原爆ドーム周辺イルミネーション、被爆者ら疑問視、光の慰霊と観光、アートとしてもどうあるべきか

著者:
投稿日:
更新日:

原爆ドーム周辺イルミネーションはどうあるべきか?朝日新聞記事によれば、被爆者の個人的意見として違和感が述べられ、観光客ツィートからも本年、原爆を落としたアメリカの大統領として初めてヒロシマ訪問したオバマ大統領メッセージと広島カープ優勝が並列されていることへの違和感が述べられている。


朝日新聞より記事を以下引用・・・

 原爆ドームと厳島神社が7日、世界遺産登録から20年を迎えるのを記念し、広島市などが多彩なイベントを企画している。節目の年に観光客を招き、価値を見つめ直してもらう狙いだが慰霊の地を観光地化することに疑問の声も上がる。「観光」と「慰霊」の両立のあり方が改めて問われている。

 原爆ドーム周辺では「平和の光・イルミネーション」と銘打ち、7日から来年2月5日まで、木々に青色LEDライト約5万球を取り付けたイルミネーションを点灯する。市は「優しく語りかけるような光の演出で平和のメッセージを世界に届ける」としている。

 原爆ドームは、登録10年の時も照明を増設。原爆死没者慰霊碑と広島平和記念資料館を結ぶ通路にろうそくを並べた。資料館などで「原子力平和利用博覧会」が開かれた1956年5月には、原爆ドーム自体に電球を飾り、ライトアップしたこともあった。

 だが、県原爆被害者団体協議会(佐久間邦彦理事長)には今回、原爆ドームを「観光地」として発信することに、疑問の声が寄せられた。市に内容を確認したところ、「鎮魂の場にふさわしい明かりにした」と説明を受けたという。

 佐久間理事長(72)は「歓迎する人もいれば違和感を覚える人もいる」と指摘。個人の見解としたうえで「鎮魂の場をイルミネーションで飾るのには疑問がある。ただ『きれいだな』で終わらせず、原爆で亡くなった人たちに思いをはせられるようなものにしてほしい」と語った。

 松井一実市長は先月25日の会見で、原爆ドームとその周辺の環境整備は「永遠の課題」と説明。「犠牲者の慰霊の気持ちと平和のたたずまいをしっかり伝えると同時に、訪れる人がにぎわいを感じられるよう調和をする」とし、「観光」と「慰霊」の接点を慎重に探り続けると述べた。

 このほか、旧市民球場跡地で赤色の紙を掲げ「20」の人文字を作る(4日)▽厳島神社に伝承される「舞楽」の奉奏(6日)▽原爆ドームと厳島神社を回る約20キロのウォーキング(18日)――などのイベントが予定されている。(高島曜介、岡本玄)


上記の記事にあるように、それぞれの立場からの様々意見が、広島市に寄せられている。「歓迎する人もいれば違和感を覚える・・・」というもの。しかし、このイルミネーションを画像で見る限り、広島市行政当局が、今回のイルミネーションイベント開催・展示に関し、多様な意見を取り入れて、討議した上で開催したのかは疑わしい。もちろん私が現地で見た訳ではないので、あくまで良いか悪いかを述べる立場ではないが、被爆地広島という人類史上、重い歴史性を持つ場での光を利用するというイベントには、高齢の被爆者の方々が生きておられる現状をも勘案するならば、この地に対する、犠牲・痛みの配慮は必要だったと思われる。批判はあるにせよオバマのメッセージと広島カープ優勝をも並列というセンスは、どう考えても次元の異なるもの。それを広島・観光誘致という名目が上部にあったのならば、この地に対する冒涜に等しく、本末転倒だろう。LED光が柔らかで・平和・という意味合いも含むという広島イベント行政側は、あまりにも稚拙で浅はかなイメージにしか映らない。環境整備として観光と慰霊、相異なる接点を見出しながら探るという文言は、行政側の答弁としては聞こえが良いが、やはり、イベント開催についての討議・議論が足りないように見える。もはや人類史上2度と経験してはならない広島・長崎の被爆地としてどうあるべきか、この夥しい犠牲の上に立っている現在の広島の地と被爆者の方々、この人々への痛み・思いがファーストではないかと思うが、肝心なものが抜け落ちているイベントのようにも感じる。

ついでに触れるが、イベントのLED・光が「美しく、綺麗」というが、この光を利用したがナチス・建築家でもあるアルベルト・シュペーアの「光の大聖堂」(光のカテドナル)である。「光の大聖堂」は、1936年ナチス党大会で150の対空サーチライトを使い、ヒトラーの演説の際、その光を垂直に高く聳え立たせた。その光の中、見上げる聴衆は、光の美しさに忘我し、ヒトラーの演説・文言が人々に段々刷り込まれてしまう(以降この手法は多くのメディアが利用する。たとえばディズニー・・・)。光は、綺麗~美しい~で人々を思考停止にさせる。この原爆ドーム周辺イルミネーションは、観光で来ている人にとって、ただただ光が綺麗で楽しく、この地がどのような場であるのかを忘我し、思考をも忘れるだろう。なぜなら、直接綺麗で楽しい場の・光・しか目に映らなくて、余分な思考排除、ここで何が起きたのか、どのような場なのか、ということは考えなくなり、・綺麗~楽しい・が優先されるだろうから。

もちろん、光イベントが全て悪いというのではない。このような場においては、広島市・行政はその効果の・両義性・を勘案しながらイベントをする必要があるのではないだろうか、と思う。

もうひとつ触れておく。光の使い方としてオノ・ヨーコの例。オノのアート・アクションは平和への希求が多い。これまた批判があるにせよ、例えば2014年、イスラエルによるパレスチナ・ガザ侵略、2200名以上のパレスチナ人が虐殺された際の抗議のアクションだ。北・レイキャビックにて、上空に天まで届くような垂直の光を一本とどろかせた。平和希求の「平和の光」である。このことは、あまりこちらでは伝わらなかったが、オノ・ヨーコらしい平和へのアクションである(そういえば、第1回横浜トリエンナーレでのアート・出品作では、ドイツで軍にわざと銃撃させ、銃痕・穴の残る貨物車が、夜になると銃痕から光がこぼれ、横浜上空に垂直な光が登った)

仮に原爆ドーム中心から、夜半垂直な光が聳え立つイベントがあるのであれば、原爆ドーム夜半ライトアップと共に見上げてみたいと思うのは、私だけだろうか?


2014年レイキャビック、「平和の光」オノ・ヨーコ。

2001年横浜トリエンナーレ、オノ・ヨーコ。

2001年横浜トリエンナーレ、オノ・ヨーコ。

アルベルト・シュペーア「光の大聖堂」、1936年のナチス党大会、150の対空サーチライトを使用。

アルベルト・シュペーア「光の大聖堂」、1936年のナチス党大会、150の対空サーチライトを使用。

原爆ドーム周辺イルミネーション、朝日新聞引用。

原爆ドーム周辺イルミネーション、これでは鎮魂の意味もない。

原爆ドーム夜半ライトアップ

原爆ドーム周辺イルミネーション、カープおめでとうと・・・。

原爆ドーム周辺イルミネーション

原爆ドーム周辺イルミネーション

原爆ドーム周辺イルミネーション、オバマ・広島メッセージがみえる。

原爆ドーム周辺イルミネーション

原爆ドーム周辺イルミネーション

原爆ドーム周辺イルミネーション







著者プロフィール
Sharetube