終わらない人・宮崎駿が魅せた長編新作の決意と人間の尊厳(ヒューマニズム)

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音声が途切れるところがある。
	
1993年、両巨匠の貴重な対談である。宮崎氏の初めて黒澤明氏との対談であり、宮崎氏が若い。お互いリスペクトも分かる。
11月13日のNHKドキュメント「終わらない人・宮崎駿」が話題を呼んでいいる。既にネット上等でシェア、リンクされているように、映像では引退宣言から700日を追ったものだが、後半部から宮崎氏が発言した「時代が渇望する表現がある」、さらに75歳である宮崎氏の作成した3年に及ぶ長編映画制作工程表での、死をも覚悟した企画計画覚書があり(ジブリ・鈴木プロデューサーが受け取る)動き始めている。最終的には、100枚ほどの絵コンテ制作を行い、そこで出来るのか、出来ないかを判断するという。700日の過程では、現在、若手CGアニメーターを使い宮崎氏自身が初めて使用したCGでの12分の短編アニメ「ボロ」(毛虫の短編映画)を制作しながらの苦悩と葛藤、宮崎氏の細部にこだわった手書き絵コンテ(4秒のシーンで手描きは1年という)とCGとの違いがあまりにも大きい事を体現する。自らを衰えた老いぼれのジジイであり、30~40歳のようなあふれ出るような体力もないとも発言。しかし、そこからできる事があり、老いてからこそ、映画制作が好きであり、やる事が楽しいということも再確認している。引退宣言し、しかも遺作であるとした長編映画「風立ちぬ」は、明らかに時代がおかしくなりつつあり、平和と有事に対する拮抗、そんな絶望の時代でも「生きて・・・」と宮崎氏成りの希望のメッセージを発した傑作であった。2016年現在は、アメリカ大統領がまさかの白人優位・差別・保護主義者であるトランプに変わり、イギリスもEU脱退するという全てが内向きになりつつある。ヨーロッパ並びに東アジアも右傾ナショナル・民族主義が台頭する流れが中心となるかもしれない状況で、宮崎氏が最期の遺作として「現在の時代を渇望する表現」はどのようになるのか。


もう一つは、映像の最終に入る際の、宮崎氏の一喝だ。ドワンゴ会長で、鈴木プロデューサーの弟子でも在る川上量生氏が持ってきた、AI(人工知能)による人間の動きではできない・動き・のCG表現を試写した際の、「僕は不愉快だ」「こんなもんを利用しようとは思わない」「生命の対する侮蔑」であると、一刀両断すること。川上氏のゾンビのような動きをゲームに使えないかの下り含め、こう発言した宮崎氏・・・


宮崎氏・

「あのう、毎朝会う、このごろ会わないけど、身体障害の友人がいるんですよ。 ハイタッチするだけでも大変なんです。彼の筋肉がこわばっている手と、僕の手でハイタッチするの。」「その彼のことを思い出して、僕はこれを面白いと思って見ることできないですよ。」

「これを作る人たちは痛みとかそういうものについて、何も考えないでやっているでしょう。極めて不愉快ですよね。そんなに気持ち悪いものをやりたいなら、勝手にやっていればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。」

「極めて何か、生命に対する侮辱を感じます。」

「極めて不愉快です。」


ドワンゴ会長川上氏、制作者等の喝破するかたちになった。人間の動きではない動きをするというAI・CGをゾンビの動き使うという下りに、宮崎氏の友人に身体障害があり、肉体的にハイタッチが大変で、それが健常の人間の動きではありえない、生命・人間の動き・なのであり、AIのつくる人間じゃない動きがゾンビで気持ち悪いというのは、あまりに短絡的で、身体・肉体に障害がある方達の動きの痛みを理解しない、健常者優生中心主義CGあることに、とても不愉快だと発言、その場は凍りついていた(ここらあたりの宮崎氏の歯に衣着せぬ 物言いはお見事で、人に対する痛みの眼差しを当然のように持つことは、現状況と・トランプ等のヘイトと関連し・真逆な他者性の眼差し・倫理面が・無自覚な差別・を内包するドワンゴIT関係に、その理解が欠けているところズバリ指摘したと思う)。

付け加えれば、ドワンゴ会長・川上氏は、ニコニコ動画時の外国人・在日朝鮮等差別・侮蔑組織、「在特会」を受け入れ、動画配信をした事があり、在特会を擁護する発言していたという背景もある。このような背景を持つドワンゴ会長・川上氏等は、この最低限の多様な人間に対する礼節を欠いた差別、侮蔑に・無自覚・なAI表現であり、しかも「我々は、こんな凄い先端いってる」とのおごりと勘違いも伺われる。AI表現が悪いのではなく、AIに携わる人々の倫理や他者と共有する人間に意識等を十分討議、もしくは練られない、このような・営業AI表現・試みているのかという宮崎氏指摘の「不愉快」さがある。もっといえば、このドワンゴ制作側の浅はかな意識を、このAI表現にリフレクトされ、質の低さが露呈した。(もしかするとトランプに近い意識での行動と言ってもいい)。彼らの前提にあるのは、産業化できるかの損得なのだから。だから故の宮崎氏は、このドワンゴ側の人間の尊厳に関わる鈍感さを見抜き「人間の痛みを理解しているのか」であったと思うし、同時にドワンゴ側に決定的に欠けるのが、創造性と想像力だろう(同時に言い換えれば、このような他者性・人間の痛みを十分理解したAI表現は、可能性を秘めているということ)。


宮崎氏のこの指摘に代表されるように、宮崎氏の作品には、たえず生命・人間に対する尊厳と普遍的なヒューマニズムが明確にあるのだ(実は、映画監督・黒澤明もヒューマニズムが底流にあることでの国際的評価がある。だから、本年ヒットしたとされる「君の名は」は、分かりやすい内輪レベルの作品で、人間の本質突き、絶えず時代に問いかける宮崎氏の作品レベルに遠く及ばない。当然のことながら映画興行収入で作品の質は問えない)。


宮崎氏の新作長編作品、今の時代とどう向き合い、問いかけるのか、観たいし、期待せずにはいられない。
















著者プロフィール
Sharetube