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生放送にはアクシデントがつきもの・・・紅白歌合戦放送事故!?いくつ知ってる紅白のトリビア

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生放送にはアクシデントがつきもの・・・紅白歌合戦放送事故!?いくつ知ってる紅白のトリビア

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丘の町丘の町
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生放送にはアクシデントがつきもの・・・紅白歌合戦放送事故!?いくつ知ってる紅白のトリビア

紅白歌合戦の概要と歴史

紅白歌合戦とは
紅白歌合戦(通称「紅白」)は、1951年から始まった日本の歌番組です。男性歌手が白組、女性歌手が赤組に分かれて歌を競うという、他の歌番組にはあまり見られない対戦形式をとっています。

出場歌手全員の歌唱が終わった後に、会場に来ているお客さんや特別ゲストが判断し勝敗が決まります。現在ではうちわやボールなどを使った採点が行われているほか、視聴者によるデータ放送を使った投票も行われています。

「紅白歌合戦」という名前の由来

「紅白歌合戦」という名前になったのは、当時のプロデューサーが剣道をしていたため

剣道の試合では、赤のタスキと白のタスキをつけて対戦するそうで、そこから着想を得て男女が紅白に分かれて対決する「紅白歌合戦」になったようです。

最初の紅白は大晦日の年末ではなく年明け「ラジオ特番」だった

第1回は1951(昭和26)年1月3日に、NHKラジオで生放送された。この頃の出場歌手は「正月くらい休ませてくれ」と言ったとか。ちなみに、紅組白組それぞれ7名の歌手が出場、1時間番組で、ギャラは3,000円だったという。

昨年の第66回は、紅白合わせて53組が出場し、4時間半にわたって行われるから、隔世の感がある。

その後、第3回までは正月のラジオ特別番組として続き、1954年の第4回からテレビでの放送が始まり、大晦日に行われるようになった。

【紅白歌合戦トリビア】紅組、白組両方から出場の歌手がいる

紅組、白組両方から出場している歌手がいる

第42回(1991年)にサザンオールスターズの原由子がソロで紅組から出場。第56回(2005年)には和田アキ子がm-floと白組から出場した。第61回(2010年)に白組で出ていた男女7人組のAAAは第64回で紅組となり、一昨年は再び白組に。

【視聴率74.8%】森進一さんはチャック全開で歌ったことがある

1974年の紅白(第25回NHK紅白歌合戦)で、森進一さんはチャック全開で歌ったことがあるようです。その年、森さんはレコード大賞を受賞しており、他局からNHKへかなり急いでの移動だったとか。あわてて衣装を着替え、舞台に立って1コーラス歌い終わるあたりで、観客の反応からチャックの状態に気づいたそうです。

紅白歌合戦バックヤードには神棚がある

会場のNHKホールと楽屋を結ぶ下手側の通路の角に神棚がある。リハーサル開始前には神主を呼び、スタッフ勢ぞろいで成功祈願を行なう。当日、歌手はリハの合間に無事歌唱祈願するのが習わし。

出場するとトロフィーが貰える

NHKは出場歌手全員にトロフィーを贈呈している。初出場のときだけでなく、出場すれば毎回もらえる。1980年代は高さ70センチほどの大きさだったが、グループ出場の急増に伴って、小さな楯に変更。合わせて出演証書も贈られる。

紅白なのに・・・いいとも~

なんとタモリが司会したことがある
1983年(昭和58年)の第34回で総合司会を担当。派手な電飾ファッション&サングラスで登場し、「選手宣誓、いってもいいかな?」、客席から「いいとも~」の一斉コールで番組がスタートした(『笑っていいとも!』は1982年10月スタート)。
【トリ&大トリを決めないで開始したことがある】
 1980年の第31回は先攻・後攻を決めないでスタート。放送開始後にダーツで決める方法で、矢は白組の文字盤に的中。白組が先攻のため五木ひろしがトリ、大トリは八代亜紀となった。台本は2パターン用意されていたという。

【歌手別視聴率を導入したのは『トーチュウ』】
 1992年1月、『東京中日スポーツ』が初めて紹介。前年の第41回を録画し、歌手の歌唱時間を計測して、分刻み視聴率と照合して掲載した。これ以降、歌手別視聴率が定着した。

