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~死にたくなったら「ブラブラ人生」を~生き方ヒント

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~死にたくなったら「ブラブラ人生」を~生き方ヒント

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Update date:2017年05月08日
~死にたくなったら「ブラブラ人生」を~生き方ヒント

死にたくなったら「ブラブラ人生」を

「人間にとって本当の仕事とはね・・・自殺しないで生き抜くことです。今のあなたがまだ働く状態にないのなら、就職しないでブラブラしていてもいいんですよ。それでも人間の(本当の仕事の方は全うしていること)になるのですもの」
私は大学四年生のO嬢にそう告げた。

彼女は生きることへの虚無感や不安感からつい少し前まで死ぬことばかり、考えていたそうだ。それで家を出て、奈良の寺巡りをしていて、たまたま見出した断食道場があったので、(よし、食べないで死んでしまおう!)と決め、二週間近く断食をやったそうだ。

「でも不思議です。死ねないんですよね。それで自宅へ帰りましたら、親や友人たちがもう必死で同情してくれて・・・それからは監視つきで霊能者のところへ連れていかれたり、病院へ行かされたりして・・・かえって、追いつめられてしまいました・・」
と、そのように淡々と言うのだった。

しかし、私の見るところ、彼女の「死への限りなき接近の時」はもう終わったように思われた。そう考えた理由は、彼女が「親や友人たちが心配してくれて、とても有難いと思えました・・」と言えたから。つまり、人が死に最も近づいた段階では、普通は何かこの地上にたった一人で存在しているような、暗いトンネルを手探りで進むような、暗黒気分に支配されているものだ。

他人への親近感が全く欠落してしまい、いや、「他人認識がなくなり」、全ての人々が遠くの存在に映ってしまう。自分の周囲に「見えざるヴェ―ル」が張り巡らされたようになる。

私も何度かそうした気分を十代・二十代に体験した。

だが、その心理状態は一過性のものであり、遅かれ早かれ、卒業できる。つまり、人は母のお腹から生まれ、人の手によって育てられているという意味の「人の間に生きる存在(人間)」であるから、いかに孤独な人であれ、他人認識を回復することは可能だし、またその方が自然なのだ。

ただ、何らかの事件が生じて「心の傷」が出来たり、完全な自己否定を為すような致命的失敗をすると、こうした「暗黒トンネルを一人歩む心理」や自閉の檻に入ってしまう。それは実に淋しく、つらく苦しいけれど、恒常的なものでなく、必ずいつかそこから出られる。

今の彼女は「二週間の断食でも死ねなかった私・・」という思いがある。つまり、人間にとって自分の死は自分の思い通りにならぬということを、身にしみて知らされたのだ。

そして、ギリギリの極限まで生を追い詰めたその行為によって、現在は「生の徒」として返り咲くことが出来たように思われる。

だからこそ、今の彼女は心配してくれる親や友人に対して、(あ―あ、私も同情ばっかりされちゃって・・)という気持ちと共に、大いなる「感謝」がある。

また、私の本を読み、自分に似た人としての会ってみよう、という気持ちになれたことは・・・生の徒としての第一の他人認識を持てたことになる。

(ああ、この人は大丈夫!もう、生きられる!!)
そう思うと、私は嬉しくてたまらない気分になった。

それから、彼女は大学で心理学を学び、実人生で苦悩や死や自殺衝動やうつ状態を体験したことを活かし始めた。そうなった理由は「集団生活の下での緊張と自信喪失」だったように思われる。

いわば、「心理学上の様々な領域」を自らの身心で実地体験したようなものだったのから・・・いずれは自営のカウンセラ―になればよいのではなかろうか。

集団生活がイヤなら別に就職しなくてもいい。

当分はブラブラと生き、身心を癒してから次のステップを考えればいいのだ。

仕事なんて三万もあり、会社なんて百万以上もあるが、彼女のイノチは一つだけである。イノチに優る大切なものはない。そのたった一つのイノチを温存していくことが、人間にとって最も大切な「仕事」なのである。

