バンクシーが、「世界最悪の眺め」というイスラエルの作ったパレスチナとの悪名高い分離壁を見下ろすホテルを開業

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ホテル最上階からの最悪・分離壁の眺め。
	
バンクシー・ホテル内部、それぞれのアートが飾れている部屋を訪問。
ロイター映像。
バンクシーがパレスチナの土地にあるイスラエルの建設した悪名高き、高い壁・分離壁にグラフィティを行ったのは、2006年だ。ベツレヘム、ウエスト・バンク、ガザ地区の周りは全てイスラエルの造った分離壁に覆われ・封鎖・されている。パレスチナの土地を奪いながら、なお現在、シオニスト・イスラエルによりパレスチナの土地を奪い・入植・し続けている。これ等の象徴的大問題は、イスラエルが作ったパレスチナ人の尊厳まで奪おうとする行為、封鎖するあからさまな侮蔑・差別、現在のアパルトヘイトとも呼ばれる・分離壁・である。当時バンクシーの描き制作したパレスチナ分離壁のグラフィティは、メディアの報道・話題も呼び、この壁がいかに卑劣なものかの問題提起として、他国、とりわけ西側社会に知らしめた(と同時に、このグラフィティを観ようとする観光スポットとしての機能も果たす)。2014年には、シオニスト、ネタニアフ・イスラエルのよるパレスチナ・ガザ地区侵攻があり、約2カ月余りの空爆、地上攻撃、ドローン等最新兵器使用と旧兵器の在庫一掃として、パレスチナ人を約2300名近く虐殺した(子供は約550名殺害されている。イスラエル側の隠語として・芝刈り・ともいわれる)。その時もバンクシーは翌年2015年、パレスチナ・ガザ地区を訪れて、作品を制作した(それらの作品は、現地の人やアート関係者により、持ち去られたという)。

そして、2017年の今回バンクシー・新作は、コラボともいわれるが、パレスチナ、ベツレヘムにある分離壁沿いのホテルを開業した。バンクシーは声明で「世界のあらゆるホテルの中で最悪の眺めだ」と述べている。ホテル内部には、バンクシーの新作が各部屋の展示・装飾されており、ホテル内部がバンクシー美術館さながらとなっている(このホテルは、イギリスのバルフォア外相が、パレスチナのユダヤ人居住地建設を支持した1917年の「バルフォア宣言」から100年に合わせて開業した)。もちろん、バンクシーそれぞれのアイロニカルでブラックユーモア満載の各部屋の作品群を観ることも愉快だし、ホテル利用客も満足するだろうと思う(イスラエル人に来てもらいたい、とのこと)。しかし、それだけだろうか?このホテルが、バンクシーの新作と勘案するならば、バンクシーのもう一つの意図も汲み取らなくてはならない。それは、ホテルからの外の眺め、つまり、最劣悪なパレスチナの人々を分離・差別・侮蔑する高い分離壁を観るという行為、そのものがバンクシーの作品でもあるということだ。この眺めを観て、我々は何を感じ、何を考え、何に促され、そして行動する契機となるか、である。ホテルの内側を鑑賞し、外側の眺めも鑑賞する。そして考える。そしてアクションする。観ることで、この問題提起が分かり、やがて現実の本質的問題を変えることにつながる、そんな意味合いも持ち合わせているのが、今回のバンクシーホテルなのだろうと、と思う。素晴らしい行為・アクションとも思う(ホテル敷地内には、パレスチナ人アーティストの作品を展示するギャラリーもある。この一画は、キュレーターのホスニ・アルカティブ・シャハダさんが企画した。海外での美術展に移動させるのが難しいアーティストたちの作品展示に提供される予定だ。バンクシーはここにある作品は、パレスチナのコミュニティと彼らの闘争のために寄付した」と、バンクシーはネット上で明らかにした。「盗み出したり、ホテルの所有物を破損しようとする者は逮捕され、ラマラ警察に身柄を移され、現地の法律によって起訴される」・・・ハフィントンポストより引用)。ただし、上記のように、所有物に対する盗みや破損などから、ホテル利用が1泊たった30ドル(3400円程度)なのだけれど、泊る保障として、1000ドル(約11万円)補償金を前金で支払わなくてはならない。したたかなバンクシーがここにもいる。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ制作中のバンクシー。

2006年、パレスチナ・ウェストバンク、分離壁グラフィティ制作中のバンクシー。

2015年、パレスチナ・ガザ。

2015年、パレスチナ・ガザ。

2015年、パレスチナ・ガザ。

2015年、パレスチナ・ガザ。

2015年、パレスチナ・ガザ。

AFPより、ホテル最上部からの分離壁眺め。

2017年、AFPより、ホテル最上部からの分離壁眺め。

2017年、AFPより、ホテル内部。

2017年、ホテルから見える分離壁。

2017年、AFPより、ホテル入口。
	
2014年、イスラエルのパレスチナ・ガザ侵攻による殺戮で約2300名(女性・子供含む)パレスチナ人を虐殺された後、ガザにバンクシーが入り、グラフィティ作品を設置した。後にアート関係者により、壁ごと持ち去られる。
約10年前、2006年、パレスチナ、ウエスト・バンクの悪名高き分離壁に初めてグラフュティを描く、制作中のバンクシー。この他さまざま描き、反響を呼び、観光スポットともなる。