紅白歌合戦最高記録視聴率は『第14回NHK紅白歌合戦』の81.4%

放送開始から58年、2011年7月24日にアナログ放送が終了し、テレビはひとつの時代を終えた。シリーズ「あの頃のテレビはすごかった」――ここでは国民的番組という称号を得た『NHK紅白歌合戦』(昭和26年~)を振り返ろう。

 第3回まではラジオ放送の正月特番だったが昭和28年からテレビ放送が始まり、大晦日は紅白を観て家族で過ごすという行事が確立された。美空ひばりがトリを務めた昭和38年の第14回では日本テレビ史上最高の視聴率81.4%を記録。

しかし時代とともに歌手、視聴者の「紅白離れ」が進み、昨年の視聴率(第2部)は41.7%。国民的番組という存在感が薄れている。

実は以前は出身県も紹介されていた。

出場者を出身都道府県別に分けると、150人以上の出場者を誇る東京から、わずか1人という石川、島根まで分かれる。現在は、歌手が登場した際、テレビ画面に歌手名・出場回数・曲名がテロップで表示されるが、実は以前は出身県も紹介されていた。消された背景には、こんな理由があったといわれている。

 「出場していない地域の視聴者から、“ウチの県からは誰も出てないからみじめになる。やめてくれ”という抗議があった」(NHK関係者)

珍事件!紅白歌合戦事件

NHK紅白歌合戦で、「DJ OZMA」と出演した女性ダンサーの上半身がに見えるような演出があり、総合司会の三宅民夫アナウンサーが番組内で「ボディースーツを着用していたが、誤解を与えて申し訳ない」という趣旨の異例のおわびをした。 

 NHKによると、終了までに問い合わせなど約250件が寄せられた。NHKは裸に見えたのはすべてボディースーツだったとしたうえで、「裸と見間違いかねない姿になるのは演出側は知らなかった。紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えている」とコメントした。

“ラスボス”こと小林幸子さんの電飾トラブル

紅白といえば豪華な衣装で有名な小林幸子さん
もはや舞台装置ではないのかと疑いたくなるレベルの衣装が毎年話題になっていました。しかし、その衣装にトラブルが起きたのが1992年の紅白。衣装についていた電飾が不具合により点かなかったのです。62000個の電飾が付いていたそうですが3分の2は点かず、小林さんは観客の反応を見て気づいたそうです。

エイズ撲滅のためのアピール!?

井上陽水のカバー曲「東へ西へ」で初出場を果たした本木雅弘が、
首に9つのコン.ドームをネックレスのように掛けて登場。
さらに曲の間奏で、
おしりにつけていたチャックを下げ、
ノー.パンの“半.ケツ”で踊りだした。
間奏途中で白い風船を持ち出した。
これもコン.ドームの風船。
曲の2番はこの風船を頭上高く掲げながら、
半.ケツで腰をひねりながら歌い続けた。
最後はコン.ドーム風船を頭上で割って、
噴き出した液体で
顔中びしょぬれになってのエンディングに。

中継演出は「初」長渕剛 電波ジャック事件(1990年)

開口一番に「NHKスタッフはタコばっかり。やんなっちゃうよ」と暴言を吐き、「親知らず」「いつかの少年」「乾杯」を3曲連続で歌って番組を17分間ほど独り占めにした。

この影響でスケジュールが押してしまい、大トリの森進一は歌唱時間を縮められ、応援で出場予定だった女子高生バトンチームの時間も全てカットされた。この事件は「長渕剛の電波ジャック」と呼ばれ、他の歌手や関係者からの不満が続出し、長渕はNHKに出入り禁止になった。

中継先で歌う演出はNHKホールの観客や、他の出場歌手にも不評を買い、翌年の第42回以降は全出場歌手がNHKホールで歌う形に戻っている。その後、中継先で歌う演出は12年後の2002年(平成14年)・第53回まで行わなかった。

ただし、長渕はその後、2003年の紅白歌合戦に13年ぶりに出場。前回の反省から曲は1曲のみ、しかも前回迷惑をかけた森進一の応援演奏・コーラスを率先して行うなど一転して「紳士的」ともいえる対応を見せ、NHKや他の歌手と和解した様子を見せた。