対話の合間にその人が時折見せてくれた笑顔は、若い身空なのに「人生の苦悩を見た人」の深さが感じられ、胸を打った。

別れ際に彼女は、
「これ、長良川で拾った石です」
と、紙の箱に入れた石をくれた。

私は相談料代わりに石を貰うことがよくあるが、お金より石の方が嬉しいことを、私の本などで皆さんよく知っておられるようだ。

石は百万年も一億年も生きてきた生命体、と私には映り、物言わぬ石を見ていると「石も生きている」という気分になり、しみじみした思いに胸が熱くなるからである。

長良川岸にあったその石は、乳白色で実に若々しかった。今後、その石を見る度にその人のことを思い出すだろう、と思った。

少し元気になったO嬢と別れ、私は彼女からのプレゼントの石を眺めつつ、自分自身の遠い過去を思った。

・・私もまた、彼女と同様、どう生きていいのか分からなくなり、「死ぬよりつらい生きる毎日」を持った時・・・自分は死ぬのがベスト、と考えて大雪山系へと分け入った。

その時、自分はこの地上にたった一人、震えつつ生きる人間なのだと感じられ、故郷に残した親も、会社のことも念頭になかった。

自殺行動とは、一種の「内なる魔によって目の前が塞がれた」状態のようなものである。とにかく死ぬことだけが今の自分にとって、唯一の幸せの道という考え方に凝り固まるのだ。その暗黒心理から立ち直るとしたら、何か余程のことが必要なのだ。

私は雪に埋まって死ぬ寸前に、純白世界に赤と黒の原色を見出し、われに還った。赤は、秋に取り残されたか木の実であり、黒はそれを食べにきたカラスの羽根の色だった。

生への覚醒は、音とか色とか、何か原始的なものによるようである。

しかし、ともかくも、もう一度生き直してみようという気になって私は雪山を雪だるまのようになって下山した。あれからもう十年が経つわけである。

生きていたからこそ、私はこうして彼女の如き仲間と出会えて、生きていたからこそ相談業も出来ている。

そう、生きていたからこそ・・・家族と共に生き、本も書けている。

だから、人間とはやはり与えられたイノチを自らの手で滅してはいけないと思う。

もちろん、私は自分の人生に一連の成果がなかつたとしても、今は(生きていてよかった・・)とハッキリ思える自信がある。

生きていたから、桜を見て感激し、石ころ一つ見て嬉しくなる。

つまり、人生の本当の意味は、その人が実人生で築く家族とか業績という意味ではなく、単に「花や石が美しく見える心」だけで十分、そう思いつつ、私はいつまでも長良川の石を見つめていた。

ちょっとポエム...w「春秋病」

落ち葉の迎賓館前の路地を埋め尽し
樹木に枯れ枝ばかりが目立つ季節は
私の心から元気やヤル気が脱落して
ただもう生きているだけの人となり
自分の仕事の全てが空しく思えます
そう、私は植物型の季節性うつの人
しかしこれは天性ゆえ逆らう事なく
ただただ季節をやり過ごすのみです
これが真冬を知らせる木枯しの季節
歳末の慌しさが町を覆う時まで続き
それから私は急に元気を回復します
あとは三月までは何とか元気が続き
木の芽時期ノイロ―ゼの時節を迎え
再び私はウロウロと落着かなくなり
世上の事柄に全く無関心と成り果て
四月後半に再び元気が回復してきて
あとは秋まではなんとか元気ですよ
そう秋と春に弱い私は春秋病ですね

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著者プロフィール
 Pride of the Japanese

現役キュレーターの中でトップのアクセス数を誇るSharetuber。世界を飛び回る国際ボディガード歴20年。護身術師範。悪質なクレーマーや反日左翼と戦う某公的コンサルティング団体顧問。喧嘩上等。「I'm proud of the fact I was born in Japan.」