさんの悲しみは、より深く感じるし、当時のオーラルヒストリーとしても彼女の鮮明な記憶で、彼女の記憶でしかありえない証言となっている。後に、キクヨさんが、広島の被差別部落出身であることが分かる。差別から逃れる意味で出稼ぎに行く。そこで騙される。いわゆる「からゆきさん」の出身者のほとんどが、農民・漁村等貧困層であるが、旧被差別部落出身だという事が分かってくる(もちろんそれだけではない)。この女性に対する日本の2~3重の差別と侮蔑の構造と事実は、一時期歴史から忘却され、無かったことに成っていたが、1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』から広く知られるようになり、再度ルポを含め研究も行われた(wikiより)。*明治時代の日本の経済力から比較すると、騙され、誘拐・拉致された女性等「からゆきさん」による強制的な肉体商売・外貨・献金は、とても高く、中国、インド、マレーシア、シンガポール、ボルネオ、ニューギニアまで及んでいた。つまり、富国日本に利用されたのだ*。この流れから、今村昌平の「からゆきさん」ドキュメント証言映像が撮られたと思われる。戦中、国家・歴史・男性主観の中で、女性・人間に対する2重3重の侮蔑差別構造、従軍慰安婦と同様な関連構造があることに驚嘆するけれど、「お金をもらっていたからいいじゃないか、仕事じゃないか」という批判、女性の尊厳をも蔑視する経済効率優先・男性主観・の背景・背後のある歴史忘却含め、同様な見方も驚愕する。現代の状況に照らし合わせ、問いかけ考えさせる映像である。「だんなさまのお仕事に役立たなかったのではないかと、申し訳なく思っております……』、私心のかけらもないキクヨさんから今村昌平への手紙であった。そして、映像では、後半最後、部落解放同盟広島支部の動きから、「日本、なつかしいね」と発言するも、「帰国したい」とは言わなかったキクヨさんが、一時、日本に帰国を果たした。1973年当時であるが、現在の日本をキクヨさんに見てもらうため、説得して、というものだった。悲しみは深い。未見の方は是非・・・。