加山雄三 仮面ライダー事件

加山は白組トップバッターを務めた少年隊の「仮面舞踏会」の曲紹介時、「紅白初出場。少年隊「仮面ライダー」です」と言い間違えてしまう。
加山さんが「仮面ライダー」と言い放った瞬間。
家族審査員として中継に出た広島の少年が「加山雄三さんの『仮面ライダー』は点が高いと思います」と評し、新年のお笑い番組や週刊誌などでもさかんに話題にされた。
6年後の1992年・第43回のショーコーナーで歴代ライダーとショッカーが登場した際、少年隊が「レッツゴー!!ライダーキック」を歌ったのは、このエピソードを踏まえたもの。
なお、加山は『紅白50回』のインタビューで「舞台袖で「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」と言い間違えそうだと話していたら本当にそうなった」「今でも少年隊の方々に申し訳なく思っている」と語っている。

マイクが故障。菅原洋一

菅原洋一の「小雨降る径」で、本人が手にしていたマイクの故障により、音声が出ないトラブルが起きた。スタッフが慌てて連絡し合う声が、他のマイクを通して放送された。
1番の歌唱中にマイクを取り替える事でトラブルは解決した。『思い出の紅白歌合戦・昭和61年』(2002年12月26日放送、 BS2)では、伴奏などはそのままで、菅原の歌のトラックのみを再録音に差し替えて放送した。テロップで「生放送当日、音声トラブルがありましたが菅原さんの御協力により再録音しました」と表示し、歌唱のタイミングに合っていなかった1番の字幕も新しくした。歌唱後の目加田・千田によるお詫び部分はカットされた。事実上の訂正放送と言える。

総合司会・生方恵一アナの大失態

都 はるみ夫婦坂「普通のおばさんになりたい」 紅白で引退宣言

年内での引退を宣言していた都はるみが大トリを務めた。歌い終えると異例のアンコールが起きた。都はそれに応え「好きになった人」を歌うも、感極まって声にならなくなる。出演者全員が彼女を囲んで励ましながらの大合唱。そんな感動の真っただ中で「事件」は起きた。
「もっともっとたくさんの拍手を、ミソラ・・・・ミヤコさんに」
これが直接のきっかけかはわからないが
生方アナは翌85年に大阪放送局へ異動し、その年限りで退局。

1985年吉川晃司「シャンパン事件」

吉川晃司は白組トップバッターとして「にくまれそうなNEWフェイス」を熱唱した。
まずは、登場するなりシャンパンを口に含んで盛大にまき散らすパフォーマンスを展開。
さらに曲が終わり、次の紅組・河合奈保子(48)のイントロが始まっても暴走は止まらない。なんと、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけてしまったのだ。

とんねるずがビキニパンツで登場

背中には“受信料を払おう”と書かれたメッセージが書かれていた。お茶の間は大ウケだったようだが、NHK上層部は激怒。

3:45頃から注目!

米米CLUBが「浪漫飛行」を披露中の終了直前に同ボーカルのカールスモーキー石井がステージから客席に転落した。

司会は厚さ3.5cm、前後編2冊の台本を3日で覚えなければならない

紅白の司会者といえば台本をすべて暗記して本番に臨むという都市伝説があるが、司会者が初めて台本に目を通すのは、12月25日。しかも、その日は読み合わせだけで、終わり次第、情報管理を理由に没収されてしまう。実際に手元に置けるのは、本番まで残り3日となる12月27日。出演歌手名や曲名、応援として出演する人の名前や肩書、伴奏者名などがすべて記された、厚さ3.5センチ、前後編2冊にわたる台本をそのタイミングから覚え始めるという過酷さなのだ。 ”

マイクが・・・

2005年のNHK紅白歌合戦に出場した際はイントロで小池のギターの弦が切れ、更にサビ部分でカメラがマイクのコードを引っ掛け、スタンドマイクが転倒するという前代未聞のハプニングに見舞われた。やむを得ず、マイク転倒から立て直されるまでの数秒間は生声で歌を披露した。
2度目の紅白歌合戦出場の際は、本番で楽屋からステージに移動するエレベーターが急停止し、二人とも閉じ込められるという災難に見舞われている。

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丘の町

フリーランスを目指しています。 少しでも皆様のお役に立てる記事をとうこうできればと思います。